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悪役令嬢ですが、すべてのご指摘を反映した結果、第一話が始まらないまま四十七年が経ちました

作者: 末長敬司
掲載日:2026/10/28

婚約破棄を止めたのは、真実の愛ではなく、天井に浮かぶ〈ご指摘〉だった。

挿絵(By みてみん)


■第一部 婚約破棄が始まらない■


「アンネ=ゾフィー、君との婚約を――」

 そこで、王太子ヘルベルトの声が止まった。

 卒業祝賀会の大広間では楽団が演奏をやめ、貴族たちが息を呑んでいる。

 天井に、一行の文字が浮かんでいた。


《政略結婚なのに、本人の一存で破棄できるのおかしくない?》

 前世で婚約破棄の物語を何冊も読んだが、開始前に止められるものは初めてだった。

「……もっともだな」

「ええ」

 我が公爵家は王国西部の穀倉(こくそう)地帯を治めており、婚約は両家の同盟でもある。

 関係各家を交えた正式な協議が決まった。


《そもそも、なんでこんな馬鹿が王太子なの?》

「それも、もっともだ」

 ヘルベルトは王位継承権を返上した。

 潔(いさぎよ)い方だった。


《簡単に責任放棄しすぎ》

 返上は撤回された。

 潔(いさぎよ)さだけでは国を治められない。


 聖女ヴィクトリアが祭壇(さいだん)に据(す)えた〈神託(しんたく)水晶〉は、王国の大事(だいじ)を天上へ配信する。

 支持を集めた視聴者の声は、こうして文字となって現れる。

 国王はすべてのご指摘を反映せよと命じた。

 実務を担う〈王立ご指摘反映局〉が設けられ、その日から水晶は私の暮らしを追い続ける。

 祝賀会は延期された。


■第二部 悪役令嬢にも聖女にもなれない■


 最初に開かれたのは、私がヴィクトリアを虐(いじ)めたという告発の調査会だった。


《証拠も調べずに断罪するな》

 証人を集め、手紙と当日の行動を照合した結果、私は無実と認められた。

 ヴィクトリアの証言に嘘があったわけではない。

 階段から落ちた彼女を私が見下ろしていたのは事実だが、到着したのは転落のあとだった。

 彼女が私を恐れていたことと、私が突き落としたことは別の話である。

 ヘルベルトは謝罪し、ヴィクトリアも頭を下げた。


《悪役令嬢なのに、全然悪役じゃない》

 私は翌日、ヴィクトリアの靴を隠した。


《主人公が本当に悪いなら、被害者面して逆転するのは違うだろ》

 靴を返して謝罪し、相応の処分を受けた。


《善良な聖女を、わざわざ悪人にする展開も飽きた》

「私、悪人にならなくていいんですね」

 ヴィクトリアは胸を撫で下ろした。

「もちろんですわ」

 私たちは握手した。

 これで断罪は不要である。


 正式な協議を経て、ヘルベルトとの婚約は円満に解消された。

 領地間の協定は別の条約となり、損失も精査されている。


《周りの大人、何してたの?》

 大人たちも仕事をした。


《重要な情報が都合よく伝わらないの、おかしい》

 議事録が関係各所へ配られ、行き違いもなくなった。


■第三部 追放もざまぁも成立しない■


 私は王都を離れ、辺境へ移ることにした。


《なんで有能な人間を追放するんだよ》

「追放ではなく、自発的な転居です」

 父が説明すると、旅程(りょてい)表から「追放」の二文字が消えた。

 実家の支援を受けた馬車の旅で、特に見返したい相手はいない。


 その途中、迷宮攻略を生配信している勇者一行に出会った。

 勇者は視聴者の前で、補給担当を役立たずと罵(ののし)り、追放しようとしている。


《迷宮の中で補給担当を外すの、安全管理どうなってる?》

《一緒に冒険していて、能力が分からないわけないだろ》

 勤務記録を確認すると、彼は野営地の選定、食糧調達、装備の修繕(しゅうぜん)まで担っていた。


《説明しなかった本人にも問題がある》

 補給担当は業務を文書にし、勇者は謝罪した。

 契約と報酬の見直しにより、追放配信は業務改善報告へと姿を変える。


《だったら最初からそうしろよ》

 反論はない。


 辺境で私を迎えたのは、冷酷無慈悲と恐れられる黒騎士クラウディオ公爵だった。


《怖い評判なのに、会ったら都合よく完璧な男なんでしょ》

 調査の結果、クラウディオは本当に冷酷だった。

 私は帰りの馬車を手配した。


《なんでそんな相手に嫁がせるの? 家族は何を調べた?》

 父は謝罪した。

 ただし、私は領地視察に来ただけで、縁談は最初から存在しない。

 クラウディオは部下への不当な処罰を追及され、職を解かれた。


《ざまぁが軽すぎる》

 被害が再調査された。


《一族まで巻き込むのはやりすぎ》

 無関係な親族は対象から外された。


《被害を描かずに処罰だけされても》

 公開範囲は、新設の委員会が決める。


 私は宿で待った。

 いつしか、季節は秋になっていた。


■第四部 成り上がれない■


 待つ間に、町で菓子屋を開こうと思った。

 前世で食べたプリンなら、きっと売れる。


《現代知識って、そんなに正確に覚えてる?》

 卵と牛乳と砂糖を使うことは知っていたが、配合は知らなかった。


《異世界の人間が、今まで誰も思いつかなかったの?》

 料理人の店には、すでに似た菓子があった。

 味もよく、私はその店に弟子入りする。


 隣のパン屋では、アンドレという青年が朝早くから窯(かま)に火を入れていた。


《才能が認められるの早すぎ》

 最初の一年は皿を洗った。


《努力の過程を飛ばすな》

 翌年も皿を洗った。


《同じことばかりで話が進まない》

 洗い方を工夫した。


《そんな些細なことで、周囲が絶賛するのは不自然》

 誰も絶賛しなかった。

 師匠が「そこの汚れ、残ってるよ」と言った。

 私は洗い直した。


《スローライフって言いながら事件ばっかりじゃん》

 事件を起こさないために、朝起きて働き、帰って寝た。


《他人の日常を延々見せられても面白くない》

 そこで、町に学校を作ろうと思った。


《教師は? 教材は? 予算は?》

 私は黙った。

 翌日から、町役場へ通って土地と教師と会計を調べる日々が始まる。


《反対する人を馬鹿や悪人にするな》

 子供が働かなければ食べていけない家には、先に生活を支える仕組みが必要だった。


《現代人が一人来ただけで、社会が簡単に変わるわけない》

 簡単には変わらず、五年かかった。


《時間を飛ばして、都合よく成功させるな》

 五年分の会議録が添付(てんぷ)された。


《説明が長い》

 要約した。


《肝心なところを省くな》

 要約に注釈をつけた。

 その注釈を保管する建物が、町の学校より先に完成する。


■第五部 恋愛で人生は終わらない■


 学校が開く頃、私はアンドレと親しくなっていた。

 一度助けてもらったから恋に落ちたわけではない。


《一回のイベントで惚れるの、早すぎ》

 そう言われないよう、日々の付き合いを重ねた。

 アンドレは寝坊をするし、計算を間違え、忙しいと返事も雑になる。

 けれど、私が話すときは、途中で答えを決めずに聞いてくれた。


《欠点があると書けば、人間味が出ると思ってる?》

 私たちは働き、喧嘩をし、翌朝にはそれぞれの店を開けた。


《こんな男のどこがいいの?》

 私は好きなところを説明した。


《作者が説明しすぎ、描写で伝えて》

 説明をやめ、アンドレと焼きたてのパンを半分に割った。

 黙って食べる時間が好きだった。


《主人公、受け身すぎる》

 私から結婚を申し込んだ。


《恋愛で幸せになれば、全部解決ってこと?》

 仕事と家のことを何度も話し合ってから、私たちは結婚した。

 結婚しても、皿とパン生地と学校の帳簿は毎朝待っている。


 神託(しんたく)配信の視聴者は、いつしかほとんどいなくなった。


《配信してる意味ある?》

「僕は見ているけどね」

 アンドレが隣で笑った。


《主人公に優しい人ばかりなのは不自然》

 彼は私の焼いた菓子を見て、少し考えた。

「今日のは、焦げてるね」

 私は頷いて、焼き直した。


 冬が来て、春が巡る。

 学校には子供が通い、師匠は店を弟子に譲った。

 私とアンドレの髪には、白いものが増えていく。


■第六部 第一話が始まらない■


 ある朝、反映局から分厚い書類が届いた。

 中身は、第一話として卒業祝賀会を再開するという通知である。

 私は眼鏡をかけた。

 あれから四十七年が過ぎていた。


 婚約解消は正式に処理され、告発は公平に調査され、追放も撤回されている。

 私は働いて技能を身につけ、町の人々と学校を作り、アンドレと暮らしてきた。

 添付(てんぷ)された確認事項には、すべて対応済みの印が並んでいる。

 ようやく、物語を始める準備が整った。


 隣に座るアンドレは、もう青年ではなかった。

 私も、もう令嬢ではなかった。

「祝賀会、行くかい?」

「卒業生ですものね」

「踊れるかな」

「椅子を用意していただきましょう」

 窓の外では、子供たちが学校へ向かっている。

 パンが焼ける匂いがした。


 そのとき、天井に文字が浮かんだ。


《これ、悪役令嬢ものではなく、アンネ=ゾフィーの一代記では?》

 反映局に連絡し、ジャンルを変更してもらった。


《看板を変えても、最初に期待した話と違う》

 私は祝賀会の案内を置いた。

 何から直せばよいのか、すぐには分からない。

 最初から考え直すほかない。


《やり直しで積み重ねを無駄にするな》

 書きかけた修正案を取り下げた。


《結局、何も起こらないの?》

 私は、何かを起こす必要があると反映局へ伝えた。

 反映局はすぐに、何を起こしてよいか検討する委員会を設置する。

 これまでの指摘者も、全員が委員である。

 第一回会議の議題は、第一話を始めてよいかどうか。

 全会一致で決める。

原案協力のLackRockさんに最大の感謝を。

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― 新着の感想 ―
《続きは、いつになるの?》
これは末長さんが書くからこそ響く話かなと思ってます。
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