婚約者が「前世の記憶」で悪役令嬢ぶっていますが、根が善人すぎて自爆ばかりしています。~新しい婚約者候補の方、残念ですが出番はありませんよ~
婚約者が突然『私は断罪される悪役令嬢よ!』と言い出した──その瞬間から、俺の“彼女の空回りを見守る日々”が始まった。
ある晴れた日の午後。
俺、フェリクス・アークライト伯爵令息(20歳)は、婚約者であるリリアナ(20歳)とのティータイムを楽しんでいた。……はずだった。
「フェリクス! 私、思い出したわ! ここは乙女ゲームの世界で、私は断罪される悪役令嬢なのよ!」
紅茶を飲んでいたリリアナが、突如としてガバッと立ち上がり、叫んだのだ。
瞳孔が開いている。大丈夫か。
「……リリアナ、落ち着いて。悪役令嬢とは?」
「うるさいわね『モブA』! 貴方みたいな地味な男と結婚したら、私は破滅ルート一直線なの! だから今ここで婚約破棄を宣言するわ!」
リリアナはビシッと俺を指差した。
俺たちは幼馴染で、来月には結婚式を控えている。昨日まで「フェリクス様、新しいドレスを見てくださいな」と頬を染めていた彼女が、一夜にして乱心した。
「モブ、か……。まあ、俺は確かに地味だが」
「そうよ! 私にはもっとふさわしいハイスペックな王子様がいるはずなの! だから貴方には冷たくして、嫌われてやるわ!」
リリアナは鼻息も荒く宣言した。
俺はため息をつきつつ、彼女の手元を見た。
「リリアナ、興奮するのはいいが、カップが傾いているぞ。ドレスにこぼれる」
「あっ、きゃっ!?」
慌てた彼女はバランスを崩し、俺の方へ倒れ込んできた。
俺は慣れた手つきで彼女を受け止める。
「……大丈夫か?」
「あ、ありがとう、フェリクス……怪我はない?」
俺の腕の中で、彼女はいつもの心配そうな瞳で俺を見上げた。
……数秒後、ハッとして俺を突き飛ばす(力は弱い)。
「か、勘違いしないでよね! 今のは作戦よ! 貴方の服を汚して嫌われるための!」
「俺の服は無事だが?」
「ぐぬぬ……次は必ず絶望させてやるわ!」
彼女は真っ赤な顔で捨て台詞を吐いて走り去った。
……これのどこが悪役令嬢なんだ。ただのいつものドジっ子リリアナじゃないか。
それからというもの、リリアナの「前世知識チートで無双&フェリクスに嫌われようキャンペーン」が始まった。
しかし、その実態は惨憺たるものだった。
「見てなさい! 前世の知識で『マヨネーズ』という奇跡の調味料を作って大儲けよ!」
彼女は卵と油の分離に失敗し、謎のドロドロ液体を大量生産。しかもこの国には既に『エッグソース』という類似品があり、料理長に「お嬢様、厨房を荒らさないでください」と怒られて終了。俺がこっそり掃除を手伝った。
「詠唱破棄で上級魔法を放って、私の強さを見せつけてやるわ!」
魔力制御に失敗し、庭の噴水を爆破。ずぶ濡れになった彼女は、駆けつけた俺を見るなり「フェリクス、寒い……」と泣きついた。俺がタオルで拭いてやると、大人しく撫でられていた。
「今度の夜会では、他の男性とイチャイチャして貴方のプライドをズタズタにしてやるわ!」
いざ男性に声をかけられると、人見知りが発動してガチガチに硬直。「あ、う、天気が……」と挙動不審になり、助けを求めるように俺をチラチラ見てくる。俺が割って入ると、心底ホッとした顔をした。
……無双どころか、介護が必要なレベルだ。
「私はこんなところで終わる女じゃないのに!」と悔しがる彼女だが、俺には昔と変わらない、不器用で愛すべきリリアナにしか見えなかった。
俺は彼女を愛している。
前世がどうあれ、彼女が俺に向けてくれる無意識の信頼や、根底にある優しさを知っているからだ。
そんなある日。俺たちの前に一人の女性が現れた。
男爵令嬢のミランダ。ピンク髪の、いかにも庇護欲をそそる可愛らしい女性だ。
「フェリクス様。……リリアナ様の奇行、目に余りますわね」
ミランダは上目遣いで俺に近づいてきた。
社交界では、リリアナの「悪役令嬢ごっこ(失敗続き)」が噂になっていた。
「彼女は頭を打っておかしくなったのですわ。あんな狂った女、フェリクス様には相応しくありません。……私なら、貴方を支えて差し上げられますのに」
ミランダの手が、俺の腕に絡みつく。
なるほど。よくある「乗り換え」の打診か。
リリアナが自滅し、愛想を尽かした俺が、この可愛らしい新ヒロインを選ぶ……というのが、世間の期待するシナリオなのだろう。
その時、廊下の陰からリリアナがこちらを見ているのに気づいた。
彼女は唇を噛み締め、拳を握っている。
(……しめしめ、これこそが『ざまぁ』の展開よ! フェリクスは私を捨てて、あの子を選ぶ……私は追放されて自由の身……)
リリアナの心の声が聞こえてきそうだ。
だが、その瞳が微かに潤んでいるのを、俺は見逃さなかった。
彼女は「物語」をなぞろうと必死だが、本心では俺に捨てられることを恐れている。
俺は、腕に絡みつくミランダの手を、そっと、しかし拒絶の意志を込めて外した。
「ミランダ嬢。忠告は感謝するが、君には関係のない話だ」
「え……? で、でも、あんな失敗ばかりの女ですよ? 貴方を『モブ』だなんて呼ぶような……」
「ああ、よく失敗するし、口も悪い」
俺はリリアナの方を見ながら言った。
「だが、彼女がマヨネーズ作りで手を油まみれにしたのは、領民の食生活を豊かにしたかったからだ。噴水を壊したのは、護身魔法を覚えて俺の負担を減らそうとしたからだ。……俺は、その不器用な懸命さを愛しているんだよ」
隠れていたリリアナが、ビクッと肩を震わせた。
俺は隠れているリリアナの元へ歩み寄った。
彼女は逃げようとしたが、足がもつれて(またか)、俺の胸に飛び込んできた。
「……フェ、フェリクス。なんで……」
リリアナが涙目で俺を見上げる。
俺は彼女の涙を指で拭った。
「リリアナ。君が『前世の記憶』とやらで何を見て、何を恐れているのかは知らない。でも、俺が見ているのは『今の君』だ」
「でもっ、私は悪役令嬢で……貴方を不幸にする運命で……」
「俺を不幸にする? 君がか?」
俺は笑ってしまった。
「俺は君が失敗するたびに、フォローするのが楽しくて仕方ないんだが?」
「……変態なの?」
「かもしれないな。……君が『モブ』と呼ぼうが構わない。俺にとって君は、唯一無二のヒロインだ」
リリアナの顔が、茹でダコのように真っ赤になった。
彼女は「悪役令嬢」の仮面を維持できなくなり、俺のシャツをぎゅっと掴んだ。
「……うぅぅ、フェリクスのバカぁ……。本当はずっと好きだったのよぉ……」
「知ってる」
俺は彼女を抱きしめた。
背後で、ミランダ嬢が呆然と立ち尽くしていた。
「え、ちょっ……『ざまぁ』は? 断罪イベントは!? なんでヨリを戻してるんですか!?」
俺はミランダ嬢に振り返り、穏やかに告げた。
「すまないね。我が家の婚約者は少々ポンコツだが、俺にはこの手のかかる女以外、考えられないんだ。……新しい相手を探すことをお勧めするよ」
ミランダ嬢は「キィーッ! こんなハズじゃなかったのに!」と地団駄を踏んで走り去っていった。
まあ、彼女も若い。次があるだろう。
その後、リリアナの「前世の記憶」騒動は沈静化した。
たまに「今度こそ!」と変な発明品(回転しない寿司など)を持ってくることもあるが、基本的には元の可愛いリリアナに戻った。
結婚式当日。
純白のドレスに身を包んだリリアナは、祭壇の前で派手に躓いた。
参列者が息を呑む中、俺は彼女を抱き止める。
「……やっぱり、君から目が離せないな」
「うぅ、一生離さないでね、フェリクス」
会場が温かい笑いに包まれる。
完璧な無双も、華麗なざまぁもない。
けれど、俺たちにはこの、ちょっと騒がしくて温かい日常がお似合いだ。
俺の愛しい、自称・悪役令嬢。
君がどれだけ空回っても、俺が全力で受け止めてやるから、安心して幸せにおなり。




