シークレット
それはちょうど一ヶ月前の今日のこと。
午後の歴史の授業が終わった時、俺はあることに気がついた。
「(あれ…?キーどこにやったっけ…?)」
俺が探していたのは、訓練に使用する宇宙船の鍵だ。
俺たちA組は下級の組とは異なり、次に待つのは軍への所属。義務教育における最終地点に立っているわけだ。日々の訓練は座学ベースから実践ベースへと移り変わり、その中でとりわけ重要なのは、宇宙船操作。
演習に使う宇宙船は一人一台、個別で与えられており、各々、自分に合った設定をカスタマイズできる。というのも、船内のパネル設定や座席の高さ、操作感度など、個人に合わせて設定する方が、より最大限にその力を引き出せるのは当然っちゃあ当然だろう。
とは言っても、宇宙船そのものが個人に完全に譲渡される訳ではなく、あくまでエーカンテに所属している間だけの自分専用レンタル宇宙船って感じだ。
実は、この「宇宙船おひとり様一台」システムは比較的近年始まったばかりで、その対象機関も、総生徒数の少ない孤児院だけという状態だ。
そりゃあ、いくら文明開花したドーラムであっても、宇宙船なんてそうポンポン作れるもんじゃない。
昔は、”優秀な兵を育成する上では欠かせない若年よりの実践経験を、何処の馬の骨か知らない孤児に優先して任せるのはいかがなものか”という反対もあったらしいが、生産コストと必要量を鑑みて今の制度に収まったという事のようだ。
だからこそ、俺たちはこの歳で実際の宇宙船を触れる貴重な人材。それ相応の技量と知識を卒業までに積まねばならない。
そんな、訓練において無くては成り立たないほど重要な宇宙船。
そのキーが絶賛行方不明なのだ。
「(あれ…?このキーケースに入ってないってことは、昨日の訓練後どこかに置き忘れたのか…?それか誰かが持ってる…?いや、そんな筈はない。貸した覚えもねぇし、ってかそもそも貸し借りするようなもんでもねぇし。どっかに落とした…? それかまさか、寮に置き忘れたとかじゃねぇよな…⁉︎)」
続々とクラスの奴らが運動場に向かう中、俺だけはバッグをひっくり返して遮二無二にキーを探していた。
キーを無くしたなんてことが起きたりすれば、説教どころで済むはずもない。きっと俺は管理能力の欠如とかで軍隊入りなんて出来ねぇだろうし、何よりここ、エーカンテに迷惑がかかっちまう。長いことお世話になった先生達に、そんな面倒かけたくない。
現状がいかに危機的状況であるかを直感した俺は、全身にうっすら冷や汗をかきながら手当たり次第に荷物を当たる。
最後にキーをみた場所を必死に思い返してもみたが、いくら記憶を辿っても、一向に思い当たる節が見つからない。
「(ヤベェヤベェ、早くしないともうすぐ訓練始まっちまう……キーねぇと訓練行ってもなんもすることねぇし…。とりあえず今のところは『寮に置いてきた』って言って難を逃れるか…?いやでも、そんなことして寮にもなかったらいよいよマジでやばいし…)」
手の届く範囲にあるもの全てをひっくり返し終えた俺は、飽和した焦燥の中で必死に案を模索した。
その時、聡明な俺は、ふとあることを思い出したんだ。
「いや、待て。確か、キーを無くしても大丈夫なようにGPSが内蔵されてたはず…‼︎
確かスマホにその探知アプリ入れてたはずだけど…くそっ、なんて名前のやつだったか…?」
キーを無くすなんてこと今まで一度もなかったから、GPSアプリの出番ももちろんこれが初めて。
去年A組に進級した時に受けた、『宇宙船に関するガイダンス』を記憶の中から必死に引き摺り出しながら、一縷の希望に縋る思いでアプリを探す俺。
はたから見れば、その形相はきっと滑稽にすら写っただろう。
今までその存在を認知すらしていなかった数々のアプリを掻き分け、俺はようやく、アイコンがキーのシルエットになっているアプリを発見した。
「おし、これだ…!!頼むぞ…、接続切れてたりしねぇよなぁ…?」
いやに長く感じる機動画面ののち、スマホの位置情報を中心に半径1kmの地図が表示される。そこには、"ピコンピコン"と赤い点が、サハのいる位置に重なるように点滅していた。
「よし、この赤点がキーの場所だよな…?少なくとも院内にはあるか…?」
ひとまずその存在を確認できたことに安堵する。しかし安心し切るのにはまだ早い。訓練開始時刻までもう6分を切っている。急がねば。
素早く地図をズームアップし、具体的なキーの位置の把握を試みる。エーカンテ内の何処かにあることは確証され、それならとエーカンテの院内図モードに設定を変更。立体的に描写された空間図に写るその赤点を追跡し、ついにその所在が明らかとなった。
「上の階の…トイレ…?」
俺が今いるのはエーカンテ2階、A組の教室。この階層には、計4クラス(AからD組)分の教室と予備の教室二つ、そしてトイレが設置されている。
その上の階には主に専科室、つまり音楽室や図工室、技術室など、専科学習用の教室がいくつか設置されている。
A組に上がってからと言うもの、ほとんどの専科科目はすでに履修済みのため、訓練道具の手入れを学ぶ際に使った技術室くらいしか3階に用があることはなかったはずだが、なんで俺のキーがその3階にあるのだろう。
不可解には感じたが、そんなこと言っている余裕は当時の俺には全くない。
全力疾走で上の階に走り込み、そのまま右に急カーブ。幸い、男子トイレは階段の真横にあるため、考えうる最短距離かつ最短時間でトイレに駆け込むことに成功した。
「あ、あったああぁぁぁ!!!良かったぁぁ……!!」
俺は、手洗い場のペーパーディスペンサー横に無造作に置き忘れてあったキーを無事発見した。
思わず出た声がトイレの中に響き渡り、その反響音が逆に、キーを見つけて心底安心した俺をドキッとさせた。
「ハハ…、トイレして手洗って置き忘れたってか。俺、マジでこういうとこ直さなきゃな…。こんなの、常人の心臓なら耐えきれずとっくに弾け飛んでるぜ…」
ひとまず目下の問題は解決し、気分爽快にトイレを出た、その瞬間。
俺は人の気配を感じた。
「(ん…?誰かいるのか?今はまさに合同訓練が始まる直前。A,B,C組はみんな今ごろ運動場に集まっているはずだ。残りのD組も、この時間は放課後だから、1階の共同スペースで遊んでいるはずなんだけど…)」
誰もいるはずのない空間から感じられる人の気配は、サハに不気味な恐怖を与える。
しかし、彼はそれに勝るほどの知的好奇心を持っていた。
気のせいかと思いつつも、ゆっくりと気配のする方向に足を運ぶ。
「(図工室…やっぱり誰かいるな…。D組のガキンチョらが遊んでるのか…?それも一人じゃないな…なんか話してる…?)」
トイレから出て階段を挟んだ反対側、建物の一番端に位置した図工室の方から、若干聞こえる物音。
こう、神経が張り詰めている時の人の五感は恐ろしいほど鋭利なもので、普段なら絶対に聞き逃してしまうであろうそのノイズを聞き逃さなかったサハは、そんな自分に驚いた。
サハは物音の正体を知るべく、なるべく音を立てないよう慎重に、一歩、また一歩と図工室の方に擦り寄った。この時の彼はもう、もはや早く運動場に行かなければならないこともすっかり忘れ、今その瞬間の図工室に集中していた。
その時、
「そんなこと…!!」
突然響く男の声。
それは噛み殺すような薄い声だったが、サハを数ミリ飛び上がらせるには十分なほどだった。
静寂を打ち破った男の声を起爆剤にサハの鼓動はエスカレートし、耳の脈を通じてガンガンと煩いほど脈打っているのを感じた。
思わず出かかった声をすんでのとこで堪え、俺はその男の声に耳を傾けた。
その声はすごく聞き馴染みのあるあの声。
そう、先生の声だ。
「それ以外に道はないのでしょうか…?」
「ローヴァ君、君の気持ちも十分に理解している。本当だ。私だってこんな現状、すんなりと受け入れることなどできやしない…。」
「それじゃあ、あの子達はあと一年しか、自由な時間がないと仰るのですか…‼︎」
「まだ希望はある。この戦争がそれまでに終着すれば、彼らも含め我々みんな幸せなのだ。ただ、そのためにはまた、多大な犠牲が必要であると言うのも事実。
そしてその逆もまた然り、戦争が終結するまで、その犠牲は必要であり続けるというのも、これまた揺るがない事実なのだよ、ローヴァ君…。」
『ローヴァ君』と言うのは多分先生のことだ。先生のフルネームは、確か『ローヴァ・ラルサ』先生だったはずだし。
そんな先生のことを名前で呼ぶ、この老成した優しい声。
間違いない、院長先生の声だ。
院長先生はその名の通り、このエーカンテ孤児院の院長を担っているおじいちゃん先生だ。俺がここに入った時からいたベテラン中のベテラン先生で、昔はローヴァ先生みたいに教鞭を取っていた時期もあったらしい。
院長先生になってからは、主に小さい子供たちの多いD、C組に時々顔を出す程度だが、優しいおじいちゃん的な存在として俺たちを陰から見守ってくれている。俺がまだ小さかったときも、一緒に遊んでくれたりしたっけ。
「(それにしてもなんだ、何を話している…?)」
先生の悲壮感溢れる声。それに同情心を表す院長先生の包み込むような優しい声。
その全てが、サハの思考をありうる限り最悪な妄想へと掻き立てる。
「(『あの子達』って俺たちのことだよな…。一体、先生たちは何を密談してるんだ…?)」
その悪夢とも言える妄想は、事実として院長先生の口から放たれてしまった。
「すでにここエーカンテのみならず、様々な孤児院に対して同様の通告が来ている。決して彼らに、彼らの未来を伝えてはならない。彼らには勇敢な兵士として、優秀に育ってもらう必要があるんだ。分かるだろう…?ローヴァ君。」
「そんな…あまりにも…。なんで我々孤児院なのでしょうか…」
「ローヴァ君…。君も分かっているはずだ。なぜ私たち、いや、彼らが選ばれるのか…。」
「そんな、利己的な…」
「人の原動力は家族だ。家族がこの星に残っている以上、捨て身の攻撃というのには必ず迷いが生じる…。真に自らをこの星に捧げる覚悟ができるのは、もうこの星に残す未練がない、それこそ彼らだけなのだよ…。」
「しかし…、みんなには血のつながった家族が居なくとも…、家族に近しい存在がいるはずじゃないですか…!」
「そう…。我々は彼らにとって、家族に近しい存在だ。君も、そうなるよう努めてきたはずだ。そうだろう?ローヴァ君…。
だがな…、『近しい』は本物ではない。それが政府の出した…我々、大人の出した結論なのだよ…。」
「なんで…なんで、そんな…」
「前回の卒業生たち。彼らは非常によくやってくれたという…。実際、それは大きなニュースとして、今や全星民がその功績を知っている。」
「しかし、その誰も、彼らがやったことだとは知らない…。」
「ローヴァ君、それは違うぞ。私たち、私たちが知っているではないか。」
「……。」
「ローヴァ君、私はね、彼ら皆の、その顔も、その声も、その姿も、その行動も、しっかり覚えている。君も、担任ではなかったとはいえ、覚えているだろう…?
我々が彼らにしてやれるのは、そんな彼らの生きた証を、仮初の家族として、記憶の中に抱え込むことしかないのだよ…。」
「ええ…確かに覚えています…覚えていますとも…でも……。」
「ローヴァ君。君の気持ちはよく分かる…。おそらく最も辛い立場だろう…。
ーーそれもこれもすべて、ドゥルバーとの対立のせいだ。きっと、もう少しの辛抱だ、ローヴァ君。戦争が終われば、きっと、すべて良くなる…」
「どうして、どうしてこんなことに……」
サハはいつの間にか図工室の壁を背にへたり込んでいた。
足の力の入れ方を忘れてしまったようにペチャンと床に座り込み、焦点の合わない双眸に口を閉じることも忘れ、ただ強引に彼らの会話を飲み込んでいた。
寒さに体が震え、出所のわからない涙がそっと目元をなぞる。
突然その身に襲いかかる凄絶な事実と、それをただ憂うことしかできない大人達の他責な同情に、サハは目の前がゆっくりと暗転していくのを感じていた。
「ローヴァ君。君には辛いことを任せることになってしまった。本当に申し訳ないと思っているよ…。」
「い、いえいえ… 辛いのは… 皆さんそうでしょうから…」
「さぁ、ローヴァ先生。もう訓練が始まる時間です。先生であるならば、生徒…、いや、子供たちを不安がらせてはいけません。
ですからくれぐれも、このことを彼らに伝えてはなりません。せめて彼らにとっては、未来は、明るく、楽しいものでなければなりませんから。」
「……はい。院長先生、お時間いただき、ありがとうございました…。」
「うむ。ローヴァ君、生徒の前に出る前に一度、トイレで自分の顔を見てきなさい。彼らに見せるべき顔を、よく考えるのです。」
俺はもうその場にはいなかった。
足音ひとつ立てず階段まで移動し、段差を飛ばし飛ばしに降りながら急いで運動場へと向かっていた。
先生方から感じ取られる絶望のオーラに、俺は必死に抗った。
なぜか、待ち受ける最悪な未来に対し、「負けてやるものか」と闘争心が湧いた。
俺は見つけるんだ。卒業しても、楽しく生きられる未来を。
俺は掴むんだ。俺が望む、自らの将来を。
俺は負けない。運命なんぞに、俺は負けない。
そう心に誓いながら、俺は笑顔で仲間と合流したのだった。
〜ドーラム豆知識その4〜
サハが無くした宇宙船のキーは、名刺サイズのカードキー型だぞ!
宇宙船を起動させる際は、宇宙船内のコントロールパネル下部にある指定のポケットにキーを差し込むことで動力スイッチがオンになり、宇宙船全体に動力が届く仕組みだ。
ちなみに、そのキーは船全体の起動以外にも、設定すれば別船にも使用できたり、さらには内蔵された個人情報から身分証としても使える、それはそれは貴重な代物なんだ。




