デザイア
あたり一帯に焦げた肉の香りが漂う。
それは血生臭くも香ばしい。
異様なほど静かな森の中、一つ痛烈な絶叫が響き渡った。
「あ”あ”あ”あ”…あ”あ”…!!
…私の…手…」
ルシャは息絶え絶えにそう呟いた。
失った右手を庇うように左手で抱きかかえながらその場で丸くなる。
「シャンティ!!!」
サハの震える叫びが広間に響いた。
それには驚き、困惑、そして怒気が滲んでいる。
彼のユラユラと震える目線を辿った先には、険しい表情で一点を見つめる青年の姿。
光銃を構えたまま微動だにしないそれはサハの問いかけにも応じなかった。
「……!」
アティーテは声を出そうとした。
しかしうまく声帯が震わない。
声にならない掠れた音が生温かい吐息に混じって流れ出す。
「なんで!!!!」
サハが再度叫んだ。
しかし今度は先とは違う。
その目は真っ直ぐ視線の男…シャンティを見つめ、訴えていた。
それはまるで彼が大罪でも犯してしまったかのように、哀切な声で。
ルシャを凝視するシャンティはその鋭い眼光をそのままゆっくりと口を開いた。
「お前は…
誰だ。」
未だその銃口は獲物に標準を合わせており、対象に一切の隙も与えない。
それはすなわち彼がルシャを敵対しているという一番の証拠。
彼の目は既に猛獣を見るそれであった。
サハが一歩踏み出し息を吸う。
僅かに震える唇からは怒りが露呈する。
今まさに何か物申さんとしたそのタイミング。
「…シャンティさん」
ルシャが口を開いた。
彼女は顔を上げ
笑っていた。
先程までの痛烈さは何処へやら
今はただ、嬉しそうに笑っている。
「お前は誰だ…!一体なんなんだよ!!」
今度はシャンティの悲痛な叫びが一帯に響きわたる。
シャンティは恐れていた。
その表情はまるでルシャのそれではなかったから。
その表情はまるでヒトのそれではなかったから。
しかし
ルシャは落ち着いた声色で言った。
「私はルシャですよ…。
いつもいつでも、みんなの木偶の坊、役立たずのルシャです♡
シャンティさん…
私…嬉しいんです…!
やっと
私の右手がなくなったから…♡」
トロリ蕩けてしまいそうなほど甘い声で彼女は言った。
その笑顔は恍惚を浮かべ正気を保っていない。
途端、ギラリ彼女の目が光る。
その気迫にシャンティは一瞬気圧された。
その隙をルシャは決して見逃さない。
ドンッ
ルシャがいた所に衝撃波が発生する。
と同時に
ルシャは一気にシャンティの目の前まで距離を詰めた。
「シャンティさんの…
欲しい♡」
ルシャが左腕を振りかぶったのが見えた。
シャンティはすかさず両手を後ろに引く。
光銃を握っていては間に合わないと思ったためそれを空中に置き去りにし、とにかく早く両腕を後ろに下げた。
ルシャの左手が空を掠めた後、時間差で光銃はストンと地に落ちた。
「逃げろみんな!!!
こいつはルシャじゃねぇ!!!」
シャンティは体を後ろに飛ばしながら声を荒げそう叫ぶ。
彼の目は困惑していた。
目の前の彼女がルシャであっていい訳がない。
こんな、異次元に素早く強く、そして仲間を傷つけようとするものが。
ルシャは仲間思いなんだ。
人のために動ける子なんだ。
だから、こいつは違う。
きっと、姿をコピーする獣か何かがいるんだ。
目の前にいるこいつはルシャの姿をした全くの別物で、本人はどこかに隠れているんだ。
シャンティはそう願い、そう断定していた。
そうする他手段がなかった。
もしも彼女がルシャ本人である可能性など、決して考えてはいけなかった。
「ひどいよ、シャンティさん。」
フッとルシャの攻撃が止んだ。
眼光から殺気が失われ、狂気的な笑みのみが強調される。
穏やかな表情のままに、幸せそうな彼女はこう言った。
「私はわたし、ルシャなんだよ…?♡
お母さんを壊して人のせいにして、
お父さんもお兄ちゃんも死んじゃったの知らなくて、
人に貢献しようと出しゃばって、
何をするにも足手纏いになり、
研究の末アスヤーくんを殺しかけた、
木偶の坊のルシャ・サンマーナ」
彼女は笑う。
卑下する言葉が彼女を高揚させ自己陶酔させる。
「だから私ね、
みんなのことを尊敬することにしたの。
みんなはすごいから
私にはできないから
私のままじゃダメなんだって気付いたの。
だからね
今わたし、すごく嬉しいの。
やっと嫌いな
わたしの一部がなくなった…♡」
シャンティの顔が歪んだ。
それは信じてはならない。
これはきっと何かの罠だ。
ルシャの姿を真似、声を真似、
自分たちを捕食するため知的に欺こうとする、
手強い猛獣なんだ。
そうでなければ、ならないのだ。
しかし今のシャンティからは先程までの決意が失われていた。
シャンティが光銃を撃てたのは、彼がルシャの姿をしっかりと目視していなかったからに過ぎない。
ただでさえ暗くなっていく周辺に加え、岩の光がモロに逆光となる位置。
だからこそ、シャンティは「ルシャらしき」生物とサハ、アティーテの命を天秤に掛けれた。
だが、今は違う。
思考の外からヒシヒシと伝わる辛い現実。
目の前でしっかりと見てしまった。
ルシャの顔を、傷を、声を。
それに加え、不吉な胸騒ぎがシャンティを襲う。
視界の端にギラギラと光る白い閃光。
それを意識するたび、まるで心の中を何者かに荒らされているような居心地の悪さを感じるのだ。
心拍が勝手に上昇しムカつく心を抑えつけられない。
まるで強烈な胃もたれを起こしているように臓器が重く、吐き気が喉元まで迫ってくる。
放出してはならない感情が、喉の先まで上がってきてる。
もしもこれを抑えきれなくなったら一体どうなるのだろうか。
その答えは目の前にある。
そんな気がしてしまった。
漸次、シャンティの湛えた仮初の威勢が失われ始める。
恐怖に目線が泳ぎ、口角が少しばかり落ちる。
シャンティを襲うは後悔の呪い。
自分は
仲間の手を撃ってしまったかもしれない。
ルシャの手首を消し飛ばしてしまったのかもしれない。
(「シ、シャンティさん…わ、わたし…がんばります…!!」)
ルシャの空元気な声が思い出される。
記憶の中に住む健気な彼女。
その綺麗で華奢な右手を、自分が奪ってしまったのかもしれない。
チームのために働いてくれた右手を、俺が振り払ってしまったかもしれない。
覚悟はしていたはずだったのだ。
光銃を抜いた時。
それを発した時。
すべてのタイミングで、その可能性を危惧していたはずだった。
だって、なかったじゃないか。
これ以外の方法なんて。
あの時、俺が光銃を抜かなければ間違いなくサハは致命傷を負っていた。
近くにいたアティーテだって巻き添えをくらっていたかもしれない。
そもそもあの段階では、ルシャが本当にルシャなのか分かりもしなかった。
猛獣と命のやり取りをする時、一瞬の躊躇も命取りになる。
そう教わったからこそ、俺は動けたんじゃないか。
そう、これが俺の導ける、最善手だったじゃないか。
だからたとえそれがどんな結果になろうとも、
自分だけは納得できるはずだったじゃないか。
空想上の後悔は現実とは遥かに乖離している。
悔いは先には生まれない。
失って初めて、人はやっと失うことを理解する。
「…代わりにあなたの…
右手をちょーだい!!♡♡」
視界に映るルシャの輪郭がブレた。
その動きは最小限の踏み込み。
迎撃しなければ
シャンティは臨戦体制をとる。
しかしもう、
彼には迫り来るそれが気の狂った野獣には到底見えなかった。
コマ送りのように迫るその姿。
きっと、また早くなってる。
もう目には殺意は無い。
浮かぶのはキラキラとした、欲しいものをねだる時の輝かしい目だった。
ザシュッ
ドッ…! ズザァ…
もう既に勝負はついていた。
ルシャの速度はシャンティの閾値を上回り、確実に致命傷となるはずだった。
しかし
目の前から突然、ルシャの姿は消えた。
動体視力に誘われ無意識にその行方を追う。
上…いや、今度は下だ。
ルシャの体躯はまるで石にこけたかのようにフワリ上半身が宙に取り残され、そのままバタンと地面に倒れた。
ついた勢いは摩擦によって相殺され、シャンティのつま先、そのギリギリでルシャは地に伏した。
舞った土煙がシャンティの足に振りかかる。
シャンティは飛んできたルシャを見下ろした。
頭から、足先まで。じっくりと。
その視線の移りは、時間にしてはきっと1秒未満であっただろう。
しかし彼の体内時間はそれを大きく超過していた。
ない
あるはずの脚が一本。
膝から下、脛から足、踵、爪先。
それら全てが、彼女の左半身からは消えていた。
切断面から続く赤い道。
ちょうどそこで切り落とされたのだろう、赤道の先に小さく細い脚が転がっていた。
もはやシャンティの脳は思考を停止した。
ワナワナと震え、顔を歪めたままその光景から目を離せない。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”…!!」
今度は悲鳴だった。
ルシャはそのまま地面にのたうち回り、その切断面を左手で掴む。
その時右手も失っていることを思い出し、また一層痛みに悶え苦しんだ。
「誰が…」
アシュが呟いた。
自分は見ていることしかできなかった。
それほど一瞬の出来事だった。
シャンティの後ろでことを鳥瞰していたはずの俺が動けていない。
アシュはサハを見た。
彼はそこにいる。
呆然と突っ立ってこちらを傍観している。
その足元にはアティーテもいた。
彼女もまた、サハに突き飛ばされてからまだ立ち上がれていない。
それでは、一体誰が。
そう思った時だった。
「いいなぁ…いいなぁ…」
聞き馴染みのある高い音。
それは幼い子供の若い声であり、まるで欲しいものをねだっているようなわんぱくな声。
光る岩のすぐ隣
小さな影が写る。
その小さな面積はその部分だけ光を遮り、その先に影を作り出した。
フラフラとおぼつかない足取りの中、それはゆっくりとこちらに歩みを進める。
強い光がその葉身を透過し、美しい葉脈が浮き上がっていた。
「パーパ…ちゃん…?」
アティーテが消え入るような声量で呟いた。
その声に反応し、ルシャが勢いよく振り返る。
「いいなぁ…いいなぁ…」
パーパはただそれだけを呪文のように唱えていた。
子供っぽく可愛らしい声質。
しかしその音は生気を損ない、無機質な欲望だけが彼を揺らす。
「パーパちゃん…」
ルシャは目線の先にある小さな紅葉に向かって呟いた。
「ウシャ…」
小さな紅葉は無き左足を抱え蹲る少女に目を配る。
が
次の瞬間
ニュッ
パーパは蔦を一本伸ばした。
その先にあるのは先ほど切断された一本の脚。
そして
ジャクゥ…
蔦はその切断面を貫いた。
ルシャが小さく悲鳴を漏らす。
おそらく共感痛だろう。
シュワワワワ
白い光が離れた左脚とパーパの腕に纏う。
その光は美しく、夜も更け始める森の中で一際綺麗に瞬いた。
すると次の瞬間、
パーパの蔓腕は無数に細く枝葉を分け、その一本一本がルシャの片足につながっていく。
目を惹かれる光に包まれる中、その足はパーパの一部となった。
「すごい!ウシャ、すごい!」
パーパはそれを見て喜んだ。
まるでクリスマスプレゼントをもらった子供のように。
嬉しそうに飛び跳ねた。
「パーパ、アスヤーなれる!ウシャ、なれる!!」
気がつくと彼は5本の触手を全て解放していた。
久々に見る、5本のうねり。
その一本には不恰好にもルシャの脚が付いている。
パーパは楽しそうに脚のついた腕を振り回していた。
「パーパちゃん…」
シャンティの足元でルシャがそう呟いた。
彼女は顔を伏せている。
シャンティの位置からではその顔は確認できない。
シャンティの脳内は混乱状態だった。
いや、シャンティのみではない。その場の全員が今、目の前で何が起こっているのか理解できていない。
その中シャンティは思っていた。
流石に、ルシャは恐怖しているんじゃないか。
流石に、ルシャは悲しんでいるんじゃないか。
この悲劇が、何かの顛末で彼女を正気には戻してくれないだろうか。
しかし、その一縷の望みは呆気なく断たれた。
「パーパちゃん…私の脚なんて…いくらでもあげるから…
それ、ちょうだい…!」
どうやって体を動かしたのだろう。
それを言い終わる頃には既に彼女の姿はシャンティの足元から消えていた。
欠けた四肢を庇うように地を走るルシャ。
その姿はまさに獣そのもので、そこに人間の道徳は存在し得ないことは明らかであった。
「がるぁぁああ!!」
もはや咆哮と化したルシャの叫びがパーパに突撃する。
しかし、相手も相手だ。
ルシャが獲物としているその紅葉は、原住民であるアスヤーくん筋金入りの最強生物。
そんな生き物相手にはたとえ身体能力が向上していようとも、ルシャの敵う見込みは無いに等しい。
飛びかかっては弾かれ、再度飛びかかっては弾かれを繰り返すルシャ。
その度にルシャの肉体は至る所から血飛沫を吹き出し、戦場をより凄惨なものへと変えてゆく。
グイッ
っと突然誰かがシャンティの手を引っ張った。
苛烈さを増す戦場から一時視線を逸らすとそこにはアシュ、サハ、そしてアティーテの姿。
アティーテの頭の位置が普段よりも高い。
見るとアティーテはサハにおぶられていた。
「逃げるぞ、シャンティ。」
そう小声でアシュは言う。
「で…でもルシャは…」
「今は無理だ。お前も分かるだろ!?
少なくとも先生はここに必要だ。」
一瞬の沈黙の後、シャンティはすんなりと首肯した。
彼も分かっていたのだ。
今、暴走状態のルシャを止めれるほどシャンティたちは強くない。
いや、もしも仕留めるだけなら可能かもしれない。
男3人、それもそれぞれが猛獣相手にソロで勝ち星を上げられるほど鍛錬を積んでいる。
たった二週間しかない訓練期間だったが、それだけでも若い彼らは大幅に実力を上げていた。
しかし問題なのはその相手。
それは理性なき獣ではなくかつての友。それを無関係に殺る判断をするには彼らはあまりにも未熟であり、そして同時にそれにトドメを刺さずに行動不能に持っていく技量もなかった。
シャンティはするりそろりと密かに足を引き、そのまま後ろを振り返って走った。
背中に感じる未練を振り切り、ただひたすらに前を見る。
視界にはサハ&アティーテとその先にアシュ。
サハの背におぶられるアティーテの足が小刻みに震えていた。
「アティーテ大丈夫か…?足、やったのか?」
「いや、大丈夫。ちょっと捻っただけ。
ただ、体がすくんで力が入らないのよ」
「大丈夫だアティーテ、俺の背に乗っておけ。お前は軽いから問題ない。
おいアシュ!これからどこに向かうんだ?!」
「とりあえず拠点だ!先生捕まえること第一優先、そっちでも何かあるならもう船まで戻るしかねぇな…!」
彼らは暗い森の中を全速で駆け抜ける。
その間誰も言葉を発しなかった。
それは走ることに精一杯であったからだろうか、あるいは。
進んでも進んでも変わらない景色。
すっかり日が落ちた宵闇の森林に精神が蝕まれる。
背後で起きているであろう争いに心が引っかかる。
ルシャとパーパ。
昨日まであれほど仲良く衣食住をともにしていたパートナーが、どうしてこうなってしまったのだろうか。
たった一日。
ルシャの水がアスヤーの生体を破壊した。
それだけと言うには少々衝撃的な事件。
しかし、それでもやはり現状までの因果が理解できない。
その混乱の中、唯一皆の思考が同意することがあった。
きっと、ルシャは勝てない。
既に右手と左脚を失っている彼女に、この森最強のパットラを負かせるはずがないのだ。
いくらルシャが暴走しその身体能力が格段に向上していようとも、その力量差は依然としてパーパに軍牌が上がるはず。
ルシャは今、パーパの音速を超える蔦腕に裂かれているだろう。
それはもう、見るも無惨な程に。
彼らの心に罪悪感がのしかかる。
チームのメンバーを見捨て、凶悪な野生生物の前に置き去りにした。
たとえそのメンバーが錯乱していたとしても、たとえ自分に敵意を向けていたとしても。
それでも、彼らは仲間であった少女を能動的に見捨てた罪は変わらない。
その浅い後悔は苦汁のようにじんわりと舌の周りに纏わりつき、迫り上がる情緒が崩壊を起こしそうだった。
だから彼らは走った。
ただ一目散に広場まで。
脇目もくれず休みもなしに
ただひたすらに走り続ける。
もはや何を考え、何を感じているのか、自分でもよくわからない程に。
急に前が止まった。
目は開いていたはずなのに、不思議とサハにぶつかりそうになるまで気づけなかった。
シャンティは自分が思考に我を奪われていたんだなと理解する。
「アシュどうし…」
シャンティはそう言いかけて、途中でやめた。
質問の回答を自分で見つけたからだった。
アシュが小さな声で呟いた。
「勘弁してくれよ……」
目の前の森は、ゴウゴウと燃え盛る炎に包まれていた。
〜イルシャー豆知識その13〜
パットラ族は紅葉の形をしたイルシャーの原生生物だぞ!
5本の葉先からそれぞれ一本づつ蔦腕を生やすことができ、それを駆使して軽々移動できるんだ。
茎の先には一本の蔓が2本に分岐した足があり、一応、直立二足歩行が可能だ!
だが、葉身が薄く体重も軽いため2本でバランスを取るのは難しく、常にフラフラしているぞ!




