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安寧求むる君たちへ  作者: 形而上ロマンティスト
第二章:惑星イルシャー

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22/24

クラックス

 白昼、アスヤー少年が倒れた。

 十中八九、水が原因だ。

 コップ一杯の水を口にした途端、彼はその鮮やかな血液を口から吹き出し、そのまま倒れてしまった。

 それは見るも苦しく、凄惨な現場となった。


 この事件にはいくつか不自然なことがある。

 まず第一に、反応が早すぎる。

 飲んで直後の発作。それはすなわち、彼の体内、喉から食道にかかるまでの部分ですでにあの水が有害反応を示したと言うことだ。

 例えばこれがウイルスや細菌の類だとしたら、その影響はここまで早く発現しない。

 故に、これはもっと、生物的な根本を揺るがすなんらかの作用が原因なのだと推測できる。


 そして次に、彼だけが影響された、という事実。

 そもそも、彼は俺たちと同じ食事をしても問題ないことは分かっていたんだ。

 彼が少食気味なせいであまり共通のものを食べる機会は多くなかったが、それでもアティーテたちの作るご馳走を美味しそうに食べることがあった。


 だから油断したんだ。

 正直俺は、コイツが俺らと同じ「別惑星からの訪問者」であり、生物的な体の作りは見た目以上に似通っているものだろうと断定していた。

 しかしその甘い見積もりが仇となった。

 状況証拠から十分だろう、あの水は彼にとって毒だった。

 そう、文字通り、毒だ。


 ルシャの調査で明らかになった、鹿酸やブリンガ毒の性質。

 あれらはこの星の原生生物が体内に特有する微生物の殻を破壊する。

 故に、それに触れると細胞壁の破壊に続いて内部器官が損傷し、そこから芋づる式にどんどん崩壊が進んでいくのだ。

 それらは対イルシャー生物への防衛手段として、原生生物の生存戦略に自然と組み込まれたのだろう。それはきっと多くの生物を生存の篩にかけたに違いない。

 俺らはこの毒を利用して水を精錬した。

 つまり、その悪影響の方が残存している可能性がある。


 俺は、ちょっとした実験を試してみた。

 生成した水を森の草木にぶちまける。

 それは鹿酸ほど目に見えて明らかな反応(煙をあげて溶け出す)は示さなかった。

 が、水を被った部分の表面を指の腹でなぞってみると、それは少しヌメヌメしていた。

 やはり、酸としての効果がうっすら残っていたのだと思う。

 


 さて、そこで問題が発生した。

 この事件は、俺の仮説を根本から覆したんだ。


 アスヤー少年は俺らと同じ異星人で、たまたまこの惑星イルシャーで遭遇した。

 彼は故郷の記憶もなぜここに訪れたのかも曖昧で、ただ生き延びるために一人サバイバル生活を始めた。

 

 それが、俺が用意していた彼の「正体」。

 それこそ、彼の呟く「シュダ」という言葉を探れば、彼がどこから来たのか、あるいはどんな記憶を隠し持っているのか暴けるかもしれない、などと思っていた。

 

 しかし、それは誤りだったと判明する。

 彼には水の酸作用が働いた。

 きっとそれが内臓だったからだろう、あの水は彼の喉から胃に流れるその道中にあった内臓組織を悉く破壊し、その反応速度は雑草の表面と比べて尋常じゃないほど速かったのだろう。

 とどのつまり、彼はこの星の原生生物サイド。

 俺らのような、外部からの存在ではないのだ。


 しかしそれでは矛盾が生じる。

 ではなぜこの子は言葉が巧みなのか。

 パットラ族とは異なる理数概念、嫌に丁寧なその口調。

 この星のどこかに、まだ彼のような人間の住む集落があるというのだろうか。

 いや、それでもどうも腑に落ちない。

 それなら何故この子は捨てられた?なぜ、どうして記憶をなくした?

 そもそも、こんな森の中ただ一人、それもこんな小さな子供。

 この子はどうやって、自然の脅威溢れるこの森の中、一人孤独に生き延びることができたのか?


 そんなことを思案している俺に、ある奇妙な案が降ってきた。

 それはあまりに非現実的で、たとえ誰かに伝えてもきっと、SFの見過ぎだと流されてしまうだろう。


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 分かってる、突拍子もない発想さ。でも説明させてくれ。

 俺はこの森に来て以来、野生生物の生存戦略には驚かされっぱなしだった。

 ドーラムにいては想像もしなかったような造形の生物がゴロゴロいるし、それらの攻撃、あるいは防衛手段はどれも目を見張るものがあった。

 だってそうだろ?あの鹿酸だって、どんな進化を辿ればあんな脅威的なものが生成できるようになるんだ。


 俺は探索において常に警戒していることがある。

 それは、言葉に惑わされない、ということだ。

 俺らは言葉を介して意思を伝える以上、会話可能な者には過剰な親近感を抱いてしまう性質がある。

 生死を巡る探検の中、初めて意思疎通ができる生物に会うと、どうしてもそいつを信用したくなるものだ。

 でもそれは危険だ。

 意思理論の完成に紐ついて、言語能力に関する様々な謎も明らかになった。

 机上の空論だが、理論的には心が読める動物がいたっておかしくないんだ。

 たとえそんな魔法じみた能力じゃなくとも、俺らには無い常識を用いて人を誑かす生物が存在することは大いにあり得る。


 彼も、その一種なんじゃないだろうか。

 言葉を操って巧みに心を操る怪異。

 こんなのはどうだろう。

 彼の肉体は、既に息絶えている。

 遠い昔、俺たちのように宇宙を彷徨った彼はこの森に漂着し、自然の脅威に脅かされその若い命を失った。

 しかし、その死骸を元に、クレバーな生命体がその肉体を乗っ取る。

 初めて手に入れた自由度の高いその体躯を器用に操り、今現在まで生き延びてきた…



 まぁ流石に、今の話を一言一句そのまま信じ込んでるわけじゃない。

 俺が言いたいのは、一つの可能性。

 「アスヤー少年はイルシャー生物に寄生されている」

 説だ。


 どうだ?気味が悪いだろ?

 想像してみてくれ。

 今まで二週間、苦楽を共にしてきた仲間が実はとっくの昔に意識を失っていて、未知の寄生生物がその姿を操っていただけでしたー。ってな。

 こんなこと言われたらショックにも程があるだろう。

 だからこの説はみんなには内緒なんだ。

 俺が一人で検証して、一人で安心したい。

 俺だって、そんな話あって欲しくないからな。



 だがこの説を用いると、色々な事実に嫌に説明がついてしまうのだ。

 例えば水の件。 

 もし彼を動かす存在がイルシャー産なら、たとえその身体自体が異産地であっても水の悪影響は出るだろう。

 そして彼の異星人性。

 その寄生虫は彼の記憶や経験を利用することで、彼の持つ技能をまるままコピーした。

 故に、言葉や理性も俺らに近しく、さらにこの過酷な環境を一人で生き抜くことも可能だった。

 どうだ、可能性はゼロじゃあないだろう。


 だから俺は今、彼を一人森の中に連れ出している。

 俺の仮説の真偽を確かめるため。

 ついでに、彼の正体、俺が持つ彼への疑念を全て晴らしてもらうためだ。 


 もしもこの寄生虫説が掠りでもしていたらば、今度こそ俺たちは危ない。

 意図の有無に関わらず、俺たちがアスヤー少年の二の舞になってしまう可能性すらあるのだから。

 その場合、きっと俺らはここを出ねばならない。

 俺がこの場でこの子を抹消するのは可能だが、その際はパットラたちが面倒になる。

 下手にあいつらと敵対でもすれば、いくら俺でもあの数相手に子供達を守りきるのは難しいだろう。

 そんな最悪の事態を想定して、俺はすでにここを出れるよう準備をしておいた。

 善は急げ。手遅れになってからでは意味がない。

 今日この瞬間、俺は彼の秘密を暴く。


 みんなには知らせず、広場からなるべく遠くへと誘導する。

 オーディエンスは0人が好ましい。

 そして、コイツお気に入りのあの場所もダメだ。


 十分距離を取ったのち、彼本人に直接尋ねる。

 敵なのか、味方なのか。

 人なのか、そうじゃないのか。

 

 俺は願っていた。 

 どうか、これが杞憂であって欲しいと。

 水の件だってきっともっと馬鹿げた理由が原因で、こんな俺の陳腐な妄想話をみんなに笑い飛ばしてもらう、そんな未来を。



 いつの間にか、太陽の位置が低くなっていた。

 斜めに差し込む太陽光は大気中の粒子に散乱し、緑がかったその色を橙色に染め始めている。

 そろそろアティーテが夕食の準備をしてくれている頃だろうか。

 早く終わらせて、さっさと戻らないとな。



 ローヴァは少しづつその速度を落とし、そしてゆっくりと歩みを止めた。


「まぁ、この辺でいいだろう。」


「はい。それでご用件というのは…?」


 油断はしない。

 いつでも光銃を抜けるようイメージを固めておく。

 すまないな、少年。

 少しだけ秘密を明かしてもらうぞ。


「まぁ〜もちろん?今日の件にも関わってくることなんだけどさ〜?」


 アスヤーはポカンとしている。

 頭の上に浮かぶハテナが目に見えるようだ。


「まず初めに。アスヤーくんさ〜、今日のアレ、どうしてああなっちゃったと思う〜?」


「え、ええと…。すみません、僕には原因はサッパリなんです。」


 その表情を見るに、その言葉に嘘は無さそうだ。


「あの水はね〜、僕たちが『鹿』と呼んでるあの動物の酸を消毒に使ってるんだ。」


「!!!…なるほど…、ムリガルタの消化液ですか…。」


「君も知ってるだろう?あれはこの星の生物に効く万能毒だ。君は、その影響を受けたんだよ。」


「……なるほど、では、僕はみなさんと水を共有できないのですね…」


 アスヤーはがっかりしたように俯いた。


「でも君さ〜、」


 ローヴァは目線をアスヤーにグッと近づけた。

 目をカッと開き、もはや尋問に近い圧力だ。


「この星の人じゃ、ないでしょ?」


 アスヤーの動きが止まった。

 ゴクリと唾を飲み込む音が喉に響く。


「……そ、それはどういう…」


「その言葉、パットラから教わった訳では無いな?彼らに比べて君のはもっと卓越している。」


「そ、その件に関しましては、以前お伝えしたとおり、僕、記憶を無くしているんです。ですから、どうやって言葉を覚えたか、自分でもよく分かってなくて…」


「それだけじゃない。この森は一見静かで平穏だが、その真の姿は危険溢れる野生だ。そんな中、君はどうして一人で生き残ることができたんだい…?」


「そ…それは…!パットラたちに助けてもらって…!」


「いきなりか?メシはどう繋いできたんだ」


「そ、そうです!あるパットラちゃんが話しかけてくれて、その子のおかげで今まで…ご飯だって…!」


「それはどの子だ?パーパか?」


「いや、名前はs……いえ、ぴ、ピピって言って!」


 ローヴァの繰り出す詰問に怖気付きながらも必死に答弁するアスヤー。

 しかし、極限まで集中したローヴァの耳はそれを聞き逃さなかった。

 彼が発音しかけた、その子音を。


「s……シュ…シュダ」


「!!!!」


 その言葉を口にした時、目の前の少年はまん丸に目を見開いた。

 驚いたように、恐怖したように。

 

「これ、パットラの名前なんだね?」


「な、なんのことでしょう?」


「ああごめん、ついさっき君が寝言でそう呟いていたんだよ。頭に残っててね。」


「い、いや、ちょっとよく分かりません…、恐らくただ寝ぼけて…」


 彼はしらばっくれた。遂に、俺の目の前で。

 畳み掛けるなら今しかない。

 俺の持つ全ての情報を突き出し、少年を追い詰める。


「あの場所。あの、大きな丸い岩が辺に聳える小さな湖がある場所。」


 俺は来た道の方角を指差した。


「あそこで君、何をしてたの?」


「さ、さて…?どこのことを言っているのかサッパリ…」


 少年の顔は強張っていた。視線は挙動がおかしく、両手を胸の前に置きモジモジと指先を弄ぶ。

 ああ、なんとも分かりやすい。

 隠し事がバレそうになった人のソレだ。


 少年は大人の罠にかかってしまった。

 こうなるともう、真実からは逃れることはできない。


「そうかぁ〜…、やっぱり隠そうとしちゃうのか…。」


 ああ大人気ないな、俺。


 俺はアスヤーに、光銃を突きつけた。


「な…なんで…!」


「アスヤーくん。

 できることなら、俺との秘密事はなくしてくれないか。

 俺は先生として、シャンティたちの安全を確保しなければならない。

 そのためには、君のことも疑ってかからねばならないんだ。

 君にはよくしてもらった。だから君の話を聞こう。

 単刀直入に聞く。君は俺たちの敵か、味方か。どっちだ。」


 アスヤーは今にも泣きそうだった。

 その顔はこちらの心も締め付ける。

 頼む。

 味方だと。

 今はただそう言ってくれ。

 それだけで良いんだ。


「僕は…」


 彼が口を開いた、その瞬間。

 

ーーーーーーービュンーーーーーーー


 世界が一瞬、真っ白に光った。

 黄昏時、赤緑に照らされていたその森が、まるでフラッシュライトを当てられたかの如く純白に包み込まれ、一瞬あらゆる色の判別が付かなくなった。


「なんだ!!」


 俺は後ろを振り向いた。

 その光は、俺の後方から襲ってきたから。

 そう、俺たちが辿ってきた方角から。

 

 目線の遠くに、天に登る白い線が立っていた。

 それは霧や雲を貫き、暗転しかかったこの森を白く照らす。


「な…なんで…」


 そのあどけない子供の声に反応し、再び正面を向き直す。

 そこには、口をポカリと開けワナワナと震える小さな小さな少年がいた。


===

 パーパちゃんがどんどんと奥へ進んでいく。

 掴まれてる左手首がだんだんと痛くなってきて、それを和らげるために私も全速力で追いかけた。

 道なきみちを突き進むことどれくらいだろう。

 ある時急に、視界がフワッと開けた。


「はぁ、はぁ、はぁ、パーパ、ちゃん、やっと止まって、くれた、…。」


 パーパはそこに辿り着くや否や急ブレーキをかけ、水面に近づいて反射する自分の姿を覗いた。


 パーパちゃんが近づいたのは、小さな湖だった。

 宇宙船横にある大きな湖とは違って、すごく小さい。

 外周を歩き切るのだって、それほど時間はかからないだろう。

 全体はちょうど、パラの群生地のあの場所くらいの広さだろうか。


 そこは静かで、落ち着いていた。

 水の音や風の音がよく聞こえる。

 けど今は、その安らぎがかえって荒んだ心を掻き回す。

 妙な静けさが私から落ち着きを奪い、心のモヤモヤが加速する。

 周囲が徐々に暗くなっていくにつれ、私の心もまた、底の見えない深い場所へと落ちていく気がした。


 水面に映る自分の姿を見ながらパーパが言った。


「ここね、アスヤーのとくべつ場所。ほんとうはね、来ちゃだめなの。」


 そう言って、いつものように葉身を左右に捻った。

 今のそれは、言いつけを守らなかった子供が緊張にモジモジしているみたいに見えた。


「どうして、ダメなの?」


「ここ、すごーく危ない。きけん、きけんだって。」


 パーパちゃんは少し落ち込んだように言った。

 ここが、危険。 

 私には、そうは見えなかった。


 そこは静かで、虫の音すら聞こえない。

 風に水が揺れ、木々が騒めくその音だけが、この小さな空間に響き渡っている。

 近くに猛獣の縄張りやブリンガのような害虫が潜んでいるようには思えない静けさだ。


「なら、どうして私をここに連れてきたの?」


 するとパーパは水面から目を離し、私の方を向いた。

 目と点が真っ直ぐ合う。


「ここ、きけん。でも、幸せな場所。ここにくると、お願い、叶うの。」


 そう言って、パーパちゃんは湖の外周をなぞりながらスルスルと奥へと進む。

 私も置いていかれないように、急いで着いて行った。


 早歩きで追いかけながら、湖の水面をチラリと見た。

 それは無色透明で、透き通っている。

 揺らぐ水面に太陽の光が反射して、全体を紅く染め上げた。


 よく見るとその先、大きな丸い岩がある。

 それはいかにも年代を重ねた見た目をしていて、その表面は蔓や蔦で覆われている。

 けれど、その形だけは美しいほどまん丸だった。

 本当に、まん丸。

 非の打ち所のない、完璧なカーブ。


 パーパちゃんは、その大岩の元に向かっていた。

 私もそれに着いていく。

 近づけば近づくほどその大きさを肌感覚で感じられ、その大きさに圧倒される。

 もしも誤って転がってきたりしたら、私なんか一瞬でぺちゃんこになってしまうような大きさだった。


 小走りでようやっと、パーパちゃんに追いついた。

 パーパちゃんはその岩のうえに乗り、バランスを取るように葉身を揺らした。


「この岩、おっきいね。」


 見上げることができるほど大きなその丸岩。

 こんなもの、どうやって出来上がったんだろう。


「ここ。ここでね、お願いするの。そーするとね、幸せになれるの!!」


 パーパちゃんはそう言って、丸岩の上で飛び跳ねた。

 少し足を滑らせて落っこちそうになりながら。



 お願い、か。


 そういえば、かつてドーラムでも似たような慣習を持つ民族がいたとかって授業で習った気がする。

 神聖な儀式の場に赴いて、願い事を心に思う。

 すると、人智を超えた第三の存在がその願いを叶えてくれるんだと言う。


 きっと、パットラちゃん達にも、そんな風習があったんだ。

 確かに、その気持ちは少し理解できる。

 だってこんなに大きな岩、まるで巨人が作ったお団子みたい。

 確かに、この岩に願えば、何かが変わる気がする。


 

 私は考えてみた。

 願い。私の願い。

 私って今、何をお願いしたいんだろう。

 失敗した事実を掻き消したい?惨めなこの人生を終わらせて欲しい?

 浮かんでくる願いはどれも陰鬱なものばかりで、ますます心が沈んでゆく。

 願ってもどうにもならない現実が目の前に立ちはだかり、それでも私はなんとか願いを探そうとした。

 せっかくパーパちゃんが連れてきてくれたのだから。

 私の為に、アスヤーさんの注意を無視してまで。


 

 その時、心に響く不思議な思いを見つけた。

 衝動的というべきか、本能的と言うべきか。

 今まで薄らぼんやりと抱いていた感情がたった今、急に言語化された気がした。


 私、私じゃない誰かになりたい。

 シャンティさんみたいに強く、サハさんみたいに明るく、アシュさんみたいに家族思いで、リタちゃんみたいに優しくて。ニルさんみたいに聡明で、アティーテさんみたいに可愛くて。先生みたいにパーパちゃんみたいにアスヤーくんみたいにお母さんみたいに塾の先生みたいに隣の席のあの子みたいに。


 出来損ないで使えない私を捨てて、みんなのようなできる人に。

 失敗なんてしないで、なんでも成功するそんな人に。


 ああ、そうだ、そうだったじゃん。

 尊敬、だ。

 尊敬は、ダメな人だけの特権だ。

 できないから、劣っているから、秀でている人を尊敬できる。


 そんな劣っていてダメな私を跡形もなく消し去って、尊敬するみんなのように。

 きっと、経験も記憶も何もかも。

 身長体重から細胞の一つ一つ、DNAの構造まで。

 失敗作の私を殺して、みんなのような人間に。

 私は、なりたい。




 そう思って、私は丸岩に寄りかかった。

 

 ズーンという鈍い音が聞こえた気がした。

 丸岩が眩しく輝き出して次の瞬間、目の前が突然真っ白に包まれた。

〜イルシャー豆知識その11〜

 ムリガルタはシャンティたちの言う、通称「鹿」のことだ!

 それは四足歩行動物で、我々の思う鹿のようなフォルムに近い。

 しかし、その細部は鹿とは全く異なり、中でも特筆すべきはその目だ!

 本来想像する双眸の位置にはシワクチャに窪んだ溝があるのみで、肝心の眼球は見当たらない。

 その代わり、頭部の先、角があるような部分に2本の細い視神経がウネウネと突き出し、その先に眼球があるんだ!

 きっと、重力の弱いイルシャーだからこそ生まれた進化形態なんだろうね!

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