ターニング
何が起きているのか分からなかった。
だから、私はただ茫然とその光景を眺めていた。
目の前でアスヤーくんが血反吐を吐いて、それを見たみんなが助けようとして。
四つん這いになって泣き呻くアスヤーくんの顔は言葉に言い表せないほど痛ましくて、それがより一層私の思考を停止させた。
胃の中が腓返りを起こしたようにゲポゲポと痙攣するアスヤーくんのお腹は、取り込んでしまった有害物質を必死に吐き出さんとし、まだ発達半ばのその綺麗なお腹が波打つ度に血やら口涎やらに真っ赤な固形物らしきものも加えて口から溢れ出た。
痛そう、苦しそう、可哀想、泣きそう。
私は怖かった。
加害者は私なんじゃないかって。
いや、「なんじゃないか」じゃない。
紛れもない私だ。
だから、私はその場から動けなかった。
「アスヤー!!!アスヤー!!!ダメーー!!!しんじゃだめーー!!!!」
パーパちゃんの高い声が騒音の中真っ直ぐ私の耳に届く。
今まで聞いたことないくらい上擦った声で、私は思わず耳を塞いだ。
いっそのこと、逃げ出せればよかった。
一人でその場から抜け出して、鹿かなんかに殺されに行ければ。
けれど私にはそんな勇気すら無く、ただ加害者の証拠である木製のコップを片手にみんなが介抱するのを隣で傍観した。
あれから数十分、テントに運ばれたアスヤーくんは悶え苦しみ続けた。
彼の隣には沢山のパットラ達とアティーテさん、ニルさん、そしてリタちゃんがついている。
残りのみんなは、私に詳しい事態の状況を聞いたり、原因を話し合ったりしていた。
「なんだよ…この水でこんなんなったって言うんか…?」
サハがコップに溜まった水を眺めてそう呟いた。
それにアシュが声を荒げて返す。
「状況的にそれ以外ありえんだろ。おいルシャ、この水、本当に安全なのかよ!?」
「おい待て、アシュ。気持ちは分かるがそれは俺たちが自分の身をもって検証したんだ。ルシャに当たるのはお門違いだぞ。」
「ああそうだな、じゃあなんでアイツだけが発作を起こしたんだ?あれが俺たちに関係ないことだってお前言い切れるのかよ!?」
「そ、それは…」
その時、アティーテが広場に小走りで戻ってきた。
「アティーテ、アスヤーくんは大丈夫そうなのか?」
「うん、一応はね。もう発作もだいぶ治ってきて、今はそのダメージで寝てるわ。」
「アイツの症状はどうなんだ。ただ咳き込んだ訳じゃないんだろ?」
「うん…正直、私もちょっと見た目キツすぎてあんま見てないんだけど、ニルが言うには体内の炎症、特に食道から胃につたう過程のものだろうって…。吐瀉物の中に、剥がれた喉の一部みたいなのがあったんだってさ…」
そう言いながらアティーテはブルっと身震いした。
すると、それまで黙って話を聞いていた先生は穏やかに口を開いた。
「なるほどね〜。まぁとりあえず今はアスヤー少年が無事で良かったよ。さあみんな、こっちもそろそろ片付けて、いつも通りの生活に戻るよ〜。」
それは、皆が想定していた言動とは異なった。
故に、アシュがピリついた空気のまま聞く。
「なんだよ先生、アスヤーのことについて話し合わねぇのか?」
「それは一旦後回し。あの子のことは俺たちもよく分かってないからね〜。このまま議論してもあまり意味がないと思うよ〜。」
「そんなことはねぇだろ」
アシュがそう突き返した。
その声は若干震えていて、怒りが滲み出ている。
「問題は水、それでアイツは倒れた。血反吐を吐いて、だ!そんな中どうして原因究明すらせずのうのうと過ごせるんだ!?」
きっと、アシュはこの事件に人一倍過敏になっている。
リタもこの水を飲んでしまっているからだ。
もしも後から水の後遺症などが発覚でもしたら、彼はきっと立ち直れないだろう。
「大丈夫だよアシュ。この水は安全だ、俺たちにはね。これが彼に有害だった理由は、俺が責任持って調べるさ。だから、みんなは普段通り過ごしていればいい。」
その言葉はアシュの怒りに油を注いだ。
「は!?何で先生が一人でなんだよ!?ってかなんでこれが安全だって言い切れるんだよ!!?ロクな説明しないくせにどうして俺がお前なんか信用しなきゃならねぇんだよ!!」
「おいアシュ、お前流石に言い過ぎじゃ…」
「うるせぇシャンティ、お前らも忘れちまったようだから言っとくがな、こいつは俺らが戦争の弾になることを知った上で見捨てたような人殺しなんだ!そんな奴に、こんな簡単に命預けられるかよ!」
「…でも先生は一度お前の命を救ってる…」
「ああそうだな、じゃあこれでイーブンだ、今度はまた見殺しにされる番だな!」
「アシュ」
場の空気がますます張り詰めていく中、先生がたった一言、そう言った。
その声色には逆上した者を冷静に引き戻し、乱暴な感情を宥める力があった。
「君の気持ちはよく分かったよ。そこに一定の正当性も合理性も認める。だから、俺から言うことはただ一つ。俺はみんなを守るためにここに居る。それだけは、どんな状況にあろうと変わらない、俺の信念だ。」
先生は冷静に、落ち着いた冷たい声で断言した。
その気迫は乱れるアシュの奥に届き、返答に一瞬間が生じる。
「口で言うのは簡単だろ…そもそもなんで独り占めしようとすんだよ…」
明らかに声色が落ち着いたアシュの声。
それでも先生は真剣な眼差しをアシュに向け続けた。
「それは、君たちに介入して欲しくないからだ。俺は今、この件に関して一つ心当たりがある。けれど、それはとてもデリケートな問題なんだ。それは最悪、君たちには耐え難い結果になるかもしれない。」
アシュだけではない。
その場の皆が、切迫した空気のなか先生の一言一句に耳を傾けた。
「そ…その最悪の場合って…?」
一人、サハが愚かなフリをしてそう聞いた。
「サハ〜、それを言わないための努力だよ〜?まぁ大丈夫さ。あの少年と少しだけお話して、俺の杞憂がすっかり晴れれば、その時は改めてみんなに共有するよ。」
アシュは下を向いたまま先生と目を合わせなかった。
きっと、まだ本人の中で葛藤しているのだ。
先生をどこまで信用するのか、このアスヤーのことに関して、どう納得するのか。
しかし、先程の迫り上がった怒りはとうに落ち着きを見せ、冷静にそれを呑み込む時間は十分にあった。
事態が収拾し、皆が落ち着いた頃。
私たちは普段通りの活動を再開した。
シャンティさん達は見回りをして、その後は訓練。そして今は狩猟に出ている頃だと思う。
アティーテさんやリタさんも、アスヤーくんの様子を伺いながら食品加工の作業に戻っていた。
その中たった一人、私だけ。
私は研究用テントの中で蹲ってた。
目の前の研究器具も視界に入れたくない。
椅子の上で膝を抱え、顔を腕の中に沈めた。
私は、アスヤーくんを殺しかけたのだ。
アスヤーくんは、あれから数時間すると目を覚ました。
アティーテさん達の声でなんとなく分かる。
今はまだ休んでいるのだろうか、あるいはもう元気を取り戻したのだろうか。
謝りに行かなきゃ。
外の音が聞こえた時、私はそう思った。
そう思っていた。
でも、足が震えて、手が震えて、
私は、私がもっと嫌いになった。
どれくらい経ったのだろう。
あれから誰も、私のところには来ない。
きっと、そっとしておいてくれてるんだ。
惨めで使えない私に、まだ優しさを振り撒いてくれてるんだ。
思い返すとこの星に来て以来、私はずっとこのチームのお荷物だ。
いや、今に始まったことじゃないか。
ドーラムにいる時だって、お母さんと一緒にいる時だって。
私は何も果たさない。
私には何も果たせない。
いつもいつも、どこかで必ず躓いて、最後は失敗に終わるんだ。
きっと、体の出来が違う。
脳の作りが違う。
みんなにはできて、私にはできない。
きっと、そういう作り。
なのにそれでも私は生き続ける。
他者に尻拭いをさせ続ける人生の中、今でものうのうと息を吸い続ける。
ああ、なんて厚かましいんだろうか。
多分、すぐ忘れちゃうんだ。
この罪悪感を。この卑小さを。この虚しさを。
元はと言えば水の研究だってそう。
みんなが必死にグループに貢献する中、何もできない自分が嫌で研究の主導に立候補した。
あの時のみんなの、優しい応援の眼差しが目に浮かぶ。
あの時、シャンティさん、驚いたような目をした。
でもすぐに、それを感謝するような眼差しに変えたんだ。
どうしてあの時、こんな役目に名乗り出てしまったんだろう。
どうせ私には無理なのに。
失敗するって分かりきってたのに。
忘れちゃってたんだ。
私の無力さを。
一つの失敗が、過去の失敗をたくさん引き連れて襲いかかってくる。
嫌な思い出だけで脳みそがいっぱいになって、前を向くきっかけが失われる。
一度呑み込まれると抜け出せない。
自責と後悔の渦からは、もう抜け出せない。
私の頭には、もうお父さんの姿は見えなかった。
その時
テントの入り口が少しだけ開いた。
傾いた西陽がテント内を赤く照らす。
あ、もうそんな時間なんだ、
私は、もっと下に俯いた。
その光は、小さかった。
人ひとり入って来たには小さすぎる、
そんな小さな陽光。
私は視線を下に向けたままゆっくり横にずらした。
そこには、思っていた通りの人物。いや、葉物。
「ウシャ…悲しい…?元気ない…?」
パーパちゃんが覗き込むように私の顔を見上げていた。
その悲しそうな声が、昼のことを思い出させる。
パーパちゃんに合わせる顔がない。
「ウシャ…どうしよ…ウシャ…」
パーパちゃんが私の横で歩き回ってる。
その不安定な葉身を左右に捻りながら、力なく揺れている。
それを眺めながら、私は思った。
言わなきゃ。
パーパちゃんには。
きちんと、謝らなきゃ。
「パーパちゃん…」
その音に反応して、パーパちゃんがこっちを見上げた。
まるで私の声が聞けて嬉しいみたいに、幸せそうに。
ああ
どうしよう
涙が溢れて止まらない
いくら抑えようとしても、嗚咽が込み上がってきて止まらない。
私、この子の一番大切な人を殺しそうになったんだ
この子の、大事な家族を。
「あのね…、パーパちゃん……」
声が震える。
血流が全身を駆け巡り、身体中が暑い。
溢れ出た涙が、メガネの上に滴って溜まる。
息が出来なくなって、しゃくりを止められない。
「ごめんね…パーパちゃん、、、…わ…私、し、、失敗して、…、、アスヤーくんを、……、殺し…かけちゃって……!」
一度崩壊した感情はもう制御ができなかった。
どうしてあの時、アスヤーくんにも水を勧めてしまったのだろう。
どうしてあの時、ちゃんと安全確認をしないで渡してしまったのだろう。
私は分かってたはずなんだ。
この水の生成には、鹿の毒を使ってる。
だから、もしそれが私たちに害が無くとも、アスヤーくん含むイルシャーの生物には有害である可能性が残ってるんだ。
なのに、なんで。
浮かれていた、じゃ済まされない。
油断した、じゃ済まされない。
「ウシャ…」
言葉を口に出してようやく、事の由々しさに気付ける。
私、最悪じゃん。
一瞬の油断で、一人の男の子を殺しかけたんだ。
ふと、あの時お母さんが一人、虚空に向かって呟いていた理由が分かった気がした。
あれは、自分に言ってたんだ。
自分に、なんて愚かで、なんて浅はかで、なんて救いようがないのか、言い聞かせていたんだ。
「…パーパ、すごいところ知ってる。ウシャ、こっち来て!!!」
その時、急に左腕を強く引っ張られた。
私はバランスを崩して、そのまま左に倒れた。
けれど、パーパちゃんは私を待たなかった。
「ウシャ、悲しい。でも、大丈夫。パーパ、いい場所知ってる!!早く!!こっち!!」
「パ、パーパちゃん、ちょっと…」
長いこと座っていたせいで足が痺れている。
無理やりバランスを取って立ち上がり、フラフラとパーパちゃんに着いていく。
「パーパちゃん…ちょっと待って…!」
「ウシャ、こっち!!!」
パーパちゃんは私を待たなかった。
その小さな葉身を蔓腕で上手く運んでどんどん先に進んでいく。
それはいつも慣れ親しんだ光景。
だけど今日は、パーパちゃんが私の腕を引っ張ってくれていた。
いつもは一人で勝手に走って行って、私が後から追いかける。
けど今は、痛いほど強く私の腕を掴み、森の奥へ引っ張っていく。
黄昏時の赤い森が私を歓迎した。
ルシャが森に消えたその時。
ある者がその反対側へと歩みを進めいていた。
その隣には小さな男の子の姿。
夕焼けに照らされた彼らの姿は、まるで帰宅途中の家族のようだった。
「こんな急にごめんね〜、まだ病み上がりだって言うのに〜。」
「いえ、大丈夫です!まだ声に若干の違和感はありますが、体はバッチリ元気ですし!」
そう威勢よく答えたのはアスヤー少年。
その声はざらついていて、声が出し辛そうだった。
「それで、どこまで行くのですか?」
「いや〜、もうちょっとだけかな〜。そっちの方が都合が良くてね〜。」
俺は今、アスヤー少年をある場所から遠ざけている。
それは、この子が毎日訪ねていたある場所。
漠然とした嫌な予感が俺を襲う。
これが杞憂であって欲しいと願うばかりだった。
この子は、俺たちに何か、隠し事をしている。
とはいえそんなもの誰にだってあるだろう。思春期の少年に秘密の一つや二つ、可愛いもんだと後ろから見守ってやればいい話だ。
だが、それもドーラム内での話。
俺たちにとって、この星はアウェイなんだ。
だからこそ、ここで隠し事をされると警戒せずにはいられない。
最初は、この子のその卓越した言語能力に違和感があった。
森の中、パットラと呼ばれる原生生物と共に生きる彼の姿は、小柄ながらも一見立派な野生児であった。
しかし、彼の口から放たれる言葉はその容姿とは相容れない、なんとも爽やかで理知的なものだった。
俺はすぐに思った。
きっとコイツはイルシャーの、いや少なくとも、この森の子ではない。
だから俺はその晩、シャンティ達に警戒心を煽るようなことを言っておいた。
それからの日々は忙しかった。
みんなバラバラに動く子供達の安全を見守る。
常に全員分のスペーススーツの位置情報を把握し、誰が誰と、何を、どこでしているのか、観察し続ける。
それに加え、俺にはもう一つ監視対象がいた。
そう、アスヤー少年だ。
俺は初日、みんなで初めてイルシャーで夜を明かした時、こっそりアスヤーくんの寝床に行った。
夜這いなんかじゃないぞ?俺はそういうのには興味ないからな。
俺は彼の腰に巻かれた布切れの折り目の中、ある装置を取り付けた。
それには小型マイクが着いており、同時にその位置情報も常に把握できる優れものだ。彼にやるのは惜しいくらいだったよ。
まぁなんにせよ、それを通して俺は子供達の行動に加え、アスヤー少年のこともずっと見張っていた。
そのせいで、ルシャの研究やシャンティらの訓練に十分時間を割けないタイミングが出てしまったのは申し訳なかったと思っている。
だがそのおかげで、俺は彼のある習慣に気付けた。
彼には毎日、必ず訪れる場所がある。
それはレーダー上では俺らの宇宙船から正反対の位置にあり、距離としてはさほど遠くない場所であった。
アスヤー少年はそこに行くと必ず5分は滞在する。
そして、物思いに耽ったようにブツブツ独り言を言うのだ。
その声は小さく、取り付けたマイクからではなんと言っているのか分からない。
そもそも遠隔マイク自体、距離があると意思派の減衰によって翻訳の効きが弱く聞き取りにくくなるため、これは致し方ない。
しかし、俺はその中にある言葉を見つけた。
「シュダ」
彼は確かにそう言っていた。
それもたった一度や二度のことじゃない。
毎日毎日、その場所を訪れては「シュダ」という言葉混じりの独り言を呟く。
「シュダ」とは一体なんなのか。
人名?地名?あるいは彼の言語独自の表現?
あらゆる疑念は憶測に過ぎない。
しかし、確かなことが一つある。
彼はその言葉を、俺たちの前では一度も言ったことがない。
それはなぜだろうか。
俺たちには関係のないことだから?
それとも意図的に隠している?
知らねばならない。
彼の行動の意味を。彼の放つ固有名詞のその意味を。
願わくば、それが俺たちに無害であることを信じて。
俺は彼にちょっと探りを入れてみることにした。
彼はいつも、見回りの体でそこへ赴く。
ならばその役目、我々が買って見せようじゃないか。
と言っても、俺がやるんじゃその間のアスヤーくんの動きを観察できないから、悪いがシャンティ達に請け負ってもらった。
まぁ、あいつらも一人冒険すんのはハラハラドキドキで楽しいだろう。
アスヤーくんはすんなりとその提案を受け入れた。
それ受けて一瞬、あの習慣はあまり重要なものではないのかも知れないと思ったが、その次の日。
俺が男子らを訓練している間、アイツはしれっと例の場所まで行ってやがった。
あの日の訓練は集中できなくてそりゃあ大変だったよ。
そして更に、俺の疑念が加速する出来事が発生した。
その場所に、何故かシャンティが赴いたのだ。
あれには俺も驚いた。
このことは子供達の誰にも言ってなかったのに、シャンティの位置信号が見回り区間から急に外れ、さらにそれを追うかのようにアスヤー少年が動き始めたのだ。
俺はアティーテらの調理場をいいタイミングで離脱し、彼らを急いで追いかけた。
俺自身、その地へ行ってみたいとは思っていたのだが、よりによってシャンティが一番乗りで向かうとは。
なぜシャンティはその方角を知っている?なぜ一直線に向かうんだ?
俺の警戒心は嫌な妄想を一つ生み出した。
アスヤーがシャンティをそこへ誘ってるんじゃないか。
そこで何か、彼の本当の目的を遂行しようとしているのではないか。
俺は全速力でそこへ向かう。
思ったよりも草木が邪魔をし、その道のりは険しかった。
起伏のある草道を駆け抜け、ついに俺はシャンティに追いついた。
そこには小さな湖と、その辺りに一つ大きな丸岩。
レーダーを確認すると、アスヤーがほぼ同タイミングで辿り着いた。
畢竟、俺の妄想は被害妄想に過ぎなかった。
シャンティはアスヤーにではなく何やら奇妙な原生生物に誘われていた。
そこに少し遅れて到着するアスヤー少年。
彼らは他愛もない会話をし、その場から去っていった。
一件落着。
…と見るのが普通だろう。
実際、シャンティはそう思っているはず。
だが、俺は知っている。
アスヤーはこの場に毎日来ていることを。
それがなんだ、あのよそよそしい態度は。
まるで何度も来ている人の振る舞いじゃない。
さらになんだ、まるで早くシャンティを追い返そうとでもしているように、すぐ帰るじゃないか。
いつもは最低5分、ずっとここに止まっているだろう?
加えて、あの生物。
盗み聞きするところ、あれこそがパタンブーカだという。
それは意思を把握できる特別な動物だとか。
これは仮説に過ぎないが、アレには空間の意思場が見えているんじゃないだろうか。
意思場と言うのは、その名の通り意思波の通り道となる力学的フィールドの一種で、重力場、電磁場に加えて意思理論の完成に付随して生まれた第三の場だ。
ドーラムには電磁場を感知できると言う動物が発見されたことも話題だったが、それ以降人類は意思場の可視性についても夢見てきた。
いや、そんなこと今はどうでもいい。
大事なのは、そんな動物がこの空間に、さらにシャンティを連れてやってきた、と言うことだ。
俺はここに辿り着く過程で違和感を抱いていた。
この場所に近づくに連れ、空気の緊張感が変化している。
ここに来てからは、小さな虫の姿はおろか鳥類の鳴き声すらも聞こえないのだ。
それ故に、この場所は何か神聖で荘厳な雰囲気を醸している。
この場は何かしらの儀式に使われているのか…?
とはいえ、この空気は自然由来。
アスヤー少年が意図的に作り出したものではないように思えるが…。
その日、俺はまたシャンティを先回りして広場に戻り、遅れたシャンティを咎めるフリをしながら訓練へと移った。
可能ならばあの空間についてもう少し調べてみたかったが、それはまたの機会にとっておこう。
とりあえず今の所は、あの場所に変な兵器や謎の肉食猛獣とか居なくて安心した。
そして、今日。
ついに事件が起こった。
〜イルシャー豆知識その10〜
先生がアスヤーくんに付けた小型マイク付レーダーはリアルタイムでその位置を把握できる優れものだぞ!
こうすることを見越して、先生は初め宇宙船に帰った時にこれをこっそり持ってきていたんだ!
ちなみに、この道具は高価かつ扱いを誤れば悪用も容易な為、生徒にすらその存在を伝えていないぞ!
人の秘密は追求するのに、自分もたくさん秘密抱えているじゃないか!




