アンリターナブル
機体がグングン加速する。窓の外はあっという間に夜空に覆われ、やがて雲と思われる水蒸気群を突破した。
窓から見える景色はまるでプラネタリウムの中にいるみたいで、レーダー越しに後ろを振り返るとそこには地表だったはずの青い球体が離れていく。
遂に、遂に来てしまったのだ。もう二度とは戻れない、暗闇の道のりを。
周囲が漆黒に覆われ、レーダーが無いと自分がどこを向いているのかすら分からない。気がつくと体にかかる重力も薄くなっているようで、シートベルトに浮上しようとする身体を押さえつけられている感覚がある。
周囲の景色を見ても、目に入るのは白く煌めく小さな斑のみ。
異様に静かな船内は、まるで現実から隔絶された別空間に一人置いてけぼりにされたようだ。
一人でいることが心細くなる。誰もいないことが怖くなる。
「…おい、みんな!ちゃんと出発できたか?応答してくれ!」
すると、船内のスピーカーからサハの声が聞こえてきた。
その声が一気に俺を現実へと引き返す。そうだ、俺はまだ繋がっているじゃないか。
「…こちらシャンティ。無事宇宙高度まで抜けれた。他のみんなはどうだ。」
「こちらアシュ。俺たちも無事だ。サハも声的に大丈夫なんだろ?アティーテはどうなんだ。」
「こちらアティーテ、こっちも無事よ。このまま宇宙エレベーターまで直行するわ。」
「なあなあ、俺の前にいるのアティーテか?俺お前の船見えるぞ!!」
「うるせぇからお前は黙ってろ。重要なこと以外話すな。」
「先生、こちらシャンティです、聞こえていますか?応答してください。」
「ああ、全てしっかり聞こえているよ。こちらも何らイレギュラーは無い、我々の門出は至って好調だよ〜。」
「分かりました。じゃあみんな、宇宙エレベーターでまた会おう。」
宇宙エレベーターとは、加速機や人工衛星など、利用頻度の高い施設や定期調査が必要な施設に辿りやすくするための装置だ。エレベーターとは言っても、それはその機能を示唆するための比喩表現に過ぎず、実際は緑色のランプがその軌道上に点々と連なっているだけだ。イメージで言うと、飛行場で夜間の飛行を手助けする赤い誘導灯のような感じだろうか。
でも、それはただの誘導ランプなんかじゃない。ランプが示す軌道内に入り、宇宙船をエレベーターと接続することでそれは真価を発揮する。特殊な電磁場がその軌道上に形成され、対応する宇宙船が推進力を得るのだ。それは余分な燃料を使わないで進めるだけじゃなく、完璧にプログラム化された緻密な電磁場形成によりハンドル操作さえも必要としない。つまり、全自動で目的施設まで行けるのだ。
因みに、その機能をオンにして接続した時点でその情報がドーラム政府へと伝わってしまうため、そこから先は短期決戦となる。
俺は小さく微かに、それでも確かに緑色に光るその灯りを確認した。なるべく燃料を温存するため、丁寧なハンドリングと慎重な推進で機体の進行方向を変える。
ある程度進むと、レーダーに2機の宇宙船、それぞれアティーテとサハの信号が映った。そして俺の後ろにもう一個、アシュの機体も合流を果たし、俺たちは宇宙エレベーター直前でそれぞれの位置を把握できる距離へと集合できた。
「お!あれ絶対アシュだろ!アシュ、聞こえてるかー?お前だろー?今レーダーに映ったのー」
「ああ俺だ。悪い、ちょっと出遅れた。」
「全然全然。これで俺たちはみんな集まれたからあとは先生だな。」
「先生どこにいるか聞きましょ〜。最悪の場合、先生来ないかもしれないんだし〜。」
因みに、この時の俺たちは近隣無線で会話しているため先生には聞かれていない。宇宙船経由の通信じゃなくて、宇宙服に付属する通信ツールを使っているんだ。
「あー、先生、聞こえていますか?俺たちは皆宇宙エレベーター前に集合しています。このまま等速移動すると、およそ3分でエレベーター内に突入する見込みです。先生の現状をお伝えください。」
「こちらローヴ…あ、いやいや、こちら先生。う〜ん、俺はあと5分くらいかかると思うよ〜?でもここで加速しちゃうとエレベーター内でのドッキングが面倒になるだろうから、このままのんびり行くことにするさ。」
「ありがとうございます、それでよろしくお願いします。エレベーターへ突入でき次第直ちに連絡をください。」
理論的には、エレベーター内に入ったとしても同期接続をオンにしなければ時間は稼げる。しかし、宇宙は慣性の力をもろに受ける空間。同じ場所に位置し続けることは不可能に近く、もしもエレベーター外に逸れてしまったら調整が大変だ。
たとえば、巨大なアイススケート場をイメージしてみて欲しい。君がもしその広大な氷の上に手のひらサイズの小さな氷を乗せて滑らせたとしよう。それはツルツルと軽やかに氷上を滑り続ける。たとえ周りから息を吹きかけるなどして力を与えたとしても、その氷は回転し、斜めに方向を変え、想定とは異なる方向へと進んでしまう。それを思い通りの場所に留まらせることは一筋縄では行かないだろう。
こと宇宙船において、推進力を得るためには燃料を燃やすか、宇宙船の一部を切り離すしかない。しかしそれらは全て消耗品である上に、その後の正確なハンドル操作も必要とする。さらに氷とは違い、俺たちの宇宙船は3次元上を自由に動ける。したがって、機体の並行移動に関する自由度3つに加えて、3つの回転軸、すなわち計6つの自由度がある。
とどのつまり、宇宙エレベーターに入り次第、即接続をして自動制御に切り替えた方が結果安全なのだ。もちろんエレベーターによる加速も受けてしまうのだが、実はその加速度は先生の機体の方が大きい。これは至極単純な話で、先生の宇宙船の方が俺らのより遥かに大きいからだ。だからおそらく、先生の制御船は俺らの船を最終的には追い越す見込みだ。それもこれも全て予測に過ぎず、実際は何が起きるのか未知数なのだが。
そんな訳でエレベーター内に突入した俺たちはそれぞれエレベーターシステムと宇宙船を同期させることにした。
完全オートでエレベーター内をゆっくり加速しながら移動していること数分、不意にレーダーに新たな赤点が表示された。
先生の船だ。
その速度から推定するに、俺たちと合流できるその瞬間もそこまでの速度は出ていないだろう。
この時、全パイロットに瞬間的な緊張が走っていた。長い一日を締めくくる最後の関門、ドッキング作業がすぐそこまできているからだ。ここで誰か一人でもドッキングに失敗すれば、準備不全の状態で加速機に入ることとなり、最悪の場合、二度と会えない永遠のお別れになる可能性すらある。
俺のみならず、俺たち全員が神経を逆立てながら制御船の到着を待った。
その瞬間まではそう長くなかった。後ろ窓を振り返るとそこにはすでに巨大な円盤が近づいてくる。
その速度は相対的にみてそこまで早いわけでは無いはずなのに、その圧倒的サイズが距離感の錯覚を引き起こす。
「や〜あみんな、元気にしてるかい〜?あと1分もすればこの船は君たちと横に並ぶだろうよ。ドッキングの準備はできたかい〜?」
「よし、みんな、シミュレーション通りに行くぞ!」
「おう」「よしきた!」「おっけ〜」
一時的にエレベーターとの同期を切る。ブースターの出力を慎重に調整し、先生の船に合わせて速度、高度を調整する。
俺は先生から見て右側に、サハとアシュが制御船の上部、アティーテは左側に移動する。
4機の個人船が先生の宇宙船を中心に並行移動している。高度を少しづつ降ろし、ドッキング部位に繋がるようなるべく近くに接近する。
先生が四つ全てのドッキングコンジャクションを開いた。それは人間二人がならんで歩けるくらいの四角い接続部。それを俺たちの船はちょうど俺たちが搭乗したドア口あたりに接続する。クランチがしっかりと噛み合い、隙間なく通路がつながれば接続完了だ。
俺たちもドッキング口を開く。
ゆっくりと、回転したり行きすぎたりすることが無いように、丁寧に機体を制御船へと近づける。
コンジャクションと触れたかどうか、そのギリギリのタイミングで俺はドッキングシステムを起動した。
…ガチャン!!
大きな音とともに機体が大幅に揺れた。
そして再度訪れる気味の悪い無音空間。
すると、俺の目の前のモニターが切り替わった。
『 Docking Success
Docking to A17THA is successfully completed. 』
…できた。
できた…!!!
無事、ドッキングに成功した…!!!
その時、俺は呼吸を忘れていたことに気がついた。
思い出したように息を吐き、突然全身を襲う疲労感に頭も体も動かしたくない。
しかしそれと同時にドッキング成功による達成感が心身を温め、体の隅々まで行き渡るその心地よさがあらゆる筋肉の緊張を紐解く。
俺は思い出したように体を起こし、スピーカーをオンにした。
「こちらシャンティ、右側ドッキング完了した…!」
少しの間返答が返ってこない。その一瞬もこの時の俺にとっては永遠のように長く感じられた。
すると
「こちらアシュ。上部ドッキング成功。」
「こちらサハ、俺も無事ドッキング成功だ!」
「こちらアティーテ、無事成功よ。」
「うん、俺からも全4機のドッキングを確認した。内圧調整したのちにドアロックを解除からみんな入っておいで〜。とりあえず、みんなよく頑張った!先生、君たちのことみんな誇りに思うよ」
とっくに全身の緊張は解けたと思っていたのに、それでもまだ弛緩できる部位があったようだ。
もはや全身に力を入れることも憚られ、ただ操縦席の背にもたれかかって脱力した。
通路の内圧管理、ドッキング接続口のさらなる補強、宇宙エレベーターから受ける推進力の調整等を先生はサクサクとこなし、俺たちは制御船内へ移動できるようになった。
「お、お前らーー!!めっちゃ久々に会った気分だぜーー!!」
「まぁ、そうだな。何よりみんな無事そうでよかった。」
「アシュさんもリタさんも元気そうで何よりです…!」
「ニル、お前大丈夫だったか〜?サハの操縦とか絶対雑だろ」
「はぁ?なんだよシャンティ!俺の操縦技術舐めてんじゃねぇぞ!!」
「ちょっとあんたら宇宙でもそんなうるさいのね〜うちらだけ宇宙船戻ろっかね〜ルシャ?」
「あはは、確かに私たちの船内は静かで居心地良かったですけど、こ、これはこれで楽しくて私好きですよ…!」
慣れない無重力空間に不安定な体をなんとか制御しつつも、俺たちはいつもの俺たちそのものだった。
「さぁ、みんな揃ったことだし、席について〜、そろそろ加速機に突入するよ〜。重力ジェネレーターである程度は相殺するけど、そのままでいると慣性で潰死するよ〜?」
あたかも冗談のように聞こえるそれはまさしく現実に起こりうる。
加速機に入るとこの機体は光速を上回る速度に達するべく人知を超えた加速を受けることとなる。それをシートベルトもつけず背もたれもなしに宙に浮いていては、そのまま壁に衝突して全身複雑骨折のバラバラ事件だ。
全員が先生を中心とした扇状に散らばり席につく。俺の目の前には大きなガラス窓が悠然と聳え立ち、手元には信じられないぐらい横に広く複雑そうな液晶パネルがある。
先生を先頭に綺麗に整列して席につくその光景はさながら普段の授業風景のようだ。
そしてついにその時は訪れる。
まるで大砲のように大きな口を開いた巨大な円筒状施設が目の前にあった。その大砲はズーンと低く唸るような響きを奏で、その振動が宇宙船にも伝播するようだ。
中はまさにメカメカしく、加速方向を示す矢印が七色に光っている。
こんなもの、教科書で見た時はただの悪趣味にしか思えなかったが、一面暗黒に包まれるその空間においては気分を高揚させるに十分だった。
「みんな準備はいいか〜?」
先生の手が忙しくなった。
皆、自分のシートベルトを確認する。
「今から重力ジェネレーターを作動させる。そしてその30秒後に加速機へ突入だ。シートベルトをいっちゃん強く締めろ〜?」
すると突然、体が前方に強く押し当てられる感覚がする。重力ジェネレーターが作動したのだ。
「カウントダウンを始める。30、29、28…」
緊張が高まる。もう目と鼻の先まで来ているその加速機はその巨大さに目を奪われる。
あれほど大きかった制御船を丸々呑みこんでもまだ余裕がたっぷりあるその寸法は教科書で見たものとは似ても似つかない。その壮大さにもはや恐怖心すら抱くほどだ。
「3、2、1。突入。」
衝撃が走った。
体感自体はただのジェットコースターだった。ただ前方に少しづつ加速しだし、その慣性力を推進方向とは反対向き、すなわち後ろ向きに感じる。
しかし、衝撃的なのは正面窓から見える景色だ。
加速機に突入するや否や、その世界はグニャリと歪む。まるで今まで見ていた宇宙のその姿は布切れ一枚にプリントされた虚構のハリボテだったと言わんばかりに知覚していた遠近感が崩れ、直線が曲線へと移り変わる。その視界のブレは凄まじく、船内のみんなも俺自身の体すら歪んでいるように錯覚する。
「みんな大丈夫か〜?酔ったりしてないか〜?吐きそうになったらいつでも言えよ〜」
気楽そうに先生は言う。
先生はこれを何度も経験してきたのだろうか。
いや、そういえば、ずっと昔に超光速移動する際の再現映像的なのを見た気がする。それはまさにこんな感じだったような…。
もっと真面目に授業受けてれば良かったなー…。
それから十分加速をしたのち、俺たちの船は加速を止めた。
先生が船内の重力を調整し、シートベルトを外しても平気で、もっと言うとまるで地上にいる時ように基本なんでも普段通り行えるようになった。
「で、最初の目的地は惑星イルシャーだったっけ?惑星データによるとこの速度でも一ヶ月くらいかかる見込みだよ〜?」
「は、はい先生。わ、私が第一目標は惑星イルシャーがいいと提案しました…。ドーラムからの追手がかからないようなるべく遠く、でもあんまり時間かからないで行ける中間地点みたいな惑星です…。大気組成はドーラムと近しく、水源の信号もあります。そ、そして何より、微小ながら意思派の検知もされているため、十中八九知性を持つ有機生物が存在している見込みです…。」
「なるほど〜?ルシャ、お前他の惑星データももっと持ってたりする〜?もしあったら制御船の方にも転送しといてくれ。そっちの方が物事がスムーズに進むからね。」
「はい、先生!」
ルシャはそういって勇足でアティーテの個人船へと戻って行った。
束の間の沈黙。皆が先生の方を向いた。
次の行動を、指示を待っていたのだ。
しかし先生は素っ頓狂な表情でこちらを見返した。
「おいおい、な〜にぼーっとしてんだ、お前ら?俺たちはまだやることいっぱいあるはずだぞ〜?早く指令をくださいよ、リーダーさん」
俺だけじゃなかったと思う。みんな、先生がいると自然と先生の指示を待っていたんだ。それが当然だと思っていた、いや、刷り込まれていたんだ。
だけど今はもはや先生と生徒の関係じゃない。
チームの一員、みんな自分の役割を持った平等な立場だ。
気が抜けてるな、と反省し、俺は立ち上がった。
「よし、とりあえず、アンパッキングをしよう。これから少なくとも1時間はここに滞在するんだ。基本的な生活に必要な施設を再確認して、それが終わったら今日はもう寝よう。」
時刻は深夜2時を回っている。
今日の午後まで普通にエーカンテで授業を受けていたのが遠い昔のことのように思える。
今日は長い一日だった。なるだけ早く横になりたい気分だ。
今日の業務はさっさと終わらせよう。大丈夫。あと一ヶ月はどうせこの船の中なのだから。
===
その後、惑星イルシャーまでの一ヶ月は瞬く間に過ぎていった。
やることが沢山あった訳ではなかったのだが、初めての空間に初めての状況、そしてやること以外やることのない無味乾燥な宇宙空間で、俺たちは半ばのんびりと日々を過ごした。
「み、みなさん、見てください!あれが惑星イルシャーですよ!」
「どれどれ〜?あの緑がかったやつ〜?」
「へぇ〜緑色の惑星か〜。珍しいね〜。」
「なんか木とかいっぱい生えてそうだな!」
「木があるってことは多分食べられる物もあるよね!僕、野菜の調理方法いっぱい調べたから使えるかも!」
「さすがリタ、俺の弟だな。」
「さぁみんな、着陸準備をしよう。着陸後の行動も今のうちに決めておくぞ!」
ドーラムと比べて一回り小さいだろうか、惑星イルシャーはもう目前にあった。
それは全体的に緑を基調としたマーブル模様で彩られ、その表層はいわば緑色の雲のような霧状のシルエットが見える。
故郷を後して一ヶ月。
彼らはついに未知の惑星へと辿り着いた。
その終極は安寧の世界。
彼らは希望を胸に今、新天地へと降り立つ。
しかし彼らはまだ知らなかった。
人の幸福がいかに歪で、複雑怪奇であるのかということを。
〜ドーラム豆知識その10〜
彼らが着用しているスペーススーツは、たくさんの機能が搭載されたハイテク装備だぞ!
スペーススーツとして最重要な酸素を送り届けるボンベや、強烈な紫外線、ガンマ線等から身を守れる特殊な素材構成というだけでなく、着用している者同士でコミュニケーションが取れる内線システムや体温管理を自動で行ってくれる体温調整機能、そして喋る際の意思波を増幅することで意思感受型翻訳機の感度を底上げする意思波アンプもあるんだ!これがあると、たとえヘルメットを着用中でも声がクリアに届くぞ!
ちなみに、サハだけが小遣いを叩いて購入した最新のスペーススーツには、それらの機能に加えて肘や太もも部分からスラストを噴出することで俊敏に動くことができたり、何より、言語の壁を超えて意思を伝達できる、あの意思伝達型スピーカーまでもが内蔵されているぞ!
さぞかし高かったんだろうな…。




