第5話 メルティア様、すっごい! (従者となったロー視点)
□ロー
「メルティア王女殿下。大変申し訳ないのですが、あなたとの婚約は破棄させていただきます」
公爵による非情な宣言が広間に響き渡った。
クソ公爵め!
まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったんだ……。
それは王城で開かれた夜会のこと。
しばらく前に樹国の使者を歓待した際にメルティア王女殿下が行ってしまったことが問題視されているのは知っていた。
曰く、ピアノの演奏に魔力を乗せたメルティア様のやったことは"魔物の所業"であると。
メルティア様は『ばかばかしいのです』と取り合わなかったけど、この国の人々、特に王侯貴族は魔物の咆哮や戦いの際に歌のようなものに魔力を乗せて技を行使することを恐れていることも事実だった。
第三妃様……メルティア様のお母様がご存命のときはメルティア様にやめるように言っていたけど、何か狙いがあってやったのかな?
いや……メルティア様のことだから『つい気分が乗って』とか言いそうだ。
あの方は幼い頃から変わっていない。
そう……幼馴染の僕が転んでけがをした時。王城の裏の森で魔鳥に遭遇して戦った時。いつもあの穏やかで理性的で美しい顔を朗らかに笑わせながら、美しい……それはもう美しく心の全てを持って行かれそうな攻撃力、いや殺傷力満タンの声で歌うのだ。可愛すぎて頭が熱くて、何も考えられなくなるんだ。
そして、気付けば僕は力が沸きあがって自分より大きなモンスターを殴り倒していたり、怪我が治ったりした。
僕がメルティア様に全てを捧げる覚悟を決めたのは僕にとって自然なことだった。
だけど、その表情にいつからか影が差すようになった。
小耳にはさんだところでは、メルティア様のお母様の調子が悪いらしい。
心配だった。
とっても可愛いメルティア様のそばに可能な限り控えるようにした。
何かしてあげられればいいんだけど、僕には何もできなかった。そして第三妃様は亡くなった。
僕は無力だ。
うつむくメルティア様の前で、優しかった第三妃様を思って大泣きすることしかできなかった。
僕にはメルティア様のそばにいる資格なんてないんだ。
そんな僕にメルティア様はありがとうと言った。
母のために泣いてくれて、と。
それ以来、メルティア様は笑わなくなってしまった。
笑顔にはなる。でも目の奥で、心の底で笑っていない。
それがわかる。
ごめんなさい。無力で……。
いつかメルティア様は僕の手の届かないところに行く。
メルティア様の婚約が決まり、そう思った。
それまでは全力でお守りします。
魔法が得意でひょいひょいっといろんなところに行ってしまうメルティア様を追いかけるために足だけは鍛えた。
そのために魔法も使えるようになった。
すると不思議なことに、僕の魔法を見てメルティア様が何年ぶりかに笑った。たしかに笑ったんだ。
心が溶けそうになる。可愛い笑顔。やはりメルティア様に命を捧げよう。
「メルティア王女殿下。大変申し訳ないのですが、あなたとの婚約は破棄させていただきます」
なのに、あのクソ公爵め!
まさか衆目の前で婚約破棄をするなど。
さらに国王陛下め!
王家追放だなんて。
メルティア様は樹国の使者の疲労を回復するためにピアノの音に魔力を乗せただけだ。
樹国の使者の方もメルティア様に感謝していた。
それなのに"魔物の所業"と呼んでメルティア様を非難し、さらには夜会の場で婚約破棄と王家追放を宣言するなんて酷すぎる。
怒りで熱くなった僕はメルティア様の確認もなく叫んでしまった。
考えなしだった。
僕はそのままメルティア様の護衛として王城を……いや、この国を出て行くことになったが、こんな国、こっちから願い下げだよ!
でも、まずい。
このままだと絶対に怒られる。メルティア様に。
そそくさと退散していこうとしているのがいい証拠だ。
きっと僕のことなど置いて行ってしまうに違いない。
なにかないか?
なにか?
「ローディス、これを持って行きなさい」
「父上? すみません、勝手なことを。伯爵家に迷惑をかけてしまいました」
「かまわん。国王陛下や公爵のやり方は気に喰わん。しかし、伯爵家として表立って反対はできんが、お前が付き従うならそれはありだと私は判断した。だから、気にせず行きなさい。困難はあるだろうが、なんとか超えるように」
「父上? ……これは、カーティス公国の魔法学院の紹介状? ……ありがとうございます」
やった!
これなら許してもらえるかもしれない。いや、許してくれる!
父上の言う困難が何かはわからないけど、メルティア様も魔法学院には興味を持っていたはず。
しかも、大叔父様の研究室で音楽と魔法の融合を研究させてもらえるかもしれないだなんて、絶対に喰いつく……失礼、興味を持ってもらえるはずだ!
そうすれば、あの優しい笑顔をもう一度見せてもらえるかもしれない。
ありがとう、父上!
とりあえず平原と渓谷と森を抜けて魔法学院を目指すよう、メルティア様に話してみよう。きっと褒めてくれる……もしかしたら、ハグとかも!?
と思ったのに、紹介状だけ持って空に逃走するなんて酷いよメルティア様!
僕は絶対について行くんだから!
足を鍛えてきたのはこの日のためだったと今なら思えるよ。
っていうか、音楽に乗せた魔法であんなに優雅に飛ぶなんて、やっぱりメルティア様は凄いんだ!
メルティア様が楽しそうに空を滑る姿に、放されまいと全力でついて行く。
はぁっはぁっ……あんなに自由に、嬉しそうに、笑って、風と一緒に駆けているなんて。
あぁ、これだ。これこそが、メルティア様がずっと望んでいた世界なんだ。
あの冷たい王城じゃなくて、誰にも縛られない場所で。
誰にも邪魔されず、音と共に生きていく姿。
きれいだ。
かっこいい。
強い。
まぶしい……!
鍛えに鍛えた僕の足でも追いすがるのが精いっぱいだなんて……でも、絶対について行く……って、なんだよあれ!?
「メルティア様ぁああああ!!!!!!」
うん、ごめん。見惚れてる場合じゃなかった。
メルティア様の向こう側に見えたんだよ!
でっかいドラゴンが空に浮いて、メルティア様のことをロックオンしてるのが。
「危ないっ!!! メルティア様あああああ!!!!」
聞こえていないのかな?
一瞬振り返ってくれたように見えたけど。
でも、間に合わない……!
そのドラゴンは空中にもかかわらず翼を大きく振って……やばい、逃げてよ、メルティア様!
魔法の刃が、空を裂いて飛んでいく……。
ダメだ……そう思って目を見開いた僕の目の前で……えっ、避けた?
メルティア様は、すんでのところで回避した。
しかも、なぜかリュートを取り出して……って、何してるの!?
なんで、空中で演奏を?
めちゃくちゃ綺麗だ……。
それになんて素敵な音色……。
脳が持っていかれる……あれ? 涙が……。
って、ドラゴンがどんどん出てくる。
無我夢中で走って来たけど、もう渓谷の近くまでやって来てたのか?
だから、こんな数のドラゴンが?
「メルティア様!」
さすがに多すぎる。
通常、群れを作ったりしないウィンドドラゴンが数十匹とか絶対おかしいよ!
あれ?
気付けばメルティア様が演奏を止め、静まり返っている……。
なんでメルティア様はまた僕の方を見たんだ?
そして、なんでドラゴンたちは動かないんだろう?
攻撃してきたやつも、空中でメルティア様を威嚇しているやつも、まだ地面にいて様子をうかがっているやつも、どのドラゴンも動かない。
まるで、ドラゴンたちはメルティア様に畏れをなしてどうしていいのか分からなくなっているように思えた。
そして……
「"殲滅の音刃"」
数十匹のドラゴンが佇んでいるというのに静かな空間の中で、メルティア様の落ち着いた美しい声がよく通った。
その直後、耳鳴りのような音が響いた。
僕はこの日のことを一生忘れない。
死すらも覚悟したのに、メルティア様はなんでもないことのように僕らの世界の常識をあっさりと覆したんだから。
まるで砂のようにさらさらと消えていくドラゴンたちを見ながらそんなことを思ったんだ。
いや、嘘です。
メルティア様のあまりの可愛さに見惚れていたら、ドラゴンが消えていました……。