神の悪ふざけがすぎるので婚約しました
「頭が一面お花畑な方」のグレイとナザレのお話を書いてみました。楽しんでいただけますとうれしいです。
週間総合1位ありがとうございました。
グレイ・ライネク伯爵子息は、要領はいいが本質は怠惰な男であった。言われた勉強はやるけれど、一番は目指さない。大人の言うことは聞くけれど、言われていないことは気づいていても目をつぶる。最低限のことだけをこなし、それ以外はぼーっとしていることがほとんどである。
そんな息子の将来を案じた両親は、なるべくしっかりした令嬢を婚約者にしようとほうぼう駆け回っていた。ライネク伯爵家にはグレイ以外に二人の息子がおり、跡継ぎの心配はなかったものの、グレイが爵位のない平民になることを両親は懸念したのである。
当のグレイはそんな両親の心配をよそに、「平民になったら一日中ゴロゴロしていられる」と呑気なことを考えてウキウキしていた。貴族の腹の探りあい、領民の生活、彼にはそれらがすべて煩わしく、わざと怠惰な態度で貴族としてふさわしくないことを示していたのである。グレイの夢は、「平民になって、ゴロゴロすること」であり、なぜか平民になっても死にはしないという自尊心が彼を支えていた。
そんなわけで、グレイにとって、両親が持ってくる縁談は自身の夢を邪魔する障害でしかなかった。こういうときのグレイの計算高さは抜きん出ており、彼は令嬢たちの釣書から「どうすれば嫌われるか」を分析して、当日のお見合いのシミュレーションを行い、いかに効果的・効率的に破談になるかさまざまな会話パターンを事前に準備していたのだ。この能力を両親がいち早く見抜き、別の方向に彼の意識が向くよう教育すれば、ライネク伯爵家は歴史上類を見ない繁栄を迎えたことだろう。しかしこの「すれば」は、実現性が低いからこそ「すれば」なのであって、そんな未来は永劫訪れることはない。
グレイは恐るべき高い能力をもって、両親が持ってくるすべての縁談を見事に打ち破り、着々と平民への道を歩んでいた。
そんな折、ライネク伯爵家にとあるニュースが舞い込んだ。小麦をはじめとした農業で成功をおさめるリーツェン伯爵家が娘の婿にふさわしい貴族子息を探しているという。リーツェン伯爵家といえば、高位貴族も無下にはできないほど独自の地位を築いており、どの家もお近づきになりたいと考えている。てっきり、懇意にしているパンベリー侯爵家と縁談を結ぶと思っていた貴族たちは息巻いて、後継になれない息子たちを送り込んだ。
ところが、送り込んだ先で、息子たちが泣きながら「平民になってもいいからリーツェン伯爵家の婿にはなりたくない」と帰ってくるという話が貴族たちの中で広まり始めた。リーツェン伯爵家には一人娘がいるが、美人だの才覚があるだのという噂をついぞ聞いたことはない。よくも悪くも平凡なのだと考えていた貴族たちは、そんな話を気にせず、続々と息子たちを送り込む。
ところが、泣いて帰るという貴族子息が十人を超えてから、いよいよ多くの貴族が足踏みを始めた。息子に話を聞いても顔を青くして、「あくま……」とつぶやくばかりで要領を得ない。リーツェン伯爵家はその莫大な富と引き換えに、もしかすると本当に悪魔を飼いならしているのではないか。そんなおとぎ話のような噂話が立ちのぼり始めたとき、ライネク伯爵家は一か八か、グレイとの縁談を取りつけた。
リーツェン伯爵家に縁談を申し込む家は多く、三ヶ月待ちで予約をしていたので、噂のことは気になったが両親はグレイを送り出すことにしたのだ。グレイは両親から渡された釣書を見て、いつも通り破談となるシミュレーションを綿密に行い、「今回も楽勝だ」と意気揚々とリーツェン伯爵家に乗り込んだ。
グレイがリーツェン伯爵家に到着すると、まずは当主夫妻に迎えられる。グレイは当たり障りのない貴族のあいさつを「苦痛だ」と思いながらもこなしていく。
当主夫妻は少し言いにくそうに、口を開いた。
「その……娘は、少し変わったところがあって、大丈夫だろうか?」
まさかこちらから縁談を申し込んでおいてこんなことを聞かれるとは意外で、グレイは一瞬固まったが、笑顔で頷く。
「きっととても利発的な方なんですね」
グレイが何気なく言ったその言葉を、彼はその後嫌というほど思い知らされるのだった。
当主夫妻に案内された中庭のガゼボには、一人の令嬢が静かに立っていた。彼女がナザレ・リーツェンだろう。ぱっと見はごくごくふつうの平凡な女性である。数多の貴族子息を泣かせるようには見えない。グレイはやはり噂は噂だと思い、慇懃にナザレにあいさつをした。
「グレイ・ライネクと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ナザレ・リーツェンです。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
ナザレのにこやかな様子に、今回も問題なく破談になるだろうとグレイは確信する。ナザレに言われるがまま用意されたティーテーブルに腰かけた。当主夫妻は心配な顔をしつつも、若い二人でとその場を去る。
ふだんは何をしているのか、今やっている勉強は何か、習得した語学は何か。定型的な話題で時間が過ぎていく。グレイはナザレに嫌われるため、にこやかではあるがいつも通り怠惰な面を見せて、そこはかとなく嫌われるよう仕向けていった。
「グレイ様は、将来の夢はございますか?」
ナザレの質問に、グレイは一瞬言葉に詰まる。これまでの縁談でも、自分のシミュレーションでも、「将来の夢」を聞かれることはなかった。なぜなら貴族は決められた道を歩むものであり、「夢」を持つ必要はないからだ。
「夢……ですか。与えられた責務を全うできればいいとは考えていますが」
「そうなの?」
ナザレが不思議そうにグレイを見つめる。その視線の意味がわからず、グレイは戸惑った。
「ええ……」
「だって、さっきから『自分は無能だ』と言わんばかりのことをおっしゃるので、てっきり他にやりたいことがあるのかと」
グレイの額にじわりと汗がにじむ。これまでなら、多少嫌な顔をされてもここまではっきりと突きつけられることはなかった。たしかに、自分が無能であることを婉曲的に伝えてはいたが。
「そんな、まさか。私の伝え方が悪かったのでしょうか」
「そんなつもりがないならどんなつもりだったのでしょう?『語学は二か国語がせいいっぱい』だなんて、貴族にとっては致命的ではないですか」
大国に囲まれたわが国では、最低でも三か国語はマスターしている必要がある。二か国語しか扱えないのはたしかに致命的である。それでもグレイが不気味だったのは、ナザレが怒るでもなく呆れるでもなく、純粋に不思議そうな顔をしていたことだ。
「ライネク伯爵家は、ご当主もしっかりなさっていて、教育にも熱心だと聞いています。そんな方たちが、二か国語しか話せない息子を縁談に送り込むかしら?」
ナザレの言う通り、ライネク伯爵夫妻は息子たちに公平に教育を施してくれた。跡継ぎになる長男と、その補佐となる次男には領主教育も行っていたが、グレイも一般的な貴族子息としての教育は受けている。しかもグレイは、三か国語どころか四か国語をマスターしていて、古代文字の勉強も進めているところだ。
「それは……」
グレイは言葉に詰まり、あいまいにほほ笑む。自分だけの嘘ならともかく、両親の名誉を貶めることは言えない。グレイもそこまで堕ちた人間ではなかった。
「だから、グレイ様は貴族をやめて何かしたいことがあるのでは、と思ったんです。天文がお好きそうなので、学者とか」
グレイが何気なく語った天文の知識を取り上げてナザレが言う。彼が天文にくわしいのは、夜にぼーっとしながら星を眺めることが多く、気になったことを暇なときに調べていたからだったが、本人すら意識していなかったことを言われ、グレイはナザレから目が離せなくなっていた。
「そんなこと、初めて言われました」
「気づいてなかったんですか?グレイ様って、意外とぼーっとしてるんですね」
ナザレが愉快そうに笑うと、後ろに控えていた侍女が「お嬢様」と小声でたしなめるように声をかける。ナザレはその意味がわからず、小首をかしげた。
その様子を見ていたグレイは、生まれてはじめて、もっとこの令嬢のことを知りたいと真剣に考える。破談までのシミュレーションをすべて無視して、気づけばグレイは身を乗り出して口走っていた。
「ナザレ様、できればこの縁談を、前向きに考えていただけませんか?」
この日から、グレイは、「平民になってゴロゴロする」という夢をすっかり忘れ、「ナザレ・リーツェンを分析する」という目標に全振りし始めたのである。
ナザレと見合いした貴族子息が泣いて帰ったという話は、脚色等の一切ない、厳然とした事実だった。とは言え、ナザレ本人は、相手を泣かしてやろうという気持ちは一切なく、矛盾や違和感を懇切丁寧に、なんならきれいに包装してリボンまでつけて送りつけていたわけだ。それは怒りのときもあるけれど、たいていは純粋な疑問である。
とある夜会で、ナザレを少しでもからかう者がいれば、彼女は毅然と打ち返す。
「どうしてそんな無駄なことに時間が使えるんですか?貴族って、やることがたくさんあると思うんですけど……」
隣でナザレをエスコートしていたグレイは、笑いをかみ殺すのに大変だった。
二人で街に出ると、ナザレの幼なじみであるロード・パンベリー侯爵子息に熱を上げているらしい令嬢たちに小さな嫉妬を向けられることもあったが、ナザレはそれもわざわざ真正面から受け取って、二倍三倍にして返礼する。
「ロード?もしかして、あんな見た目だけで中身は熟成しすぎたチーズみたいな男が好みなんですか?お腹を壊しますよ」
なぜ人を好きになることがお腹を壊すことにつながるのかわからず、グレイは自然と込み上げる笑いに顔を伏せるしかなかった。
隣でグレイが笑うたび、ナザレは怪訝な顔をしていたが、両親に「グレイを手放すな」と言われ、なぜかライネク伯爵夫妻にも「息子の目を覚まさしてくれてありがとう」と涙ながらにお礼を言われていたので、グレイを無下に扱うようなことはしない。
そうは言っても、自分が何か言うたび笑われるのも気分がいいことではなく、ナザレが「笑わないで」と言うと、グレイは急に真顔になり、ナザレの手をぎゅっと握る。
「ナザレ、君のすべてがおもしろいから、無理だよ」
「……は?」
グレイに真顔で言われるとナザレは何も言い返せなくなり、かと言ってなぜか嫌いになるわけでもなく、ただただ固まるしかなくなる。
いちどその様子を見た幼なじみのロードは、「あのナザレが論破されるなんて」と顔を青ざめ、パンベリー侯爵に、ライネク伯爵には気をつけたほうがいいと進言したらしい。パンベリー侯爵も、ナザレと嬉々として婚約を結び、あまつさえ手なずけているグレイに一目置き、ライネク伯爵家とも親交を深めるようになったそうだ。
こうして二人は、家族や友人たちに、少し離れたところから見守られつつ仲を深めていった。 婚約者として、夜会への出席が増えると、かつてグレイと破談した令嬢たちやナザレに泣かされた子息たちとも顔を合わせることが増える。子息たちはナザレを見るといつの間にかその場からいなくなるので害はなかったが、かつて見合いをした女性たちの中には、どうしても一言言いたくなる者もいるらしい。
そのうちの一人、ネリー伯爵令嬢は、広大な葡萄畑を持つネリー伯爵家の長女で、かの家のワインは高級品だと人気である。ところが、名産のワインのように高級志向な彼女は、未だ婚約者が決まっておらず、婚約したてのカップルを見かけたら、チクチクと嫌味を言うことで有名だった。
今日も今日とて、目ざとく二人を見つけると、彼らの前に行きにこやかに声をかける。
「ごきげんよう、ライネク伯爵子息様、リーツェン伯爵令嬢様」
「ごきげんよう、ネリー伯爵令嬢様」
ナザレも貴族として一般的な礼をとる。ネリー伯爵令嬢は寄り添う二人を見て、にこにこと言い放つ。
「ご婚約おめでとうございます。わたくしとライネク伯爵子息様にはご縁がございませんでしたが、リーツェン伯爵令嬢様とはずいぶんと気がお合いになるようで」
「変人同士お似合いだ」という嫌味に、グレイの眉がぴくりと動く。
「うらやましいですわ。どうやってライネク伯爵子息様を射止めたの?」
グレイだけでなく、ナザレも含めて馬鹿にしていることは明白である。さすがに一言返そうと、グレイが口を開きかけたときだった。
「ありがとうございます。……ただの、神の悪ふざけですわ」
「え?」
「そんなことより、さすがネリー伯爵令嬢様。ワインは酸味が重要だから、ふだんから酸味の強い言動を心がけているの?」
ネリー伯爵令嬢は、「ほほほ……」と力なく笑い、さっと二人の前から立ち去る。立ち去る令嬢を見て、ナザレは首をかしげる。グレイだけはこらえきれず、肩を震わせ、先ほどの怒りもすっかり消え去っているようだ。
「ちょっと、何を笑ってるの?」
ナザレにつつかれ、グレイは笑いを引っ込め真剣な顔で答えた。
「ナザレ、君は本当に生きる奇跡だ」
そして今日もナザレは、この婚約者の意味不明な言動に固まってしまうのであった。