食中毒
少し、ぷりぷりしているな、と思った。
母の揚げた鶏肉が生焼けなのではないかという疑念は、一口で頬張ったせいで既に確認のしようがない。咀嚼をやめて、皿か掌の上にでも吐き出してみようか。一瞬、本気で考えた。向かいの佐々木さん家の長女が、食中毒で入院したと先月聞いたから、飲み込む前に、数秒煩悶した。
「それで、なに。結局、嚥下したのかい」
三軒橋という珍しい名字の友人が、鼻毛を抜きながら言った。私は、机の端に並べられたその鼻毛を一本摘まみ、人差し指と親指の間を転がせて遊んだ。
「遅効性らしいな。佐々木さんは、三日後に来たんだっけ。じゃあ君ァ明後日だ。遺書でも書いとけ」
「彼女、随分と苦しんだそうだ。七キロも痩せたって。あぁ、恐ろしい。君に相談したってどうなるわけでもねぇのは、判ってたんだがねぇ。話すだけでも僅かに不安は紛れるというが、さて」
笑い混じりの私に、三軒橋は無言だ。この男、室内でもサングラスを頑なに外さない。出会って八年、表情未だ読み難い。彼に救済を期待していた。でも、特に話は聞けず、今日は解散となった。もう夕方である。彼はこれから仕事へ行くという。
暇だな。
窓際の喫茶店。差し込む赤い日差し。
落ち行く恒星の美しさが、私の中のドス黒い何かを払ってくれるのを、ただ座って待っていた。偶に贅沢で注文する350円のコーヒーも、今は美味しく感じない。
横断歩道を、例の食中毒の娘が歩いているのが見えた。以前見た時よりほんのり痩せて見えるのは気のせいだろうか。何にせよ、切り取られた彼女の日常の一瞬間が、如何なる理屈か私に尊大さを感得させた。