92話 海獣リゾートへようこそ! 2
洞窟内はひんやりとした湿気に包まれ、薄暗い光が海藻に覆われた岩壁を照らしている。
奥からはかすかに水の音が響き、独特な不気味さがルイスの心を少しざわつかせた。
しかし、そんな緊張感も、構える短剣の冷たい刃先に集中することで次第に和らいでいった。
その時、前方にぬらりと現れたのは、巨大なウミウシのような姿の海獣だった。
滑らかな体表は淡い光を反射して不気味に輝き、ぬるりとした触手が岩場を這うように動いている。
ルイスは両手に短剣を構えようとしたらホセに止められた。
――あなたに三百年前の最新剣術をお教えしましょう。
「最新?」
ルイスは訝しげに訊き返したが、興味はある。
――そこらの田舎剣術ではありませんよ。おしゃれな都会のイケてる騎士御用達の最新です。
姉貴には「ダサい、アホ、鬱陶しい」と散々な評価を受けてきたルイスだったが、とうとう最新モードを学ぶ時がきたか、と熱くなる。
――私もいち早く、おしゃれ剣術を身に付けるべく騎士団に通い詰めました。修得した技術をやっと教えることができて感無量です。
「俺もおしゃれする時が来たんだな! やってやるぜ!」
ルイスは燃えた。
ホセの指導によると、三百年前の最新剣術は片手剣と片手盾が基本だという。
まずは右手の短剣に薄く魔力を込め、刃先を鋭く研ぐように集中する。
日常生活の簡易魔法を応用しただけの魔力だが、タイミング次第で効果を発揮できるらしい。
「先生、本当にレベル一の付与で問題ないの?」
ルイスは不安げに尋ねる。
基礎魔法を戦いに使うなど、ほとんど丸腰――いや自殺行為である。
――ありません。ほら、ちゃんと構える。そう、常に防御を忘れないで。おしゃれは厳しいのです。
兄や姉なら、まず座学で学んでからでないと始めまい。
俺は違う。
ぶっつけ本番で、わからないことは出てきてから調べれば良い。
このやり方が合っている者は少ないだろう。
だが、俺はやる。やってやる!
虚飾の魔杖に宿るホセは指導の合間にも愚痴をこぼし続け、訊ねてもいないのに前の持ち主であるレイの悪口をずっと喋り続けていた。
レイ大権威の所有であった時に、どれだけ悲惨な目に遭ったのか、と。
――寝起きに魔王の遺物に挑まれて。偽造魔具製造に使われもしました。何なんですか。あの娘は。
「俺に言われてもさあ」
ルイスは半ば呆れつつ、魔杖の話を聞き流しながら、再び短剣に集中した。
――私は元々、装飾系の魔具ですからね。あなた、ファッションにご興味は?
「着るもんなんて寒くなければ、なんでもいいよ」とルイスが答えると、ホセは予想していたようにため息をついた。
――ええ。まあ、そんな気はしてました……あなた、魔眼持ちなんでしたっけ?
「うん。あんまり、意識したことはないんだけど」
――うっふっふ。私を持っていると魔眼持ちは断然、有利になりますよ。あなたは本当に幸運な少年です。私は鼠を獅子にも魅せられるのです。それに、ザコ敵も回避できますし、最高の相性と言えますね。
「ザコ敵とは遭遇した方がいいんじゃないか? ここは訓練エリアだぜ?」
ルイスが言うと、ホセは少し驚いたような反応を見せた。
――ほう。向上心はあるようですね。なかなか感心なことです。立派ですよ。
ルイスは褒められると素直に「へへへ」と笑みを浮かべた。
それから、片手に魔力を込めた短剣を構え直すと、ウミウシの海獣に向かって行った。
☆☆☆
観客席は熱気に包まれ、解説席の美女たちに向けられた視線はますます鋭くなっていく。
解説者のセリナが前のめりになって中継を凝視し始めると、男性観客たちも自然と前のめりになって、彼女の体の一部を情熱的に見つめた。
「ちょっと見て下さい、あの子の剣術――古式剣術ですよ。滅びたはずなんですが」
セリナが真剣な表情で語りだす。
「先生、なんですか?」
隣の解説者マリオンが訊ねると、セリナは興奮気味に応えた。
「あの子がやっている戦法なんですけど、今時、もの凄く古い剣術を実戦してまして。ええと。ルイスくん? ああ。リカルド将軍のご子息でしたか。いや、さすがです」
「どういうことでしょうか?」
もう一人の解説者クローナも首を傾げる。
観客の視線も釘付けで、解説席の美女たちの説明に感嘆の声があがる。
「私も相当、調べたんですよ。今でも古式剣術が使われているのは北国の一部だけだと思います。それにしたって現代版に更新されていますからね。あの子がやってるの、もうゴリゴリの古式です」
「今では廃れちゃったと」
「まあ、ほとんど肉弾戦ですから。遠距離から大魔法でドカンの時代に、誰が好き好んでやるんですか。そんなの」
「リカルド将軍はなぜ、そんな古い剣術を?」
「英才教育ですね。なにしろ生活魔法レベルを武器に纏わせて戦うわけですから、もの凄い長期戦に耐えられるんです」
興に乗ってきたのか、セリナは立て続けに話しだした。
「魔法剣にしたって、今は七から九レベルくらいの魔力を付与するのが普通です。古式剣術は、生活魔法付与ですからね。子供でも使える魔法です。ド根性剣術です。流行りなんかクソ食らえ剣術ですよ」
セリナの解説に、観客も「なるほど」と相槌を打ち始めた。
剣術の奥深さが語られる中、彼女が再び立ち上がって観客に向かって声を張り上げた。
「国に一大事があれば、この剣術で生きていけという熱い思いを感じます。さすが天下の名将ですよ!」
「そうなんですね!」
だんだんと、解説者二人もセリナの熱に浮かされてきている。
「しかし、重要なことはそんなことではないんです!」
セリナは乳房を激しく揺らしながら、立ち上がった。
男性の観客たちも色々な部分が起ち上がってくる。
「先生! 教えてください!!」
「これは『若者よ。強くあれ』というリカルド将軍の熱いメッセージなんですね!」
「ほうほう!」
「ご子息を敢えて古式剣術で鍛えて、勇気とはなにかを問うているのです!」
「あなた方もただ学んで、研究して終わりじゃないですよ! もっとその先にいる人の想いを汲み取らないとダメなんです! どうですか! みなさん!」
セリナは涙ぐんで説明を終えた。
二人の女性解説者も豊満な肉体をブルブル震わせながら立ち上がり、涙ぐみながら拍手した。
もう男性たちは総立ちである。
観衆は口々にリカルド・カザーロンの男気と熱いメッセージに熱くなる。
「おっぱ――リカルド将軍! 万歳!」
「おっぱい将軍! 万歳!」
「リカルド将軍! おっぱい!」
大喝采のなか、変な掛け声も混じっていたが、些細なことは水魔法ギルドでは気にしない。
リカルド将軍もルイスもまったく知らない場所で、彼らの人気は爆上がりしていた。
☆☆☆
洞窟の奥へと続く暗い道を、ルイスは狂気の笑顔を浮かべて駆け抜けていた。
「退け、退け! おしゃれに栄光あれ!」
その叫び声が洞窟の石壁に反響し、不気味なまでに響き渡っていく。
ルイスにとっては周りなど眼中にない。
兄や姉の姿がちらりと視界に入ったものの、立ち止まることなく突き進んだ。
「え? ルイス?? ちょっと! あなた、どこ行くの?! 待ちなさい!!」
シルビア・カザーロンは驚愕した。
「ねえ! お兄ちゃん! ルイスが!」
シルビアの慌てた声に、近衛騎士団第五番隊長を務めるカザーロン家の長男、ベルナルドが青い顔をして立っていた。
「シルビア、ルイスが通った跡を見てみろ」
シルビアとベルナルドは、ルイスが駆け抜けた跡を目の当たりにし、言葉を失った。
地面には深い斬撃の痕が無数に刻まれ、異形の海獣の肉片が散らばり、洞窟の中は生臭い臭気に満ちている。
そこに漂う殺気と無残な光景に、シルビアは息が詰まるような恐怖を覚えた。
「これ……ルイスのやったことなの?」
声に震えが混じるのを止められない。
弟の手によるものとは思えないこの惨状。
まるで人間性など感じられない。
猛獣が大暴れしていったような血生臭さに満ちていた。
シルビアは恐怖と動揺に足が震え、理性の残っていない狂気の弟の姿が脳裏をよぎる。
これは、もう元に戻せないのではないか――その思いが頭をかすめ、目に涙が浮かびかけたが、ぐっと堪えた。
「完全に狂戦士じゃないか。まさか、呪われたのか?」
ベルナルドの声が低く響く。
「人間業じゃない。おかしいわよ。こんなの……」
シルビアは震える声で呟き、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「シルビア、大丈夫だ。僕たちでルイスを助けるんだ」
ベルナルドが優しく肩に手を置き、兄らしい静かな声で励ました。
その手のぬくもりが、冷え切ったシルビアの心にわずかな温かさをもたらす。
「お兄ちゃん」
シルビアはベルナルドの顔を見上げ、必死に気持ちを立て直そうとする。
自分が冷静でいることこそ、弟を助けるために必要だとわかっている。
恐怖に押しつぶされてしまうわけにはいかない。
「か、解呪も、すこしはできる。やってみせる! 行こう。お兄ちゃん! ルイスを助けなきゃ!」
シルビアが決意を固めると、ベルナルドも大きくうなずいた。
兄妹は手に手を携えて、共に前へと進む決意を固めたのである。
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