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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第五章 愛欲の針
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86話 いちばん昏い夜 18

 寒い夜、カイとウルヤナは暖炉の前に並んで座り、ほのかに赤い炎が二人の顔を照らしていた。


 暖かい光に包まれながらも、外から忍び寄る冷気がかすかに肌に触れる。

 その寒さを意識しながらも、二人は酒を口に含みつつ話を続けていた。


「大騎士が手を差し伸べてくるような機会は二度とないぞ」


 共に傭兵クラン「灰刃」、冒険者ギルド「灰狼」を立ち上げた副隊長ウルヤナ・ライロは、竜騎士団からの誘いが来た時、真っ先に賛成し、こう言った。


 口元をほころばせ、杯を傾ける。

 五つ年上のウルヤナをカイは「(アニ)イ」と慕い、幼い頃から信頼を寄せる相談相手として頼っていた。


「実際、会ってみるとリカルド・カザーロンってのはずるいな。顔がいい……あの面は反則だ」

 ウルヤナが言うと、カイも頷きながら含み笑いを浮かべる。


 冒険者ギルドを訊ねてきた男が、あのリカルド・カザーロン将軍だと知らされて、北の地はちょっとした騒ぎになった。


 会合から二日目。

 リカルド将軍が宿で返事を待っている。


「まったくだ。てっきり役者が来たのかと思ったぜ」

 カイもウルヤナも、肩を揺らして笑い合う。


 リカルド・カザーロン――名将でありながらカリスマを兼ね備えた男は、一目見ただけで周囲を魅了する力があった。


「しかし”風雷竜”は参ったな。冒険者の二つ名ってなんだ?」

 カイは眉を寄せながら問いかける。


「冒険者の宣伝文句だろう。都市部だと同業が多かろうし」

 ウルヤナはすこし笑って答えた。


「しかし、また大仰な……」

「文句を言うな。天下のリカルド将軍が直々に命名してくれたというだけで箔がつく」


「そんなもんかね?」

 カイが首をかしげる。


「そんなもんだ」

 ウルヤナは笑って肩をすくめ、カイと共に笑い合う。


 しばらく杯を傾けたあと、ウルヤナが真剣な表情を浮かべ、静かに切り出した。


「百年、二百年後の未来のために――ここで王国騎士団と繋がっておけば、平和が維持できる可能性が高い」


 カイはその言葉を噛みしめ、暖炉の炎を見つめる。

 揺れる炎が彼の瞳に反射し、どこか遠くの未来を見据えるような表情になった。


「兄イよ。それは理想主義がすぎないか?」

 カイは静かに訊ねる。


 幼い頃から、暖炉の前に二人で座り込んで、ヒソヒソ話しをするのが好きだった。


「では訊くが、もし北方連合が王国に攻められたとしたら、我々北方連合に勝ち目はあるか?」

 ウルヤナはいつもの強い酒を煽り、カイに鋭い眼差しを向けた。

 周囲の寒さを忘れるように、ウルヤナの言葉が重く響いた。


「……ない。数が違いすぎる。戦略があっても質量で押し潰されるだろう」

 カイはそう言って、ワインを少しだけ口に含む。

 酒が弱いわけではないが、大事な話をする時には酔いが回らぬよう控えるのが常だった。


「平和が続けばよし。未来で攻めてくるなら腹を喰い破れるよう仕込んでおく。弱者側の戦い方はこれしかない」


 カイはしばらく黙り込み、顎に手をあて思索にふけった。

 今は北の魔獣や魔物の群れも静かで、魔界からのちょっかいもない。

 それどころか、魔界の有力貴族が王国と何やら画策しているという噂もある。


 そんなところに、名高い名将から新たな師団長の誘いが舞い込んだのだ。

 断る理由など見当たらない。


「裏ギルドとの確執はどうする?  どうやら俺が原因らしいんだが……いつもながら何が悪かったのやら、皆目わからん」


 カイはウルヤナを見て、不安を吐露する。

 こうした話ができるのは、幼なじみのウルヤナだけであった。


「その点は気にするな。向こうが一方的に要求を突きつけてきただけだ。こちらからも和解案を出して、それでもダメな時は竜騎士団の名前を出す。リカルド将軍に訊いてみてくれ」

「うん。それが最善策だろうな。わかった」


 一息つくと、ウルヤナがふっと穏やかな表情で呟いた。

「――行け。カイ。後のことは俺に任せろ。お前は故郷からは裏切り者とされるかもしれん。王国に行けば田舎者だと罵られるかもしれない……それでもこの好機を逃す手はない。絶対にありえない」

「ああ」


「王国と繋がれば、魔法後進国の誹りを受けぬ未来がある。必ずあるはずだ。現役世代は、次の世代に平和と希望を繋ぐのが使命だと――俺は思っている」

 炎の明かりが、ウルヤナの強い意志を映し出していた。


「お前は勇者階層にいける男だ。いや、あるいはもっと上にまでいけるかもしれん」

 カイをウルヤナを見た。

 その目には揺るぎない信頼があった。


「俺はお前が、暁月剣禅やビクトル・マッコーガンに負けているとは思わん。むしろ、状況によればお前の方が強い場面も出てくる。それを活かしきれ」


 暖炉の炎が静かに燃え、二人の決意と未来への希望が、暖かな火の中でゆっくりと形をなしていった。


 ☆☆☆


 ――地獄の虜囚 巨人 三連。


 レイは召喚魔獣を呼び出した。

 地獄の虜囚として鎖で縛られているはずの三体の巨人が、レイの一声で黒街エリアダンジョンに現れ、桁違いの魔力を解き放つ。


 暗闇から這い出てきた女の巨人は、顕現した途端、聞き取れぬ声で絶え間なく嘆き始めた。

 耳障りな大声が周囲の空気を震わせ、数え切れない怨嗟の声が重なり合う。


 声は腐食した肉体の底から搾り出され、聞く者の背筋を凍りつかせる。

 その姿は悪夢そのもので、地獄から引きずり出された禍々しい存在が髪を振り乱して立ちはだかっている。


 足元までだらりと垂れる長い髪は暗黒のような深い赤で、不気味に蠢く影のように地面を覆い尽くしていた。

 長い髪に隠された顔は一切見えず、ただ頭部の奥からギラリとした大口が覗いている。


 口元だけが浮かび上がり、牙の一つ一つが鋭く輝く様はまるで地獄から這い上がってきた悪鬼そのものだった。


「まずは、嘆きの女巨人(ティターン・ラメント)! 古の魔女!!」

 ラルフが息を呑み、圧倒されながらも召喚された魔獣を紹介する。


「懲役四百年! 禁術階層レベルは十七! 無茶苦茶に強いです! ポイントは四百点!!」


 ☆☆☆


 青白い甲冑に身を包んだ戦士がそこに立っていた。


 全身は異様な冷気に覆われ、重厚な甲冑の表面には、何世紀もの時を刻んだかのように無数の傷と錆が浮かび上がっている。

 鎧はまるで暗闇の中で蒼白く輝き、触れれば命を吸い取られるような陰気さが漂っている。


 戦士の片手には、鈍く光る巨大な片手剣が握られており、もう一方には古びた盾がある。

 盾には無数の攻撃を受けた痕跡が残り、まるで生きた壁のような不気味さを感じさせた。


 剣先は鋭く、その刃が風を切るたびに冷たい闇が零れ落ちるようで、一瞬触れただけでも凍てつく死の気配が漂ってくる。


「懲役六百年! 未練の幽霊騎士(イレヴン・ナイト)! 禁術階層レベルはじゅ、十九?! ……だ、大丈夫なんでしょうか!?」

 ラルフが息も絶え絶えに声を上げる。


「ポイントも六百点の大盤振る舞いだあ!」


 この古代の戦士の周囲には、どす黒い怨念が渦巻き、過去の死闘で命を奪われた数え切れない敵の残骸が垣間見えるかのようだ。


 その影の中で、戦士は低く囁くような声で何かを呟き始める――まるで地獄から響く呪いの詠唱のように。

 場を一層禍々しく包み込む音が、周囲の冷気と共鳴し合い、不気味に広がっていく。


 ☆☆☆


 突如、地面が震えるとともに、赤黒い顔をした巨人が姿を現した。


 蓬髪は荒れ狂う稲妻のように乱れ、髪の隙間から覗く燃え上がる瞳は、人間では決してあり得ないほど深い憎悪と狂気に満ちている。


 二人の巨人と比べてもさらに一回り大きく、その威圧感は比類なきものだ。

 近づくだけで空気が歪むような感覚が伝わり、身体中に冷や汗が滲む。

 巨人はけたたましい声をあげて、地面を滅茶苦茶に叩き始める。


「ついに出ました!! 奈落の巨人(アビス・ジャイアント)! 巨竜と死闘を繰り広げた懲役千年の大犯罪者! 禁術階層レベルは――二十二! 二十二です!!」


 ラルフの叫びは震えており、場の緊張は限界に達している。

 巨体はあまりに頑強で、肉体の表面には刻まれた無数の戦いの傷跡は圧倒的な凄みがあった。


「無理だと判断したら逃げてください! そして、出ました! ポイント千点!! 逆転は充分可能です! ですが……マジで死にます! 逃げて!!」


 巨人はわずかに口元を歪め、ニヤリとしたかのように見えたその瞬間、地を轟かせながら巨木のような腕を振り上げる。


 風を切る音が異常な鋭さで響き渡り、戦慄のあまり場にいた者たちの心が凍りつく。

 この赤黒い巨人の存在は、絶対的な力の具現とも言うべきものだ。


 そして、その恐怖を目の当たりにした誰もが、ただ逃げるべきだと本能で理解した。


 ☆☆☆


「ふふふ。カイ師団長の、わけのわからないフワフワした剣法もどきが通用する相手かしら?」


 レイが不敵に笑うと、ヨーゼフは慌てて眼鏡をカタカタ鳴らしながら、持ち上げて彼女に意見をする。

「あの――いくらなんでも、うちの新人師団長を殺されるのは困るんですが……」


 レイは耳を貸さずに片手を振り上げると、冷たく鋭い声で叫ぶ。

「お逝きなさい!」


「ちょっと大権威殿。聞いてます?!」

 ヨーゼフはレイに懸命に訴えるが、その視線は冷酷に前を見据えており、完全に無視されたのである。


 ☆☆☆


 南方の魔獣や魔物は長い年月を経て巨大化し、騎士たちが正面から立ち向かう戦いは、今や三百年の平和のうちにすっかり夢物語となってしまっている。


 堂々と騎士の名誉をかけて剣を交えるような勝負が、古き時代の物語としてのみ語られているのだ。


 俺たちの歴史は違う。

 北に逃れてきた小型の魔物たちには、そんな夢物語など通用しない。


 徒党を組んで悪行を重ね、北方の村や町を日々脅かすのが常だった。

 北方に暮らす人々にも、夢を見ている余裕などない。


 元々、魔界に近い土地柄に加え、北には恐ろしく悪知恵が働く魔物が次々と流れ着き、時には意図的に潜り込んでくることさえある。

 人間の弱さや隙を狙い撃つように知略を巡らし、どれだけ巧妙な罠を張っても飽くことなく襲いかかってくる。


 こうして、北には冒険者ギルドや傭兵部隊クランが自然と生まれることになった。

 生き残るためには、誰もがなんでもやらなければならない。


 卑怯だの卑劣だのという価値観はとうに捨て去られた。

 正々堂々など関係ない。


 あらゆる手段を講じて生存戦略を立てていく。

 夢を見ている暇など、俺たちにはなかったのだ。


 俺が入団する前、リカルド将軍は市街戦で散々な目に遭ったらしい。

 聞いてすぐ「ああ、そうだろうな」と思った。


 敵は、不死身のヴァンパイアに率いられた魔物の軍団。

 人間以上に知能の高い相手に正面からぶつかって勝てるはずがない。


 そんな無理難題を打破したのは、一人の魔法使いだった。


 レイ・トーレス大権威。

 彼女は召喚獣を放ち、路地裏から敵を追い出して勝利に貢献した。


 もし彼女がいなかったなら、総力戦で包囲するほかなかっただろう。

 騎士団の軍事訓練を初めて観た時は、まるでショーだと思った。


 この人たちに戦争は不可能だとも。


 ☆☆☆


 どういうわけだか、大権威が激怒している。

 しかし、ああまで激昂されるとしばらくの間、質問もできないな。

 困ったことだ。


 どんな馬鹿者が逆鱗に触れたのであろう。

 まったくもって、腹立たしいことである。


 それにしても、この状況には疑問が募る。

 どうやら、エリアのボス敵とは一騎打ちで対決することになるらしい。


 果たしてそれに、どんな意義があるのだろうか。

 それは、訓練ではなく、競技ではないのか。


 異文化との共存はやはり難しい。

 敵が強いのなら、弱るか疲れるか待つのは定石ではないのか?


 元気いっぱいの敵に真正面から挑むなど愚の骨頂。

 ――と騎士団に入る前の俺なら鼻で笑っていたことだろう。


「いやあ……おとぎ話に出てくる騎士さまみたいだな」

 カイは独りごち、腰から歪に捻れた剣を抜く。


 手首を返しながら旋回させ、凄まじい速度で風を切る。


 元々の剣は山岳部族の武器だったものだが、使いやすいように自身の手癖で曲げたり伸ばしたりでこうなった。

 独特な歪みを持っているこの奇妙な剣を、カイは単純に”平剣”と呼んでいた。


 同じ剣はないし、類例もない。

 無茶苦茶な形だと自分でも思う。


 無骨で歪な形は、実用性を追求した結果だ。

 まあ、肝心なのは殺せるかどうかだ。

 綺麗な形をしているから役に立つというものでもない。


 カイは小さく含み笑いを漏らしながら、ゆっくりと敵へ向かって歩き出した。

 赤い髪を振り乱した巨人が前方で待ち構えている。


 その巨体から放たれる圧迫感は並大抵のものではなく、周囲の空気さえもねじ曲げていた。

 カイは散歩でもするかのような軽い足取りで、嘆きの魔女へと近づいて行った。

 お読みいただきありがとうございました。

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 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

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