85話 いちばん昏い夜 17
「ラルフ。あなたの見解を訊かせていただける?」
「先ほどのブギーマンとゴルジェイ・バザロフの戦いについてでしょうか?」
「ええ」
黒魔法エリアの研究員であるラルフは、レイが召喚した地獄の虜囚をベースにブギーマンを改良した研究者の一人だ。
「研究員として申し上げますが、ブギーマンは瞬時に決着をつける戦法でないとまず勝てません。少しでも間を置けば、すぐに回復を始めますから。禁術階層レベルの魔物ともなると、攻略の手段は非常に限られてきます。弱点が極端に少ないのが特徴ですね」
「そうね。ブギーマンは他の魔物と違って、多様なアプローチで倒せる存在ではないわ」
すると解説席の通信魔具に、割り込むような連絡が入った。
――ええと……聞こえますか? どうぞ?
参加者からの連絡のようだ。
――参加者同士の戦闘において、敵わないと判断した場合、ポイントを譲渡して見逃してもらうことは可能でしょうか?
可能ではあるが、主だった施設に放送されている中で、そんな情けない行動を取る参加者などほとんどいないため、これまで特に説明もしていなかった。
「もちろん可能ですが、戦って勝利すれば相手のポイントを半分取得できます。少々の譲渡はあまり得策とは言えないでしょう」
ラルフが通信に応じた。
――なるほど。他人数対個人の場合はどうでしょう?
「徒党を組むことも自由です。ただし、大人数での戦闘は訓練の趣旨から外れるため、あまりに大規模な集団が組まれた場合は解散命令を下すこともあります」
――そうですか。ありがとうございました。
通信が途切れ、場に静寂が戻った。
☆☆☆
今のは、これを付けている全員が聞くことになっているんだっけ?
まあ、いい。訓練なんだから、フェアにいこう。
けれど、さっきの情報は有用だ。
不合理なことはしたくない。
この訓練は実戦に沿っている。
わざわざ、強い参加者やボス敵と戦う必要はない。
となれば、徒党を組んでポイントを溜め込んでいる連中に狙いを変えよう。
カイは路地から路地へと、音もなく移動していく。
傭兵の戦場に卑怯などという言葉は存在しない。
逃走が戦法になっている。
逃げながら戦い、戦っては逃げる。
無理はしない。
無理だと判断すれば倒せそうでも退くことを選択する。
それが傭兵の生存戦略である。
深追いして命を落とす者は多い。
引き際を見誤らないことが肝心だ。
どうも都会に出てきて調子が出ない。
騎士と傭兵は、まったく違う職種だと思い知った。
騎士は戦い続けることが目的だ。戦闘が手段だという考えがない。
そういう考え方だと、終わりがなくなってしまう。
都会の人間もまた、幸せや目的が曖昧でどこまでいっても満足しない。
生きているだけでは不幸せだとでもいうように。
だが、傭兵は違う。
我らの仕事はシンプルだ。
標的の殺害、護衛、人質の奪還、エリアの確保。
際限なく強くなるとか、無限に金儲けを繰り返すなどという呪われた生き方はしない。
目的が達成されれば仕事は終わりだ。
他にどうしろというのか。
訓練も合理的だ。
集団での連携や連絡が重視され、クラン全員で技術を共有し、必要以上の絆は持たない。
誰かが欠けても任務に支障が出ないように配慮する。
そういう意味で、この訓練は非常に有意義だ。
少し錆び付いた感覚を、ここで取り戻すことにしよう。
竜騎士団に来てから話が通じたのは第三師団の第三師団長ヨーゼフ・ヒルトマンだけだった。
他の師団長には合理的な話は通じなかった。
騎士道というは独自の信仰形態と同じだな。
俺から見れば、おまじないと変わらない。
リカルド・カザーロン将軍は理想的な騎士だが、あの人は神さまに近い。
誰も彼もが夢をみて、あの人を目指したら大半は脱落する。
当然ではないか。
誰もが竜を倒せるのか?
すこし考えれば誰だって無理だとわかる話ではないか。
都会の人間はアホなのか。
理解に苦しむ。本当に奇妙だ。
もっとも、騎士になった俺が言うのもおかしな話か。
☆☆☆
訓練に参加しないカイにヨーゼフが意見を訊いたことがある。
「個人が強くなるのは趣味だ」と返された。
それでは話が進まないだろう。
だったら、どういう訓練をしたら良いのかと訊ねれば「連携です」と当然のように答えた。
実際に、師団長と戦えば一合打ち合い「参りました」と降参し、隊長クラスでもすぐに「わかりました」と匙を投げる始末。
もうわからん。
文化が違いすぎる。
本当に強いのか?
いや、強い。
原始人のように、ナイフや石を投げるばかりで、滅多に剣で戦わないが――強いことは確かだ。
今は……路地裏を逃げ回っている。
いったい、なにをしているのだ。この男は。
師団長がそれでは示しがつかんではないか。
ヨーゼフは平静を装いながらも、内心ではとても穏やかではいられなかった。
奴は、リカルド将軍が勧誘してきたという体面もある。
将軍に恥を掻かせるなど、断じてあってはならぬことだ。
よくわからん師団長が名を上げる絶好のチャンスではないのか!
バカなのか。あいつは!!
今や、ヨーゼフは拳を握り締めて、先行きを見守るしかない身を嘆くほかなかった。
☆☆☆
「よくわかるよ。レイ・トーレス大権威。若手の双璧と言われるセリナ・リベーラはどうも精神構造がわからないから、水魔法エリアダンジョンでなくてラッキーだったわ。アレは聖女の類いだね」
アレンカ・ヤルミルは耳朶からピアスを一つ外し、不気味な笑みを浮かべた。
すると、アレンカの顔つきが一変し、牙がメキメキと生え、両手が猛禽類のように大きく、鋭くなった。
「蝙蝠型や狼男型は魔獣とのハイブリッド。凶暴性は抑えられ、参加者が命を落とすまで追い打ちを掛けることもない」
「吸血鬼型は感動的ですらある」
「霧になることで太陽光を避け、攻撃時にのみ実体化。本物のヴァンパイアには及ばないが、魂のない合成魔物なら、それで充分。芸術品だね。アレは」
アレンカの声に合わせるように、ブギーマンが影の中から姿を現した。
黒い影が膨れ上がり、仮面で覆った顔がゆっくりと路地裏から這い出てきた。
「ま。呪術や魔具で本来の力を抑えているのは私も同じだけど……やっぱ、電撃お兄さんと同じくブギーマンは倒しとこうかな?」
その瞬間、ブギーマンが背後から音もなく迫り、アレンカは急旋回して振り向いた。
「ウイヒヒヒヒヒ。超楽しいわ。レイ・トーレス大権威。やっぱり同胞だと気が合うねえ」
「ああ。この殺気。最高だわあ。地獄の虜囚を使っているんだろうけどさ。マジで容赦ないのがバチバチに来てる」
ブギーマンが、巨大化した両手を目にも止まらぬ速度で振り回す。
両手が地面に着くほど巨大化された拳がアレンカの頭上を通り抜けていった。
当たれば、全身がバラバラになるような攻撃力。
ブギーマンは背丈も伸ばし、アレンカの身体変化に合わせて攻撃を繰り出していく。
この怪物は、相手の反応次第で、最適な形状変化をするのである。
「うおおお! ブギーマン、超優秀! これ絶対、強いやつじゃん!! 超燃えるう!!」
アレンカは素早く身をかわし、手元から鋭い爪を飛ばす。
ブギーマンは身をひねって避けたが、鋭い爪はブギーマンの腕をかすめ、黒い煙を上げた。
アレンカの目が輝き、興奮が高まる。
ブギーマンは巨大な腕を振り回し、周囲の障害物を次々と壊していく。
アレンカはそれを利用し、壁を背にして跳躍し、上空からの攻撃を試みる。
ブギーマンは反射的に手を振り上げ、アレンカの爪を受け止めようとする。
だが、その瞬間、アレンカは素早く方向転換して横に跳び、ブギーマンの横をかすめた。
「対応速度も申し分なし!」
ブギーマンは再びアレンカを狙い、奇怪な動きで、巨体をくねらせて攻撃を仕掛ける。
人体ではありえない方向からの攻撃。
アレンカは瞬時に後ろへ飛び退き、強力な一撃をかわした。
その動きはまるで舞踏のようで、アレンカは楽しげに手を叩いた。
「いいわよ! なんていい子!! 素晴らしいわ!!」
二者の攻防はますます激しさを増していく。
アレンカの心が高鳴り、ブギーマンもまた、彼女の挑発に応じるかのように猛然と突進する。
彼らの戦いは終わることを知らず、互いに渇望し合っているようだった。
☆☆☆
「――ああ。なるほど。オタクの師団長さん。我々を舐めていらっしゃる」
「え?」
ヨーゼフはレイを横目で見て驚嘆の声をあげた。
レイ・トーレス大権威の鋭い目つきが、ヨーゼフの内心を見透かしているかのように感じられた。
周囲の空気がピンと張り詰めていく。
「訓練だって言っているのに、姑息に動き回ってザコを狙うつもりで路地裏を彷徨かれていらっしゃる」
「いや、それは――」と言い繕おうと努力したがダメだった。
若いが、百戦錬磨のレイ・トーレス大権威にごまかしなど通じない。
「私に対する挑戦だと受け取りました」
「そ、それはちょっと待ってください。あの――」
ヨーゼフの焦る声は、歓声に呑み込まれて消えていく。
そう言われても仕方がない。
完全にレイの言うことが的を得ていた。
訓練エリアで訓練に参加せず、こそこそ裏技で乗り切ろうとする者がいる。
しかも師団長である。
それはキレる。当然だろう。
激怒されて当たり前だ。
あの野人め。
また、都合良く独自の解釈で動きおって!
ヨーゼフはぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
「開始したばかりですが、エリアボスの紹介をさせていただきます!」
レイが突然、声を張った。
「各エリアダンジョンにおけるエリアボスは、そのエリアの大権威による召喚魔獣!!」
「これは参加者対大権威だと思いなさい!」
レイはさらに声を高め、周囲の興奮を煽る。
「ぶっ殺してさしあげてよ!!」
レイは愉しそうに宣言した。
お読みいただきありがとうございました。
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