84話 いちばん昏い夜 16
カイは走りながら手首に巻いていた皮紐を解き、素早く地面の瓦礫を拾い上げた。
皮紐でそれをくくりつけ、魔法を付与すると同時に、大きく振り回して空を舞うナイトウィング・ビーストに狙いを定めて投げつける。
風を切って飛んだ瓦礫は、ナイトウィングに命中すると同時に小さく爆発し、確実にその命を奪った。
爆発の規模は最小限だが、殺傷力としては十分だった。
カイの戦い方には、魔法都市の常識を覆す、実戦に基づいた独自の理論が凝縮されていた。
極限まで魔力消費を抑え、最低限の力で最大の効果を引き出す。
生活魔法を工夫して効率よく使おうとするセリナの提唱とも通じるが、カイのように命がかかった戦場で、それを実践する者は他にはいない。
この様子を見ていた魔法使いたちは驚愕し、新たな可能性を目の当たりにしていた。
☆☆☆
「――そうですよ? 彼は生活魔法レベルしかできない、いわば魔法の素人です」
眼鏡を光らせ、ヨーゼフが言う。
「は? あのおじさん。魔法素人なんですか?」
ヨーゼフにカイの戦闘の説明を求めたラルフは驚き、素顔に戻って訊ね返した。
普段は黒魔法研究エリアで研究員として働く彼にとって、それは到底理解できない話だった。
「全国平均で十五歳女子の魔法レベルが五ですから、カイ師団長と大体同じくらいかな。十七歳女子の平均は六前後ですから、厳しいですね」
ヨーゼフが言うことにラルフは納得できない。
「ちょっと待ってください。厳しいって……彼って竜騎士団の師団長ですよね? 騎士職のほとんど頂点じゃないですか?」
「そうですよ。ちなみにうちの第二師団の入団テストだと、最低でも魔法レベル八が基準ですから。彼はその新兵以下です」
魔法の専門性が高くなると、レベル七から九が求められる。
レベル六では地方の魔法大学にすら合格できない水準で、首都大学の研究者からすればまったく問題外の話だ。
「彼がどうにか扱えるのは、生活魔法レベル六くらいですね。義務教育で身に付ける最低限の炊事洗濯ができる程度、言わば主婦レベル。そこら辺のおばちゃんと同じです」
「おばちゃんと同じ。師団長がおばちゃんと。そ……そんな馬鹿な」
「個人の常識なんてそんなものよ、ラルフ。お仕事、忘れてるわよ」
レイが隣席のラルフをつつくと、はっとして我に返る。
「あ、ああ。失礼しました。あまりにも意外すぎて……」
「だ、大丈夫です。な、なんの動揺もありません。さあ! メチャ強おじさんがおばさんのアレで――ブヒイ!」
「無茶苦茶ですね」
ヨーゼフが冷静に返す。
「ちょっと休憩したらどうです?」とアナが言う。
「す、すいません。水飲んで来ます」
ラルフはフラフラと立ち上がり、バーカウンターの方へ歩いて行った。
☆☆☆
アナが、席を外したラルフの代わりにメインの実況を始めた。
「他のエリアダンジョンはまだ様子見が続いていますが、黒街エリアダンジョンではカイ師団長が中心となり、怒涛の展開を見せています。魔物や魔獣を避けながら宝箱探索に切り替えて、ポイントを集める参加者も多いですが――」
「ええ、それもルール内の戦略ではありますが……そんな甘い考えで通用するはずがありません」と、ヨーゼフが静かに続けた。
「これは訓練も兼ねていますから。敵に誘導され、窮地に陥り、そこから脱出する能力が求められます」とアナが補足する。
「おっと、見てください! ポイントを集めていた学生たちがゾンビに囲まれました」とレイが叫ぶ。
ヨーゼフは冷静に眼鏡を上げ「今回は噛まれても痺れて動けなくなるだけですが、本物のゾンビなら命を落とします。こうした状況で安易な作戦を取るべきではありませんね」と指摘した。
「彼ら、火魔法を使用し始めました。おそらくレベルは八程度でしょうか。この密集地帯で通用するのでしょうか?」
アナが心配そうにヨーゼフに訊ねる。
「魔法レベル自体は低くありませんが、この状況下で使用するのは不適当です」
ヨーゼフが答えた。
「ゾンビの数が多く、さらに囲まれている状況です。火魔法の威力と自分たちの防御範囲がうまく合致していないように見えますね」
ヨーゼフは冷静に分析を加える。
「なるほど。しかも市街地エリアは火を使うと炎が思わぬ方向に広がりやすく、周囲へのリスクも伴います」アナが補足する。
「その通りです。敵の密度が高いところで火力を誤ると、かえって逃げ場を焼き塞いでしまいますね。経験の浅い者には難しい判断が求められます」とヨーゼフが頷いた。
☆☆☆
ラルフが軽食をとって帰ってきた。アナは心配そうに彼を迎えた。
「お帰りなさい。気分はどうですか?」
「はい、大丈夫です。冷静になってみると、実戦ではケースバイケースで魔法レベルを合わせないと通用しませんね。強度や規模を上げればいいという驕りがあったかもしれません」と、ラルフは笑顔を見せる。
「おっと、早くも中ボスに当たった参加者が出たようです!」とアナが声を上げた。
レイが続けて言った。
「私からエリアダンジョンの中ボス、ブギーマンについて解説しましょうか?」
「お願いします!」と、アナ。
「ブギーマンは市街戦では非常に強力な魔物です。無音で移動でき、幻覚や幻聴を使って戦意を喪失させ、戦局に応じて自身の体の形態を変形させます。さらに、自動回復能力も持っています。階層レベルは十で、禁術階層に位置づけられています。通常の魔法を使うだけでは倒せませんよ」
「百ポイントが稼げるので、ぜひ挑戦していただきたいところです!」
アナが言うと、観衆も盛り上がってきた。
☆☆☆
カイは急停止し、身構えた。
目の前の廃屋から、腕をバトルアックスに変形させたブギーマンが飛び出してくる。
ブギーマンは、すでに誰かと戦闘中のようだと瞬時に判断し、カイは身を翻す。
次の瞬間、廃屋のドアが激しく破壊され、ゴルジェイ・バザロフが姿を現した。
彼は雷魔法研究員と聞いていたが、その体つきと雰囲気は明らかに戦闘員であった。
カイは一瞬で路地へと身を隠し、戦いの様子を視察することにした。
「バチリ」と響いた破裂音。
ゴルジェイの体中に帯電が走り、彼は瞬時に移動した。
カイの目は見開かれ、驚愕する。
稲妻が走り抜け、ブギーマンは黒焦げになって倒れた。
――何が起こった?
カイは心の中で呟く。
ゴルジェイの手には、焦げたブギーマンの心臓が握られていた。
力を込めると、瞬時に放電し、ゴルジェイは心臓を灰にする。
カイは急いで路地裏の奥へと這い入った。
ゴルジェイと戦うには、情報が不足している。
腕力と攻撃の正確性は最上級。
雷撃のスピードにおいては、完全に人間の限界を越えている。
近接戦闘において、ゴルジェイに無傷で勝つのは不可能だとカイは判断した。
☆☆☆
「アハア! 見っけ! イカレ兄さんたち、素早いんだもんなあ!」
地魔法研究員のアレンカ・ヤルミルは、崩れかけた家屋の屋上でピアスを付けた舌を出し、歓喜の声を上げた。
アレンカの髪は明るいピンクや部分的に紫色も混じっている。
ショートカットにしており、風に靡いていた。
タイトな黒シャツ、その上からは重厚感のあるベストを羽織っている。
特注のレザーのショートパンツを着用し、丈の長い黒いブーツが彼女の足元を引き締めていた。
「どっちも好みなんだよねえ。ど・ち・ら・が・イ・カ・レ・て……ますかあ! はい! 決定!」
指差した爪先には銀のスタッズがあしらわれていた。
なにかの魔具なのか、スタッズが鈍く光り始めている。
首元には、スパイクのついたチョーカーといくつかのビーズネックレスが重なり、目元は濃いアイシャドウ。
耳には大ぶりのピアスがいくつも揺れている。
アレンカはそのまま屋上から飛び降り、勢いよく走り出した。
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