8話 禁術 4
少女は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
空気が重く、胸が締め付けられるような感覚が広がっていた。
彼女の目の前では、激しい怒りと憎しみを込めた、無慈悲な怨念の塊が、山の向こうへと消えていったはずだった。
だが、その消えたはずの存在が、少女の心に深い違和感を残していた。
何かが足りない、何かが間違っている――そんな予感が脳裏をかすめる。
手応えがない。
理性も将来もすべてを投げ捨てた、決死の一撃。
すべてを賭けた必殺の魔法――それが今、空虚に消えていった。
信じられない、そんな馬鹿なことがあっていいのか。
世界が、ここまで無慈悲で不尽なものだとは。
少女は膝を震わせ、空を仰いだ。
目の前に広がるのは、ただの空。
それだけが、まるで遠い世界のように冷徹に広がっている。
「神も奇跡も、あるものか」
そう呟く声が、喉から零れ落ちる。
感情が、ゆっくりと絶望へと飲み込まれていく。
第十階層禁術、魔咆吼。
黒魔法は、彼女の情念を、惨殺された村人の無念を情念を、魔力に変えたはずだ。
あの怨念が届かなかったのか?
皆の想いが、無念が、命が――無駄だったとでもいうのか!!
「どうして……?」
震える手で顔を覆う少女。
その瞳からは、ただ涙が流れ続ける。
絶え間ない嗚咽に、涙が止まることはない。
時間が止まったかのように、少女はその場から動けずにいた。
「なにが秀才だ。貧しい田舎から大学まで行かせてもらって……なんて、なんて体たらく――」
自分を罵りたくても、言葉が出ない。
強がることも、耐えることもできなかった。
あの一撃が、私のすべてだった。
私が学んだこと。
すべてを注ぎ込んで、力を尽くしてきたことはなんだったのか。
全部だった。
全力だった。
奪われたものはあまりにも多く、後戻りはできない。
故郷も母も、そして、復讐さえも――
「私は、負けた。失った。奪われた。なにもかも」
少女の顔を覆う手は冷たく、震えながらも萎み、やけに小さく感じられた。
命を懸けて放った怒りも、力も、全てが今は消え、ただ無力感が膨らむだけだった。
その時、彼女の中で最も深い部分から、再び感情が湧き上がってくる。
それは、何ものにも負けない、圧倒的な憎しみだった。
――許さない。
「母さん。母さん。お母さん……!!」
少女の胸から叫び声がこだまする。
それはもはや怒りや憎しみだけではなかった。
魂の奥底から湧き上がった叫びが、彼女の体を貫く。
その声は、震えながらも確かな決意を持っていた。
「許さない……絶対に許さない! お前のすべてを、全部、ぜんぶ、なにもかもを滅ぼしてやる!」
彼女の声は、もう振り絞るように響く。
その瞳は血のように赤く染まり、狂気じみた表情が浮かんでいた。
だが、その表情の中には、かつての輝きが失われ、代わりに一心不乱な決意が宿っていた。
「私は……私は復讐するんだ! どんな犠牲を払っても……必ず! 必ず!」
その言葉が、少女の膝を崩れさせ、体が揺れる。
バランスを崩し、無力に地面に倒れ込んだ。
かつては強大な力を誇ったはずのその身体が、今は脆弱そのもので、わずかな力さえも持ち合わせていなかった。
怨念を込めた魔力が消え、反動が一気に襲いかかる。
少女は、目の前がぼんやりとした世界に変わり、呼吸も浅くなり、体が限界に達していた。
涙が、頬を流れ落ち、荒い息がその小さな体を震わせる。
「どうして、こんなことに――」
悲しみと怒り、無力感と絶望が交錯し、涙は止まらない。
その感情の洪水に飲み込まれ、少女は力なく地面に横たわった。
意識は次第に薄れ、冷たい土の感触だけが、彼女の手に残った。
――こんな。こんな。こんな……理不尽があってなるものか!
涙を流しながら、すべてを諦めたくない、ただそれだけを考えながら、少女の意識はゆっくりと遠のいていった。
周囲の空気は、しばらくその悲壮な静寂を残す。
何もかもが静まり返る中で、少女は無力に横たわる他――できる術はもうひとつも残されてはいなかった。
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