77話 いちばん昏い夜 9
レイが少年に詰め寄る姿を見て、ガヴィーノの脳裏には過去の冒険が鮮やかに蘇った。
あれはまだ自分が若かった頃、最果ての塔の頂上で遭遇した最強の魔物――ククルカン。
巨大な翼を持つ大蛇で、塔の主として君臨していた。
その威圧感と美しさ、そして底知れぬ力が今も忘れられない。
レイの怒りが頂点に達したとき、彼女の瞳は真紅に染まり、まるで大蛇の目のように鋭く光っていた。まさにククルカンを彷彿とさせる迫力である。
怒りの気配に包まれた彼女の周囲には重苦しい気が漂い、それは蛇系魔物が持つ特有の金縛りの呪いにも似ていた。
レイが激昂すると、まるでその場にいる者たちの心身を縛り上げるかのように息苦しくなるのだ。
少年――ルイスはまさにその呪いに囚われたかのように立ち竦み、目を見開いたまま縮み上がっていた。
恐怖で声も出ず、体は凍りついたかのように動けない。
その姿を見たガヴィーノは、かつて自らが感じたククルカンの圧倒的な力を思い出していた。
ガヴィーノは、詰め寄るレイの怒気に満ちた姿を眺めながら、彼女の幼い頃の話を思い出していた。
かつて彼女がまだ小さかった頃、遊び半分で蛇を怒らせてしまい、威嚇音に驚いて肝を潰したという。
その出来事が尾を引いているのか、今でも彼女は蛇の尾や爬虫類の尾に対して妙に過敏だ。
怖いものなしのレイ・トーレスが、蛇の尾が視界に入るだけで眉をひそめ、視線を逸らしてしまう。
竜化した際にも「尻尾は出しませんでしたね」と自慢気に語るレイを見て、変わった娘だとガヴィーノは苦笑したものである。
冗談でもククルカンに似ているなどと言えば、どれだけの怒りを買うか想像したくもない。
☆☆☆
ガヴィーノがかつて師事したビクトル・マッコーガンやゾーエ・バルリオスは、確かに厳格で学生たちから畏れられる存在だった。
しかし、その恐れはあくまで「まじめにやっていれば問題ない」という範囲内でのものだった。
ミスさえ避ければ、厳しい指導の下でも雷が落ちることはなかった。
だが、レイやセリナが教鞭を執る今の世代では、事情が明らかに変わりつつある。
国家の危機が間近に迫るこの時代、彼女たちは厳しい状況を生き抜くために、まじめさだけでは不足すると考えていた。
単に忠実で堅実な人間には価値を見出さず、いかに卓越した才能を発揮するかが問われている。
時には、その才能の発揮に無理やり圧力をかけるような姿勢すら見せていた。
その姿勢が、ガヴィーノにとって理解しがたく、冷たくも感じられることも多い。
学生に対しての要求が、かつての平和な時代とは比べ物にならないほど厳しくなっているのを目の当たりにし、ガヴィーノは彼女たちがどこまで行くのかを見守るしかないと思っていた。
それだけ時代が切迫してきているということなのである。
レイが出題した黒魔法学部の入学最終試験は、学生だけでなく、教授や研究者の間でも大きな話題を呼んだ。
従来、知識は筆記試験、魔法の技術は実技試験、人格や適性は面接で判断されていた。
だが、黒魔法大権威に就任したレイは、その選考方法そのものに疑問を呈し、大胆な改革を断行した。
面接を試験から排除し、代わりに「自分が自ら創り出した迷宮を突破してから来い」と宣言したのだ。
この試験はただの知識や技術を問うものではなく、何よりも覚悟と精神力を試すことを目的としていた。
その厳しさは、魔法学界に衝撃を与えた。
まるで「人格や適性を評価する余裕などない」と言わんばかりの選抜方法である。
レイの試験は強烈なメッセージとなり、全国の秀才たちを震え上がらせた。
人格や礼儀ではなく、ただ戦う覚悟があるのかどうか。
命を懸ける覚悟がない者には、最初からこの門を叩く資格がないとでも言うように。
☆☆☆
これほど理不尽な人間が存在するとは。
ルイスは目の前で殺気立つレイを正面から見据え、胸の中でそう呟いた。
辛うじてたじろぐ気持ちを抑え込み、冷や汗が背中を伝うのを感じる。
この女は問答無用で瞳術をかけて、意識を迷宮に閉じ込め、その術を解いたら、なぜ解いたのかと咎めてくる。
そんな馬鹿な話があるか。
「その目……あなた、瞳術の心得があるの?」
レイの赤い目が鋭くルイスを見据え、次の瞬間、黒い瞳に戻って問い直してきた。
彼女の声には冷たさが混じっていたが、何か興味を引かれたような様子も伺える。
「どうじゅつ?」
ルイスは首を傾げた。
その言葉の意味すらわからない。
魔法に関しては自信がある方だったが、そんな技術を身につけた覚えはない。
「知らん」とルイスは一言で答えた。
それ以外にどう言えばいいのか思いつかなかったし、そもそも瞳術が何を指すのかさえ理解していないのだから、無理もない話だ。
レイは考え込んだ。
生活魔法と同じように、スキルと呼ばれる肉体に備わった力も、努力次第でいくらでも引き伸ばすことができる。
魔力を引き伸ばせば、魔法使いになれる。
スキルを引き伸ばせば、職人から商人、戦士から剣士、何にでもなれるのだ。
スキルは一人にひとつ与えられ、目利きを鍛えれば職人や商人として大成できるだろう。
しかし、自分のスキルに気がつかず一生を終える者も多い。
例えば、リカルド・カザーロン将軍は肉体強化に特化している。
ただし、元々の肉体が弱ければ、肉体強化魔法をかけても下手をすれば大怪我や死亡事故に繋がってしまう。
真の一流になるためには、ひたすら鍛え上げるしかない。
瞳術はヴァンパイアや半神半獣など、不死身の魔物が持つ高度なスキルだ。
推測するに、その希少スキルをこの少年は街の喧嘩くらいにしか使ってこなかったのだろう。
そう考えると、レイが仕掛けた迷宮をクリアできたのも、少年の持つ瞳術によって行く道を探り当てたからだと推察できる。
「いいわ。あなたには才能があります」
さっきまで少年を捻り殺さんばかりの勢いであったレイが、突如として豹変した。
彼女の口元には、これまでの鋭さが消え、興味深げな笑みが浮かんでいる。
ガヴィーノには、その変化の理由がわかっていた。
レイは下らぬ思い込みなど、事実がわかれば即座に撤回できるタイプなのだ。
これが彼女の強みであり、彼女がこの少年に注目する理由でもあった。
「あなたには、私たちが求めている覚悟があるかもしれない」
レイの言葉は、まるで新たな希望を見出したかのように少年へ響いた。
「これは私なりの合格証よ」
レイは手首からブレスレットを外し、ルイスに渡した。
「今はブレスレット型になっているけど、正式名称は”虚飾の魔杖”。何百年も前の田舎貴族が封じられている、歴としたS級魔具――」
「待ちなさい。それは君の故郷で騎士団長から贈られた宝物じゃないか」
ガヴィーノは驚愕の声をあげた。
「だからです。先生。この魔具は瞳術と極めて相性がいい。早いうちから馴染ませておけば、彼は爆発的に伸びるでしょう」
レイの言葉は、少年が新たな未来を切り拓くような確信に満ちていた。
「魔杖のなかの田舎貴族は、ここで教鞭もとっていたみたいだから、気に入られれば色々教えてくれるかもね」
戸惑いと興奮が入り混じり、果たしてこの魔具は本当に自分の力になり得るのか、それとも自分をさらに追い込むことになるのか。
ルイスは自分の未来がどこに向かうのか、期待を抱かずにはいられなかった。
お読みいただきありがとうございました。
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