71話 いちばん昏い夜 3
「実はね。僕が火魔法の大権威になったっていっても、専門家なんかじゃないんだ。できるのはせいぜい生活魔法のレベルだよ」
モニクは肩をすくめて、舌を出しながら軽い口調で言った。
それを聞いたゾーエは呆れた様子でため息をつき「まったく、変わってないわね」と苦笑する。
モニクは笑って応じた。
「まあまあ、心配しないで。僕が引っ張ってきた有能な研究員たちがいるから、ゾーエの研究は進められると思うよ。行き詰まってるところもあるだろうし、試してみる価値はあるんじゃない?」
ゾーエは軽く頷いて「ありがとう。助かるわ」と返した。
☆☆☆
「あの――」
レイが困惑した顔でモニクに話しかける。
「ああ。ゴメン。混乱しているだろうね。けれど、君の出生は僕らの国コキュートスに深く根ざしている。君の血筋は、十三王家に連なる零落した貴族のものだ。つまり、地上で忘れ去られた亡国の末裔ってわけさ」
「コキュートスは、ルスガリア北部のヴェルゴラス荒原地下に広がる神秘的な世界だよ」
「やはり――北部荒原に広がる地下世界の噂は本当でしたか」
レイが言った。
目の前に立つモニク・バローの存在感と、強烈な個性。
黙っていても溢れ出す魔力が、彼女の言葉に絶対的な説得力を与えている。
レイは真っ直ぐにモニクを見つめながら、穏やかに言った。
「私は自分の出生にあまり関心はないんです。薄情かもしれませんが、育ててくれた両親が本当の親だと思っています」
モニクは少し微笑みながら、言葉を選んで話し始めた。
「君たちが僕らの国――まあ、正式には国として認められてはいないけれど――コキュートスをどう思っているか、興味があるね。きっと、魔界という言葉がまず頭に浮かぶだろう? 終わりのない暗闇、悪魔の住まう地、絶望に満ちた世界……そんなところかな?」
深紅の瞳が少し遠くを見つめるように揺らめく。
「でも実際には、ただの地下世界さ。確かに厳しい環境で、地上は灼熱の大地だ。いくつもの王家が争ってきた歴史もある」
モニクは肩をすくめ、軽く笑った。
「今の王家も権力を握るまでの抗争は、随分と激しいものだった。君の家も、残念ながらその権力闘争の犠牲になった口だろう」
少し間を置き、モニクの表情が柔らかくなる。
「でも、君がその中で生き残り、地上に出て両親に恵まれ、さらにはこうして大権威にまで登りつめたのは、まさに奇跡としか言いようがない。普通なら、あの抗争の中で消えてしまうところだったんだから」
☆☆☆
「問題は今、コキュートスで起きている独立問題だ。ルスガリア政府もコキュートスをおとぎ話の世界に止めておくことはできなくなっている」
モニクの言葉は、静かにしかし重く響いた。
彼女の眼差しは真剣そのもので、今がどれほど危険な状況であるかを物語っていた。
「コキュートスで、近いうちに大政変が起こるだろう。僕は独立派の人間だから、それを承知で聞いて欲しい――戦争が起こるかもしれない」
その瞬間、ゾーエとレイの顔色が一気に変わる。
緊張感が部屋を包み込んだ。
「それは、内乱という意味でしょうか?」
レイが声を震わせながら訊ねた。
「僕ら独立派は暴力的な政権交代を訴えているわけじゃない。でも、そんな政権をルスガリアが承認するだろうか?」
「絶対にあり得ないわ」
モニクの問いかけに、ゾーエは断言した。
「僕が調べたかぎり、現状、ルスガリアも相当揺らいでいるね。保守派、革命派と別れてバチバチにやり合ってる。それにコキュートスの独立問題まで出てきたら――」
「あの、待って下さい。お話を訊く限り、現時点での選択が分水嶺になってきます。我々はどうしたら?」
「流石に修羅場を潜ってきたことはある。レイくんは頭の回転が早い」
「問題点を二つに絞ろう」
モニクは、状況を整理しながら問題点を二つに絞った。
「第一。ルスガリアでも起こっている魔王の遺物争奪戦。これは、僕らの国でも起こっている」
「というと?」
ゾーエが興味を持つ。
「僕の五代前、ダンテ・ベルゼブルはコキュートス統一を果たした魔王だった」
「魔王?? モニクさんのご先祖さまが?!」
レイが目を見開いて驚愕する。
「僕の本名はカサンドラ・ベルゼブル。現在の、三大王家のひとつ。独立派の旗頭だ」
「ただ、ご先祖さまが宿った魔王の遺物は我が家にはない」
「ではどこに?」
「君たちから見ると、かなり歪な形での国家だろうが、遺物は筆頭王家が持つことになっている。最大の国宝なんだ」
レイは一瞬、考え込むように黙った。
「第二。ルスガリア、コキュートス両国にまたがる秘密組織。これが遺物の独占を狙っている。しかも、両国の重要人物や王侯貴族、政治家、官僚、宗教家、騎士、なんでもありだな」
「そんな危険な組織を聞いたこともないなんてあり得るでしょうか?」
レイが疑問を口にした。
「コキュートスの存在自体を隠蔽しようとする政府だぜ? 危険とはいえ、一組織の情報操作くらいわけはない」
「ベルゼブルさんはどこまで調べて?」
レイが訊ねた。
「モニクでいいよ。組織名は”九焰議会”。魔人どもの巣窟だ」
「九焰議会……」
レイはその名を呟き、思考を巡らせる。
「情報を集め、連携を深めることから始めよう。まずは味方を増やすことが重要だ」
モニクの言葉に、レイは強く頷いた。
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