68話 真層時代 9
元水魔法研究所に足を踏み入れたビクトル・マッコーガンは、かつての面影がほとんど残っていないことに気がついた。
先月まで水魔法の大権威であったフォマ・アウロフの医学研究所は、すっかり様変わりしていたのである。
新たに水魔法大権威の座に就いたセリナ・リベーラの手によって、研究所は大胆に刷新され、民間企業との提携で新しい施設が建設中だった。
数世代に一度、凄まじい勢いで世界を変えようとする世代が現れることがある。
セリナやレイの世代がまさにそれであった。
彼らは既存の枠組みを守ることには関心が薄く、むしろ前時代の研究所を取り壊してでも新しい技術を推進することに情熱を燃やしていた。
昔ながらの研究者たちはその変化を無礼だと非難したが、ビクトル自身もまた、邪神の討伐でセリナと行動を共にするまでは同じように感じていた。
しかし、今は理解していた。
この世代にとっては、国が危機に瀕している状況で成果を出すことこそが最優先であり、過去の栄光にしがみついている暇などないのだ。
彼らの焦燥感や切迫感は、平和の中でのんびりと研究に勤しんできた世代には到底理解できないだろう。
いや、理解してもらおうとも思っていないのかもしれない。
年寄りに理解を求める前に、結果を出した方が話が早い。
そう考えている世代なのだから。
「チョリ~~ス! 雷爺ちゃん!」
突然の元気な声に振り返ると、白衣を着たセリナがいつも通りヘラヘラ笑いながら、こちらへと駆け寄って来る。
「見てくださいよ、これ!」
案内された室内には奇妙な装置が鎮座していた。
「なんじゃこれは?」
「セリナちゃんの人魚シルエット付き、全自動水魔法洗濯機でええええす!」
その奇抜な名前に、ビクトルは思わず眉をひそめた。
「せんたくき、じゃと?」
セリナの人魚シルエット付き、全自動水魔法洗濯機は、一見すると装飾的な彫刻が施されたアートピースのように見えた。
淡いブルーのボディには滑らかな曲線が描かれ、光の当たり具合によって水面が揺れるように反射している。
前面には透明な魔法強化ガラスの扉があり、円形の窓の中で魔法の水流が渦を巻く様子が見える。
扉の上部には、人魚の優雅なシルエットが刻まれ、細かな鱗の模様が彫られていた。
シルエットは青と銀の魔力で淡く輝き、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
洗濯機の内部は、魔法で生成された水流が衣類をやさしくも力強く洗浄する仕組みだ。
魔力で制御された水の渦が衣類の隅々まで浸透し、汚れを落とす。
その動きはあたかも人魚が泳ぎながら水を操っているかのようであり、セリナのデザインセンスが光っていた。
魔石が随所に配置されており、これによりユーザーは洗浄モードや水温、時間などを簡単に調整できる。
さらに、洗濯機には乾燥機能も備わっており、水を魔法的に蒸発させることで、衣類を短時間で乾かすことが可能だ。
操作パネルにはセリナの手書き風のサインが刻まれ、彼女がこの製品に込めた情熱とこだわりが伝わってくる。
「 今までは生活魔法を使って洗濯をしていましたが、これからは違います。午前中に洗濯だけで魔力を使い果たして疲れ果てる生活なんてもう終わりです! 新しい生活様式を提案しているんですよ! 私は!」
ビクトルは洗濯機の動作を観察しながらうなずいた。
「ほう……」
「別売りの洗剤と水を入れるだけで、あら不思議! 内蔵された、水魔法でグールグル。キレイに洗い上げちゃうんです!」
「魔力は使わんのか?」
「使いません。魔力を持たない人種だっていますからね。そういう人たちにとっては、掃除や洗濯の家事が重い負担になっているんです」
若い世代の発想に、ビクトルは思わず苦笑いを浮かべた。
この世代は、魔法の存在しない生活を見据えた実用的な視点を持っている。
確かに、自分たちの時代にはなかった考え方だ――それが、彼らの時代を切り拓いているのだと実感させられた。
☆☆☆
「おう。体の具合はどうだ? 雷オヤジ!」
軽快な声が響き、ビクトル・マッコーガンが振り向くと、暁月剣禅が数人の供回りを連れてこちらへと向かってきた。
「ああ。もう大丈夫だ。そんなことより、剣禅よ。見たか、コレ」
ビクトルは先ほどの洗濯機を指さしながら興奮気味に言った。
「ははは。凄いだろ。ウチの師団は、すでに導入を決めたぞ。今日は次の魔具開発出資について話し合いに来たんだ」
剣禅は我がことのように自慢気に言った。
「そうなのか?」
ビクトルは驚き、眉をひそめた。
「サン・アンジェロスで邪神の分身体が暴れて砦を粘液で、めちゃくちゃに汚して辟易しただろう? それを、前より綺麗にしちまったセリナが開発したんだぜ? 粗悪品を開発するわけがない」
剣禅の口調には、セリナの実績に対する信頼がにじんでいた。
「少し寝込んでいる間にどんどん年寄りを置いていくのお――いや、今日は洗濯機の話じゃない。場所を変えるか?」
ビクトルが鋭い目でギョロギョロと周りを見回す。
剣禅は笑って「いや、かえってここで話した方が良かろう」と言った。
「あんたが寝込む前に調査依頼した件だろう?」
「ああ。お前のトコの忍者軍団なら信用できる」
「恥ずかしい話だが、騎士団も一枚岩じゃない。王宮騎士団の聖騎士長が保守派から転向したという件――噂は事実だ」
剣禅が苦々しい顔で言う。
「確かなのか?」
「ああ。烏丸からの報告だ。今月に入ってからもう何度も、枢機卿ジョエル・ヴァルターと聖騎士長バジャルド・オスナは密会を開いている。しかも――」
剣禅の言葉に、ビクトルの目には鋭い光が宿った。
「怪しい連中と連んでいるとの報告もあった」
「おのれ、あの裏切り者め……」
ビクトルは、怒りが沸騰しそうになるのを感じた。
「バジャルドも耄碌したもんだ。王宮騎士団長が改革派に加担するなんて、背信行為だろうが」
「竜騎士団のリカルド・カザーロンはどうだ?」
ビクトルは焦燥感を抑えきれずに問う。
「う~ん。正直なところ、わしとしてはあのおっさんに矢面に立ってほしいんだがな……」
剣禅が頭を掻いて言う。
「堂々と情けないことを抜かすな!」
ビクトルは思わず声を荒げたが、剣禅は冷静だった。
「ははは。しかし、リカルド将軍まで敵に回したら、もう保守勢力に勝ち目はなくなる。騎士団内の人気を考えれば、バジャルド派とリカルド派で既に対立構造ができかけているからな。あとはリカルドのおっさん次第ってところだろう」
そのとき、ふと割り込むように別の声が響いた。
「あの~、何のお話か知らないですけどぉ」
二人が振り向くと、セリナがにこやかに笑って立っていた。
「リカルド将軍なら、レイレイと仲良しさんですよぉ」
「レイレイ?」
ビクトルは少し戸惑い、頭をひねった。
「黒魔法の大権威ですよぉ」
セリナはニコニコと答える。
「レイ・トーレスのことか?」
剣禅が手を叩き、ビクトルが呆れたようにため息をついた。
「愛称で呼ばれて分かるわけがあるか、バカモン!」
「あはは~! お元気そうで良かったです~!」
セリナは楽しげに笑いながら、忙しそうに研究所の奥へと消えていった。
「なあ、爺さんよ。七大権威、セリナで大丈夫なのかあ?」
剣禅は少し不安そうにビクトルを見た。
「まあ、ああ見えても、改革派に懐柔されるようなことは――あるかもしれんな……懐柔されたら、どうしよう?」
ビクトルは不安そうにセリナが消えていった研究所を眺めていた。
☆☆☆
「策があると烏丸に訊いたが……どうするつもりだ? 正直、わしにもここから保守勢力が盛り返すことは難しかろうと思う」
「――ああ。今、風魔法の大権威が空席だということは知っているか?」
「いや、知らん。そうなのか?」
剣禅は少し驚いた様子で、眉をひそめた。
ビクトルは小さくうなずいた。
国によって重要視される魔法系統は様々である。
人気のない魔法系統は一つや二つあって当たり前だともいえるのだ。
魔法国家ルスガリアで、人気を二分するのは白魔法と黒魔法であり、ほとんどの高等教育を受けた者がそのどちらかを選択するのが常になっている。
それでも、若くして凄まじい競争を勝ち抜き、大権威にまで上り詰めたレイ・トーレスのような天才もいる。
「鷹松右近を貸せということだったな?」
剣禅が問うと、ビクトルは首を振った。
「違う、親父のほうだ」
「なに? 左近だと? あんなもんをどうするつもりだ?」
剣禅は疑問の色を隠さずに訊いた。
「あんなもん言うな。左近のヤツ、風魔法は得意じゃったろうが」
「いや、待て。得意と言われればそうだが、基本以外はほとんど自己流もいいところだぞ?」
「うむ。それでもいい。鷹松左近を風魔法大権威として推薦することにした!」
ビクトルは自信満々に言い放ち、剣禅は呆然として声をあげる。
「は? 大権威? 研究者でもないのに? いや、待て。無理だ。無茶苦茶だ!」
「私はやるぞ!!」
ビクトルは輝くような瞳で空を見上げて言い放つ。
「話を聞け! クソジジイ!」
剣禅が怒鳴ったが、ビクトルはどこ吹く風で、爽やかに笑ってみせた。
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