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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第四章 怠惰な王冠
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66話 真層時代 7

 早世したアメリア・マッコーガンが手掛けた中庭には、美しい観賞用の木々や色とりどりの花々が揺れ、朝の柔らかな光が差し込んでいた。


 その静かな風景の中、老婦人が落ち着いた様子でお茶を楽しんでいた。

 彼女は細身のカジュアルなスーツに身を包んでいた。


 緩やかなローブを羽織りつつも、彼女の知的で鋭い雰囲気を一層引き立てている。

 グレイの髪と、まっすぐに伸びた背筋から、彼女の風格が見てとれた。


 首筋にはシンプルな魔具のペンダントが輝き、腕元には細いブレスレット型の魔具が控えめに輝いていた。


 季節の木々と花々が、穏やかな風に揺れ、空気に華やかな香りを漂わせている。

 この庭は、家族ぐるみでの親しい付き合いをしていた老婦人にとっても、心の安らぎを感じる場所だった。


 その瞬間、二階から雷撃が炸裂し、建物が軽く震えた。

 しかし、老婦人は一切動じることなく、カップを手に持ったまま、庭に咲いた花に視線を向けたまま微動だにしない。


 二階で炸裂した雷撃が広大な屋敷全体を揺るがし、窓がガタガタと音を立て、壁の一部が小さく音を発ててひび割れた。

 改築を繰り返し、まるで要塞のようになった二階部分ですら、今朝の爆発には少し怯んだ様子である。


 ダニエル・マッコーガンは、三十年もの間、家の二階に引きこもり、彼が自らの手で改造を続けるその部屋は、今や要塞と化していた。


 彼の父、ビクトル・マッコーガンは、朝の挨拶代わりに息子の部屋に向かって雷撃をぶち込むのが常であり、その度に二階で爆発が起こるのも、変わらぬ朝の光景なのだ。


 親友のアメリアが亡くなった後も、家族ぐるみでの付き合いをしてきたゾーエ・バルリオスにとって、この中庭は最も落ち着ける場所だった。


 手入れをしてきたアメリアの愛情が庭の隅々にまで感じられ、まるでこの庭自体が彼女の静かな強さを映し出しているかのようだった。


「勇者さまが、お目覚めかしら」

 ゾーエは長い足を組んで執事に問う。


 執事も慣れたもので、日常の一部である、二階の騒ぎには一切反応を見せない。

「そのようでございますね。お茶のおかわりをお持ちしましょうか、総長」


 執事が控えめに声を掛け、既にその行動に慣れきっていることが伺える。

 ゾーエは軽く頷き、再び二階を見上げることなく、ふっと微笑み「お願い」と言った。


 ☆☆☆


 ビクトル・マッコーガン――彼は、ガキ大将がそのまま老人になったような人物だ。

 何歳になろうともその荒々しさは衰えず、誰に対しても遠慮を知らない。


 老若男女問わず、気に入らなければ怒鳴り散らすのが常。

 根っからの研究者である彼は、フィールドワークに出れば、帰って来ないことも多く、時には邪神と戦い、瀕死の状態で戻ってくることさえあった。


 ビクトルにとって、喧嘩の相手は誰であろうと関係ない。

 騎士であろうが、王であろうが、邪神であろうが、すべて同じだ。

 彼の存在そのものがまるで制御不能な存在であり、危険物なのだ。


 若い頃からビクトルは、なにひとつとして変わらない。

 アメリアからビクトルと一緒になると告げられた時に、頭を抱えた日のことは今でも覚えている。


 後に火魔法の七大権威にもなったゾーエ・バルリオスと、ビクトル・マッコーガンの決闘は今でも人々の語り草となっているらしい。


 ☆☆☆


 少ない髪に静電気を纏わせて、ビクトルが「おう。来とったのか」と言って中庭へ出てきた。

「とんでもないことになってるわよ」


 挨拶もそこそこに、ゾーエはビクトルに切り出した。

「なにが?」


「あんたね。邪神を倒したでしょうが。大学にも、王宮から、近隣諸国からの問い合わせまで、引っ切りなしなんだから。暁月剣禅とビクトル・マッコーガンが、今や世界一の勇者として認識されているのを知らないの?」


 ビクトルは少しの間を置いて「知らん」と短く答えた。

 彼の関心事は別にあるようだ。


「イサーク。腹が減って死にそうだ。朝食を頼む」

「かしこまりました」と執事が下がって行った。


 数分後、執事イサークが持ってきたのは、山盛りの朝食だった。

 卵にベーコン、焼き立てのパン、そしてフルーツがふんだんに盛り付けられている。


 それを見たビクトルは、まるで世間の騒ぎなどないかのように、紅茶を一口含んでから、目の前の料理を、猛烈な勢いで食べ始めた。

 豪快に食べる様は、彼がよく喩えられる獰猛な虎そのものだった。


 そう。

 この男にとって、世間の騒ぎなど、長い喧嘩が終わっただけにすぎないのである。


 ☆☆☆


 ビクトル・マッコーガンは、半世紀に渡り、決して主流派に属することのない男であった。


 邪神ノクス――海岸線を埋め尽くすほどの海獣を従え、暴れまわるその存在は、もはや自然災害の一部と見なされていた。

 近隣諸国にしても、もはや邪神ノクスはどうしたら良いのかわからぬ不可侵の天災であったことに変わりはない。


 人々はそれを「手に負えない天災」として受け入れ、対抗する術など思いつかなかった。

 ノクスを見た者にとっては、戦うという発想自体が現実味を帯びないものだったのだ。


 研究者たちは邪神の動向を観察し、周期や条件、危険水域の特定に努めた。

 いかに隙を突いて漁獲量を確保し、商船を出せばいいのか。


「どうすれば倒せるか」というのは議題にすら上がらぬ。

 ほぼ全ての人類が、不可侵の天災として邪神を扱い、それが常識と化していた。


 ゾーエの目の前で山盛りの朝食を豪快に貪る、この男以外は。

 この闘争心の塊のような男にとって、主流派に属することなど問題ではない。


「邪神だろうが何だろうが、戦って勝つしかない」とビクトル・マッコーガンは言い続け、実際にそれを成し遂げてしまった。

 常識を遙かに逸したその勇気は、周囲からは狂気と紙一重に見られていたが、ビクトルにとってはただ「当たり前」のことだったのである。


 ☆☆☆


 邪神の脅威を、一夜にして解決してしまったことは、しばらくの間、事実とは受け止められていなかった。

 それほど現実味のないことだったのだ。


 大規模な軍を動かすことなく、三個師団は無傷のまま。

 実際に戦ったのは一人の剣士と、老齢の研究者のみ。

 これを信じろという方がどうかしている。


 ところが、調査の結果、それが事実とわかると、天地がひっくり返る騒ぎになった。

 半世紀の間、進まなかった開発事業が次々に持ち上がり、なによりも住民の安心が保証されたのだ。


 ビクトル・マッコーガンと暁月剣禅は、今や、世界中で最も有名な勇者となっている。


 気の早い国では、すでに演劇や小説が手掛けられ、絵画のテーマや取材依頼は引っ切りなしになっていた。

 それを、この男は「忙しい」の一言で、いつもの雷を落として追い返している状態である。


「暁月剣禅の方は上手くやっているわよ。あなたも少しは愛想ってものを身につけたら?」


「うん。ゾーエよお……」

「食べながら喋らない。よく噛んでから喋りなさい」とゾーエは言った。

 いつまで経っても、ビクトルは子供と変わりがない。


「真層時代が来たぞ」

「は?」

「邪神がなあ……最後は魔王階層に至りおった」


 その言葉を聞いた瞬間、強靱な精神力を誇るゾーエが目に見えて動揺した。

「――なんですって? それじゃあ、あなたたちが倒したのは……」


「うん。魔王」

 ゾーエは反射的に起ち上がっていた。


「奴め。ほんの僅かだが、真層に到達しおったのよ」

 ビクトルはなにがおかしかったのかガハハと笑った。


 歴史的に「魔王階層」に至った者が現れると、それを引き金に、更なる災厄や魔王が現れることは専門家であればよく知られている事実である。

 真層時代とは、その混迷期を指す専門用語だ。


 それを、この男はパンを噛み千切りながら宣言した。


「真層」とは、単に魔法の強さだけではなく、空間や時間すら歪ませ、現実を根本から変革してしまうほどの力を持つ者が支配する階層である。

 あらゆる法則を無視し、破壊と再生を同時に引き起こすような存在の象徴。


 真層に触れることは、「現実の崩壊」や「秩序の崩壊」を伴う危険を孕んでいるため、あえて誰も触れたくない、もしくは恐れられている階層でもある。


 これは、人類がかつて経験したことのない規模の災厄を招くことから、その存在自体が歴史の深層に封じ込められ、禁忌とされていた。


 真層に到達した者は、すべての「法則」を無効にできる存在となる。

 真層とは「究極の危険地帯」かつ「未踏の領域」なのである。


 ビクトルは紅茶をガブガブと飲んで、イサークを呼んだ。

 そして、さっき平らげたものと同じものを頼んだ。

 ゾーエは、また決闘でも挑んでやろうかと思った。

 お読みいただきありがとうございました。

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