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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第四章 怠惰な王冠
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63話 真層時代 4

 大地が軋み、空が悲鳴を上げる。


 ノクスの影が広がり、その存在は星々をも呑み込まんばかりに膨れ上がった。

 黒い霧のような禍々しい闇が、空から地上へと降り注ぎ、世界そのものが闇に覆われていく。


 地面が激しく震え、空は割れんばかりの轟音を放ち、まるでこの世の終わりを告げるような圧倒的な威圧感が周囲を支配していた。


 ノクスは嗤っていた。

 勝利を確信したその顔は、まさに絶対的な悪意そのものだった。


 そんな禍々しい闇の中から、突然、剣禅が弾かれるように浮上した。

 剣禅の全身は電雷のオーラに包まれており、まるで雷獣そのものが宿ったかのように輝いている。


 剣禅の口元から、憤怒のごとく荒々しい呼気が漏れ出ると、背中に背負ったビクトルの手からも霊獣が放たれ、彼と一体化した。


 ――第十階層禁術 雷獣憑依 倍掛け。


 剣禅の身体に纏わりついた電流がさらに増幅し、彼の速度は一瞬で神速へと変わった。

 ビクトルは冷静に、だが確信を持って言う。


「いくら邪神といえども、今の剣禅の速度は目で追えぬ」


 剣禅は、稲妻のように縦横無尽に駆け抜ける。

 刃が空を斬り裂き、雷鳴と共に一閃一閃がノクスの巨体を抉り取っていく。

 剣禅の動きはまるで風そのもので、光速を超えた速度に肉眼では捉えることができなかった。


 しかし、ノクスは嗤いをやめなかった。ノクスは冷徹な声で言う。


「――無駄だ。余はすべての事象を呑み込む。混沌の魔王」


 剣禅の斬撃がいくら鋭かろうと、ノクスの肉体はその傷口をすぐさま飲み込み、再生を始めていた。

 攻撃しただけ、ノクスの力はますます強大になっていく。

 現にもうノクスの肉体が先ほどの電流を放出し始めている。


 ――お前みたいな奴は、千年前にもいた……らしいがね。


 突如、冷静な声が空間を貫いた。

 それは剣禅の持つ「怠惰な王冠」に宿るラザロ・リヴァイアサンの声だった。

 ノクスの邪悪な瞳が僅かに揺れた。


「――誰だ? 貴様?」


 ――王冠のなかの魔王と言えばわかるかな? 海賊だとか、怠惰な王冠だとか、酷い二つ名だけど……まあ、そういうふうに呼ばれてる。


 ☆☆☆


 ――不死者の下級に位置するヴァンパイアから、中級に属する竜人ドラゴニュート、さらに上級のドラゴン……そして、お前のような神話級の怪物まで。


 普通なら、神話級の邪神が現れた時点で、世界は崩壊の一途をたどる。

 文明は滅び、種は絶滅する。

 すべてが命を喰い尽くされ、終わりの見えない地獄が続くだけだ。


 だが、絶滅を防ぐシステムがたった一人、大天才の出現によって確立された。

 それが、真層に至った者――魔王という奇跡。


 善悪の問題ではない。

 僕たち魔王の真の存在意義は、人類滅亡を阻止する最後の防波堤となることにある。


 さあ、見せてやるよ。

 偉大なる魔法使いの母、豪傑女帝ベアトリス・ベルフェゴールが、不死身の邪竜王、超変異体ヒュドラをその命と引き換えに葬った、人類の最終手段を。


 魔法階層は実に六十階層に匹敵する――これは、人類が初めて成し遂げた神殺しの業だ。


 ――真層第三階梯 魂断ノ鎖(こんだんのくさり)


 この禁術は、対象の魂と現世の繋がりを断ち、永遠に輪廻転生させず、存在そのものを消し去る。


 完全なる消滅――どんな再生の力も、この術には通用しない。

 物理的な攻撃や魔法とは一線を画す、恐るべき存在根絶の呪いだ。

 不死身の敵も、魂に力を依存する敵も、この禁術の前では無力となる。


 ラザロが低く囁くように唱え始めると、周囲の空間が歪み始めた。


 不可視の鎖がノクスの魂に絡みつき、決して逃れることのできない重圧を感じさせる。

 その鎖は物理的なものではなく、魂そのものを捕らえ、現世との繋がりを完全に断ち切る。


 その存在は、永遠に消え去り、輪廻の輪に戻ることはない。

 どれほどの力を持つ者であろうと、この禁術からの再生は不可能だ――


 ☆☆☆


 目に見えない鎖が空間に現れ、ノクスの肉体と魂を絡め取り始めた。


 輪廻転生を封じ込め、存在そのものを消滅させる。

 ノクスにとって絶対的な終焉を意味する禁術――であるはずが、ノクスは再び不吉に嗤った。


 大地を裂き、空を焦がす禍々しい闇の中、ノクスの影が次第に広がっていく。

 星々をも覆い尽くすほどの圧倒的な存在感は、希望を呑み込む絶望そのものだった。

 周囲は静寂に包まれ、ただ狂気的な笑みを浮かべるノクスの姿が浮かび上がっていた。


 その瞬間、ラザロの声が静かに、だが確かな決意を込めて響き渡った。


 ――ビクトルさん、暁月さん……


 ラザロの言葉は重く、悲しみを帯びていた。

 剣禅の身体を借りて、街を見下ろすと、瞳が光る。


 かつてこの街には僕が守りたかった多くの人々がいた。

 今はすでに誰もいない――けれど、その想いは決して消えることはなかった。

 ずっとずっと。


 ――この街には、僕の大切な人たちが眠っているんだ。


 ビクトルと剣禅は静かにラザロの声に耳を傾けた。

 彼の言葉には何か懐かしさと同時に、抗い難い哀愁が漂っていた。

 この世界が滅びかけても、忘れられることのない記憶がそこにあった。


 ――とっくに、魂は消え去っているかもしれない……でも、大切なんだよ。たとえ影だけが残っていても、その痕跡が失われることはない。


 ラザロの声にこもる悲しみと決意が、彼の過去を垣間見せる。


 滅びた街、かつて愛した人々――すべてが無に帰すかのような絶望の中で、ラザロはその場を離れることなく、ただ一人、その記憶を抱き続けていたのだ。


 ラザロの記憶に浮かぶのは、かつて賑わいを見せていた街の光景だった。

 大通りには市民の笑い声があふれ、行商人たちの呼び声が絶えなかった。

 街角では子供たちが遊び、大人たちは夕暮れの風に吹かれながら談笑している。


 何人もの月読みの巫女たちが大神殿で海に向かい、静かに祈りを捧げていた。

 波の音に混ざるその祈りの声は、まるで街全体を包み込む祝福のように、穏やかな時を刻んでいた。


 穏やかな日々が続いていたあの頃。

 ラザロは民衆を護るため、次々と起つ魔王たちと激闘を繰り広げていた。


 しかし今、目の前に広がるのは沈んだ都市。

 あの活気に満ちていた街は影をひそめ、死のような静寂が支配している。


 巫女たちの祈りは消え、かつての輝きはノクスの禍々しい闇によって覆い尽くされた。

 街が息をしていた日々は、まるで夢だったかのように遠ざかり、現実にはただ荒廃と絶望が横たわっている。


 ラザロの心の中で、巫女たちの祈りの声が遠く微かに響いていた。

 その声は、過去の残響なのか、それとも今もどこかで祈り続ける者がいるのか。

 わからない。


 それでも、ラザロはその声に耳を傾けた。

 彼が守り抜こうとしたもの――人々の笑顔、平和な日々、そのすべてが失われようとしている。

 思い出が薄れ、足元に崩れ落ちる感覚に、胸の奥から深い悲しみが湧き上がってくる。


 ――この街を……お前は、あの人々の魂を穢すのか……


 ラザロは低く呟いた。

 かつて、戦い続けて守ってきた街、そして、そこに生きた掛け替えのない無数の魂。

 その思い出が、ノクスによって踏みにじられる。

 ――その胸の苦しみが剣禅とビクトルへと伝播していく。


 ラザロの中に渦巻く絶望と怒りが、祈りの声が遠く響いた。


 ノクスの影が一瞬、揺らいだかのように見えたが、その不気味な笑みは消えなかった。

 魂断の鎖に繋がれて尚、混沌の魔王へと変貌を遂げた邪神には余裕があった。


 まだだ。

 まだ喰えるぞ、と。


 剣禅の背中から降りたビクトルは静かに息を整える。


「魔王ラザロ……お前の想いは受け取った」

 ビクトルは更に剣禅の背中に雷獣憑依を掛けていく。


 帯電する稲妻は、すでに許容範囲を超えて、バリバリと髪の毛を逆立たせていた。

「行け。剣禅。どこまでも駆けろ。今のお前に斬れぬものなど、なにもない」


 ――この街を――僕らが生きた誇りを守ってくれ!


 ラザロの声は低く、力強く、そして優しかった。

 それは何度も失った者の、そして何度でも立ち上がった者の声。

 剣禅に向けられたその言葉が、祈りが消えた静寂の街の上に降り注ぐ。


 そして、侍は一瞬の閃光となった。

 お読みいただきありがとうございました。

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