54話 怪物たちの海 12
「私の親友が半竜化しましてえ」と、セリナが軽く笑いながら言った。
「理論上不可能だと思ってたんですけどねえ。でも、竜はさすがにリスクがありすぎます。けど、先祖返りくらいなら階層レベル上位者ならイケる気がしたんでえ」
周囲の冒険者たちは混乱の中、半獣化が進行していく。
それを見て、セリナは手を叩きながら声を張り上げた。
「みなさ~ん! 半獣化は半分で止めてくださ~い!」
「ど、どうやって止めるんだ?」と焦った声が響いた。
セリナはニッコリと笑って答える。
「根性で!」
冒険者の一人が叫んだ。
「無理だよ!」
「平気で袖の下貰えるゲス根性見せてくださ~い!」と、セリナが高笑いしながら叫ぶ。
「なんて嫌な女だ!」
「ちくしょう!」
冒険者たちから次々に恨み辛みの声が上がり、その場は混沌とした怒りに包まれた。
呆然とその光景を眺めていた李が、ようやく口を開く。
「そんなコト言いながら、あなたは魔具を着けてないんデスか?」
セリナは笑顔を崩さず、肩をすくめて答える。
「もちろん着けてますよお。魔具の大権威ビクトル・マッコーガンがほぼ全改造施した、魔具“人魚の腕輪”で~す!」
セリナが宙返りを決めた瞬間、周囲の時間がゆっくりと流れ出すように感じられた。
だが、それは目の錯覚ではなかった。
セリナの体は本当に空中に留まり、宙に漂っていた。
水魔法が空中に薄い膜を張り、その中をセリナはまるで泳ぐかのように滑らかに動く。
その間、セリナの服が少しずつ裂け、下半身は透き通るような美しい魚の姿へと変わっていった。
鱗が光を反射し、まるで水面に映る幻影のように揺らめいている。
見る者を魅了するその姿に、周囲は一瞬息を呑んだ。
両腕を白鶴の翼に変えた梅鶴がその光景を見つめ、優雅に微笑みながら呟く。
「なんと――これは、麗しい」
「ウエエエエエイ!! 人魚形態、セリナちゃんでええす!」
セリナは歓声を上げながら、空中を自在に泳ぎ回っていた。
その動きはまるで本物の人魚のように滑らかで、華麗に尽きる。
周囲の者たちがその姿に圧倒される中、セリナは全身から放たれる光で一層の存在感を放っていた。
一方、李はその様子を見て肩をすくめ、半ば諦めた表情を浮かべた。
「アイヤー、こりゃワタシの手には負えまセンねえ……」
彼はピアスに軽く触れ、軽やかに叩く。
振動が魔具を通じて伝わり、微かな共鳴音が響く。
「聞いてマシた? ちょっと加勢して欲しいのデスが――」
李の声には緊張感こそなかったが、確実に後ろ盾を呼び出そうとする意図が込められていた。
「じゃあ、私もここら辺で眷属になって貰った主さんたちでも呼んでみましょうか」
セリナが楽しそうに声を上げると、周囲に緊張が走る。
セリナは両手の指を咥えて口笛を吹くと、どこからともなく圧倒的な存在感が迫ってきた。
突然、神殿の上から凄まじい咆哮が響き渡り、空気が振動する。
頭上で巨大な何かが泳いでいる気配があり、皆が驚きで声を失いながら空を見上げた。
その瞬間、見下ろしてきたのは二頭の巨大な水竜――「二ドラ」と「リュドラ」。
彼らの存在感は圧倒的で、鱗はまるで水晶のように輝き、まるで神々の使者のように悠然と空を泳いでいた。
長くしなやかな首が大きくうねり、二頭の水竜が頭上を覆い尽くすように神殿の上を泳いでいる。
その巨体は滑らかな鱗に覆われ、青緑の光が淡く反射していた。
四肢には強力なヒレがあり、それをゆっくりと動かして浮遊している。
巨大な頭部が神殿まで降りてくると、水竜たちはセリナを慕うように頭を擦りつけ甘えてくる。
聖域に首を伸ばせるということは、邪悪な竜ではないことは明白である。
その証拠に、水竜の大きな瞳は穏やかで、セリナに対する信頼がはっきりと感じられた。
「お~、よしよし!」
セリナは嬉しそうにその頭を撫でると、水竜たちは嬉しそうにヒレを軽く動かしながら喜んでいる。
「水竜を手懐けたのか?」
誰かが小さく呟くが、驚き以上に納得する空気が広がる。
――セリナならやるだろう、と誰もが思った。
「ああ、そうだ。ロベルトさ~ん!」
セリナは去り際に軽い口調で続けた。
「扉の解錠、深海の羅針盤試してみてくださ~い!」
「え? なに?」
ロベルトが手を止めて訊ねる。
「どうも、大仕掛けすぎるんですよ。その羅針盤。あなたのスキルなら解錠できると思いま~す!」
セリナは笑顔を見せながらそう言うと、次に竹熊や梅鶴たちに声をかける。
「竹さん、梅さん、冒険者の皆さんは、そこのホラ吹き虎をぶっ飛ばしといてくださ~い! 私は、これから来る海獣とやりあってきま~す!」
言い残すとセリナは水竜二頭と共に頭上の海へと消えて行く。
頭上をポカンと見上げ、セリナが水竜と共に去っていく姿に、誰もが言葉を失っていた。
ようやく沈黙を破ったのは、ロベルトだった。
「あいつ、なに勝手なことを!」
その言葉に、竹熊が鋭く反応する。
半分パンダに変わった姿で、険しい表情を浮かべながら言葉を返す。
「勝手? 勝手なのはお主らであろう。セリナは、更生の機会をくれたのだ。ここで死に物狂いにならねば、もう取り返しがつかんぞ」
竹熊の力強い声が響き渡り、場の空気がピリッと張り詰めた。
☆☆☆
サン・アンジェロスの浜辺に立つビクトル・マッコーガンは、荒れだした波頭を見据えていた。
「おい、危ねえぞ!」と叫び声が聞こえ、暁月剣禅が駆け寄ってくる。
「――来とるぞ。邪神が」
ビクトルは無骨な顔に微笑を浮かべ、「おう。遂にか」と剣禅が返す。
少し遅れて、鷹松左近も浜辺に現れ、遠くの海を見渡す。
「あれですか?」と訊くと、ビクトルが軽く頷いた。
「ジジイども、よく見えるな」
剣禅が片手を額にあてながら感心すると、左近が豪快に笑い、背中から長大な剛弓を取り出す。
「では、邪神どのにご挨拶させていただきましょう」
左近は、その大きさに見合う大矢を手に取り、風の魔力を矢に込めていく。
満身の力を込めて弓を引くと、剛弓が唸りを上げた。
次の瞬間、爆発的な音と共に矢が空を切り裂いて遙か沖へと飛び去っていく。
信じられないような距離を、まるで重力を無視するかのように大矢は、ぐんぐん進む。
轟音を轟かせたその矢は、海の向こうに潜むなにかに命中し、海の彼方から響く怒りとも驚きともつかぬ雄叫びが空気を震わせた。
ビクトルと剣禅は顔を見合わせ、大喜びで叫ぶ。
「でかした!」
「さあ、大戦じゃあ!!」
☆☆☆
「わああ! 待って! 待って!」
どこからか、聞いたような声が響いてくる。
セリナが水竜二頭を引き連れて海中から浜辺へ、激しく打ち上げられるように現れた。
水竜たちの長い首が海から悠然と伸び、ヒレでゆったりと水をかき分けながら泳いでいる。
その姿は海中を自由に駆け回る主のようだが、竜たちはセリナに忠実に寄り添い、その巨大な目が彼女に優しく向けられていた。
セリナは人魚の姿で空を泳ぐように滑らかに動き、海から砂浜へと飛び上がった。
水滴をきらめかせながら姿を現したその瞬間、セリナの下半身はまだ人魚のままだった。
青く透き通る鱗に覆われた尾は、まるで海そのものを映し出すかのように美しく輝いている。
セリナが浜辺に一歩足を踏み入れると、尾が次第に人間の足へと戻っていき、柔らかい砂に両足が触れる。
しかし、彼女の服は海での変化に耐えられず、下半身が露わになっていた。
「もう! お爺ちゃん! ビリビリしそうだったでしょう!!」
頬を膨らませて、セリナが怒る。
「きゃああああ!!」
真正面から下半身丸だしのセリナに相対したビクトルは顔を真っ赤にして叫んだ。
背後では左近が「ぬあああああ!!」と大慌てで目を逸らす。
二人の老人が慌てふためく姿を見た剣禅は、よほど面白かったのか、腹を抱えて大笑いした。
「なんちゅう格好しとるんじゃあ! 貴様アアア!!」
ビクトルは怒り狂いながら叫ぶ。
「海底に、知恵と恥でも忘れてきたのかああああ!」
しかし、セリナは全く気にせず「大丈夫ッス!」と爽やかに返す。
「若い娘が尻放り出して、大丈夫なわけがあるかああ!」
ビクトルは自分のローブを脱いでセリナに「腰に巻け」と差し出した。
「こんなのが……こんなのが、七大権威……」
思わず涙ぐむビクトルの様子に剣禅はさらに笑いが止まらない。
「お爺ちゃん。大丈夫ですか?」
「お前の頭こそ、大丈夫か?」
怒り狂ったノクスが沖の向こうから現れようとしていた。
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