53話 怪物たちの海 11
セリナは眉をひそめ、考え込むように少し間を置いた。
「う~ん……どうも、ここら辺の人たちは役人から冒険者まで、贈収賄や横領の罪悪感がないんですよねえ」
セリナの声には皮肉が込められており、趙や冒険者たちを冷ややかに見つめた。
そのなかでも、趙は気楽な表情を崩さない。
セリナは問い詰めながら冒険者たちの表情をじっと見据えた。
「お侍さんはこういう時、どうするんですか?」
竹熊は眉をひそめて問いに答える。
「貴様ら、本当に背信したんだな?」
「ええ。そうですよ」とセリナがさらりと答えた。
竹熊は鋭く返す。
「では切腹だ」
「セップク?」
冒険者たちは一瞬理解が追いつかない様子だ。
「自ら腹を切って、首を落とされる」
竹熊が冷たく言い放つ。
冒険者たちは息を飲み、後ずさりする。
セリナもまさかそこまでやるとは思わず、一瞬言葉に詰まった。
冒険者たちの恐怖がその場に漂う中、竹熊はさらに一歩踏み込む。
「よし。介錯は引き受けた。お前ら。今すぐ、腹を掻っ捌け」
その言葉に、冒険者たちは完全に怯え、場の緊張は頂点に達する。
「ちょ……ちょっと待って、待ってください!」
セリナが急いで声を張り上げ、冒険者たちの方を向き直す。
「みなさん。そこまでしろとは言いません。自首してくれれば、今回の働きも私から進言しますので、悪いようにはしません」
セリナの声は柔らかく、しかし真剣だ。
「裏ギルドに墜ちるとか、そんなこと考えないでください。今が最後のチャンスです。どうか、考え直してもらえませんか?」
彼女の真摯な言葉が、冒険者たちの心にじわりと響く。
そのやり取りが続く中、趙はまるで気にも留めていない様子で、黙々と騎士人形から黒潮の鎧を剥ぎ取っていた。
そして、ちゃっかりそれを着込み、全身を黒い鎧で包み込む。
「お前、もう隠す気なんてないだろう!」とロベルトが鋭く言い放ち、手槍を構えた。
趙は肩をすくめ、ふわりとした表情を浮かべながら「う~ん……これ以上の交渉は不可能でしょ?」と呟いた。
「なんだかんだでセリナさんはヤリ手だし、お侍さんに話は通じないし、巫女さんたちには嫌われてるし、あなたたち冒険者の役目はもう終わりマシたし」
「おい!」
ディエゴが激昂し、双剣を振り下ろして斬りつけるが、趙は軽く身を翻して避ける。
「やだなあ、乱暴は嫌いだって言ったじゃないデスかあ」と、趙は笑みを浮かべたまま、軽い調子で言葉を返す。
「もう時間もナイですし、耳が痛いんデスよねえ。さっさと海賊魔王の遺物を獲って来いって」
趙は無邪気な笑みを浮かべながら、耳につけたピアスを軽く叩いた。
セリナは微笑みながら、穏やかな口調で問いかけた。
「へえ。誰かと遣り取りしてたのは黙認してましたけど、誰です? あなたの上司? それとも組織の仲間? 教えてくださいよお」
その声の調子は一見落ち着いているが、瞳の奥に宿る鋭い光と、抑えられた怒りが微かに見え隠れする。
趙は一瞬、その微笑みに目を奪われるが、すぐに余裕のある表情を戻し、肩をすくめる。
「あはは、そんなに詮索されると困っちゃうナア。魔具商人は、いろんな取引先と繋がってるものデスから」
セリナの微笑みは崩れないが、その場にいる者たちは皆、彼女の内なる怒りが増していることを感じ取っていた。
趙は一瞬、微笑みを浮かべながら、セリナの視線を受け止めた。
「しかし、ここまでお世話になったセリナさんには、特別に教えて差し上げましょうかね」
趙の手が顔に触れた瞬間、異様な音が響き渡る――バリバリッと皮が裂けるような音だ。
顔の皮が剥がれ落ちると、下から現れたのは、虎の鋭い目と牙を持つ、獰猛な表情を浮かべた虎人の顔だった。
「趙という魔具商人は表向きの顔です。本来の名は――」
虎の口が開き、趙の声がさらに低く、冷たく響く。
「虎人の李虎覇と申しマス」
その場が一瞬にして緊張に包まれた。
セリナをはじめ、仲間たちは予期せぬ展開に目を見張る。
趙――いや、李虎覇の獰猛な顔が、これまでの余裕の微笑みとは一転して、力と威圧感を放っていた。
「さて、そろそろ本気を出す時デスかねえ」と李は静かに言い放ち、鋭い虎の爪が光を反射するように輝いた。
☆☆☆
李は鋭い虎の目をちらりと後ろに向け、ニヤリと笑みを浮かべたかと思うと、くるりと反転し、神殿の方へと一気に駆けだした。
そのスピードは虎人ならではの俊敏さを持ち、周囲の者たちが反応する間もなく距離を広げていく。
「待て!」
セリナが叫んだが、李はその声を無視して加速する。
「あいつ、戦う気なんてないぞ!」
ディエゴがすかさず双剣を抜き構える。
「盗んで逃げる気だわ!」
アドリアナは怒りに満ちた声で吠えた。
「クソ、クソ! クソがああ! あの野郎!!」
ロベルトが手槍を構え、今にも追いかけようとするが、その姿勢には焦りが見えた。
李の姿は徐々に神殿の影に消えかかっていた。
逃走は計画的であり、黒潮の鎧を奪った今、もうこの場での争いに興味はないようだった。
☆☆☆
「いや! 大丈夫です!」
セリナが手を振り上げ、皆を制止した。
冒険者たちも走るのを止め、セリナの指示に従う。
一方で、李虎覇は神殿の扉にすばやく手を掛けたが、まったく動かないことに気づいた。
「開かない……」
李の表情が険しくなる。
「仕方アリませんねえ」
李は軽くため息をつくと、一歩大股に前進し、重々しい足音を響かせながら扉に向かって歩み寄った。
「冥闇崩拳――鉄山靠!」
李は半身を凄まじい勢いで、神殿の扉に叩きつけた。
その瞬間、強烈な衝撃音が響き渡り、神殿全体が上下に揺れた。
しかし、李が全力を持って叩きつけた扉は、微動だにしなかった。
衝撃で神殿が揺れたにもかかわらず、扉はまるで石壁のように頑丈だった。
李は一瞬、拳を見つめ、眉間にしわを寄せた。
「焦っちゃいましたねえ」
セリナが肩をすくめて笑いながら言う。
彼女は周囲を見渡し、冷静に状況を分析しているようだった。
「海賊魔王というから、髭もじゃの豪快オヤジを想像してたんですけどね」
セリナの声には、わずかな皮肉が混じっていた。
「実際には、海底都市もこの神殿も、繊細で壮麗。超一流のセンスです。実在の海賊魔王は、神経質な方だったんじゃないですかねえ――泥棒対策も万全みたいですし」
李は返事をせず、扉をもう一度見つめた。
セリナは肩を震わせて大爆笑しながら言った。
「私たちがその扉を開けるまで待てば良かったんですけどね。でも、その鎧を着てたら、怪しさ爆発ですもんねえ!」
その言葉に、李の表情が一瞬で険しくなった。
「何がオカシイ!!」
李は拳を振り上げ、扉に叩きつける。
神殿内に李の怒声が響いた。
「海賊魔王とイイ、あなたとイイ……私より、頭のキレすぎる人間は大嫌いデスよ!!」
李は次の瞬間、何かを呟き始めた。
言葉は重く、どこか不吉な響きを持っていた。
セリナは笑みを引っ込め、真顔になった。
「――なんですか? 聞いたことのない系統の魔法詠唱ですねえ」
その瞬間、後方で梅鶴が緊張した声で「呪術!」と叫んだ。
☆☆☆
李は不気味な笑みを浮かべ、大きな舌を出して嘲笑った。
「残念デシたあ。ワタシの売り捌いた魔具が、一斉に発動しますよ」と言うと、周囲に冷たい風が漂い始め、徐々に場の空気が変わり始めた。
「魔力を持つ者は多かれ少なかれ、亜人や獣人の血を引いています」と李は続けて説明する。
「先祖返りが起こりますよ。さあ、あなたたちも、理性や法にしばられぬ野生へと還ろうではアリませんか」
虎の顔をした李がその言葉を発すると、彼の周囲からじわじわと異様な魔力が広がり始めた。
李の瞳には狂気と勝利の色が見え、さらに不吉な雰囲気が漂っていく。
「残念でしたあ!」
セリナが李の真似をして、舌を出して笑った。
「は?」
李は目を見開き、疑念の色を浮かべた。
「あはは~! 魔法学会の最高権威が二人もいて、禁具に気がつかないなんてあるわけないじゃないッスかあ!」
セリナは無邪気な声で続ける。
「ビクトルお爺ちゃんなんて、魔具の最高権威でもあるんですよお」
李は言葉を失い、セリナの笑みが恐ろしいものに見え始める。
「市販された魔具は調整済みですう! ……私たちの魔具以外はね」
「……え? 待て! 以外ってなんだ?」
ディエゴが焦りを隠せず、大声で訊き返した。
「ここにいる全員の魔具出力、最大値まで弄りましたア! えへへッ!」
セリナが頭を傾げ、愛らしく舌を出した。
その瞬間、異変が起こり始める。
双剣使いのディエゴは半漁人化し、鱗が全身に生え始める。
アドリアナの全身が逆立って、羽毛で覆われだした。
探索者ロベルトの皮膚にも銀色の鱗が現れ、召喚士イサベルからは尾が出てきた。
梅鶴の片手は白い鶴の羽根に変わり、竹熊の体からは黒い体毛が全身を覆いだす。
従者の姉妹巫女の背中からは透明な羽根が生えだしている。
「皆さ~~ん! 頑張ってくださ~~い!」
セリナが楽しげに呼びかけた。
「ちゃんと魔力操作しないと正気を失いますよお!」
竹熊は自分の体に起きている変化を見て震えた。
「なにを――なにを言ってるんだ! お前は?!」
「制御できたら、皆さんは無敵で~~す!!」
セリナは楽しげに声を張り上げた。
「李さんの言う通り、野生に還りましょう!」
李は完全に混乱し、怒りを抑えられず拳を扉に叩きつけた。
「常軌を逸している! アンタ――正気じゃナイよ!!」
セリナは涼しい顔で「よく言われます」と微笑んだ。
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