51話 怪物たちの海 9
セリナが古代文字を読み上げていると、イサベルが驚愕してセリナを見つめた。
「読めるんですか?」とイサベルが訊ねる。
セリナは軽く肩をすくめて微笑んだ。
「イサちゃんほどじゃないですけどね。でも、なんかここから先は聖なる結界で満たされてるって感じらしいッスね」
その言葉を聞いた瞬間、趙が目を見開き、後ずさった。
「ああ、それじゃあワタシはダメかも。魔具を扱っている関係で、そういうトコロはちょっと……」
セリナは笑って「大丈夫ですよお」と安心させようとするように、梅鶴の方に振り向いた。
「梅さ~ん」
梅鶴は嫌そうな顔をしながらも、趙に向かって清めの祓いを施す。
詔を唱える間、梅鶴は小さな声で「なんでそこまで……」と呟いた。
セリナは肩をすくめて「ま、邪悪な者を遮る結界なんで、これで安心ですよ。ね? 趙さん?」と軽く笑って、趙に尋ねた。
趙は珍しく表情を強ばらせながら、ぎこちなく頷いた。
「え……ええ、まあ……」
☆☆☆
「じゃじゃああん! 深海の羅針盤~!」とセリナが笑顔で取り出すと、竹熊が眉をひそめて訊ねた。
「それは?」
その羅針盤は、異質な存在感を放っていた。
漆黒の金属でできた円盤は、まるで海底の闇そのものを宿しているかのような質感である。
表面には無数の複雑な模様が刻まれているが、それらは見た目以上に精緻で、中央には、小さな魔石が埋め込まれている。
その色は変幻自在で、まるで深海の青い闇が内部でゆらめいているかのようだった。
魔石は時折、不規則に青白い光を放ち、その光が円盤全体に走る模様を伝い、まるで生きているかのように脈動している。
「海賊魔王の財宝を指し示すらしいんですけど、罠かもしれないッスねえ」とセリナは楽しそうに言いながら、羅針盤をひらひらと揺らしてみせた。
羅針盤の針はどこにも向いておらず、通常の方位磁針とは違い、目的地が現れるまで静かに眠っている。
しかし、探し求める海賊魔王の財宝が近づけば、針がゆっくりと動き出すという。
その針は、磁石のように静かに滑るのではなく、まるで見えない力に引かれるかのように、強烈な引力で目的地を指し示すという。
セリナは探索者ロベルトに羅針盤を渡すと「これで辿りましょうか」と言った。
趙が興味深げに目を細めて訊ねる。
「どこでそれを?」
セリナはにやりと笑い、片手を挙げた。
「ロベルトさんと、ちょこちょこダンジョンに探索に来てたんですよお。まあ、浅い階層ですけどね。あの海賊船の墓場から」
「へえ、他には?」と趙はさらに興味を引かれた様子だ。
セリナは胸を張って誇らしげに言った。
「へへ~ん! 後からのお楽しみで~す!」
趙は微笑んで「それは楽しみデス」と言った。
☆☆☆
石門の先に広がる空間は、圧倒的な静寂に包まれていた。
聖者の結界によって守られたその場所には、海中にも関わらず、建築物を覆う苔や海藻が群生している他の建築物とは違い、一切の経年劣化が見られない。
まるで長い年月を経た静かな眠りの中にあるかのようだ。
ここには、他の場所でよく目にする小さな海洋生物や漂う魚影すらない。
異様なまでの静寂だけが支配している。
それは、まるで自然の流れを拒絶するかのような聖なる力が空間を満たしているからかもしれない。
古びた石造りの神殿が前方に佇み、その造形美は今なお完璧に保存されていた。
柱には古代の彫刻が施され、時間の経過が信じられないほどの神々しい雰囲気を醸し出している。
石の扉には複雑な紋様が描かれ、うっすらと青白い光がそこから漏れていた。
それは、人の手によるものというよりも、まるで神が直接手を加えたかのような神秘的な輝きだった。
先頭で羅針盤を見ているロベルトが驚愕の表情で口を開く。
「これが……海賊のアジトなのか? 本当にここが……?」
ロベルトの言葉は石壁に反響し、空気にさらなる静寂を加えた。
あまりにも綺麗で完璧すぎるその光景に、彼の眼は驚きと不安が交錯していた。
「綺麗……」と梅鶴が小さく溜め息をつく。
神殿の正面に立つ彼らを包むのは、ただ時間が止まったような神秘的な空間と、どこか物悲しいほどの静寂。
海賊のアジトとしてはあまりにも荘厳で、無機質なその場所には不思議な力が満ちているように感じられた。
☆☆☆
一行が進んでいくと、巨大な神殿とは別に、周囲の建物よりも特に荘厳な佇まいをした建築物が姿を現した。
それは一見して普通の建物とは違い、まるで何かを祀っている社のような雰囲気を纏っていた。
柱には謎の古代文字が刻まれ、壁面には無数の装飾が施されている。
「これは……遺物を祀っている場所なのか?」
双剣使いのディエゴが、険しい表情で目の前の建物を見つめながら訊ねた。
「ああ。羅針盤はこの先を指し示している」とロベルトが言った。
「たぶんですけど……」セリナが少し気まずそうに言葉を続ける。
「遺物の魔力で、この結界を保たせているんじゃないスかね?」
「え?」
驚きに満ちた声でディエゴが返す。
「つまりですね……」
セリナは腕を組んで顎に手を当て、少し考え込んだ後、説明を始めた。
「その遺物を獲ったら、結界が崩壊して、この場所に海の水が流れ込んでくるってことです。要するに、水圧で死ぬって理屈ですね」
「な、なんだとお!」
竹熊が驚愕の声を上げ、巨体を震わせた。
「待て待て。それではダメではないか! どうするのだ! 詰んでおるではないか!!」
彼の声が石造りの通路に反響し、響き渡る。
周囲の静寂が一瞬にして破られ、苛立ちと焦燥感がその場を包み込んだ。
「詰んでますねえ……」
セリナが肩をすくめながらも、少し茶化すように呟いた。
竹熊は困惑しながら周囲を見渡し、何か打開策がないかと必死に考えを巡らせるが、今のところ答えは見つかりそうにない。
☆☆☆
「いや、それを考える前に……」
セリナが耳を澄まし、周囲の空気に緊張を走らせる。
「なんか、動きだしてますねえ。聞こえませんか?」
ディエゴが眉をひそめ、周囲を警戒する。
「何の音だ……?」
セリナは軽く笑みを浮かべながら言った。
「海賊魔王ですよ? 聖域に立ち入った輩は――まあ皆殺しの罠くらい仕掛けますよお」
彼女の言葉が終わるか否かのうちに、神殿の奥から低く重々しい機械音が響き始めた。
それはまるで古代の巨大な機械が何世紀も眠っていたのを今目覚めさせられたかのような、不気味で冷たい音だった。
「古代魔具――”魔工機獣”デスねえ」
趙が目を細めて呟く。
「ですねえ。これは手強いですよお」
セリナがヘラヘラ笑って言う。
一行は、緊張した様子で音が発する方向に目を向ける。
神殿の石壁に埋め込まれた歯車や金属の装飾が徐々に動き始め、その中から巨大な影が浮かび上がる。青い陽光が反射し、苔と海藻に覆われたその姿がぼんやりと現れた。
「みなさん、死なないでくださいねえ」
セリナは気楽そうに言うが、その目には鋭い警戒が走っていた。
竹熊が金棒をしっかりと握りしめ、ディエゴも双剣を抜いて構える。
イサベルは呪文の準備を始め、アドリアナも水の流れを操るべく集中していた。
神殿の中に、不気味な機械音がますます大きく響き渡り、緊張感が一気に高まる。
「これは……ただ事じゃないぞ」とロベルトが低く呟き、目を見開いた。
その時、神殿の奥から恐るべき姿がゆっくりと現れた――それは海賊魔王が仕掛けた最後の守護者、魔工機獣が現れた。
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