49話 怪物たちの海 7
サン・アンジェロスの高台にそびえ立つ砦、その屋上からは広大な海が一望できた。
陽が沈みかけた空に、薄い紫とオレンジの光が溶け込む中、剣禅が腕を組み、静かにその景色を眺めていた。
「竹熊め。なにか拵えさせると、あやつの右に出る者はおりませぬな」と、立派な白髭を蓄えた巨漢、鷹松左近が、ゆったりとした足取りで剣禅のもとに歩み寄る。
その声にはどこか誇らしげな響きがあった。
剣禅は静かに頷きながら、視線を海から砦へと移した。
「わしらが歴史の中に消えようとも、この砦はずっと避難所や集会所として使われ続けるだろうぜ。突貫工事で造らせたものが歴史に残ると考えると感慨深い」と口にしながら、竹熊が手がけた砦を感心しながら眺める。
海に面した砦の屋上は、吹きつける潮風が心地よく、剣禅はその風を浴びながら、遠くの海を眺めていた。
周囲には何の障害もなく、視界にはただ広大な水平線が続いている。
「しかし、わかりませぬな」と左近がふと呟いた。
「なにがだ?」と剣禅が訊ねる。
左近は少し考え込むように腕を組んだ。
「儂はてっきり、漁民を総動員して、あの海賊魔王の遺物を捜索させているとばかり踏んでおったのですが……いざ、着いてみれば、一艘の漁船さえ浮いておらぬ。これは如何なることか?」
剣禅はその言葉に対して軽く肩をすくめた。
「そんなことは、三百年前の近世魔王がやり尽くしている。今さら何の発見もないだろうさ。労力と時間、それに人材の無駄だ。あの近世魔王ってのは、過大評価が過ぎるな。政治手腕と戦以外に能がない。やったことのすべてが力任せだ」
その言葉に、左近は少し驚いたように眉をひそめた。
「近世魔王と若さまの才は真逆。若さまの才はいわゆる人たらしでござる」
「そうかね?」と剣禅は頭を捻る。
「避難民をご覧なさいませ。皆、安心しきっておる」
左近はそう言って、剣禅を一瞥した。
「普通、避難民の顔は青ざめて、今日明日を生き延びられるか息も絶え絶えとなるのが常。それがここでは皆、生き生きと働いておる。人望という才は、まさに大将の器。儂が傅役としてお育てした甲斐もあるというもの」
「ジイ。いい加減、その“若さま”はやめんか」
剣禅は少し不機嫌そうにため息をついた。
「雷爺さんといい、年寄りにかかると、わしを小童扱いして困る」
左近は苦笑を浮かべながら「それが年長者の特権というものでございます」と軽く笑った。
「まあ、しかし、近世魔王が見付けられなかった遺物を見付けるというのは骨ではあるが」
「通常のやりようでは見付からぬとなると……梅鶴に占わせてみれば如何か?」
「専門外じゃ。それに――梅鶴は、他にとんでもない卦が出たと言いよった」
「ほう。なんと出ましたか?」
「次の月が満ちる夜、邪神現る」
「はははは!! それは吉報! 態々、来た甲斐があるというもの!」
左近は豪快に笑った。
☆☆☆
「――物を隠すことにかけて、海賊ほど秀でた者たちもおらん。故に、本件は発見、発掘の専門家に任せることにした」
「専門家?」
「学者だ。頭の柔らかさにかけては、海賊並の者がいる」と、剣禅はにやりと笑う。
「海賊の知恵は隠すことに長けているが、学者は知識で隠されたものを見つけ出す。知恵比べじゃ。専門家とはそのことよ」
「それは妙案でございますな」と、左近も納得したように頷いた。
「で、我らが役目は?」
剣禅はその問いに対してすぐに答えた。
「侍がやることは決まっているだろう」
「化け物退治よ」
二人の視線は自然と沖へと向けられた。
沖の彼方には、黒い雲が静かに立ちこめ、嵐の予兆を思わせる不穏な空気が漂っていた。
それはまるで、これから訪れる闘いを予告するかのようだった。
☆☆☆
洞窟の中は、静寂が支配していた。
朝陽が海面から昇り、岸壁の隙間を通して光が漏れ出す。
金色の光が、洞窟の中をまるで異世界のように照らし出し、岩肌がまるで宝石のように輝いていた。
海水の穏やかなさざ波が反射し、洞窟内には淡い青い光が揺らめいている。
セリナはその幻想的な光景の中、ゆっくりと目を覚ました。
寝ぼけたままの彼女は、しばらくの間その美しさに見惚れていた。
まるで夢の中にいるかのような感覚だ。
瞳をこすりながら、ふわっとした気持ちで伸びをする。
しかし、彼女の体がまだ完全に覚醒しきらないうちに、周りの空気がピリリと変わる。
他の者たちが鋭い気配を感じて、すぐに起き上がった。
竹熊がその巨体を動かしながら、素早く金棒に手を伸ばす。
探索者や双剣使いも一瞬で臨戦態勢をとって、その場に緊張感が走った。
朝陽の光を背にして、洞窟の入り口から一人の人物が歩み寄ってきた。
その人物のシルエットが徐々に明らかになる。
「魔具商人の――確か、趙とかいう……」
竹熊が驚きの声を上げる。
「なぜここに?」
竹熊の問いに、趙はにこやかな笑顔で答えた。
「おはようございマス。みなさま。ワタクシは魔具の専門家デス。きっとお役に立てマスよ」
その瞬間、梅鶴がセリナの後ろで首を振った。
彼女の瞳には明らかに不安と警戒の色が浮かんでいた。
セリナは、そんな梅鶴の様子を見ながら、軽く肩を竦めた。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、一緒に行きます?」
梅鶴はギョッとした顔で、驚きと焦燥感を露わにし、勢いよく首を横に振る。
しかし、セリナはそれを見て、さらににっこりと笑った。
「イイですよ」
その言葉を聞いた瞬間、梅鶴は衝撃を受けた顔をして、瞳を見開いた。
彼女の忠告は、完全に無視された形である。
自分の忠告をここまで蔑ろにされたのは初めてのことであり、梅鶴は衝撃のあまりによろめいた。
「ああ! 巫女さま! 巫女さまああ!!」
梅鶴の従者の巫女二人が慌ただしく梅鶴に駆け寄り、背中を摩り水を飲ませて介抱し始める。
趙は相変わらずの笑顔で、セリナに深々と頭を下げる。
「感謝いたします。では、どうぞよろしくお願いシマスね」
「ウェ~~イ!」とセリナは叫び、梅竹は小さな声で「あの方、嫌い」と従者に告げた。
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