48話 怪物たちの海 6
「さすがにそれだけの護符を用意するとなると時間がありまセンね」と、趙が困ったように肩を竦めた。
「それに、我が国の護符でも良いのでしょうか?」と訊ねる。
梅鶴は静かに頷き、剣禅が「問題ないそうだ」と答えた。
剣禅は眉を寄せながら「早急に用意できる護符はどれくらいか」と訊ねた。
趙は細かい数字は省きながらも、手元の算盤を弾いて答える。
「これくらいかと」
「悪くない。手配してくれ」
「かしこまりました」と、趙はすぐに去って行く。
梅鶴が退出した直後、ドアを潜るのがやっとというほどの巨体が目に飛び込んできた。
大男は頭から足の先まで、まるで鉄でできているかのように鍛え上げられており、どの筋肉も盛り上がり、その存在感は圧倒的であった。
肩幅の広さが、まるで部屋をさらに狭くしてしまったかのように見える。
大男が一歩足を踏み入れるたびに、床がかすかに軋むような音を立てた。
その姿を見た周りの人間たちは、大男の影が会議室の中を覆い、自然と仕事の手を止めて見上げてしまう。
「三個師団を束ねる総司令官に、執務室も用意せんのか?!」
大男が叫ぶと、ソファにいたセリナが、驚いて飛び起きた。
「騒々しいな、おい」と剣禅が奥のデスクから顔を出して言う。
「執務室なんかにいて、仕事ができるか」
その言葉に少し落ち着きを取り戻し、大男は深く一礼した。
「上様。砦の準備は万端にございます。いつでも住人の避難ができましょう」
「おう、でかした」と剣禅は軽く頷く。
大男はさらに一歩近づき、声を潜めて訊ねた。
「……あの、左近の爺さまが到着したんですが、如何致しましょう?」
剣禅は眉をひそめ「こっちが訊きたいよ」と呆れたように答えた。
「しかし、爺さまが来たということは、砦の護りは任せられるな」と剣禅は考え込むように呟いた。
「竹熊。お前、こっちに来るか?」
竹熊はすぐに首を振り「いえ、ワシが守護に着きましょう。左近さまをこちらへ」と答える。
剣禅は片眉を上げて「お前、ジイが怖いだけだろうが」と突っ込む。
竹熊は少しばつが悪そうに頭を掻いて、「面目ない」と言いながら苦笑した。
「じゃあ、雷オヤジの方を砦へ送ろうかな」と剣禅が冗談半分で言うと、竹熊はすぐに「いや! それもこちらで!」と慌てて声をあげた。
「お前なあ……こっちにジジイばっかり寄こすんじゃねえよ」と剣禅は呆れたように言いながらも、微かに笑みを浮かべた。
「ともかく、砦が落成したからには順次、住人を避難させていくぞ。集落の長老、まとめ役連中とは酒を介して絆してきたからな」と剣禅が冷静に指示を出す。
「カトリーナ」と彼が呼ぶと、彼女は即座に「はい」と応じた。
「手はず通りに頼む」と言うと、カトリーナは素早く一礼し、会議室を急いで出て行った。
剣禅は竹熊の方を向いて続ける。
「それで竹熊、お前にはこちらのセリナと一緒に遺物探索に加わってもらいたい」
竹熊はソファで欠伸をしているセリナをちらりと見ると、顔を曇らせ「いや、ワシは泳ぎが苦手で」と言い訳をするように呟く。
「――梅鶴も加わるんだが。そうか。嫌か……」と剣禅が言うと、竹熊は突然態度を変えた。
「この竹熊信久、例え火の中水の中といえど、恐れるものではございませぬ」と頭を下げた。
「いや、恐れてたじゃねえか」と剣禅が言うと、竹熊はそっぽを向いて知らぬ顔をした。
その様子を見た剣禅は、呆れつつも頷いて「頼んだぞ」と言った。
「それでは、上様! ジイさんでもバアさんでも、砦へ放り込んでくださって結構ですので!」と、竹熊は上機嫌で言い放ち、足取りも軽く部屋を出て行った。
竹熊が上機嫌で部屋を出て行った後、セリナが深いため息をついた。
「ヤレヤレ、お調子者はこれだから……」と、彼女は呆れたように肩を竦める。
そんなセリナに、剣禅がにやりと笑いながら話しかけた。
「おい、セリナ。あの竹熊な、ああ見えて一流の料理人でもあるんだぞ」
セリナの目が一瞬大きく見開かれ、次の瞬間「ウッヒョオオオ!」と歓喜の雄叫びをあげた。
剣禅は苦笑しながら「まあ、梅鶴も同行するから大丈夫か」と少し心配そうに呟いた。
☆☆☆
海底洞窟の中は薄暗く、波の音が遠くから響く。
壁面はぬるぬるとした海藻や苔に覆われ、天井からは海水がしずくとなってポタリポタリと落ちる。
湿った空気が肌にまとわりつき、独特の塩気が漂っていた。
竹熊は二メートルを超える金棒を軽々と振り回し、目の前に迫ってきたウミウシのような姿をした巨大な海魔を叩き潰す。
海魔は一瞬のうちに地面に打ち付けられ、そのぬるりとした体が洞窟の床に潰れた。
「驚きましたな……これほど巨大な洞穴が、海まで続いているとは」と、竹熊が感嘆の声をあげた。
彼の声は洞窟内に反響し、どこか不気味に響く。
セリナが慎重に足を運びながら「あまり離れないでくださいよ」と竹熊に声をかける。
「私の半径十メートル以内にいれば、たとえ海に引きずられても息ができるようにしますから」と、彼女の冷静な声が緊張感を和らげる。
遅れて梅鶴と侍従の巫女が二人、冒険者たちが数人、警戒しながらも進んできた。
彼らの装備がかすかな光を反射し、洞窟の暗がりに小さな輝きを放っていた。
洞窟内の静寂は、海魔との次の遭遇を予感させるかのように、冷たい緊張感で満たされていた。
☆☆☆
剣禅とセリナが宴の度に勧誘した上位冒険者たちは、いずれも海辺での経験が豊富で、地形や海の状況に精通しているベテランたちだ。
双剣使いと探索者の二名。
彼らはすでに剣禅とセリナの信頼を得ており、遺物探索や海魔との戦闘にも数々の実績を残している。
また、セリナが水魔法の最高権威となったことで、さらに手練れの召喚士や水魔法使いが名乗り出てきた。
彼らはその実力を見込まれて勧誘され、今回の任務に参加している。
召喚士は海の生物や水生の魔物を操り、戦闘を有利に進めることができる能力を持ち、水魔法使いは特に海戦や水中での戦闘において絶大な力を発揮する。
さらに、梅鶴の従者である巫女二名も加わっていた。
彼女らは高度な術者である。
海辺を進む一行の先頭を歩く探索者は、他のメンバーが到着するよりも早く先行していた。
彼は熟練の手際で、すぐに安全な場所を見つけ、必要な資材を使ってキャンプの準備を整えていた。
海風が冷たく吹き付ける中、探索者はテントを立て、焚き火を囲むスペースを確保し、夜間に備えていた。
他の冒険者たちが到着する頃には、既に暖かい火が燃え始めており、周囲には安定した雰囲気が漂っている。
探索者が竹熊に向かって手を挙げ、合図を送る。
「準備は整いました。ここで一晩休息できます」
「おう。ご苦労さん。さすが手際が良い」
竹熊は静かに微笑んで応じる。
パーティ全員が集まり、各自が持ってきた装備や物資を整理しながら、翌日の海底洞窟探索に向けて準備を整えた。
双剣使いと探索者は、すばやく海へ飛び込み、素潜りで海へと潜る。
双剣使いの小振りな短剣は海中で振るうのに適しており、小回りが効くらしい。
また探索者は手銛で大ぶりな魚を突き捕獲していく。
彼らの動きは俊敏で、波間を泳ぎながら、魚はもちろん、貝類まで手際よく捕ってきた。
戻った彼らは、濡れた髪をかき上げつつ、竹熊のもとへその獲物を差し出した。
竹熊はその巨大な手で丁寧に魚をさばき、手際よく貝を開いていく。
魚介類を焼き、貝は蒸し上げると、海の香りが立ち上がり、潮風と相まって食欲を刺激した。
「さあ、できたぞ!」と竹熊が声を上げると、キャンプの雰囲気が一気に和やかになり、冒険者たちの目が輝いた。
魚の炙り焼きは、皮がパリッと香ばしく、身はふっくらとしている。
貝類は口の中でとろけるようで、潮の旨みが広がる。
竹熊はその手際の良さと共に、料理の腕前も一流であることを改めて証明していた。
冒険者たちは次々と料理を楽しみ、満足そうに食べ進める。
竹熊は満足げに腕を組み、そんな彼らの様子を見守りながら「もっと食べたい奴は遠慮せずに言えよ!」と豪快に笑った。
海の幸と竹熊の料理が織りなす至福のひと時、冒険者たちの士気はさらに高まった。
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