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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第四章 怠惰な王冠
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45話 怪物たちの海 3

「まあ、これくらいのフィールドワークは魔法研究者なら普通なんスけどね」と、セリナは軽い調子で言いながら肩をすくめると、会議室が一気に静まり返った。


 セリナが何気なく言った瞬間、笑い声で満ちていた部屋は、まるで一瞬にして凍りついたかのように全員が彼女に注目した。


 彼女の無頓着な態度は、どこか楽しげですらあった。

 つい先ほどまで彼女が指揮していた周辺の聞き込みや海図作成の件でさえ、まるで大したことではないかのように語る彼女の口調に、誰もが言葉を失っていた。


 さらにセリナは続けて、何気なくもう一つ衝撃発言を投下した。

「あと、ここら辺の海の主さんたちは隷属化しましたから、数日中に海底地図ができますよ」


 あまりにさらっと言うものだから、皆が瞬時にその意味を理解できなかった。

 だが次の瞬間、その言葉の重みが全員の脳裏に伝わった。


「海の主たち……隷属化?」

 誰かが思わずつぶやく。


 セリナはソファの上で、特に気にする様子もなく指先を眺めながら続ける。

「まあ、普通ですよ。魔法研究者なら、この程度の交渉とか隷属化とかはよくあることッスから。だから、あまり大げさに考えないでくださいね」


 会議室はさらに深い沈黙に包まれた。

 誰もが自分の耳を疑った。


 彼女が、恐るべき海の支配者たちを一人で屈服させたという事実が、あまりにも信じがたかったからだ。

 何度も挑戦して失敗した者たちが山ほどいるというのに、セリナはまるで何の苦労もなくそれを成し遂げたように話す。


 そして、さらにとどめを刺すかのように、セリナは笑顔を浮かべて付け加えた。

「私の友達なんか、地獄に墜ちて、そこの大王とマブダチになって、研究室までもらってますからね。それに比べたら、ここの海の主なんて可愛いもんです。あはは~!」


 この一言で、部屋の中の空気が完全に凍りついた。

 先ほどまであれほどにぎやかだった笑い声や冗談が、すべて消え失せた。

 剣禅でさえも、笑みを浮かべながら目を大きく見開き、しばらく何も言えなかった。


 カトリーナもその場で息を呑んだまま、目の前にいるセリナを見つめた。

 彼女の無邪気で軽やかな発言が、周囲の誰よりも圧倒的な力と実績を示していることに、カトリーナは愕然とせざるを得なかったのである。


 ☆☆☆


 剣禅は、まだ沈黙している会議室の中で立ち上がり、軽く手を叩いた。


 その音で全員がハッと現実に引き戻された。

 彼は真剣な表情を浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。


「動いてくれていた者には申し訳ないが――」

 剣禅は少し息をつき、会議室を見渡す。


「ここらの海図が手に入ったのは非常に大きい。正直、数年前の海図を手に入れたところで、今のこの海域じゃ混乱するだけじゃったろう。だが、我らが手に入れたのは、まさにこの海域の異変後の海図だ。これこそが、我々が欲しかったものだ」


 その言葉に、後発組の面々は少し安堵の表情を浮かべた。

 彼らの努力が無駄ではなかったと感じると同時に、セリナが成し遂げた成果の圧倒的さにただ黙って頷くしかなかった。


「よくやったな」と、剣禅はセリナに向けて微笑みながら言う。

 セリナは相変わらずソファの上で無邪気な笑顔を浮かべている。


 剣禅はもう一度部屋を見渡し、気を取り直したように、ふっと笑みを浮かべた。

「それじゃあ、今夜も呑もうか!」


「セリナ!」

 剣禅が楽しげに名前を呼ぶ。


「ウエ~~イ!」

 セリナはソファの上で勢いよく片手を挙げと元気よく応じた。

 その無邪気な叫びが、再び部屋全体に広がり、緊張感を溶かしていく。


 剣禅の軽やかな提案に、少しずつ会議室の空気が和らぎ始める。

 兵士たちも口々に意気揚々とした声を上げ、徐々に活気が戻っていった。


 カトリーナは少し驚きつつも、剣禅のこの柔軟な切り替えに感心した。

 自分が一度も思い至らなかった形で、チームの士気を高め、緊張を解きほぐしている剣禅の姿を見て、心の中で敬意が芽生え始めたのである。


 剣禅の言葉とセリナの無邪気な反応が、疲れた一同を少しずつ和ませていく中、カトリーナもようやくほんの少しだけ肩の力を抜いて、笑みを浮かべることができた。


 ☆☆☆


 朝日が差し込む中、昨夜のどんちゃん騒ぎの残骸が会議室に広がっていた。

 役人や騎士たちは床に転がり、累々と雑魚寝している。

 酒瓶が散らばり、盛大に羽目を外した痕跡があちこちに見受けられる。


 その中で、一人の小柄な老人が恐ろしい形相で彼らを見下ろしていた。

「起きんか!  馬鹿者ども!」


 老人の鋭い声が響き渡り、部屋全体に緊張が走った。

 彼の声に反応して、散らばっていた者たちが一斉に飛び起き、慌てて身を正す。

 だが、完全に酔いの残る状態で、まともに立っていられない者もいた。


 その中で、セリナと剣禅が老人の前で説教をくらっていた。


「なんたる醜態だ!  貴様ら、 この有事に何を考えている!!」

 老人は激怒していた。

 彼の顔には雷のような怒りが走り、その眼光は刀のように鋭い。


 セリナは眠そうな目を擦りながら、無邪気な笑みを浮かべつつも、どうにかその場を切り抜けようと、いつもの軽い調子で言葉を投げかけた。


「雷じいちゃん、そんな怒んないでくださいよ。海に来ても危ないだけだから、そろそろ帰った方がいいッスよ?」


 その瞬間、老人の顔がさらに紅潮し、怒りの嵐が吹き荒れる。

「なんだと!?  誰に向かって口を利いている!」


 だが、セリナは一切動じない様子で肩を竦める。


 剣禅も、彼女の言葉に調子を合わせるかのように「まあ、セリナの言うことも一理あるな。こんな危険な海域で、雷じいさんが倒れたら俺たちの責任にもなるし……」と、あえて火に油を注ぐような発言をしてしまった。


「何だと!?」

 老人はさらに激怒し、杖を床に打ち鳴らして怒りを露わにする。


「貴様ら、我が国の惨状を理解しているのか!  この重要地域に、なぜ問題児しか来ていない!」

 老人は怒りのあまり、震えるほどの勢いで二人を叱責した。


 周囲で雑魚寝していた者たちも、老人の逆鱗に恐れおののきつつ、何とか静かに立ち上がろうとするが、緊張と酔いがまだ体に残っていて、うまく動けない者もちらほら見られた。


 セリナと剣禅は、そんな混乱の中でも全く反省するそぶりすら見せず、相変わらず無邪気な顔をしている。


「このような連中に任せていたら、我が国は滅びてしまう……」

 老人は憤然としながらも、二人を見下ろして説教を続けた。


「――信じられんが、お前が七大権威に任命された。セリナ。お前が、水魔法の最高権威だ」


 セリナは一瞬きょとんとした顔をし、その後いつものように軽く笑って「へぇ、そうなんスか」とあっさり受け流す。


 まるで重大なことを宣告されたとは思えない態度だったが、部屋の中にいる者たちの視線は彼女に集中していた。特にカトリーナは、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「それだけじゃないぞ」老人はさらに言葉を続ける。

「レイも黒魔法の七大権威に任命された」


 その名が出た瞬間、カトリーナは内心で更なる驚きを感じた。

 魔法学会での権威付けは通常、年功序列で行われ、長い年月と業績を積み上げなければ得られないものだ。

 それがセリナやレイのような若者に与えられたというのは、まさに異例中の異例だ。


 そしてカトリーナは思い出した。

 魔法学会には、平時では年功序列が優先されるが、有事になると実務経験が重視されるという特殊な制度があることを。

 つまり、国家の危機が迫っていると判断されると、魔法学会は即座に武闘派集団へと変貌する。


 心臓が高鳴る。

 魔法学会が七大権威という肩書を与えることは、平時においては栄誉であり権威だが、有事となるとそれは戦闘の最前線に立つことを意味する。


 それも、セリナやレイのように圧倒的な力を持つ者たちが任命されたということは、それほどまでに差し迫った危機が存在するのだろう。


 カトリーナの脳裏に浮かんだのは、これまでの穏やかだった時代が終わり、今まさに国家が存亡の危機に立たされているという恐怖。


 だが同時に、セリナやレイがこの事態に対して大きな役割を果たすことになるのだと、彼女は冷静に受け止め始めた。


 一方で、セリナは相変わらず気楽な様子でソファに寝そべりながら「七大権威ッスか。じゃあこれからは、もっと偉そうにしてもイイってことッスね」と冗談めかして言い、周囲を少し和ませようとしている。


 剣禅も苦笑しながら「だははは! お前、もっと自覚を持てよ」と軽く言い返す。


 カトリーナはそんな二人を見つめながら、自分の中にある不安と、彼らに対するわずかな希望とが交錯するのを感じていた。


 ☆☆☆


 ビクトル・マッコーガンが海辺に到着するや否や、剣禅が呆れたように声を上げた。

「あのさあ。海で雷魔法なんてぶっ放されたら危ねえわ。あんた、もう帰れよ」


 その言葉を聞くやいなや、ビクトルは顔を真っ赤にし、また怒りだした。

「なんだと!  貴様、私の力を侮るか! 」


 剣禅が軽く肩をすくめながら「いやいや、そういう問題じゃなくて……」と口を開くが、彼の言葉はビクトルの激しい怒りに掻き消される。


 ビクトルの雷のような声が響き渡り、周りの者たちは思わず身をすくめた。


 その様子を見て、セリナがまたも無邪気に笑いながら「雷じいちゃん、怒りすぎッスよ。でも、なんか、ずっと怒ってるのが面白いッスね」と言い放つ。


「なんで、怒りっぱなんだ? このジジイ」と剣禅も自覚なしに首を捻る。

 何も動じない二人の態度に、ビクトルはさらに激怒し、周囲には緊張感が漂った。


 周りの人々は、セリナの不用意な発言にハラハラしながらも、二人のあまりの無頓着さに巻き込まれたように少し笑みを浮かべる者もいた。

 しかし、ビクトルの顔には再び怒りがこみ上げ、誰もがいつ雷が落ちるかと怯えていた。


「まあ、いい。しかし、なんであんなになるまで呑んだ?」

 ビクトルが鋭い目で剣禅に詰め寄る。

 雷魔法を扱う者特有の威圧感が漂い、まさに雷鳴の前触れといった空気だ。


 それに対し、剣禅は全く臆することなく、平気な顔で白状した。

「いやあ……それが。誰が変顔を維持したまま踊り続けられるか大会してたら、途中から記憶がないんじゃなあ。不思議なこともあるもんじゃのう」


 その瞬間、ビクトルの顔がさらに赤くなり、髪の毛が一気に逆立ち始めた。

 周囲に静電気が走り、ビリビリと音を立てながら、彼の体から小さな火花が散る。

 雷の権威たる男が本気で怒りを爆発させようとしていることは、誰の目にも明らかだった。


「ふざけるてるのか……!」

 ビクトルの怒りが頂点に達し、雷のような声が響き渡る。

 空気はピリピリと張り詰め、まさに嵐の前の静けさに誰もが息を飲む。


 剣禅は、それでもどこ吹く風のように軽く笑って「それにしても、盛り上がったのお」と続けようとするが、周囲の人々はビクトルの雷が炸裂するのではないかと、完全に固まってしまった。


 ☆☆☆


 ビクトル・マッコーガンは二十年もの間、雷魔法の最高権威に君臨し続けている。

 その名は魔法学会内外で知られており、ビクトルが怒鳴ると国王ですら黙り込むと言われている。


 彼は不正や怠慢に対して一切の容赦をせず、誰であろうと雷鳴のような声で糾弾してきた。

 魔法学会ではすっかり「名物雷オヤジ」として恐れられているのである。


 噂では、彼の怒声は地面を揺るがし、静電気で空気が裂けるかのようだとされているが、実際に彼の怒りを目の当たりにする者は、その噂を軽く超える恐怖に圧倒される。


「死ぬほど怖い」という言葉は決して比喩ではなく、ビクトルに怒鳴られた者は、まさに死を感じるほどの威圧感を受けるのだ。


 しかし、そんな中、剣禅とセリナの二人だけが平然と、むしろ笑いながらその怒りを受け流していた。

「変顔ダンス大会」とふざけた言い訳をしてビクトルの髪が逆立ち始めても、二人はまるで怖がる様子もなく、軽くヘラヘラと笑っている。


 周囲の者たちは震え上がっているのに、なぜこの二人は笑っていられるのか。

 肝が太すぎる。

 あの二人に掛かると、ビクトルの怒りすら面白い余興でしかない。


 周囲の者たちは、その異常さにさらに不安を感じながらも、何も言えず、ただ二人を見守るしかなかった。

 ビクトルの激怒が膨れ上がるほど、彼らの笑い声が大きくなっていく。

 その結末を誰もが固唾を飲んで見守っていた。

 お読みいただきありがとうございました。

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 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

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