38話 アステラ市街戦 8
リカルドは身体強化の二重掛けで瞬く間に教会の壁を駆け上がる。
人間の速度を遙かに超える速度で、リカルドは大剣ドラゴンバスターを一閃した。
空気を切り裂く音が轟き、巨大な剣が教会の屋根ごと吹き飛ばすかのような破壊力を帯びていた。
「うおおおおおおッ!」
リカルドの雄叫びが響く中、黒騎士イラリオは一歩も引かない。
イラリオの剣が突如として形を変え、重厚な盾へと変形した。
それは、伝説の魔具――”傲慢な斧”。
状況に応じて武器から盾へ、自在に形を変える遺物の魔力は、戦場の局面を一変させる。
「まさか――魔王の遺物か!」
リカルドは驚愕しながらも、ドラゴンバスターを全力で叩きつけた。
しかし、イラリオの盾はその圧倒的な一撃を受け止め、まるで無傷のままだ。
「なんだとッ!!」
リカルドの目が戦慄で見開かれた。
イラリオは盾を構えたまま、冷ややかな眼差しでリカルドを見据え、微笑む。
その笑みには、ただの人間とは違う何かが宿っているかのようであった。
☆☆☆
マテオが暴食の槍を掲げ、低く唸るような声で「魔王の遺物同士、勝負しようや」とイラリオに挑む。
その言葉と同時に、空間が不気味に歪み始め、周囲の空気が重くなった。
暴食の槍が放つ力は、一撃で空間さえも喰らい尽くすかのように、凄まじい勢いで渦を巻く。
暴食の槍が一閃し、軌跡に沿って空間が圧縮されたかのように歪んで裂けた。
衝撃波でイラリオのマントが翻り、凄まじい風切り音と共に暴食の槍が迫る。
その一撃は通常の武器では防ぎようのないものだった。しかし――。
「甘い」
イラリオが軽く微笑んだ瞬間、周囲に巨大な布が広がり始めた。
布はまるで生きているかのように空中で優雅に舞い、マテオの放った暴食の槍の一撃をまるで風に流されるように受け流してしまった。
「なッ――なんだあ!?」
その巨大な布がはためくたびに、マテオの攻撃が吸収され、どこかへと消えていくかのように力を奪われる。
マテオは驚愕の表情を浮かべ、暴食の槍の圧倒的な破壊力がいとも簡単に無力化されたことに目を見開く。
「なんだ、その布は?!」
巨大な布はイラリオを包み込むように風に舞い、闇に染まった空間の中で威圧感を漂わせていた。
それはただの巨大な布ではなく、魔王の遺物に応じた防御手段であり、攻撃を無効化する魔力を持ち合わせているのである。
マテオの驚愕の表情が消えないまま、教会の屋根を覆っていた巨大な布がゆっくりと姿を変えながら、まるで霧が晴れるように夜空へと消えていった。
その布の異様な光景が消え去ると、同時に黒騎士イラリオとヴァンパイアの姿も、まるで最初から存在しなかったかのように跡形もなく消えていた。
「消えた……」
レイが低く呟く。
夜空には再び静けさが戻り、どこか不気味な冷たい風が吹き抜けていく。
先ほどまでの緊張感が、一瞬にして消失したかのように周囲は静まり返っていた。
リカルドは剣を構えたまま周囲を警戒するが、イラリオの気配は完全に消え失せていた。
教会の屋根も、瓦礫が散乱しているものの、戦いの痕跡を残しながら静寂に包まれる。
誰もが黒騎士の不気味な消失に言葉を失い、その場にはただ静けさが漂っていた。
☆☆☆
黒騎士イラリオは、教会の屋根から姿を消し、静かに地下への階段をコツコツと歩いていた。
手には依然として、トラグス・アイアンブラッドの首を掴んだまま。
暗くて湿気のこもった地下に降り、重厚なドアを開けると、奥には数人の影が待っていた。
彼は冷たく無感情な顔つきで、ハイポーションの瓶をその場に叩きつけて割る。
ハイポーションで濡れた床に、トラグスの首を雑に放リ投げた。
「ちょっと! 私は繊細なんですよ!!」
首だけになったトラグスが床を転がりながら、抗議の声を上げる。
トラグスの首が地下室の冷たい床に転がると、その身体は徐々に煙を立て始めた。
灰色の煙は、ゆっくりと渦を巻きながら、首元から上方へと漂い始める。
数秒の間、トラグスの首はただの物体のように転がっていたが、やがて煙が凝縮し、ボコボコと音を発てながら、首に繋がる形で身体が再生されていく。
まずは骨が組み上がり、筋肉がそれに覆いかぶさるように形を作りだす。
血管が浮き上がり、脈打ちながら全身に血液を送り始めた。
皮膚が肉を包み込み、徐々に人型へと整っていくその姿は、あまりにも異様で不気味だった。
煙が激しく立ち上る中、大柄なヴァンパイアの巨大な手が、ゆっくりと床に付いた。
指先が骨のように見えたかと思えば、瞬く間に完全な肉体が形成される。
彼の全身は再び元の力強さを取り戻し、その目は冷酷で、まるで何事もなかったかのように起ち上がった。
トラグスは一度肩を回し、再生した体を確認するように動かすと、少し不満そうに顔をしかめる。
再生は完了したが、振り向いた時の表情には、イラリオへの苛立ちが隠せなかった。
「あああああ……死ぬかと思いましたよ!!」
トラグスはイラリオを睨むと「あのねえ」と声を上げた。
「乱暴過ぎます! 遺憾の意を表しますよ! ええ! 大変、不満です!」
「助けたことに変わりはなかろう」
イラリオはすでに腰掛け、執事風の男から酒を注いでもらって煽っていた。
薄暗い部屋の奥から艶めかしい動きで魔女サンティナが現れて唇を押さえて言う。
「進捗状況が知りたいわ」
「そら。羨望の仮面を手に入れたぞ」
イラリオは胸元から白く輝く仮面をテーブルに投げて、傲慢な態度で答えた。
「あら、凄いわ!」
サンティナは手を叩いて飛び上がって喜ぶ。
「そこのデカいヴァンパイアは、ボコボコにされてたけどな」
「相手がいっぺんに増えすぎたんです! 五騎士だけならまだしも、暴食の槍や、フロルベルナの悪魔までいるなんて――!」
「フロルベルナの悪魔……ああ、彼女がいたのね。可愛らしい女の子だったでしょ?」
「あなたねえ! なあんで、事前に伝えないんですか! あの悪魔は、私の愛らしい眷属を惨たらしく討ち果たして……私にあんな辱めを――嗚呼!!」
見上げるような長身のトラグスがヨロヨロとふらつき、床に這いつくばって、おいおいと嘆きだした。
サンティナの表情が微かに変わると、奥の椅子から優男が立ち上がる。
彼は優雅な身のこなしと、柔和な顔立ちが特徴で、妖気が漂うような雰囲気を持っていた。
彼の目は鋭く、しかし優雅さを失わずにイラリオを見つめていた。
優男は穏やかな声で、疑念を込めて問いかけた。
「イラリオくん。同士、トラグスを助けてくれてありがとう」
「でもね。その仮面が本物であるか、検証してみる必要があると思うんだ」
イラリオは傲慢な態度を崩さず、優男の言葉を遮った。
「疑いの余地はない。五騎士、リカルド将軍が本気で斬りかかってきたんだぞ。それが本物でなくて、なんだというのか」
場の空気は緊張感を増し、サンティナと優男の目がイラリオに注がれていた。
イラリオの周囲には暗い影が立ち込め、彼の持つ遺物の力を示す時が迫っているように感じられた。
☆☆☆
優男は淡々とした表情で、トラグスに向かって問いかけた。
「まあまあ……ところで、トラグス。君の眷属たちはどうなったんだい? まだ残ってたりするかい?」
トラグスは唇を歪め、嫌悪感を露わにしながら答えた。
「ヴィクター……残っているのは、もう残りカスみたいな連中だけですよ」
優男――ヴィクター・オルドはウインクして「頼むよ」と笑顔でトラグスに甘えるような声を出した。
トラグスが、しぶしぶ手を振り上げると、暗いエネルギーが渦巻き、背の曲がった醜男が顕現する。
彼は骨格全体がねじれており、皮膚は異常に青白く、生気というものがまったくない。
その姿は見ているだけで不快感を催させるものだった。
醜男はまるで無気力状態で、目の前の者たちを見つめた。
「やあ! 魔界から、よく来てくれたね! さあ、君! そこの世にも美しい仮面を被ってみせてくれないかな? とても君に似合うと思うんだ!」
やけに陽気なヴィクターに、醜男は不快そうに顔を歪めながらも、命令に従うしかないようで、仮面を受け取った。
トラグスはその様子を見て、醜男の曲がった背中を摩って優しく声をかける。
「いいですか? これは栄誉ある仕事なのですよ?」
醜男は、まんざらでもない醜い笑顔で仮面を慎重に被った。
醜男が仮面を顔に被ると、それは激しく震えだした。
次の瞬間、仮面は、まるで猛獣のような唸り声をあげると醜男の顔に咬みついた。
仮面の縁から鋭利な牙が生え、皮膚に食い込み、醜男の目が驚愕と恐怖で見開かれ、悲鳴が喉の奥から絞り出される。
醜男の悲鳴は、恐怖と苦痛が渦巻く絶叫へと変わり、地下室に響き渡った。
仮面は冷酷に、醜男の顔の肉を喰い裂き、彼の目の前に広がる世界が急速に変わっていった。
血が飛び散り、肉が裂ける音が連続して聞こえる中、醜男の上半身が激しく震え、暴れまわった。
醜男の両手は必死に仮面を引き剥がそうとし、足は床を激しく踏み鳴らして暴れた。
仮面は血の味を知る毎に、凶暴さを増し、醜男の肉を鋭く削り取っていく。
肉の断片が飛び散り、血液が床に流れ出す様子は、まるで地獄の光景そのものだった。
醜男の絶叫は徐々にかすれ、もはや生者の声ではない。
恐怖と苦痛の最高潮を迎えた悲鳴へと変わった。
血と肉が一瞬にして喰い散らかされていく。
血まみれの断片が床に散らばり、醜男の身体は、恐ろしい音を立てながら仮面の中へと消えていった。
酒を煽っていたイラリオは、何か叫びながら立ち上がり、怒りの声をあげるが誰の耳にも届かない。
その恐怖の光景を目の当たりにしたトラグスの表情には、驚愕と恐怖が浮かび、冷酷さは完全に消え去っていた。
目は大きく見開かれ、口は呆然と開けられ、震える声で絶叫を上げたのである。
地下室の空気は凄まじい恐怖と異様な緊張感に包まれ、仮面の凶暴性と醜男の恐怖が渦巻く最恐の空間となっていた。
☆☆☆
ヴィクターは軽薄な笑みを浮かべながら、醜男の絶叫と惨劇を眺めていた。
整った顔には薄ら笑いが浮かび、無邪気な愉悦がにじみ出ている。
周囲の惨状にまったく動じることなく、彼は肩をすくめながら、ワインを愉しんでいた。
「まあ、掴まされたねぇ」
ヴィクターは血まみれの惨状を一瞥しながら言った。
ヴィクターの指は悠然とイラリオの腰へと向けられ「そっちは本物だよ」と付け加える。
「僕の鑑定眼が言っているんだ。その仮面は魔王の遺物にしては品がない――と」
ヴィクターは指先で軽く空中を撫でるような仕草を見せ、まるで物質的な品位を軽んじるかのように振る舞った。
一瞬の沈黙の後、口元に薄ら笑いを浮かべ、ヴィクターは、また軽薄に言葉を放つ。
「遺物には違いないが――封じられているのは、魔獣か何かだろうねぇ。持ち出し禁止の魔具。禁具を虚飾の魔法で入れ替えたんだろう。恐ろしい策を考えるものだ」
ヴィクターの言葉には飄々とした調子があり、仮面の凶暴さやその恐怖に対する驚きはまったく見受けられなかった。
手を軽く振るいながら「まあ、彼には悪いけれど、ちょっと残念な形でお別れすることになったね」と続けた。
「質実剛健で知られたリカルド将軍が、随分と残酷な策を弄する。いやはや、恐ろしいことだよ」
ヴィクターは如何にも楽しそうな様子で、面々に「あはは」と笑いかけた。
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