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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第三章 羨望の仮面
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37話 アステラ市街戦 7

 サンティナ。


 その名が脳裏に刻まれた瞬間、レイの全身に怒りが込み上げてきた。

 レイの怒りに反応するように、周囲の空気が凍りついた。


 レイの手がゆっくりと持ち上がり、その瞳には冷酷な決意と怒りの炎が宿っていた。

 視界に捉えたヴァンパイアに向けて、レイは禁断の術を発動した。


 ――第十六階層禁術 虚空断裂(ヴォイド・レンド)


 レイの言葉とともに、空間そのものがねじれ、捻じ曲がり始める。


 次第に目に見えない円形の力がヴァンパイアを中心に広がり、周囲の光や物質が吸い込まれるように消えていく。

 ヴァンパイアの体は一瞬で抗う術もなく捕らえられ、その胴体がまるで捻じれるようにして崩壊していった。


「ぐああああああ!」


 ヴァンパイアの叫びが響き渡るが、それも虚無の渦に飲み込まれ、音すら消えた。

 胴体が捻れて消滅し、首と両手、両足首だけが、世界に残されている。


 それでもヴァンパイアは即座に再生を始め、血のように赤い涙を流しながら、まるで芝居がかった口調で泣き叫んだ。


「こんな……こんな、酷いことは許されませんよ! !」


 再生し始めた体が震え、ヴァンパイアの顔は苦悶に歪んでいたが、その表情にはどこか哀れさと皮肉が混じっていた。

 再生する手を引きずりながら、ヴァンパイアは涙をこぼし続け、声を震わせた。


 レイは無表情のまま、冷たい瞳でヴァンパイアを見上げた。

 その怒りは未だ冷めず、言葉にも力がこもっていた。


「……サンティナのことを洗いざらい吐け。今すぐ」


 ヴァンパイアは一瞬怯んだように目を見開いた。

 だが、再生し続ける体とともに、ヴァンパイアは次第に言葉をつむぎ始めた。


「サンティナ?  彼女のことを知りたいのですか?」

 ヴァンパイアは不気味に微笑み、涙をぬぐいながらゆっくりと立ち上がる。


「うふふ……彼女のことですかあ。どうしましょうかねえ?」

 ヴァンパイアは、甘ったるい声で、まるで楽しむかのように言葉を紡ぐ。


 両手を広げると、ヴァンパイアの背後に巨大な闇がゆらゆらと広がり、広場全体を覆うように広がりだした。

 闇が蠢き、空気が重くなる。


 その瞬間、リカルドが地面を蹴り、一気にヴァンパイアへ突進した。


 ドラゴンバスターを振り上げ、一閃を放つ。

 しかし、ヴァンパイアはその一撃を待っていたかのように、その姿を霧へと変化させた。


「無駄ですよ、将軍さま」と、霧となったヴァンパイアの声が、風に乗って耳元に響く。

 リカルドの大剣は空を切り、斬撃は虚しく闇を裂くだけだった。


 霧となったヴァンパイアは教会の屋根の上に再び姿を現し、悪戯な笑みを浮かべてリカルドを見下ろす。

「もっと楽しませてくださいな」

 闇が再びゆらめき広がり始める。


 リカルドは大剣を握り直し、鋭い眼差しでヴァンパイアを睨みつけた。

「逃げ足の早いやつだ」と、次の攻撃の機会を窺いながら構えを崩さなかった。


 ヴァンパイアは教会の屋根から、翼を広げて夜空へと飛び立った。

 闇に溶け込むように高く舞い上がり、嘲笑うような悲鳴をあげながら遠ざかっていく。


「この期に及んで逃げるのか!」

 リカルドが叫ぶが、その声も空の彼方へ届くことはなかった。


 ☆☆☆


 広場の誰もが、ヴァンパイアを逃したと諦めた瞬間、断末魔のような悲鳴が轟いた。


 大柄なヴァンパイアが夜空に吊られて、無様に藻掻いている。


 ヴァンパイアは何かに引っかかったかのように、空中でぎこちなく止まり、苦悶の表情を浮かべていた。

 ヴァンパイアの身体は見えない何かに絡め取られていた。


 夜空に蠢く巨大な影が現れた。


 冷たい風に乗って、その姿が徐々に浮かび上がる。

 地獄蜘蛛ジギーとバギー。

 二匹の地獄の大蜘蛛が、闇夜で不気味に蠢きながら、巣を広げていたのだ。


 ヴァンパイアはジギーとバギーが編んだ霊糸にぶら下がり、必死にもがくが、その動きはますます鈍くなっていく。


 霊糸がヴァンパイアの四肢を絡め取り、ヴァンパイアが逃げる術はもうなかった。

 蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、ヴァンパイアは無力に宙に吊られ、絶望の叫びを再び夜空に響かせた。


 レイはその光景を見上げ、冷ややかな声で「サンティナのことを吐きなさい」と言った。

 その声には冷酷な静けさがあり、レイの紅く燃える瞳が、夜空の捕らわれたヴァンパイアを鋭く見据えていた。


 ☆☆☆


 ヴァンパイアが断末魔の叫び声をあげる。


 今度ばかりはヴァンパイアの声に嘲笑の色は微塵もなく、ただの終焉の声が響いた。

 その時――


 夜空に漆黒の影がひらりと舞う。

 その影がゆっくりと降下し、黒い騎士の姿が浮かび上がった。


 その足取りは軽やかで、まるで空気を切り裂くような動きであった。

 黒騎士は一振りの剣でヴァンパイアの首を斬り落とし、その首を掴んだ。


「なんだ?」

 さすがのリカルドも、驚きの色を隠しきれない。


 黒騎士は、漆黒の鎧に身を包み、長いマントが風にたなびく。

 その姿は夜の闇に溶け込むように、凛とした威厳を放っていた。


「トラグス・アイアンブラッド。助けてやろう」

 黒騎士はヴァンパイアの髪を掴み、そのまま教会の屋根に立ち上がる。


 首だけになったヴァンパイア――トラグスが文句を言う。

「助けるにしてもやり方ってもんがあるでしょうが」


「お前のようなお調子者でも、組織の参謀としては優秀だからな」

 黒騎士の姿が月明かりに浮かぶと、リカルドは目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。


「まさか、あれは――イラリオさま? イラリオ王子か?」


 レイは驚きと共に、黒騎士の姿をじっと見つめながら、リカルドに言う。

「王子ですって?」


 リカルドは少し思案し、その過去の経緯を口にする。


「王位継承権は、実母の身分が低かったために、長男ながら末席になっていたが……イラリオさまは、ご母堂が亡くなると同時に姿を消してしまわれた」

 リカルドは、驚愕と困惑の表情を浮かべ、片膝をついて深く頭を下げた。


「王子! ご説明を願いたい! その手にあるは大罪人だと、ご存じなのか!!」

 リカルドのその姿勢は、王子に対する敬意を表しつつ、激しい怒気も含まれていた。


「リカルド・カザーロン将軍。この国に、お前ほどの男が尽くす価値はない」

「な……なにを仰る! あなたは、この国の王子ではございませんか!!」


 黒騎士は、静かに教会の屋根の上で立ち尽くし、片手に仮面を持っていた。

 月光に照らされたその仮面は、陰影が深く、古びた質感が漂う。

 黒騎士は仮面を見つめながら、その冷たい目を向け、落ち着いた声音で言った。


「これは貰っていく」


 その言葉が発せられると、リカルドの顔に焦燥の色が浮かんだ。

 リカルドの目が一瞬、仮面に釘付けになると、驚愕と焦りの表情が瞬時に広がった。


 仮面が「羨望の仮面」であることに気づいたのだ。

 リカルドの手が一瞬震え、急いで黒騎士に向かって駆け上がって行く。


「それで何人の人間が死んだのか、わからんのか!!」


 リカルドが叫び、ドラゴンバスターが夜空を裂いた。

 お読みいただきありがとうございました。

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