36話 アステラ市街戦 6
――第十二階層召喚禁術 影の蜘蛛。
路地裏の闇がさらに深まる中、レイの指が空を切り、地獄蜘蛛ジギーとバギーを召喚した。
まるで影そのものから形作られたような巨大な二匹の蜘蛛が現れ、彼らの体長は数メートルにも及ぶ。
黒光りするその甲殻は、冷たく鋭い光を吸い込むように輝き、左右四つの目が不気味に周囲を見渡す。
細い足は鋭い音を立てながら地面に触れ、その一歩ごとに空気が揺れるかのようだ。
ジギーとバギーは静寂の中で突然、恐ろしく低く響く不気味な鳴き声を上げた。
その声は地獄の底から這い出てきたかのような、重く濁った声で、街の壁に反響して兵士たちの耳に届く。
死を予感させるその声に、近くにいた兵士たちは思わず恐怖に駆られ、悲鳴を上げて後ずさった。
そして、二匹の巨体の影から無数の子蜘蛛たちが溢れ出してきた。
子蜘蛛たちは、影の中に潜むようにして生きている。
全身が漆黒で、光を反射しないため、闇の中ではほとんど見分けがつかない。
路地裏に影のように地面を這い、無数の足で路地裏を一瞬にして覆い尽くしていった。
兵士たちはその異様な光景に背筋を凍らせ、武器を持った手が震えたが、レイは冷静に事態を見つめている。
ジギーとバギーは、路地裏の隅々までその巨体を滑らかに動かし、捕らえた敵を一瞬でその大きな顎で引き裂いた。
ゾンビたちは抵抗する間もなく彼らの糸に絡め取られ、吸血鬼や狼男たちも無数の子蜘蛛たちによって、路地裏から炙り出されていく。
「怯えないで! 彼らは私の支配下にあります!」
レイの声が響き渡るが、ジギーとバギーの不気味な鳴き声がその言葉を打ち消すかのように空間を支配していた。
「――それに、これからもっと悍ましいのを召喚しますから」
――第十階層召喚禁術 地獄の掃除屋。
地獄から現れた、この中型ワームは死者の世界に住み、腐敗した魂や死体を喰らうことで知られている。
体長は成人の背丈ほどあり、膨らんだ腹部からは不気味な音が漏れていた。
ワームの表面は黒ずみ、細かな鱗のような模様が光を反射し、どこか湿り気を帯びている。
地上に召喚された時には、邪悪な存在やゾンビのような不浄のものを一掃するのだ。
その役割ゆえに、まるで街の裏側を掃除するかのように、ワームの群れは路地裏で蜘蛛の糸に絡まった腐った肉体や魂を次々と喰らい、徹底的に這い回りだした。
その動きは滑らかで、ワームの体表がゆっくりと周囲の空気を吸い込みながら、ゾンビたちの姿を確実に捉え始めた。
ゾンビがワームに吸い込まれると、強烈な胃液が渦巻き、消化されていく。
ワームの腹が膨れ、吸い込まれたゾンビの体液がワームの体内で混ざり合い、暗い液体が至るところに吐き散らされた。
周囲の空気は、ゾンビたちの腐敗臭から解放され、ワームが通った路地裏に残されたのは、散乱するゾンビの衣服だけである。
☆☆☆
ゾンビや吸血鬼たちは、自分たちの頭上に広がる蜘蛛の巣に気づかないまま、ジギーとバギーの罠に次々と掛かっていった。
子蜘蛛たちは無数の足で巣を這い回り、獲物を見つけると素早く近づき、その小さな体から放つ鋭い毒針を一斉に突き立てる。
毒針は非常に細かく、鋭いため、獲物が気づいた時にはすでに全身に深く刺さっている。
死体ゆえに、その微毒で動けなくなることはないが、痺れと共に、方向感覚は確実に狂わされることになる。
路地裏に潜んでいたゾンビたちが、苦悶の声も上げることなく糸に絡まり、子蜘蛛たちの毒によって痺れている隙に、ワームがゾンビを掃除していく。
吸血鬼たちも子蜘蛛たちの餌食となり、暗闇に張り巡らされた巣から逃れるので精一杯になりだした。
狼男のような強靭な存在でさえ、無数の子蜘蛛たちの毒針に追い立てられて、路地裏の奥から炙り出されてきた。
「あなた達だけが、暗闇の住人だとは思わないことね」
教会前の広場に、路地裏の影から魔物やゾンビの群れがじわじわと現れ出した。
腐臭を漂わせる死者たちの歩みが広場を埋め尽くし、凶悪な魔物たちが牙を剥き出しにしている。
レイはすかさず声を張り上げた。
「将軍、今です!」
その言葉が届くや否や、リカルド・カザーロン将軍は身を躍らせ、巨躯を覆う身体強化の魔法を瞬時に発動させた。
彼の手に握られた巨大な大剣ドラゴンバスターが唸りを上げて空を裂く。
振り下ろされる一撃は圧倒的な力を伴い、ゾンビたちの群れを真っ向から叩き潰した。
「おおおおッ!」
リカルドの声が轟くと同時に、五体のゾンビが瞬時にドラゴンバスターの一撃で弾け飛び、腐った肉片が四方に散らばる。
真っ二つに切り裂かれたゾンビたちの残骸が地面に倒れ込む中、その奥から巨躯の狼男が姿を現した。
「グルルル」と低い唸り声を上げながら、狼男は大剣の振りを片腕で受け止め、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
リカルドの剣筋を見切ったかのような余裕が、その表情に漂う。
しかし、リカルドは表情一つ変えず、さらに身体強化の魔法を増幅させた。
筋肉がさらに膨れ上がり、彼の全身がまるで鋼鉄のように輝く。
今度の一撃は、尋常ではない力を秘めていた。
「うおおおおおおおおおおおお!!」
リカルドは大剣を振り抜き、狼男の巨躯を横凪の一閃で斬り裂いた。
「グヘアアッ!」
狼男が苦悶の叫びを上げる間もなく、その巨大な体が真っ二つに割れ、血飛沫と共に地面へ崩れ落ちた。
鋭い刃と圧倒的な力が、魔獣の誇りを打ち砕いた瞬間だった。
リカルドは大剣を振り戻し、戦場を睨みつける。
「続けい! 怯むな!」
戦場はリカルドの一撃で一気に勢いづき、士気は最高潮に達した。
将兵たちは雄叫びをあげ、激しい突進を開始する。
敵を恐れることなく、リカルドの背に続き、剣を振り上げて広場を埋め尽くす魔物やゾンビたちに向かって突進した。
☆☆☆
しかし、その熱狂の中、広場の端でひときわ異様な存在が目に入った。
白髪の老女が、骸骨のように痩せ細った手で巨大な魔杖を握り、低く不吉な呪文を唱えていた。
彼女の口元には忌まわしい笑みが浮かび、周囲の空気が急に重く冷たくなった。
老女は禁術を解き放とうとし、魔杖を高く掲げた。
――第十階層禁術……
老女は狂気に満ちた声で叫び、魔杖から黒い閃光が広がろうとした瞬間――
「虚飾の魔杖!」
レイの冷静な声が響き渡った。
レイの手が魔法陣を描き、鋭い呪文が瞬時に発動される。
虚飾の魔杖による強力な封印魔法が老女を包み込み、その動きを一瞬にして金縛りにした。
老女の顔は一転し、もの凄い形相で憤怒に満ちた声をあげた。
「ぎいいいいいい!」
老女は歯ぎしりしながら魔杖を振り上げようと必死に抗ったが、レイの魔法によりその身体は微動だにしなかった。
その間にも、兵士たちの突進は止まらない。
老女の前方から押し寄せた将兵たちが、一斉に彼女の姿を踏み潰していく。
狂ったように叫ぶ老女の声は兵士たちの雄叫びにかき消され、戦場の激しさに呑み込まれていった。
☆☆☆
「喰らえ、暴食の槍!」
マテオが叫びながら巨大な槍を教会の屋根に向かって全力で投げ放つ。
槍は真っ直ぐに飛び、上空を舞う蝙蝠女に命中すると、瞬く間に爆発が起きた。
炎と黒い煙が渦を巻き、蝙蝠女の断末魔が戦場に響き渡る。
一方で、爆発を目の当たりにし、青白いドレスの幽霊が恐怖に駆られて逃げ出そうとした。
しかし、その動きを察知していたレイの仕込みは既に完了していた。
地獄蜘蛛ジギーとバギーが編み上げた霊糸が、逃げ惑う幽霊に絡みつき、その動きを封じ込める。
――第十一階層禁術 業縛結界。
幽霊はもがきながらも、亡霊を絡め取る霊糸に絡め取られ、声にならない悲鳴を上げた。
レイは冷ややかに幽霊を見下ろし、ため息をつくように呟いた。
「なに甘ったれて泣いてんのよ」
幽霊は嘆き、許しを乞うように泣き続けるが、レイはさらに冷酷な声で続ける。
「世間に拗ねて、散々暴れまわってきたんでしょうが。まさか、天国に逝けるなんて思ってないでしょうね? どんな理由であれ、あなたは地獄で裁きを受けなさい」
レイの手が光を帯びると、彼女の放つ力が幽霊を強制的に昇天させる。
青白いドレスの幽霊は断末魔の悲鳴を上げながら、次第に形を失い、霧のように消えていった。
最後に残ったのは、重く響く戦場の風の音だけだった。
☆☆☆
戦場の広場に漂う静寂。
マテオの暴食の槍が蝙蝠女を爆破し、レイの魔法が逃げ惑う幽霊を強制的に昇天させる様子を目の当たりにし、将兵たちはまるで夢を見ているかのように呆然としていた。
それまで散々に苦しめられていたヴァンパイア軍団が、わずか二人の援軍によって瞬く間に瓦解していったのだ。
今まで神出鬼没のヴァンパイア軍団に包囲され、押され続けていた戦況が嘘のようである。
兵士たちの間には、信じられないという表情が広がっていく。
あのヴァンパイア軍団が、あれほど強力な相手だったはずの敵が、たった二人の加勢によって次々と崩れ去っていく光景に、誰もが言葉を失っていた。
「――本当に現実か?」
誰かが小さく呟くが、それすらも信じられない。
瓦解した敵の残骸が戦場に散らばる中、リカルドをはじめ、将兵たちは完全に呆気に取られ、その場に立ち尽くすしかなかった。
☆☆☆
教会の屋根の上、異様に大きな体が震え始めたかと思うと、突然、芝居がかったような泣き声が夜空を劈いた。
顔を両手で覆い、その嘆きの声は広場全体に響き渡る。
「私の愛する眷属たちが……! おお、なんてことでしょう!」
ヴァンパイアは大袈裟に叫び、まるで舞台役者のように誇張された阿鼻叫喚を繰り返した。
彼の声は悲痛な調子を装いながら、どこか不自然で滑稽ささえ漂わせていた。
ヴァンパイアは、空に向かって両手を広げ、まるで何か偉大な存在に祈りを捧げるかのように嘆き続ける。
「嗚呼! お前たち、私の美しき眷属たちよ! どうしてこんな残酷な目に遭わねばならぬのか!」
しかし広場で、その三文芝居を見上げる者たちは、冷ややかに見上げるだけである。
彼の泣き声と嘆きは、明らかに誇張されており、観る者たちを冷笑させた。
それにも関わらず、ヴァンパイアは涙を流しながら、その場に崩れ落ちるように振る舞い続けている。
ヴァンパイアの嘆きの声が広場に響き渡る中、突然、その表情が憎悪と驚愕に歪んだ。
屋根の上からマテオを見下ろし、ヴァンパイアは叫ぶ。
「暴食の槍? ――貴様、アレを倒したのか?」
その言葉には信じられないという色が濃くにじんでいる。
「 竜人ガスパールを!? どうやって……?」
ヴァンパイアの目はマテオに鋭く注がれ、次第に怒りに満ちていった。
「そうか! 貴様は、サンティナを倒した奴か! フロルベルナ村の悪魔――!」
ヴァンパイアの震える声は詰まりながらも、次第に激しさを帯びていく。
過去に、レイとマテオが破ってきた強大な敵たちへの復讐心が込められていた。
☆☆☆
ただ独り、ヴァンパイアを見上げるのを止めた者がいた。
彼女の目は真っ赤に染まり、拳は怒りに震えている。
「サンティナ――それが私の仇……魔女の名かア!!」
レイは自らの魂に刻むように、その名を敢えて口にした。
ヴァンパイアは自ら地獄の門を開けたのだった。
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