34話 アステラ市街戦 4
リカルドは資料から目を離し、レイに視線を向けた。
彼女は専門家として、この状況下でも冷静さを保ち続けている数少ない人物の一人だとリカルドは理解していた。
博物館の地下に厳重に保管されている”羨望の仮面”について、リカルド自身も完全に理解しているわけではなかった。
力があることは確かだが、その具体的な影響が何なのか、確信を持って言える者は少ない。
「レイ。専門家の意見が聞きたい。羨望の仮面について詳しく教えてくれないか?」
レイは慎重に言葉を選んで答えた。
「噂と違うことといえば、羨望の仮面を被ったからといって強くなるわけではないんです」
「無敵の力が手に入ると聞いたが……それじゃあ、なにがそんなに危険なんだ?」
「無敵の力というのは、あながち間違った解釈ではありません。無敵の兵が手に入ると解釈した方が近いかと」
「兵?」
「羨望の仮面は、被った者のカリスマ性を異常に増大させます」
「増大させたら、どうなる?」
リカルドが眉をひそめる。
「羨望の仮面をかぶった者は圧倒的な存在感を持つようになり、周囲の人々を瞬く間に引きつける魅力を持つことになります。言葉一つで、大勢を簡単に操ることができるようになるでしょう」
「人心掌握の魔力ということか?」
「洗脳が怖いのは、飽くまで自分の意思で決定しているという点です。操られているという意識がない。自分たちを正義だと信じて疑わない。洗脳を第三者が解くのが難しいのはこういう事情です」
「催眠術の類いとはわけが違うな……」
「いわば、仮面を被った者が神や王のような崇拝対象になると考えてください」
リカルドは険しい顔つきで無精髭を撫で、腕を組んだ。
「――では、俺が仮面を被るという選択肢はないのか?」
彼の目は冷静だが、その奥には覚悟が見え隠れしていた。
マテオが持つ暴食の槍を一瞥し、彼は続けた。
「マテオが持てるなら、俺もこの仮面を使いこなせるんじゃないか?」
レイはすぐに首を振った。
「それは一番、危険だと思います」
「なぜだ?」
リカルドは真っ直ぐレイを見据える。
「屈強なドラゴンスレイヤーで、将兵からの信頼も厚い。仮面の中身に気に入られる可能性が高いからこそ危険なのです」
レイは一瞬、言葉を選ぶように沈黙したが、やがて口を開いた。
「仮面の中には、六百五十年前に王朝を潰した宰相の魂が宿っていると文献にはありました。彼はただの権力者じゃない。人心を操り、洗脳し、侵略戦争に打って出て国家を滅ぼした張本人です」
「将軍は今の政治体制に、なんの不満もありませんか?」
「――それは……」
リカルドは眉をひそめ、黙り込んだ。
仮面の中身に洗脳される可能性が頭をよぎったのだ。
リカルドは深く息を吐き、重い沈黙が場を支配した。
「確かに、俺の意志がどこまで通用するかは保証できない」
「もし将軍が仮面を被れば、ヴァンパイアどころの危険ではすみません。新たな魔王が誕生してしまう危険性もあります」
レイが静かに続けた。
「よく分かった。俺の力では、どうにもならないものもあるんだな」
☆☆☆
「例えばだ。ヴァンパイアが、羨望の仮面を手にしたら、どうなると思う?」
「暗黒神が誕生するか、はたまた夜の王が新国家を樹立するか」
「だったらもう、仮面を破壊してしまった方がいいのではないか?」
リカルドの声は冷静だった。
彼は幾多の戦いを経てきた経験から、強大な力を持つ遺物の危険性を誰よりも理解していた。
「仮面が敵の手に渡れば、計り知れない災いを招くかもしれない。ここで確実に破壊して、リスクを断ち切る方が賢明だ」
しかし、レイは即座にその提案を却下した。
「それはできません」
彼女の声は固く、決意に満ちていた。
「できない?」
リカルドはレイに問い返す。
「仮面をただ破壊するだけでは、力が消滅するとは限りません。むしろ、封印が解けるリスクが否定できないんです。仮面には呪いが絡んでいると……ここに来る途中、古い文献をあたって調べましたが、間違いないようで」
「破壊することで、その呪いが解き放たれ、さらに大きな災厄を引き起こす可能性があるということか」
さすがにリカルドの理解は早い。レイは「はい」と言って目を伏せた。
☆☆☆
二階の食堂は、騎士たちの熱気で溢れていた。
作戦会議と同時に行われる食事は、決して贅沢なものではなかったが、兵士たちの士気は高く、喧々囂々と意見が飛び交っていた。
それぞれが自分の考えを主張し、声が重なるたびにテーブルが揺れる。
しかし、その混乱の中にも、指揮官としてのリカルドの存在感は際立っていた。
彼は冷静に意見を聞き分け、的確にまとめ上げていく。
その姿を見て、レイは「やはり良い指揮官だ」と感心した。
レイは騒がしい周囲を横目に、静かに粗末な食事を口に運んだ。
目の前には硬い黒パンが一切れ、それに塩漬けの干し肉が数枚。
パンは歯ごたえがありすぎて、噛みしめるたびに顎が痛むほどだ。
干し肉は少し酸味があり、塩気が強い。
口の中でじっくりと噛みしめることで、少しずつ肉の旨味が広がっていくが、あまり食欲をそそるものではなかった。
その横に、薄いスープが置かれていた。
野菜の姿はほとんど見当たらず、わずかな根菜の切れ端が浮かんでいる程度。
塩味が強く、何のダシで煮込んだかも定かではないが、体を温めるには十分だった。
レイはスープをゆっくりとすくいながら、騎士たちの意見を聞いていた。
彼女にとって、贅沢な食事など必要ない。今はただ、任務を果たすことが最優先だった。
会議の最中、リカルドが立ち上がり、力強い声で場を鎮めた。
「者ども! 聞けい! 今日の会議に参加しているのはただの戦士ではない――」
リカルドはレイとマテオに目を向けて立たせると、指し示して言う。
「紹介しよう! 暴食の槍の英雄、マテオ・アルバレズ! 竜殺し、レイ・トーレス嬢!」
その瞬間、食堂内に静かな興奮が広がった。
騎士たちの視線が一斉に二人に集まり、ざわめきが徐々に高まっていく。
「竜殺し? あの少女が?」
「あの槍が暴食の槍か……」と囁く声があちこちから聞こえる。
リカルドは士気を高めるべく声を張った。
「俺たちは強い! 勝てぬ戦に英雄が参戦してくれようか! 勝てないわけあろうか!!」
リカルドの言葉に反応して、騎士たちは拳を突き上げ、賛同の声を上げた。
「必ず勝つ!」と、熱気はさらに高まり、食堂全体が一つの勢いに包まれた。
リカルドの指揮のもと、士気はピークに達していた。
食堂に集まった騎士たちが、一斉に立ち上がり、リカルドを中心に大合唱が始まった。
「将軍万歳!」という声が口々に叫ばれ、その声は次第に食堂全体に響き渡る。
騎士たちの熱気はさらに高まり、足踏みをしながら、何度もリカルドの名を連呼した。
リカルドは立ったまま、騒ぎ立つ騎士たちを見渡し、穏やかに手を挙げた。
その瞬間、さらに歓声が高まり、「万歳!」という声が一層大きくなる。
彼は少し笑みを浮かべ、冷静な態度で応えたが、その堂々とした立ち居振る舞いが、彼の威厳と人望を如実に示していた。
レイはふとリカルドを見上げ、思索する。
ドラゴンスレイヤーを市街戦に配置するとは、王国の上層部は一体何を考えているのだろうか?
呆れと苛立ちが心をよぎった。
これほどの名将であれば、平原や密林といった広大な戦場で、その指揮能力と戦闘力を存分に発揮できるはずだ。にもかかわらず、彼を市街戦に割り当てたのは、明らかに戦略がわかっていない。
☆☆☆
そして、長い夜が始まった。
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