29話 竜門 10
レイは戦場の中心で立ち尽くし、目の前の壮絶な光景を見据えていた。
奈落の巨人と巨竜が激しくぶつかり合う音が辺り一帯に響き、地面が震え続けている。
すさまじい力のぶつかり合いに、空気そのものが圧迫されているかのように重苦しい。
巨竜の体躯は山のように巨大で、黒紫の鱗が硬質な光を放っている。
鱗の間からは淡い魔力のオーラが漏れ出し、周囲の空間を歪めるかのように揺らめいていた。
奈落の巨人は第十九階層の召喚禁術だが、それでも巨竜には及ぶまい。
もっと地獄の力を引き出すことができればレベルは上げられるだろうが、これ以上の魔力を使って、巨人の制御が効くのか自信もない。
レイは神話のような闘争を、為す術もなく、燃えるような瞳で睨み上げていた。
☆☆☆
巨竜の顔を見上げると、その瞳が輝いていた。
しかし、そこに映るのは、下等な生き物などには微塵も興味を持たない、澄み切った冷徹な光だった。
その瞳は、ただ魔力を感じ取る器官であり、捕食者のもの。
純粋に、ただ、命ある者を等しく見下していた。
巨竜の瞳がレイに向けられたが、まるで彼女がそこにいないかのように何も反応を示さない。
下等な存在として視界にすら入らないようだった。
巨竜が唯一興味を示すのは、圧倒的な魔力を持つものだけ。
その瞳が鋭く光ったのは、強力な魔力を持つ何か――それは、暴食の槍を握るマテオの方向だった。
レイはその恐ろしい光景を下から見上げながら、わずかに手が震えた。
この尋常ならざる威圧感。
その存在だけで全てを呑み込むような力を感じさせた。
しかし、レイは目を逸らすことなく、セリナの治癒の中で必死に息を整えながら、マテオの姿を見やった。
「先輩! 槍を貸して! それでしか仕留められない!」
「おう!」
マテオが暴食の槍を放り、レイは竜の左手で受け取った。
レイは一歩前に踏み出し、暴食の槍を力強く構えた。
槍は黒く輝き、周囲の魔力を貪り始めた。
巨竜の瞳もまた、暴食の槍に対してわずかに反応した。
魔力と質量を喰らう槍、その異質な力を感じ取ったのだろう。
捕食者同士の視線が交差し、戦いの幕が切って落とされようとしていた。
☆☆☆
レイは息を整え、狙いを定めていく。
左手が竜の力でみるみるうちに強化され、鋭い鱗が光を反射している。
――これ。小娘。妾の想い人は如何した? 何故にお主が妾を持っているのか説明せよ。
突然、暴食の槍の中身が寝ぼけたような声で話しかけてきた。
「は?? 女帝陛下? ちょっと今、立て込んでいるんですが! 協力してくれません?」
暴食の槍がブルブル震えだした。
――無礼者!!
暴食の槍から激しい魔力をぶつけられたレイは内心、怒り心頭になったが、なんとか抑えて笑顔をつくる。
「――ええと、女帝陛下? 私になにか、ご要望が?」
――お……おう! そうじゃ! まあ、なんじゃ。妾の所有権なのだが……もし、どうしてもと言うなら、あの男はなんというたかの――認めてやっても良いかな、と左様に伝えよ。
「なんですって!? 今? 今、それを言うんですか?」
――ああ! そうじゃ! マテオ? アレは、妾のことをどう思うておるのか、その、なんじゃ……
「ああ。好きです。好き。そんなこと言ってましたよ。多分!」
レイが即答すると、不審に思ったマテオが割り込んでくる。
「おい! なんか槍と、良からぬ取り引きしてるだろ!? こんな時に、なに喋ってるんだ!?」
鼻だけは利く人だな、とレイは舌打ちしそうになるのをなんとか堪えた。
「女帝陛下! 先輩、槍が好きで堪らないと言ってます! 聞きました! 愛していると!」
「なんの話だ! レイ! こっち向け! コラ!」
――まことかや?! うはははは! でかした。小娘! ぬはあああああ!!!
面倒くせえ槍だな、とレイは思って、今度は思わず舌打ちしてしまった。
大丈夫。女帝には聞こえていない。
「とりあえず、ぶん投げてイイですか? 女帝陛下」
――ええええ。どうしよう。他の人に投げられるの。マテオは嫉妬せんかや?
槍に嫉妬する人間なんかいて堪るか、とレイは思ったが笑顔のまま聞き流した。
「アレがどうなってもイイんですか? 女帝陛下」
槍の穂先をマテオに向けると「どっち向けてんだ!」と怒りだした。
――かわええのおお! 怒った顔も美形じゃあ! 早う! 早う! マテオに妾を渡しておじゃれ!
「違うでしょ!! 女帝陛下。その前にあの竜、倒してよ!」
――はあん? なんじゃあ? あんなもんも狩れんのか?
「あ……あんなもん――???」
レイは暴食の槍の中身――豪傑女帝ベアトリスが、なんのやる気も見せないまま言い放った言葉に度肝を抜かれた。
女帝の声には嘲笑が混じり、圧倒的な自信が溢れていた。
竜人ガスパールをひと呑みにした、あの巨竜を、あんなもん呼ばわりする魔王のレベルが荒唐無稽過ぎてついていけない。
――お主のホレ、その左手で投げてみい。あの程度の獲物なら調度良かろう。忽ち喰ろうてやるわい。ほれ。投げてみい。
――忘れるでないぞ。妾の持ち主はマテオじゃ。早う、あの逞しい胸に抱かれたい。
「……いやらしい」
――なんじゃと?
「いえ。愛に生きて素敵だな、と」
彼女は暴食の槍を左手に握りしめた。
その瞬間、槍から黒い稲妻が迸り、周囲の闇を一層深く染めた。
槍の持つ力が、レイの竜の左手を通じて増幅されていくのがわかった。
――良きに計らえ。
槍から女帝ベアトリスの声が聞こえてきた。
どうやら、取り引きは成立したと考えて良さそうだ。
☆☆☆
暴食の槍の表面は異様に冷たく、それでいて底知れぬ力が脈打っているのを感じた。
目の前の巨大な竜の姿に圧倒されていたが、その存在を取るに足らないものだと断じるこの槍が、本当に通用するのか。
レイの首に冷たい汗が流れた。
今、手にしているのはただの武器ではない。
得体の知れない力を持つ存在、それが暴食の槍だった。
レイは恐怖を感じつつも、心の奥底で何かが目覚めるのを感じた。
全身の力が、自然と暴食の槍へと集中していく。
魔力が手から槍に流れ込み、槍はそれを貪るように吸収し始めた。
槍が脈動し、レイの体から魔力を次々と吸い上げていく。
暴食の槍の名に相応しく、傍若無人に喰い荒し、思うがままに暴虐の限りを尽くす。
魔力が無限に槍へと注ぎ込まれ、その代わりに槍は強烈な力で応えてくる。
レイは巨竜を見据え、心臓の鼓動とともに、全ての力を暴食の槍へと集中させた。
目の前では、巨竜が咆哮を上げながら奈落の巨人を追い詰めていた。
巨人がぐらりと傾き、崩れ落ちるその瞬間、レイは全力で槍を投げ放った。
「うううううああああああああああああああああああああああああああ!!」
レイは絶叫して暴食の槍を投げた。
黒い稲妻を纏った槍が空を切り裂き、巨竜に向かって飛んでいく。
その速度と力は常軌を逸しており、目にも留まらぬ速さで一直線に飛翔する。
槍が巨竜の胸に突き刺さった瞬間、轟音と共に黒い稲妻が爆発的に広がり、周囲の闇を深く染め上げた。
巨竜の巨体が揺らぎ、地面に響き渡るような咆哮が轟く。
その瞬間、レイは息を呑んだ。
自分の投じた一撃が、果たしてこの巨竜を打ち倒すことができるのか――その答えを目の当たりにするまで、レイは凍りつくように緊張していた。
黒い稲妻を纏った槍が巨竜の胸に突き刺さった瞬間、その周囲の空間がねじれるように揺れた。
次の瞬間、世界が崩壊するかのような轟音が響く。
槍は巨竜の大質量を、まるでコップの水を飲み干すかのように喰らい始めた。
暴食の槍の魔力が暴走し、巨竜の胸部を中心に暗黒の渦が巻き起こる。
その渦は巨竜の肉体を引き裂き、虚無へと吸い込んでいく。
巨竜の胸が消し飛び、まるで無限の暗黒がその中心から広がっているかのように見えた。
巨竜の血液が暗黒の稲妻に飲み込まれ、瞬時に蒸発してしまう。
衝撃波が凄まじい勢いで周囲に広がり、その威力は巨大な嵐と変りがない。
地面が裂け、大地そのものが震えた。
マテオやセリナ、そして周囲にいた冒険者たちは、その衝撃の大きさに吹き飛ばされ、宙を舞った。
風の唸り声が耳をつんざき、視界が暗転する。
「うわああっ!」
誰かの悲鳴が響き渡るが、その声は瞬時に爆風に飲まれた。
レイはその場に踏みとどまるのがやっとで、周囲に広がるカオスの中、何とか立ち続けた。
服は風圧で引き裂かれ、髪が乱れ、肌に風の刃が走った。
巨竜の体は衝撃の波に巻き込まれながら崩れ落ち、地面に激突した。
その巨大な姿が倒れ込む音が、さらに地面を震わせる。
槍の持つ力が想像を超えた破壊を引き起こし、辺り一面が暗黒の稲妻と衝撃波に包まれていた。
レイはその中心で、竜の力を引き出した左手を見つめながら、胸の高鳴りを感じていた。
暴食の槍の放った一撃が、これほどまでの力を持っていたとは。
圧倒的な勝利の感覚と共に、レイは荒れ狂う衝撃の中心に立っていた。
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