18話 密林の王者 5
魔王の歴史とは、魔法の歴史である。
数百年に一度、天災のように現れる革新者は、古き時代の秩序を壊して、まったく新しい時代を創ってきた。
およそ千年前。
歴史上、初めて魔法を行使したとされる最初の人。
肉体の限界以上の剛力を発揮する魔法は、後に強化魔法と呼ばれ、無敵の兵を生んだ。
二十の国家と、百を超える部族を束ねた原初の魔王――豪傑女帝ベアトリス・ベルフェゴール。
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ダンジョンの内部は、異様な空気が支配していた。
湿気がまとわりつくように重く、ひんやりとした冷気が肌を刺す。
石壁にはびっしりと苔が生え、滴り落ちる水滴が不規則なリズムで床に響く。
その音がやけに大きく感じられ、耳にまとわりつくようだった。
空気中には腐敗と湿気が混ざり合った独特の臭いが漂い、吐き気を催すほどだ。
道の左右に伸びる壁には、時折奇妙な生き物の影がうごめき、その正体を確認する間もなく消えていく。
ねばつくような風が吹き、遠くから聞こえる不気味な唸り声が、ここがただの洞窟ではないことを物語っている。
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奥へ進むほど、無数の生物や魔物の気配が押し寄せてくる。
視界の端にチラリと映るのは、巨大なクモの足、トカゲの尾、そして異様に長い牙を持つ生物の姿だ。
殺気が充満しており、ひとたび足を踏み入れると、獲物として狙われていることを感じずにはいられない。
影から見え隠れする目がギラリと光り、侵入者に向けられた敵意が肌に刺さるように伝わってくる。
壁際には、かつての冒険者たちの無残な遺骸が散らばり、古びた武器や装備が朽ち果てていた。
異様な生き物の痕跡がそこかしこに残され、誰もが無事には帰れない場所であることを痛感させる。
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ダンジョンの深層へと進むにつれて、空気は次第に重く、冷たくなっていった。
レイ、マテオ、セリナ、そして数名の冒険者たちは、狭く湿った通路を慎重に進みながら、息を潜め、足音さえも忍ばせて、先を急いでいた。
壁には古代の遺跡に残された謎めいた文字が刻まれ、かすかな青白い光を放つ魔法石が彼らの道を照らしている。
やがて彼らは、広大な地下空間にたどり着いた。
そこには、”暴食の槍”が、台座に静かに鎮座していた。
しかし、その槍を守るかのように、周囲には不気味なオーラが漂っている。
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待ち受けていたのは、おぞましい怪物だった。
無数の動物が混ざり合い、捻じ曲げられた異形の姿は、見る者に底知れぬ恐怖を植え付ける。
巨大な獣の体躯には、猛禽類の鋭い翼が生え、蛇のようにうねる尾が地面を這い回っていた。
四本の足は虎や狼のように力強く、鋭い爪は何でも引き裂く凶器と化す。
顔は複数の動物の特徴が混ざり合い、目は炎のように燃え、口からは猛毒を含んだ息が漏れ出している。
「黒魔法ね。禁術でしょうが。おそらく動物の怨念で出来てる。いったんバラバラにするのがセオリーだけど」
レイがひそひそと声を潜めて皆に言った。
「そんなことができるのか?」
マテオが驚いて口を開く。
「力押しだと、ダンジョンが崩壊する危険性もあるわね……」
「それが一番怖いッスね」
セリナが水魔法で、パーティ全員を覆いつつ、応じた。
「ですから、攻撃は先輩ひとりに絞ります。冒険者のみなさんは盾役。私は怪物の注意を引きます。セリナはバックアップよろしく」
「アレを掻い潜るのか」とさすがのマテオも不安の色を隠せない。
「怪物の後ろ、見えますか? アレが、暴食の槍だと思うんですよね。怪物スルーして、取っちゃってください。私たちは、先輩が槍を奪取する経路を確保します」
「あの怪物が槍を護ってるんだろ? それを掻い潜るってのは……」
「う~ん。ここの管理者にしてみれば、怪物が手に負えなくなった際の安全装置を置くはずなんですよね」
「それが暴食の槍か」
「そういうことです」
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「それで、あの槍、ここで使って崩落しないのか?」
冒険者の一人が口を開く。
「……そこは先輩次第です。魔力は極力抑えて、一転集中でお願いします」
「お願いされてもなあ」
「キタ! 来たッスよ!」
セリナが警告を発した瞬間、怪物が咆哮と共に姿を現わした。
古代の魔法で生み出された怪物の顔はグルグル変わる。
獅子の頭と蛇の尾、鷲の翼が混じり合った異形の存在。
巨大な体躯が、ダンジョンそのものを揺るがすかのように迫って来た。
「じゃ。先輩頑張ってください!」
「嘘だろ! いきなり、突っ込ませるの??」
「パイセン。あの……いっぱい、ゴチになりました」
「お別れ言ってんじゃねえ!」
マテオの指示で、盾役の八人が前列に並び、巨大な盾をかざして一斉に防御体勢を取る。
彼らの盾に、怪物の爪が激しく打ち付けられる度に、金属がきしむ音が響き渡った。
衝撃で盾が凹み、盾役の一人が耐えきれずに膝をつくが、隣の仲間がすぐに彼を支えた。
「セリナ、援護を頼む!」
マテオが叫ぶ。
セリナはすぐさま水の壁を展開し、怪物の動きを封じる試みを行った。
しかし、怪物はその壁をもろともせずに突き破り、前線に向かって再び襲いかかる。
盾役たちは懸命に防御を続けていたが、少しずつ押し込まれているのが明らかだった。
セリナの魔法は効果を発揮しているものの、あまりに強大な敵に対し、時間稼ぎにしかならない。
息苦しい。
マテオは怪物の攻撃の隙を伺っている。
汗が全身を覆って、視界が歪んでいた。
意を決してマテオが駆けた。
同時に、レイが黒い稲妻を呼び出して怪物の目を眩ませる。
怪物を回りこみ、壁を蹴って、マテオが槍を手に取った。
暴食の槍は黒光りする刃を持ち、彼の手にぴたりと馴染んだ。
槍を軽く振るうだけで空気が切り裂かれ、周囲に緊張が走る。
息を整え、マテオは、古代の魔法で作り出されたおぞましい怪物と向かい合う。
様々な動物の特徴を持つその姿は、まさに恐怖の化身だった。
巨大な翼を広げ、鋭い牙をむき出しにした怪物が咆哮を上げると、ダンジョン内の空気が揺れた。
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マテオは冷静に怪物の動きを観察し、槍を構えた。
彼の腕の筋肉が緊張し、槍に力が込められると、まるで生きているかのように槍が震えた。
怪物が吠え声を上げて襲いかかる瞬間、マテオは地を蹴って前に飛び出した。
叫びと共に、マテオは槍を怪物の胸に突き立てた。
暴食の槍が怪物の肉を貫き、その内部の質量を吸い込むように吸収していく。
槍の力が急速に増大し、刃先が怪物の体内で光を放つ。
次の瞬間、爆発的な力が解放され、怪物の巨大な体が吹き飛ばされた。
衝撃波が周囲の空間を揺るがし、地面に大きな亀裂が走った。
怪物の体は砕け散り、断末魔の叫びが洞窟内に響き渡る。
マテオはその場に立ち尽くし、槍を手にしたまま深い息をついた。
暴食の槍が放つ威力は凄まじく、その力に圧倒されながらも、マテオの顔にはわずかな勝利の笑みが浮かんでいた。
「すごい。その槍、相手の質量を攻撃力に変換できるのね」
レイは赤い目のまま暴食の槍を凝視している。
「やばい、崩壊するぞ!」
誰かが叫んだ。
力任せに戦うことで、ダンジョンの壁が今にも崩れ落ちそうな音を立てている。
全員が一瞬息を呑んだ。
天井から細かな砂と石が雨のように降り注ぎ、地面が不気味な音を立てて揺れ動く。
崩落の予兆が、すべての者たちに迫りくる危機を感じさせた。
巨大な岩がマテオのすぐ脇に落ち、地面がさらに激しく揺れ動いた。
「レイレイ! 瞬間移動使えるッスか?」
セリナが叫び声をあげるが、今にも崩れ落ちそうな天井の轟音にかき消されそうだった。
レイは深く息を吸い込み、冷静さを保ちながら周囲を見渡した。
瞳が再び赤く輝き、彼女の魔力が活性化される。
「私に掴まって!」
レイは叫び、全員に手を差し出した。
「信じるぞ!」
マテオが言い、残りの冒険者たちも必死でレイの手に触れる。
レイは瞬間移動魔法を発動させた。
彼女の周囲に魔力の波動が広がり、足元に魔法陣が光を帯びて浮かび上がる。
崩れ落ちる岩が彼らの頭上に迫るその瞬間、レイの瞳が真紅に輝き、彼らの姿はその場から霧のように消え去った。
次の瞬間、彼らはダンジョンの外に立っていた。
冷たい夜風が彼らの頬を撫で、静寂が辺りを包んでいた。
彼らの背後では、ダンジョンが完全に崩れ落ちる音が遠くに響き渡る。
「間一髪だったな……」
マテオが深い息をつきながら、仰向けに倒れた。
全員がが安堵のため息を漏らし、しばしの静寂が続く。
暴食の槍がブンと音を発てて光り始めた。
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