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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
最終章 聖剣
163/164

163話 聖剣悪女 後編

 巨大な竜の影が、空を覆いながら崩れ落ちていく。

 鳴り響く轟音とともに、大地を揺るがすような衝撃が広がっていた。


 レイは一瞬で、自分が現実に引き戻されたことに気が付いた。


 ガクン、ガクンと頭が揺れ、何度もその感覚を繰り返す。

 身体が揺れるたびに、空中での浮遊感が不安定になり、視界が一瞬歪んだ。


 誰かの背中にしがみついて、レイは飛竜に乗っていた。

 その異常なスピードで空を駆け抜ける感覚に、記憶が追いつかない。


 こんなふうに空を飛んだ覚えはないはずだ。

 だが、すぐにその状況が理解される。

 マテオの声が背中越しに響く。


「おい! 大丈夫か?!」


「ここは――?」


 レイの声には自分でも気づかない不安がにじんでいた。

 時間が戻ったのか?


 記憶が追いついていかない。

 自分の存在が一瞬、ひどく遠く感じた。


「今の戦況は……召喚獣たちは対消滅したんですね?」


「ああ! ギリギリだったがな!」


 ()()は、確か馬で進んでいたはずだ。

 けれど、それも今はどうでもいい。

 気にするべきことが他にあった。


 目の前、巨大なバハムートが崩れ落ちていっている。

 あまりに巨大すぎて、遠近感が圧迫されているようだ。


 バハムートの躯体が崩れ、破片が空中に舞い散る中、マテオとレイは小さな飛竜に乗り、必死にその崩壊から離れようとしていた。


 その飛竜の翼音が耳元でかすかに響き、周囲の静寂をかき消していく。


 レイは無意識に、巨大なバハムートの側を横切る小さな飛竜と背に乗る騎士たちを見つめた。

 その竜は、彼女の視界をかすめるようにして、空を渡っていく。


 バハムートの姿が今も圧倒的な存在感を放っているが、その間を縫うように飛んでいく飛竜の力強さに、レイはふっと安堵を覚えた。


 空は黒い魔素に包まれている。

 王宮の面影すらも、黒い霧のような魔素に飲み込まれ、視界はぼやけて見えない。


 その時、レイの周りを魚のような影が跳ねるようにして泳ぎだした。

 その影が、レイの周りをまるで遊ぶように飛びまわる。


「ありがとう。よく戦ってくれたわ」


 その言葉に、魚影がふわりと反応し、嬉しそうに跳ねて消え去っていった。

 レイは目を細め、その姿を見送った。


「誰と話している??」

 マテオの声が不安げに響くが、レイは静かに答えた。


「前を向いてください。先輩――王さま!」

「お前に、そう呼ばれる度になんだか変な感じがするぜ」


「慣れますよ」

「そうだと良いが」


 黒い魔素を突き抜けるように、遠くに魔城が姿を現し始める。


 強奪王が待ち受けているのは、すぐそこだ。

 あの場所で、全てが終わる。


 雷鳴と共に不穏な空気が流れる中、飛竜の背に乗ったまま、レイはその決戦へと突き進んでいった。


 ☆☆☆


 息を切らしながら走り続ける。

 前方を駆け抜けるのは、暁月剣禅。


 これが最後だ。

 これで失敗すれば、世界は白い闇に堕ちる。


「剣さんは、イラリオ王の首を!」

「前方の馬鹿オヤジはどうする!?」


「私たちがどうにかします!」

「心得た」


 レイは走る勢いを止め、急停止すると同時に禁術の詠唱を始める。

 後方から祐馬とカイが追いつき、息を荒らしながら飛び出してきた。


 一方、暁月剣禅は鋭い動きでバジャルドの剣をいなしていく。

 迷いなく剣閃を放ちながら、王の間を目指して突き進んでいく。


 その背後で、聖騎士たちがバジャルドを援護するように怒号を上げ、次々と押し寄せる。

 乱戦の渦が廊下全体を覆い尽くす中、祐馬、カイ、そして竹熊までもが参戦するが――バジャルドはまるで動じる気配がない。


 ()()()()()でバジャルドが簡単に倒されたように見えたのは、天下無双の暁月剣禅だからこそできたことなのか。

 性根が腐りきった権力者にして、圧倒的な強さを誇る最悪の存在――それがバジャルドだと、レイは改めて思い知った。


 ――竜化。


 深く息を吸い込むと、レイの身体が一瞬で異形の気配を纏い始める。


「退いて!」


 瞬間――竜の息吹。


 廊下にこだまする轟音とともに、凄まじい爆風と爆炎が巻き起こる。

 それはまるで怒れる竜そのものの咆哮だった。

 炎と衝撃波が、王の間の前に詰めかけていた聖騎士たちを飲み込み、バジャルドの巨体さえも貫いていく。


 燃え盛る爆炎が戦場を飲み込み、聖騎士たちの叫び声が掻き消されていく中、レイは息を整えながら、その場の状況を見据えた。

 果たして、この一撃で流れを変えられるのか――それとも。


 ☆☆☆


 イラリオとマテオが激しく言葉を交わす中、暁月剣禅が問答無用でその場に割って入る。


 剣禅は言葉もなくイラリオへと斬りかかっていった。


 ――やっと……やっと会えたな!! 覇王ヴラス・ルシファー!!


 剣禅の被る兜が異常な興奮により形を定められず、揺らぎながら異様な気配を放つ。


 怠惰の王冠の奥底から、海賊魔王ラザロ・リヴァイアサンの声が咆哮のようにこだました。

 王冠は怒りの炎に燃え上がるかのように、火炎の形状へと変わっていく。


 ――誰だ? 貴様は。


 傲慢の斧に封じられた魔王ヴラスが静かに応じる。

 そうしている間にも、斧の形は瞬時に変わり、無数の鋭利な槍へと姿を変えていく。


 ――貴様が海賊と呼んだ男だよ。お前の帝国に滅ぼされた海洋王国の魔王さまだ。皆の仇を討ちに来たぜ。


 ――くだらぬ。そんなことのために、数世紀待っていたのか……くははは! 気は済んだな? ならば、消滅せよ。


 ヴラスが放った突きは千の幻影と共に繰り出され、剣禅を飲み込もうと襲いかかる。

 その速度と力は、圧倒的な威圧感を放ちながら、空間を切り裂いていく。


 だが――剣禅は一瞬の隙も見逃さない。


 蒼白い光を帯びた太刀、大典太蒼雷を抜き放つ。

 その刀身は閃光のように蒼白く輝き、幻影を切り裂きながら本物の槍を弾き飛ばした。


「おう。相棒をイジめたのは、お前さんかい?」


 剣禅は、いつものように不敵な笑みを浮かべる。

 その眼差しは静かなる怒りを秘めていた。


 強奪王イラリオ・コバルビアスを、そして彼が持つ遺物と、封じられた魔王ヴラス・ルシファーを――剣禅は、共に見据えた。


 剣禅が一歩踏み出すと、その足元から迸る魔力が空気を震わせる。

 勇者は魔王退治に乗り出した。


 ☆☆☆


「まだだ! お前ら、伏せろ!!」


 アレクサンドラの怒声が響き渡る。

 炎の中から立ち上がろうとするバジャルドの姿を確認すると、彼女は魔工ユニコーンを放った。

 輝く一閃がバジャルドを貫き、爆裂音と共に戦場を震わせる。


 その隙を狙い、カイが平剣を構えてバジャルドの突きを受け流した。

 カイが絶妙なタイミングで避けると、その肩越しから祐馬の刀「猿翁」が伸び、鋭い突きがバジャルドの左腕を貫通する。


 さらに、竹熊が超重量の金棒「金嵐」を全力で振り下ろすが、その一瞬前にバジャルドの蹴りが彼を襲った。

 巨体の竹熊が押し出すような蹴りで吹き飛ばされる様は、戦場の混沌を象徴しているかのようだった。


「舐めるな! 小童ども!!」

 バジャルドの怒声が、轟音のように響く。


「――だったら、小童でなければ良いのだな?」

 静かに現れた雷神ビクトル・マッコーガンが、雷撃を叩きつける。

 稲妻がバジャルドを包み込み、激しい閃光と共に黒焦げの煙を上げたが、それでもバジャルドは笑いながら反撃の構えを見せた。


「いくらなんでも異常だ……気力や体力でどうにかなるもんじゃないぞ!」

 竹熊が歯噛みしながら吠える。


 その時、戦場にゾーエの声が響いた。

「カサンドラ!」


 コキュートス女王カサンドラが弓を構える。

 彼女が放つは、憤怒の弓。


 ――奥義 魔王孔。


 実体のない矢が魔力のみで具現化し、無音でバジャルドへと飛んでいく。

 その一撃はバジャルドの顔を吹き飛ばし、彼の巨躯を崩れ落とした。


「お、終わったのか?」

 祐馬が呟き、力なく尻餅をついた。


「なんだったんだ……こいつは? 五騎士だといっても、人間の耐久力じゃない」

 祐馬の言葉に応じるように、ゾーエが近づいていく。

 彼女はバジャルドの胴鎧を剥ぎ取り、その下に隠された衣装を破くと、中から露わになったものを見て、祐馬は中庭へ駆け出し嘔吐した。


 そこにあったのは、異形の肉体だった。

 首から下の皮膚が幾層にも重なり、新陳代謝を魔法で強制的に繰り返した痕跡が見える。

 その皮膚層の中心には、干涸びた老人の肉体が隠されていた。

 ミイラのようなその姿こそ、バジャルドの本体だったのだ。


「呪術ですか……半悪魔。超高度な魔法技法。魔人化……なるほど。納得できました」

 レイが静かに呟く。


「これを施したのが白魔法の大権威、拝竜教会の枢機卿ジョエル・ヴァルターというわけですね。王宮騎士団との癒着も頷けます……私利私欲の徒でしたね」


「私が若い頃、彼はすでにかなりの高齢だった。だが、この二十年で筋肉量が増大し、若返った。それでも昔はまだまともだったわ……おかしくなったのはジョエルと関わり出した頃から。もう百歳近いはずよ」

 ゾーエがバジャルドの遺体を見下ろし、苦々しげに語った。


「よう見ておけ。我々が知らぬ魔法はまだまだある。だが、野心と引き換えにしたのが、この姿だ。おぞましいことよ……こんなもの、人間の死に様ではない」

 ビクトルは吐き捨てるように言い放つが、その表情には複雑な感情が宿っていた。

 かつての英雄だったバジャルドの姿を思い出したのか、その顔には悲しみの色が浮かんでいる。


 レイには、ビクトルの表情がすこし泣きだしそうにも見えた。


 老いと死の恐怖――それがかつての英雄を狂わせたのだ。


 ☆☆☆


 剣禅は技を休むことなく繰り出し続けていた。


 槍を弾くと同時に突きを放つ。

 相手の胸を狙った一撃も、瞬時に防がれる。


 間を置かず、二段突きに移行するが、それも阻まれる。

 上下段斬りを繰り出すが、斧の刃は揺るがない。


 ――天鳳流 剛翔烈破。


 魔力を込めた剣禅の必殺の抜き打ちが、マテオの暴食の槍による強烈な打ち払いと同時に炸裂した瞬間、ついに斧が困惑の色を見せた。


「よし! これだ!」

 剣禅が叫ぶ。


「もう一度、いくぞ!」

 マテオが構え直し、槍を突き出した。


 ――もう覚えたわ。たわけ……


 突然、窓ガラスが激しく割れ、雷王に跨がったリカルド将軍がドラゴン・バスターを構え、王の間に舞い降りる。

 その眼はイラリオを捉え、迷いなく斬撃を放った。


 三方向からの同時攻撃――その猛攻に斧は本来の形状を取り戻し、巨大な刃を振り回して三人を薙ぎ払おうとする。


 ――跨鶴(こかく)流 糸車。


 剣禅が斧の刃を受け流し、その隙を突いてイラリオの体勢が大きく崩れた。


「持ち主の未熟さが出たな……各々方、大将首じゃ!  討ち取れい!!」

 剣禅の鋭い指示が響く。


 ――身体強化三倍。


 リカルドが雷王を駆ると同時に、放電する雷が辺りを焦がし、ドラゴン・バスターがイラリオの胴を深々と斬り裂いた。


「貫け。暴食の槍よ!」


 マテオの槍が振るわれ、斧を弾き飛ばす。

 そのまま槍はイラリオの首を捻り、貫通し、絶命に至らしめる。


 だが、暴食の槍は止まらず、イラリオを貫いた勢いのまま、見えている窓を次々に吹き飛ばして、ようやくその動きを止めた。


 ☆☆☆


 ジョエルが怯えたふりをしながら、神官や衛兵たちを引き連れて奥の間から姿を現した。


「立ち止まるな!  討ち取って!!」


 レイの必死な叫び声が響く。


 絶対に油断しない。絶対に。


「枢機卿は真層レベルにいる!  魔王よ!!」


 イラリオを討ち取ったばかりの剣禅、マテオ、リカルドの三人は顔色を変えて、息を整える暇もなくジョエルに向かって駆け出した。

 “魔王”の存在が示された以上、一瞬の躊躇が全滅を招く。


「あの小娘!」

 ジョエルはレイの一声で計略が狂わされたことを悟り、神官たちを置き去りにすると、弾き飛ばされた傲慢な斧を驚異的な俊敏さで拾い上げた。


 一瞬のうちに、斧は白銀の鎧へと変貌し、ジョエル――いや、“魔王”はその真価を解き放つ。


 ――空間魔法 真層第二階梯 空陣。


 空間を歪め、目には見えない結界が形成される。


 ――重力魔法 真層……


 その時、カーテンがわずかに揺れた。

 しまった――これがあった。


 レイの目に、走り込んでくるカイの姿が映る。


 ダメだ。

 来ないで!


 だが、彼女の心の叫びも届かぬうちに、白王が姿を現し、王の魔に躍り出てきた。


 ☆☆☆


 ――第二十五階層禁術 乱流土石包。


 砕けた家具や調度品、さらには武器や散乱した遺体までも、王の間に存在するすべてを巻き込み、泥と化した壁が白王とカイ、そしてレイを隔てた。


 それは超高難度地魔法の、圧倒的重量による物理障壁だった。


「ララ?  ララ・ナイトメア??」


 ふわりと宙に浮きながら、冷や汗を滲ませたララが部屋に入ってきた。


 白王を取り囲む泥の壁は瞬時に硬化し、フェンリル狼の動きを封じようとする。

 だが、それすらも魔獣の王には無意味だった。

 白王は硬化した泥を容易く砕き散らし――


「ちょっと。そこの犬ッコロ……」


 レイがゆらりと一歩前に出た。


「おい!  やめろ!  危険だ!!」


 カイが叫びながら制止しようとする。

 しかしレイは手を上げてその動きを遮り、白王の眼前に立ちはだかった。


「こっちは命張ってんのよ――服従か、殺し合いか。さあ、選べ!!!」


 レイの声が響き渡り、黄金に輝く竜化の瞳と鋭い牙が剥き出しになる。

 その圧倒的な気迫が轟音となり、白王を覆っていた殺気を一瞬で吹き飛ばした。


 フェンリル狼である白王は、その瞬間、生まれて初めて戦慄を覚えた。


 黄金の左目、灼熱の右目が、自分を睨み据えている。

 巨大な竜翼を背に、竜化した左腕を構えるレイの姿は、もはや人間ではなかった。


 白王の目には、レイの背後に巨大な竜の影が浮かび上がった。

 地獄王、その周囲に従う無数の死神たち――。


 そして白王は振り返る。

 自分を支配していたかつての主人の姿が、視界に映る。


 なんだ、あの薄っぺらな存在は?

 見た目こそ豪奢だが、その背後には何もない。

 誇りも力も感じられぬ。ただの空っぽな肉塊だ。


 対して、この娘――圧倒的な威容と底知れぬ力がそこにある。

 得体は知れぬが、どうせならこの娘といた方が誇りと意義を満たせるだろう。


「ぎゃん!!  くんくん……」


 白王は抵抗するのをやめ、その場で腹を見せて降参の意を示した。

 そして、その巨大な舌でレイの頬を舐め始めた。


 魔獣の王は、生涯の主を選んだのだ。


「嘘だろ……」


 人間には決して従わぬとされるフェンリル狼。

 その変わりようを、カイは目を見開いて呆然と見つめていた。


 ☆☆☆


「あの犬……」


 ジョエルが無言で切れる。

 瞳には怒りが燃え盛り、呼吸が荒くなる。


 死にかけのフェンリル狼の幼獣を拾い、育ててやった恩を忘れたのか――あの裏切り者め。


「許せぬ」


 ジョエルの低い呟きが空間に響いたその瞬間、空気が変わった。


 ――空間魔法 真層第三階梯 終焉の方陣。


 ジョエルが淡々と呟くと、王の間全体が歪み、無限の回廊が幾何学模様のように広がり続けた。

 空間のねじれが生み出す圧力に、壁や床がひび割れていく。


 周囲の空間が歪み、猛烈な圧力が辺りを押し潰す。

 見えない刃のような風が発生し、カイとレイ、そして白王を一気に包み込む。


 空間が裂ける音が轟き、まるで自分たちが奈落の底へと引きずり込まれるかのような感覚。

 空気が重く、体を動かすだけでも困難に感じられるほどだ。


「ぐがッ!  なんだこりゃ――!」


 カイが歯を食いしばりながら叫ぶ。

 裂け目の中から黒い槍のようなものが無数に生じ、彼らに襲いかかろうとしていた。


 ――第二十三階層召喚禁術 シーサーペント。


 その時、水流の轟音と共に、巨大な蛇が現れた。


 召喚されたシーサーペントがその巨体をもって泥の壁を押し流し、空間の裂け目から現れる攻撃を防いでいく。

 泥が浄化されるように消え去り、空間は一時的に正常さを取り戻した。


 攻撃を防ぎきった瞬間、シーサーペントは魔素となって、ゆっくりと消えていく。


 窓から射し込む陽光が、戦場を静かに照らす。

 その光は、褐色の肌を際立たせた。


「もう、私がいないとダメですねえ――レイレイは」


 セリナが微笑む。

 彼女は長い髪の中から、金色に輝く愛欲の針を引き抜いた。


「針よ――空間魔法結界。発動」


 その一言と共に、周囲の空間が一変する。


 多層構造の結界が、まるで花が咲き乱れるような速度で展開されていった。

 結界が展開される音が心地よい響きを持ち、空間の歪みを制御し、攻撃を封じ込める力場を生み出す。


「ウィ~~ッス! やったりましょう!!」


 セリナは微笑を崩さずに、再びカイとレイの方を振り返った。


 ☆☆☆


 尽きかけた魔力に、ほんのわずかな希望が宿る。

 黒魔法は情念を糧とし、その残滓すら新たな力へと変えていく。


 レイは荒い息を吐き出しながら、体に残った魔力を振り絞り続けざまに撃った。


 ――第十階層禁術 魔咆吼(デモニック・ロア)


 禁術が放たれる瞬間、レイの情念と混ざり合った闇の奔流が巨大な竜のように形を成し、低い唸りを轟かせながらジョエルに向かって直進していく。


「こんな攻撃が、この私に通じると思うか」


 ジョエルは冷笑を浮かべながら緩やかに腕を振った。

 瞬時に、三つの魔法は宙で掻き消され、あとには虚無だけが残った。


 その時、不意に白い矢が空を切り裂き、ジョエルの頭を掠めて飛び去った。


 首が不自然な角度に後方へと吹き飛ばされる。

 徐々に隠されていた邪念がその身に現れ、魔王の醜悪さがあらわになっていく。


 ジョエルの眉間がピクリと歪む。

 自分自身の醜さが露わになり、無様な姿を己の目で見るという屈辱。

 それが胸に刺さり、激しい憎悪を呼び起こした。


 神官どもが悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


「……見たな」


 ジョエルが低く呟き、ぎろりと神官や衛兵を睨みつけた。

 その瞬間、白い魔法が周囲を駆け巡り、逃げ惑う者たちの魂を音もなく抜き去っていく。

 暗殺のために練り上げた、痕跡すら残さない冷酷無比な魔法だ。


 一瞬の沈黙。

 ふう、と短い息を吐くジョエル。


 血の滴る頭を見つめながら、その冷酷な眼差しが徐々に深みを帯びていく。

 心の奥底に眠っていた記憶――己がこれまで積み重ねてきた殺戮の記録が鮮明に蘇った。


 あいつも。

 こいつも。


 利用価値のない者は、疑念を抱いた者は、逆らった者は――。

 自分以外の正義を掲げる者たちは、例外なく排除した。


 ジョエルは血塗られた過去を振り返るように目を閉じ、そして再びゆっくりとその目を開けた。

 そこに宿るのは、かつての冷酷さを超えた純然たる「死」の眼光。


 暗黒のオーラが周囲を包み、場の空気を押し潰すような重圧が広がっていく。

 魔王の真なる姿が今、完全に目覚めようとしていた。


 ☆☆☆


 白いオーラは禍々しく渦を巻き、ジョエルの形相はもはや人間の枠を完全に超えていた。

 瞳は闇に飲まれたように深く、その瞳孔は世界そのものを嘲笑うかのように冷たい光を放っている。


 ――空間魔法 真層第七階梯 虚空断層波。


 それは今までの魔法をはるかに凌駕する極大魔法。


 ジョエルの指先から放たれた波動は空間を引き裂き、あらゆる存在を無へと還す力を秘めていた。

 波動が広がり、王の間の空間が歪む――その瞬間、突如として閃光が走る。


 マテオはその場の全てを懸けて、手にした槍を放っていた。


 ――暴食の槍。


 魔力を物理攻撃へと変換する奇跡の槍は、黒、火、雷、水、地――五つの魔素を絡み合わせ、爆発的なエネルギーを纏いながらジョエルへと向かって飛翔する。


「……バカな!」


 真層魔法の断層波と槍が空間の中央で激突した。


 その瞬間、王の間は閃光と轟音に包まれ、爆風が全方向へと吹き荒れる。

 壁は粉砕され、床は大地のように割れ目を走らせ、天井からは崩壊する石片が雨のように降り注いだ。


 槍は、バキバキと音を立てながら、真層魔法に食い込んでいく。

 互いのエネルギーがぶつかり合い、無数の火花が空間を焼き尽くしていく中、ジョエルの表情がわずかに歪む。


 理解できない。

 なぜ、真層第七階梯の魔法が競り負けるのだ?

 ジョエルの目が、槍の後方に視線を向ける。


 そこには、無数の魔力が注がれていく光景が広がっていた。


 数多の魔法使いたちが己の全魔力を捧げるかのように、槍へ力を送り続けているのだ。

 その中には見知った顔もあった。


 元黒魔法大権威、ガヴィーノ・デル・テスタ。


「……そうか。お前もそちらに加担するのか」


 ジョエルの声には、わずかな怒りと、自分に対する嘲笑が混ざっていた。

 皆が一丸となり、その槍に全力を注ぎ込んでいる。

 槍は徐々に真層魔法の中心を貫いていく。


「全員、等しく死ね」


 ジョエルの声が響いた瞬間、彼の体からさらなる闇が溢れ出す。

 ジョエルは更なる真層へと潜り始めた――。


 だが、魔法を深めるたび、彼の肉体は崩壊を始める。

 皮膚が裂け、肉が溶け、骨さえも黒い霧となって消えていく。


「なんだと……?」


 自分の体が崩れていく様を見たジョエルは、初めて困惑の表情を浮かべた。

 それでも彼の目には、絶対的な破壊への執念だけが残っている。

 全てを滅ぼし、自身をも超えた存在へ至らんとする、その姿はまさに“魔王”そのものだった。


 ☆☆☆


「当たり前でしょ」

 レイは冷徹に言った。


 禁術階層でもすでに危険なのだ。

 ましてや、真層魔法は人間が手を出して良い領域ではない。


 それは、神の威光が宿る聖域に等しい。


 ジョエルの肉体も、魂も、すでに限界を超えているのは誰の目にも明白だった。


「……終わり。終わりなのか。こんなところで……」

 ジョエルの呟きは、虚しく響いた。


 ☆☆☆


 ジョエルは笑った。

 認めるわけがない。


 そんなことは決して容認できぬ。

 神の領域だと?

 それを侵したからどうだというのだ?


 ”傲慢な斧”は、どんな攻撃にも瞬時に対応できる魔具だ。

 この魔具があれば、槍など――


 だが、その”傲慢な斧”が、向かってくる黄金の槍の特性を判別できない。


「なにをしている! ”傲慢な斧”! 覇王ヴラス・ルシファー!!」


 ――こ、これは! この魔王が、この覇王が……対処できぬ! 対抗でき――


 黄金の槍は、”傲慢な斧”を砕きながら、なおも前進し続ける。

 封じられていた覇王の魂が木っ端微塵に砕け、現代魔王の胸を貫いていった。


 ☆☆☆


 ジョエルは無残に倒れた。

 その顔に、命の灯火は完全に消え失せ、身動きもできず床に伏している。


 割れた窓から、穏やかな陽光が差し込む。

 風が軽やかにカーテンを舞い上げ、温かな光が部屋を満たしている。

 その光景は、まるで平和な日常を象徴しているかのように静かで穏やかだった。


 ジョエルの倒れた姿を見下ろすレイは、緩やか光の中で、冷徹な紅い瞳を輝かせていた。


「ふ。ふふふ……最後の手だ。謎のままだった、この仮面を被る時がきたな」

 ジョエルの死を前に、レイはその言葉を呟く。


「ま、待ちなさい! それは――!」

 レイの言葉に焦りを感じる声が響くが、ジョエルは冷ややかな笑みを浮かべたまま、仮面を手に取る。


「くッ! ハハハハハ!! その顔が見たかった! 君たちが必死になって取り返してくれた”羨望の仮面”だよ!」

 魔王の声に、あふれるのは満足げな嘲笑。


「大方の予想はついている。大禁忌の呪法。さあ、運命の扉は開かれる!!」

 ジョエルは立ち眩みを覚え、目を見開く。


「ねえ? どうしたの? さあ。その扉とやらを開けてちょうだいな」

 レイはとぼけた顔で、首を傾げる。

 その無邪気な仕草が、逆に冷徹さを引き立てた。


「まあ、その仮面で、そんなもんが開いたらの話だけど」

 彼女はチロリと舌を出した。


「ば――馬鹿な! そんな馬鹿な! リカルド将軍が偽物を国に渡したというのか?!」

 ジョエルは焦りの表情を浮かべ、呆然とした。


「ええ。そうよ。それは”虚飾の魔杖”で装飾した”酩酊の仮面”。飲んだくれの魔具職人が人生の最期に創った、被ると一瞬で酔いがまわるジョーク商品」

 レイは満面の笑みで語る。


「そ、そんなもので。そんなもので私を――」

 ジョエルは信じられないといった様子で呻くが、レイの言葉が耳を突き刺す。


「あんたは嗤われて終わるべきだわ」

 その冷たい一言が、ジョエルの最後の望みを打ち砕いた。


 床に刺さった槍を抜き、マテオが近づいてくる。

 その足音は重く、無情であった。


「わ、わ、私は――! 私は世界を――」

 ジョエルの言葉は、空虚に響くだけだった。


「お前が世界を語るな」

 マテオは、冷徹に言い放ち、そのまま全てを終わらせた。

 もう一話だけ、お付き合いください。

 レイの長い戦いがようやく終わりを迎えます。


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