160話 遺物戦争 9
空は限りなく澄み渡り、遠く地平まで広がる青の大海原。
その遥か上空を、幾筋もの影が駆け抜けていく。
聖竜の翼が輝きを放ち、黄金の陽光を浴びながら飛翔するたび、天上に燦然たる光の道が描かれた。
その背に跨る白魔法使いたちは、一糸乱れぬ陣形を保ちつつ、天へと光の矢を掲げる。
一瞬の静寂。
次の瞬間、雷鳴のごとき咆哮とともに、無数の光矢が放たれた。
空を裂く閃光が奔り、降り注ぐ破滅の矢が、天を染めんばかりに弾け飛ぶ。
対するは、雷王の異名を冠するグリフィン。
その白銀のたてがみが風に揺れ、鋭い眼光が閃く。
その背に跨るのは、竜騎士団リカルド・カザーロン将軍。
「突撃!」
彼の号令が轟くや否や、空を支配する竜騎士近衞たちが次々と雷鳴の軌跡を描く。
蒼穹を裂く雷光が羽ばたき、聖竜の光の矢を寸前で逸らす。
リカルドが疾風のごとく聖竜たちの陣をかすめ、巧みな手綱捌きで雷王を旋回させる。
まるで天空の覇者が狩りの獲物を翻弄するかのように。
☆☆☆
遙か下方では、ようやく馬上にも慣れてきたレイが、空の戦いを仰ぎ見ていた。
蒼穹に煌めく数多の光の矢、轟く雷光、突き進む竜騎士たち。
それはまるで、神々の戦場のごとき壮麗な光景だった。
朝焼けの冷たい空気に、血と鉄の匂いが混ざり合う。
北の城壁では、オークの群れと小聖竜が激しくぶつかり合っている激闘の音が南の端まで聞こえている。その音が地鳴りのように戦場全体に響き渡っていた。
遠くからでも、オークの鬨の声と聖竜の咆哮が入り乱れる音が聞こえる。
馬を駆りながら、レイは一瞬だけ視線を上げた。
遥か頭上、空を裂くように飛翔する竜騎士たち。
天を覆う巨大な影――竜と騎士の群れが、蒼穹の海を駆け抜ける。
空気を震わせる聖竜の咆哮がこだまし、銀の甲冑に包まれた騎士たちが一直線に突撃を仕掛けていく。
次の瞬間、光が炸裂した。
無数の光矢が放たれ、閃光の嵐となって竜騎士たちを包み込む。
直撃を受けた数名の近衞が、甲冑ごと炙られたように悲鳴をあげ、天から弾き飛ばされた。
その姿が閃光の中に消えていくのを、レイは冷静に見届ける。
だが、その落命に応じるように、雷鳴が轟いた。
雲すらない澄み切った空に、突如、白銀の閃光が走る。
それはリカルドを乗せた、雷王が呼び起こした雷だった。
天空に奔る稲妻が、聖竜の騎士たちを捕らえる。
雷の槍に貫かれた聖騎士が悲鳴をあげ、光に焼かれながら次々と空から落ちていく。
それでも聖騎士たちは怯まない。
再び光の矢を放ち、天空を白く染め上げる。
弓を引くたびに煌めく無数の矢が、巨大な竜たちを射抜かんと殺到した。
だが、竜騎士たちの突撃も止まらない。
雷を纏ったグリフィンが、疾風のごとく聖竜たちの陣へ突入する。
飛竜に跨る近衞たちが剣を抜き、白刃が輝きながら激突していく。
蒼穹の戦場で繰り広げられる、空の覇権を賭けた死闘。
その勇壮な光景を、レイは一瞬だけ目に焼き付けると、再び前方へと意識を戻した。
☆☆☆
杯竜教会の司教たちが一斉に詠唱を捧げると、天と地の狭間が歪み、白銀の幻が降り立った。
その姿は、現実と虚構の境界を曖昧にするかのように、淡く揺らめいている。
巨大な胴体は果てしなく長く、まるで大蛇のように地を這い、戦場を横切る。
兵たちは目の前の異形に恐れおののき、悲鳴を上げながら散り散りに逃げ惑う者、正体を見極めぬまま剣を振るい挑みかかる者もいた。
だが、どちらも白竜にとっては些事にすぎなかった。
剣も槍も、魔法の閃光すらも、竜の身体をただ擦り抜けるだけ。
意志なき幻影には、どれほどの怒号も、どれほどの武威も意味を成さない。
その存在の本質は、ただ一つ――目的を果たすこと。
白影竜の長大な体が大地を滑り、戦場そのものを飲み込むように蠢き、恐ろしい速度で這っていく。
その度に、風が渦巻き、視界が歪み、兵士たちの心をじわじわと侵していった。
見えるものが本物か、隣の仲間が実在するのか――恐怖と錯乱が戦場に広がる。
白影竜の頭部がリカルドを捉えた。
霧のように曖昧な輪郭だったものが、意志を持った瞬間、凶暴な牙を剥き出す。
光を呑み込む漆黒の咽喉が開き、無音の咆哮と共に、まっすぐ空へと跳ね上がる。
天を衝くように巨大な白蛇の如き幻影の竜が、雷王を駆るリカルドへと襲いかかった。
雷王の眷属である巨大な吹雪鷲たちが、白影竜に襲いかかる。
氷嵐のごとき猛吹雪が空を覆い、竜の幻影を削り取るかのように吹き付けた。
それでも、白影竜は意に介さず、ただリカルドを捉えたまま突き進む。
濃密な霧のような身体が揺らぎながらも、その頭部だけははっきりとした輪郭を持ち、裂けるように巨大な口を開く。
まるで空が裂けるかのごとく、喉の奥は光を吸い込む深淵の闇に染まっていた。
「くッ!!」
リカルドは鋭く息を呑む。
さすがのリカルドも、これ以上の接近は危険と判断し、雷王の手綱を強く引いた。
グリフィンの翼が風を切り、急旋回する。
だが、その瞬間――
「今、退いたらダメだ! 父上! 行ってください!!」
後方からベルナルドの声が響いた。
振り向くと、飛竜に跨る長男が部隊を率い、一直線にこちらへ迫っていた。
「風の精霊よ!」
ベルナルドが左手を突き出す。
義腕に宿る精霊の力が白影竜を取り巻く猛吹雪へと加わり、風が暴風となって渦を巻く。
白影竜の虚ろな姿が、瞬く間に氷の結晶に囚われ、まるで霧が晴れるようにその全貌が露わになった。
「現れた!! 一斉にかかれ!!」
白影竜の輪郭が完全に定まり、骸のような白い骨格がむき出しになる。
飛竜に乗った近衛騎士団第五番隊が、一斉に槍を構え、鋭く翼をはためかせながら突撃した。
「父上は早く!」
「任せたぞ!!」
リカルドは後方の戦場を振り返る。
迷いの一瞬を振り切るように、雷王を駆ると、広がる空へと飛び立った。
「一番から五番隊は竜、及び地上部隊への支援に当たれ!! 残りはついて来い!!」
命令とともに、近衛騎士団が二手に分かれ、流れるような動きで編隊を組む。
「キケ隊長! ここは四番、五番隊だけで大丈夫です! 残りは地上へ!」
「わ、わかりました!」
三番隊隊長のキケ・ミラモンテスが四番隊隊長と顔を見合わせ、上下へ別れて滑空していく。
「抜刀!! いくぞ!!」
ベルナルドは飛竜の手綱を強く引き、白影竜へと向かって急降下した。
四番隊と五番隊の飛竜騎士たちが、剣を抜き放ち、白影竜の巨大な身を切り裂きながら滑空する。
影のように淡く揺らめく白い巨体は、戦場を覆う霧のように広がっていた。
全長は城壁を軽く超え、胴は一部隊を丸々呑み込むほどもある。
騎士たちが刃を突き立てようとするが、実体と幻影が入り混じる不確かな存在は、まるで霧に剣を振るうように抵抗を拒む。
「実体化した場所を、深く斬れ!! 幻に惑わされるなッ!!」
ベルナルドの号令が響く。
剣閃が次々と閃き、飛竜たちは縦横無尽に駆け巡る。
白影竜が大蛇のようにうねる。
その胴体は塔を巻き付けるほどの長さを誇り、僅かに浮かび上がる骨のような影が戦士たちを飲み込まんとする。
「くそッ、こいつ……デカすぎる!!」
五番隊の一人が叫んだ。
その瞬間、白影竜の身を通り抜けるはずだった剣が、突如として硬質な抵抗を感じる。
「実体化している部分があるぞ!! 狙え!!」
四番隊の飛竜が、竜の胴を掠めるように滑空する。
その軌跡に沿って、騎士たちが次々と剣と槍を振るい、白影竜の半透明な身体に刻み込んでいく。
斬られた部分から白い霧が吹き出し、竜の嘆きのような低い唸りが戦場に響いた。
「効いているぞ! 恐れるなア!」
ベルナルドが飛竜を駆り、白影竜の首へ向かって一直線に突き進む。
背後を追うように、四番隊と五番隊の騎士たちが続いた。
白影竜の巨体が大きく崩れ始めた。
城壁を越えるほどの長い胴が、無数の傷口から白い霧を吹き出し、輪郭を失いながら断末魔のようにのたうち回る。
戦場そのものが竜の絶叫となり、響き渡っているかのようだ。
「今だ――斬り伏せろ!!」
ベルナルドの叫びが雷鳴のように轟く。
飛竜の背から身を乗り出し、白影竜の首へと一直線に突き進む。
その後ろを、四番隊と五番隊の騎士たちが追い、鋭い刃が次々と竜の体を斬り裂いていく。
「グオオオオオオオオオオ!!」
白影竜の咆哮が、空を震わせる。
戦場の兵たちは耳を塞ぎ、怯える者もいれば歓声をあげる者もいた。
竜の頭部が裂け、霧のような血が四方に飛び散る。
剥き出しになった骨の影がきしむような音を立て、ついには崩壊を始めた。
――戦場に、白い嵐が舞う。
その嵐を突き抜け、ベルナルドの飛竜が勢いよく飛翔する。
剣を振り上げ、勝利の雄叫びをあげる。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
その声に応えるように、四番隊と五番隊の騎士たちも剣を掲げた。
戦場の空が、歓声と勝利の叫びで満ちていく。
☆☆☆
青銅の鱗を纏う竜たちは低空飛行で地表すれすれを飛び、背に乗る竜騎士たちが長槍を構えて突撃する。
地上では聖騎士団が盾を組み、槍を構えた重装歩兵がその動きを迎え撃つ。
その防御陣形は盤石で、竜の突撃であっても容易には突破できない。
槍の先に朝陽が反射し、聖騎士たちが動きを見せるのを捉える。
待ち伏せを悟った時には、地上から放たれた魔力の光が空を裂いていた。
飛竜が反射的に旋回する。
聖騎士の一撃が頭上を掠め、竜の鱗が焼け焦げる音が聞こえた。
振り返る間もなく、剣を手にした聖騎士たちが上空を目掛けて次々と跳躍してくる。
その動きは人間離れしており、飛竜の機動力に劣らない速度で迫っていた。
竜騎士は舌打ちをしながら槍を構えた。
下方から飛びかかってきた聖騎士の剣が竜の脇腹を切り裂こうとした瞬間、竜騎士の槍が聖剣を弾き飛ばす。
火花が散り、聖騎士が再び地上に跳ね返る。
だが、その隙に別の聖騎士が飛竜の尻尾に剣を叩き込んだ。
飛竜が悲鳴を上げ、バランスを崩して大きく揺れる。
空中で態勢を立て直す暇もない。
次の瞬間、別の聖騎士が跳び上がり、竜の翼膜を鋭く切り裂いた。
聖竜の動きが鈍り、地面へと降下せざるを得なくなる。
その間にも、聖騎士団は追撃を緩めることなく竜騎士たちを包囲していく。
滑空していた竜騎士たちの一人が振り返ると、仲間の竜が地上に叩き落とされ、槍と剣の雨の中で押し潰される光景が見えた。
血飛沫が空高く舞い上がり、飛竜の叫びがかき消される。
その姿は、何度見ても慣れることはない。
竜騎士団の編隊は崩壊しつつあった。
上空で再編を試みるも、聖騎士たちの魔力を纏った剣撃が空を切り裂き、追撃の手を緩めない。
陽光がますます強くなり、戦場全体を明るく照らし始めた。
焼け焦げた竜の肉の臭いと、魔法が炸裂する音。
竜騎士団の隊長は空を旋回しながら、地上の兵士たちが乱れない精密な陣形を崩せないことを悟る。
朝焼けはいつの間にか黄金色へと変わり、空の彼方ではまた新たな聖竜が北の城壁へと召喚されていく。
その姿を見た竜騎士は、奥歯を噛み締めながらも、再び低空へ降下していった。
「まだ終わらない」とばかりに。
その時、頭上で雄叫びがあがった。
白影竜がゆっくりと崩れていく。
聖騎士たちは仰天して空を仰ぎ叫んだ。
「そんな馬鹿な!」
そして、竜騎士団の反撃が始まった。
☆☆☆
朝陽が地平線を超え、戦場の影を押し流すように輝きを放ち始めていた。
地上では包囲戦の渦中、竜騎士第一師団が最後の突撃を敢行していた。
竜たちは翼を大きく広げ、地面すれすれを滑空する。
聖騎士団の防壁を切り裂くように槍が放たれ、突撃の先陣が地上に血の川を描く。
包囲網の密度が薄くなった瞬間、竜騎士たちはその隙を突いて一気に突破を図る。
その光景の中、地を駆ける雷光があった。
魔工ユニコーンに跨がった竜騎士団、第一師団長アレクサンドラ・アーチボルト。
銀色の甲冑が朝陽に反射し、彼女が駆け抜けるたびに敵陣が真っ二つに裂けていく。
聖騎士が剣を構えて前に立ちはだかるも、アレクサンドラは魔工ユニコーンの蹄を振り下ろし、盾ごと砕き散らす。
彼女が手にしたドラゴンランスが一閃すると、二人の騎士が同時に吹き飛び、その間隙を竜騎士たちが突き進んでいく。
「抜けるぞ!」
アレクサンドラが振り返り叫ぶと、竜騎士たちもその叫びに応じるように一気に勢いを増した。
空を駆ける竜たちと地を疾走するアレクサンドラの魔工ユニコーンが波となり、敵陣を蹴散らしながら前進を続ける。
王宮の尖塔が目に入った瞬間、アレクサンドラはドラゴンランスを振り上げた。
その背後では、竜騎士第一師団が雪崩のように続き、戦場を轟音とともに駆け抜けていく。
敵兵の悲鳴と轟く蹄の音が朝の空気を切り裂き、竜騎士たちはついに包囲戦を突破した。
そして彼らの目の前には、王宮の大門がその姿を現していた。
☆☆☆
その隊列の中、堂々と馬を進めるのは、新たに擁立された王、マテオ・アルバレズだった。
傷ついた甲冑を纏いながらも、その背筋はまるで揺るがぬ柱のように直立し、彼の存在そのものが士気を高めていた。
第一師団の兵たちは、アレクサンドラの圧倒的な突破力と、マテオの揺るぎない威厳を頼りに、王宮へと迫っていく。
敵兵たちは抗う間もなく蹴散らされ、王宮の扉は、ついにその目の前に迫っていた。
勇壮な進軍の最前線で、アレクサンドラとマテオが並び立ち、次の戦いに挑む決意を胸に秘めていた。
「――って! 王! なんでアンタがここにいる?!」
アレクサンドラの驚愕の声に、マテオは満面の笑みを浮かべて答えた。
「闘っていいという条件で王になったんだ!」
「だ、だからといって普通、突撃部隊に加わるか?!」
「馬鹿を王にしたことを後悔するんだな!!」
マテオは豪快に笑い飛ばした。
アレクサンドラは思わず苦笑するものの、すぐに吹っ切れたように部下たちを鼓舞し始める。
「臣下が王に後れを取るなど聞いたこともない! 騎士の名折れと物笑いの種になりたくなければ、いざ、武功を立てよ!!」
竜騎士団の精鋭一万が、その言葉に応えるように雄叫びを上げた。
アレクサンドラが凄まじい速度で先頭を駆け抜ける。
それに続く騎士たちの動きは、まさに精鋭の名に恥じない見事なものだった。
驚くべきは、その練兵度の高さだ。
首都ルナベスを駆け抜ける間、騎士たちは一切の建物に掠ることさえない。
あらかじめ住民たちがエリアダンジョンに避難していたこともあるが、それ以上に、騎士団が市街地エリアで繰り返し訓練を積んできた成果だった。
過去、マテオが参加したアステラ攻防戦の失敗から学び取った教訓が、今ここで生かされている。
王宮の堀に到達すると、すでに跳ね橋が架けられていた。
その脇には黒装束の人影が立っている。
「何者だ?」
マテオが訊ねると、アレクサンドラが冷静に答えた。
「天鳳の忍者だ」
ニンジャとはなんなのかは理解できていないが、味方なら問題ないと判断したマテオは「そうか」と一言返し、馬上のまま王宮へと突入していく。
「穿て! 暴食の槍!!」
千年前、豪傑女帝と呼ばれた最初の魔王ベアトリス・ベルフェゴールの魂が宿る暴食の槍。
城門を守護するゴーレムが、槍の一撃を受けて轟音と共に砕け散った。
硬質な体が粉々に崩れ、瓦礫となって地面を覆う。
「続け!」
マテオは先陣を切って駆け出した。
王自ら一番槍を務めるという前代未聞の事態。
だが、アレクサンドラも文句を言う暇はない。
「全軍、続け!!」
彼女が叫ぶと、第一師団の士気は頂点に達した。
勇猛果敢な騎士たちは、王宮へと雪崩れ込んでいった――。
☆☆☆
王宮内。
第一師団が王の間へと駆け上がっていく。
アレクサンドラを先頭に、マテオも槍を構えたまま進むが、奇妙な静けさに気付いた。
「……罠か?」
一瞬、部下たちの間に緊張が走る。
だが、通路にも広間にも敵兵の姿はない。
どこか虚無感さえ漂う、あまりにも無防備な進路。
「どうなってる……? ここまで来るのに障害がないなんて」
アレクサンドラが低く唸ると、マテオが冗談交じりに応じた。
「敵が俺たちを恐れすぎて逃げたんだろうさ」
そう言いつつも、マテオの目も油断していない。
緊張を隠せない部下たちをちらりと見やると、軽く槍を肩に担ぎ、こう付け加えた。
「最後の一撃まで、気を抜くな」
やがて、王の間へと続く巨大な扉が目の前に現れた。
扉は既に開かれており、内側から降り注ぐ陽光が、厳かな空気をまとわせている。
「……待ち伏せか」
アレクサンドラが槍を構え直す。
そして、その視線の先――王の間の中心に座る漆黒の騎士が目に入る。
イラリオ・コバルビアス。
陽光が差し込む中、玉座に静かに腰を下ろしたその姿は、王の貫禄そのものだった。
漆黒の鎧が陽光を受けて鈍く輝き、騎士の体躯を包むその姿は威風堂々としている。
鎧の隙間から覗く銀の文様は、魔術の力を封じ込めたものなのか、まるで生きているかのように脈動している。
「待ちかねたぞ。マテオ・アルバレズ」
イラリオの声が、広間に響き渡る。
静かだが底知れぬ威圧感を孕んだその声が、場の空気を一変させた。
イラリオの瞳は深い漆黒で、視線を合わせるだけで飲み込まれそうなほどの力を持っていた。
まるで王宮そのものが彼に支配されているかのような錯覚を覚え、騎士たちの喉が音を立てる。
「どういうつもりだ?」
「バジャルド聖騎士長には、マテオは通せと命じてある」
イラリオの声は落ち着いていたが、その中に隠された威圧感が王の間を満たしていた。
アレクサンドラが眉を顰め、ドラゴン・ランスを握り直そうとするのをマテオは手で制した。
「ここは俺が行く」
マテオは第一師団を背に、単独で歩み寄っていく。
床に刻まれた紋様を靴音が刻むたび、玉座のイラリオへとその距離は縮まっていった。
☆☆☆
「俺と議論でもしようってか?」
「ああ。そうだ」
イラリオは漆黒の鎧に身を包んだまま、玉座から動かず答えた。
「これから先の人生で、余と対等に話せる相手などいなくなるだろうからな」
「なにが“余”だ。もう勝ったつもりでいやがる」
「魔王の遺物に認められ、己が覇権を目指す以上、我らが闘うのは宿命か」
「芝居じみたことを言いやがる」
マテオは肩をすくめ、鋭い目でイラリオを見据える。
「ひとつ訊かせろ。お前はこの先、この国をどうするつもりだ?」
「知れたこと」
イラリオの声は冷たくも堂々としていた。
「世界最高の魔法使いと、天下無双の剣豪たちがひしめくルスガリアの王が、世界制覇を目指さずして、一体なんの夢がある?」
「魔界の処遇は?」
「平定する」
「独立を宣言して、闘っている連中を皆殺しにでもするつもりか?」
「奴らが望むなら」
その一言に、マテオは思わず吹き出した。
「あほう」
「なに?」
イラリオが眉一つ動かさず問い返す。
「そんなことをしているうちに、危機感を覚えた北方諸国が連合を組む。当然、魔界もそこに加わり一大勢力となるだろう。アンタを毛嫌いしている魔法使いは? 反旗をひるがえすだろうな。騎士団は? それも無理だ。アンタには正統性がない。彼らはアンタを父親殺しの強奪王と呼んでるぜ」
イラリオは静かに立ち上がり、マントを払った。
「では、お前には従うと? 杯竜教会は俺の支配だ。世界中の教会勢力はどうする? 魔界の独立を容認する? 馬鹿を言うな。魔石鉱脈の真上の国だぞ? 奴らを皆殺しにしても釣りがくる――はっきり言おうか?」
「侵略してから、洗脳すれば良いのだ! きれい事だけで人類の進歩など望めるか!!」
マテオはその言葉に眉をしかめ、舌打ちをした。
「ああ。クソ……どうやって誑かされたかわかってきたよ。そうやって理詰めで答え合わせしてきたンだな。世界のなにも見もしないで」
イラリオの仮面越しに見える瞳は、真っ直ぐに前だけを見つめていた。
その瞳には誰も映っていない。
マテオは、狂信者の目だと確信した。
「遠縁のよしみで、態度によれば、我が帝国の先兵として仕えさせてやったものを」
「アンタの帝国なんて虚像なんだよ。ママゴトなんだ。なんで、それがわからない? テメエの野心をいいように擽られて――クソ! そんなことを言っても、もうわかんねえんだろうな」
イラリオは冷たく笑い、最後の言葉を告げる。
「さらばだ。せめて、お前の名前だけでも遺してやろう。逆徒の王として」
マテオは深い息を吐き出し、槍を構え直した。
「残念だよ。アンタの世界には、アンタしかいないんだな」
その瞬間、イラリオのマントが激しく翻り、形を変えた。
マントは巨大な斧となり、次の瞬間には槍、さらに鞭へと姿を変える。
その変化の速度は目にも留まらないほどだった。
「来い――お前を葬ることで、余は正当な王となれるのだ」
「だから、そんなモンは妄想だっつってんだろうが」
マテオは笑みを浮かべ、イラリオへと一歩踏み出した。
☆☆☆
マテオの暴食の槍が空気を裂き、イラリオの傲慢な斧がそれを受け止めるたび、雷鳴のような衝撃音が王の間を震わせた。
槍の穂先は鋭利に変化し、突きの速度も目に見えて加速していく。
マテオは相手の動きを見極めるたび、槍を「次の一手」に変えていった。
「ぐぬうッ!」
イラリオは低く呟きながら、槍のしなやかな動きに苛立ちを隠せない。
マテオの槍は、蛇のように絡みつき、鷹のように急襲してくる。
かつての夜、目の前で怯えを見せた若者が、今や完璧な槍の達人へと進化している。
この急成長は、ただの人間には到底なしえないものだった。
二人の戦いは王の間を超え、窓際まで追いやられていく。
マテオの槍が捩れ、螺旋を描きながらイラリオの防御を粉砕しようと迫るたび、斧の形状もまた変化し、防御と攻撃を繰り返す。
「王よ!」
背後からアレクサンドラが声を張り上げるが、マテオは振り向きもせず叫んだ。
「来るな!」
その瞬間、暴食の槍がさらに魔力を吸収し、光を纏ったかのように輝きを増していく。
「俺の全部を持っていけ!」
マテオの全身から迸る魔力が槍へと注ぎ込まれ、一点へと収束した。
床を蹴ったマテオが、必殺の突きをイラリオへと繰り出す。
攻撃を受けきれなかったイラリオの身体が宙へと浮き、背後の窓ガラスを突き破った。
――二人は絡まり合いながら空中へと放り出される。
割れた窓から舞い散る破片が、戦場の緊張をさらに煽る。
冷たい風が二人の肌を刺し、重力がその身体を地上へと引き寄せていく中で、戦いは止むことなく続いた。
落下する二人は、まるで空中を舞台とした一対一の舞踏のようだった。
槍が斧を押し返し、斧が防御を繰り返すたびに、二人の軌跡が空を裂くように描かれる。
「これは、いつかの戦いの再現だ」
鉄仮面の奥から洩れた笑い声は、狂気に満ちていた。
イラリオが腕を広げると、その周囲の空気すら震えるような殺気が広がる。
戦場の空に、雷鳴が轟いた。
「だったら、私も入れてくれよ!」
天を裂く閃光と共に、突風が戦場を駆け抜ける。
リカルドが、雷王の背に跨がり、空から舞い降りてきた。
迸る雷をまとったグリフィンの翼が、吹き荒れる嵐のように周囲の空気を切り裂き、リカルドの手に握られた巨剣ドラゴン・バスターが、鋭い刃光を放つ。
「二対一だと? これこそ、あの夜の再現だな!!」
イラリオが嗤う。
「貫け! 暴食の槍!」
マテオの槍がうねり、渦を巻くような螺旋を描きながら、一直線にイラリオへ突き込まれた。
刃が突き破る寸前、イラリオの手元の斧が、黒い魔布へと変化し、防御を捨てて完全に流体と化す。
だが、その瞬間を狙っていた。
「その芸は、すでに見たわ!」
リカルドの全身が閃光のごとき速度で動く。
――身体強化 三倍。
その言葉と同時に、雷光の軌跡を描いて、ドラゴン・バスターが一閃した。
剣閃がイラリオの首元を狙う。
「――チィッ!!」
イラリオが防御を試みるも、魔布と化した斧では刃を受けきれない。
完全に隙が生まれたその刹那、マテオの槍が胴を貫いた。
「堕ちろ! 偽王!」
螺旋の力を増した槍が、イラリオの胸を貫通する。
その衝撃が全身を貫き、鉄仮面の下から血飛沫が噴き上がった。
刹那――
リカルドの剣が、稲妻と共に振り上げられた。
イラリオの首が、紅い弧を描きながら宙を舞う。
鉄仮面が地に落ちる音が響き、同時に、真紅の血が空へと散り、王宮の空を染め上げた。
英雄王の誕生の瞬間だった。
ルスガリアに新たな名が刻まれ、強奪王イラリオ・コバルビアスの時代が終焉を迎えたのである。
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




