16話 密林の王者 3
マテオの私邸は、密林地域の領主にふさわしい豪奢さを誇っていた。
実家がすっぽり入る大きさの客室で目を覚ましたレイは、欠伸しながら、部屋のなかを見渡した。
壁には様々な魔物の剥製が飾られている。
火を吹く怪鳥、猛毒を持つ巨大なサソリ、猛虎、大蛇――それらが獰猛な姿のまま、屋敷を訪れる者に強い印象を与えている。
床には、密林で狩られた大型獣の毛皮が敷き詰められており、その柔らかな感触が足元を包み込む。
屋敷の装飾は、南国ならではの鮮やかな色彩とエキゾチックなデザインが特徴的だった。
窓際には色鮮やかな羽を持つ鳥のモチーフが彫刻され、壁には、異国の海や太陽を描いたタペストリーが掛けられている。
光が差し込むと、部屋全体が温かく明るい雰囲気に包まれ、まるで冒険の旅に出る前のリラックスした時間を演出しているかのようだった。
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昨夜、この私邸に辿り着いたのが、すでに真夜中になっていたように思う。
よく思い出せないほど疲れていた。
レイはベッドに横になった途端、泥のように眠りに落ちて、今現在、すでに陽が傾きかけている。
「宴は明日の昼まで続くぜ」と踊り子に言われて、マテオに「陽キャ拗らすのも大概にしときなさいよ」と本気でブチ切れたのは、まるで夢のようだとレイは思った。
もちろん、悪夢の方である。
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昨夜、供された蛙や蛇の肉は、香辛料たっぷりの料理になって出てきたが、レイの舌には辛すぎた。
陽が暮れてきて、客室メイドに夕食のメニューはなにが良いか訊かれたので、香辛料を抑えて、極々薄味にして欲しいと頼んだら「それのなにが旨いのか」としかめっ面で返された。
なんて率直な人たちなのだろうとレイは思う。
マテオと接していても感じることだが、ここの人たちに邪念というものは、ほとんど感じられない。
親切心から歓待し、もてなしてくれているのは、よくわかる。
ただし、人の話を聞かない。そこだけが困る。
メイドが食い下がるのを、余計なお世話だと怒っても良かったのだろうが、それでもレイは薄味を譲らなかった。
育った山村では、ほんの少しの塩味が普通なので、街に出て通常メニューを頼む時でさえ、薄味で注文するくらいだ。
胡椒をかけているだけで、随分なごちそうだという感覚が、未だに抜けない。
香辛料をまぶして「騙されたと思って食べてみろ」と薦められたって、口に合わないのだから、仕方がないではないか。
「ああ。そうだ。夕食に、先輩とご一緒したいんですけど。お誘いしても大丈夫でしょうか? 昨日は、ほとんど喋れなかったんで」
渋い顔をしていたメイドに笑顔が戻った。
「坊ちゃんが彼女からの、お誘い断るわけナイよ~! ダイジョブね!」
メイドがサムズアップして、ウインクしてくる。
悪気はないのだ。ないと思いたい。
レイは黒魔法でどうにかしてやろうか、と湧き出る殺気を抑えて笑顔をつくった。
「やだあ。私、先輩の彼女とかじゃないんですよお」
「ダイジョブ!」
メイド、再びのサムズアップ。
ダイジョブじゃねえ、と黒魔法をぶち込もうとする震える手を押さえ、レイはいつもの心のない作り笑顔で頷いた。
☆☆☆
食堂は豪奢な装飾に包まれていた。
高い天井から垂れ下がる豪華なシャンデリアが、テーブルの上に美しい光を落とし、金の縁取りが施された食器が並ぶ長いテーブルを照らしていた。
テーブルクロスは深い緑色のビロードで、森の領地を象徴するかのように自然の豊かさを感じさせる。
マテオは上半身裸のまま椅子に腰掛け、豪快に笑いながらレイに視線を向けていた。
彼の前には、山のように盛られた肉料理が並び、スパイスの香りが食堂中に漂っている。
対照的に、レイの前に置かれた料理は見た目に優しく、辛さを抑えた薄味のものばかりだった。
蒸し野菜や淡白な魚料理が中心で、レイの繊細な好みを反映している。
「辛いのは苦手なんだなあ」マテオが笑いながら問いかけてきた。
レイは小さなため息をつきながら、フォークを使って魚の身をそっと崩した。
「ええ、できるだけ薄味が好きです。山村では、それが普通だったので。味が強すぎると、頭が痛くなっちゃう」
マテオはその言葉に頷き、豪快に肉に齧りついた。
「俺は逆だな。辛いものを食べると活力が湧く」
マテオは笑い、レイに、ものすごい力こぶをつくってみせた。
食堂の大きな窓からは、広大な夜の密林を一望できた。
外の暗がりの中で、かすかな虫の鳴き声が響き、遠くで動物たちのささやきが聴こえてくる。
静かな夜のひとときが、二人を包んでいた。
☆☆☆
夕食後に、お茶を嗜みながら、レイはこれまでの経緯を説明し終わった。
公式な発表と、レイの手紙や、国や大学の情報だけでは、細かい部分はわからない。
当然ながら、口頭でしか伝えられない極秘事項もある。
「そうか……そりゃ宴どころじゃなかったな」
まったくだ、とレイは思ったが黙っていた。
さすがのマテオの顔からも、いつもの笑顔が消えている。
村が壊滅した話では涙ぐんでもくれた。そういう人なのである。
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「――それにしても、暴食の槍か。今まで見つかっていないとなると、ダンジョンに隠されてる可能性が大きいな。探索が及んでないものだと、かなり深い所まで潜らないと……お前、ダンジョン探索の経験はあるのか?」
「ほとんどないですね。一応、冒険者登録はしてますけど。本格的なのは、ちょっと」
「まあ、心配ない。ボスケブラボには熟練冒険者が山ほどいるし。すぐ見つかるだろ」
屈託のない笑顔で、マテオは言った。
「そういうこともあって、私の方でも大学に助っ人を頼んでます。明日には着くはずなんですが」
「助っ人?」
「水魔法の専門家で、冒険者としての経験も積んでいます。私の後輩なんですけどね。先輩とは入れ違いで入学してきたから面識はないんじゃないかな」
「ふうん。まあ、お前がそこまで言うなら優秀なんだろ。その助っ人が到着次第、ダンジョン探索始めるられるように手配するよ」
☆☆☆
「ご歓談のところ失礼いたします」
執事が恭しく、声をかけてきた。
「お客さまがいらっしゃいました。レイさまへの、お手紙もご持参されております」
執事が預かってきた手紙をレイに差し出す。
「早かったわね。通していいかしら?」
手紙に間違いがないことを確認すると、レイはマテオに訊ねた。
「もちろんだ。お客さんの食事もシェフに頼んでくれ。辛いのは平気かな?」
「訊いてみたら? すごく好きそうな感じはするけれど」
レイは少し微笑む。
「へえ。そりゃいいね」
マテオも笑顔になった。
「かしこまりました」
執事は、そんな二人に頭を下げてドアを閉めた。
☆☆☆
「ちょリース! レイレイ、お待たせ~!」
しばらくして、食堂におそろしく派手な娘が通されてきた。
「え?」
イメージしていた助っ人と違ったのか、明らかにマテオは困惑している。
そんなマテオなど放っておいて、レイはナプキンで唇を拭いながら「よく来たわね」と、平気な顔で派手な娘に応じた。
「マジで、ジャングルのなかにあるんスね。受けるんスけど。あはははは!」
「先輩。彼女が――」
レイが紹介しようとした途端、派手な娘がマテオに急接近してくる。
「うわわ! すげえ、イケマッチョ!! なんで裸なんスか? 趣味ッスか? 乳首、触ってイイッスか?」
マテオから再び、笑顔が消えた。
笑って、マテオ。