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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第七章 傲慢な斧
159/164

159話 遺物戦争 8

 河の底は、ひどく暗く、ヌメヌメとしていた。

 沈み込んだ岩肌はぬるりと滑り、底知れぬ泥が足元をつかんで離さない。


 水中には腐敗した木片が漂い、濁った流れは亡者の涙と後悔を溶かし込んでいるようだった。

 その川を這い回る影が一つ、異様に長く、異様に大きい――怪魚。


 そいつは悪食だった。


 亡者の肉を引き裂き、骨を噛み砕き、悲鳴や恨みさえ飲み込む。

 何でも食らう。


 地上のものはすべて、海上のものはすべて。

 食らうものがなくなれば、ただ飢えるのも退屈と、ついには死んでみた。


 今、地獄の大河を漂いながら、亡者たちの罪や涙や後悔を食らう。

 試しに咀嚼すると――あんがい甘い。

 不意に、無限に広がっていたその体は次第に縮み、やがてただの怪魚へと姿を変えていった。


「遠い昔、神から恐怖の名を与えられたことだけは覚えている」


 怪魚はふと呟いた。

 だが、そんな栄光も今は昔。

 ただひたすら食らうばかりの日々に、倦怠の色が満ちる。


「退屈だ」


 ヌメった川底を滑りながら、怪魚はふと目を細めた。

「では、そろそろ釣られてみるか」


 体はすでに大地と同等の重さを失っている。

 昔のように神々しい恐怖を纏っていない今なら、軽やかに浮かび上がれるだろう。


 怪魚は悠然と水中を漂い、目の前で揺れる碧の淵を咥え込んだ。

 しゅるしゅると力が加わり、空が近づく。


 水面を抜け出た瞬間、反射的に尾が飛沫を撒き散らし、音を立てて水面を叩いた。

 その一撃で、空にかかる虹のような水霧が舞い上がる。


「すべてを食うてきた我が、食われるのも一興」


 空気に触れる感覚を楽しむように、怪魚は尾をひとつ打ち鳴らした。

 だが、不意に何かを感じ取る。

 鋭い眼差しが空を捉えた。


「いや……こいつは、違うな。我は食われぬ」


 怪魚は歯を見せ、微かに笑う。

「面白きことよ」


 その声が静かに響くと、水面は再び静寂を取り戻した。

 ――しかし、その空気は張り詰め、何かが起こる予感に満ちていた。


 ☆☆☆


 地獄王はじっと水面を見つめていた。

 鈍色に濁った川面が、重く、静かに流れている。


 その手には、金属の光沢を帯びたタモが握られていた。

 唐突に動きが生まれる。


 ――タモを勢いよく水中に突き立てると、何の苦もなく一匹の鯉を掬い上げた。


 鯉は悠然としていた。

 釣り上げられたことにも気づかぬように、ひたすら口を動かしている。

 地獄王はそれをひょいと籠へ放り込み、重たげな音が鳴り響いた。


「これだ」


 短い声とともに、籠は大神官の手へと渡された。

 大神官は膝を折り、頭を深々と垂れる。


 地獄王は微笑む。


 やがて王は、上空を指差した。

 指先は霧の向こう、見えざる何かを正確に捉えているかのようだった。


 大神官は一瞬だけ地獄王の指先を見上げ、再び深く頭を垂れる。


 それから風に乗るようにして、その場から掻き消えた。

 まるで存在自体が幻であったかのように、跡形もなく消え去っていた。


 船は静かに動き出す。

 地獄王を乗せたその船は、底の見えない霧の中へと滑り込むように進んでいく。


 霧が濃さを増すたびに、船体が霞み、姿が見えなくなっていった。

 最後に残ったのは、かすかな波紋と、どこからともなく響く鈴の音だった。


 それもやがて、深い静寂に飲まれた。


 ☆☆☆


 地獄の大神殿は果てしなく広大だった。


 その空間には光源がひとつもなく、全体が暗闇に包まれている。

 しかし、暗闇を完全に支配することはできない。


 ――無数の蒼白い灯火が空間中に浮かび、揺らめいている。

 その灯火は魂そのものか、それとも地獄の霊的な残滓なのか、判然としない。


 神殿の奥深く、巨大な柱が何本も天井を突き上げるように並んでいる。


 その柱には無数の彫刻が刻まれており、彫られているのは苦悶の表情を浮かべる者たちの姿だった。

 彼らの口元からは細い蒼い光が漏れており、それが灯火の一部となっているようだった。

 天井の高さは見えず、ただ闇が広がるばかり。


 神殿を埋め尽くす蒼白い瞳の死神たちは、深紅の絨毯の上に整然と並んでいる。


 全員が黒いビロードのフードを目深にかぶり、顔の大半を隠していた。

 その姿は一様で、まるで無数の影が揺れるように見える。

 彼らは低い声でヒソヒソと囁き合っており、言葉は死者の世界のもの――耳にしただけで、亡者どもは震え上がる。


 やがて、大神官が祭壇の壇上へと足を踏み入れた。

 その瞬間、神殿に満ちていた囁き声がピタリと止む。

 沈黙が支配する中、全員の瞳が宙に浮かぶ鯉へと向けられた。


 その鯉は、釣り上げられた時の倍以上の大きさになっていた。

 うねるようにゆっくりと動く体躯は、すでに大神官が持ってきた籠には収まりきらない。


 その鯉の表面には細かい紋様が浮かび上がり、見る者に目を背けさせるような異様な威圧感を放っている。


「我が君より賜りし、御魚を姫殿下へとお送りする」

 大神官の声が空間に響き渡ると、死神たちは一斉に動き出した。


 フードの奥から蒼白い光が漏れ出し、それが鯉の身体へと注がれる。

「皆の者、魔力を注げ」


 蒼い光の奔流が一斉に鯉へと注がれると、その姿はさらに巨大化し始めた。

 体表の鱗が剥がれ落ち、代わりに甲殻のような硬い殻が形成される。


 ヒレは刃物のように鋭利になり、尾は波のようにうねりながら空間を切り裂く。

 その様子を見つめる死神たちは、再び口を開き、声を揃えて叫んだ。


「すべての死神は、王と姫殿下に永遠の忠誠を誓うものなり!」

「忠誠を!」

「永遠を!」


 鯉は膨張し続け、その姿はもはや鯉と呼べるものではなかった。

 肉と魔力が混ざり合い、異形と化したその存在は、その名にふさわしい威圧感を漂わせ始めていた。

 メキメキと骨が伸びる音、甲殻が軋む音が神殿中に響き渡る。


 やがて、地獄の空の一点に巨大な門が現れた。

 門は古びた鎖で縛られており、周囲には無数の目が浮かび上がる。

 その目はすべてが鯉に注がれ、その姿を見守っていた。


 異形と化した鯉は、ゆっくりと空を泳ぎ、門へと向かっていく。

 その尾が一度揺れるごとに、体躯はさらに巨大化し、神殿全体を圧迫するほどになった。


 門をくぐり抜けるとき、鯉は最早生物としての形を失い、ただの巨大な魔力の塊――それとも別の次元の生物――になっていた。


 門が再び閉じられると、神殿に残ったのは静寂と蒼白い光だけだった。

 死神たちは無言のまま頭を垂れ、大神官は再び壇上から降り、闇の中へと消えていった。


 ☆☆☆


 高台から見下ろすレイの視界には、魔法王国ルスガリアを囲む壮大な大結界が広がっていた。

 結界は薄い光の幕を何重にもまとい、その表面には無数の魔法陣が刻まれている。


 それらの紋様は絶えず回転し、輝きながら不規則に揺れているように見えた。

 結界の縁に触れる風すら歪み、魔力の濃密な圧力が視界全体を満たしている。


 その内部では、王国の尖塔群が小さく霞み、要塞の影が揺れている。

 結界が生み出す虹色の光の中で、建物すら蜃気楼のように揺らめいて見えた。


 目を遠くにやれば、南には竜騎士団とボスケラボ軍の十五万の兵が整然と進軍していた。

 その全員が鬨の声を上げ、地鳴りのような轟音が遠くまで響き渡っている。


 北方には、コキュートス軍の十万と、天鳳騎士団の七万が整然と迫っているのが見える。

 その軍勢は大地を埋め尽くし、影のように広がっていた。


 さらに首都大学からの義勇軍――ゾーエを含む白街以外の学生たち三万が、雪崩のように集まり、同じく声を轟かせている。


 ☆☆☆


 レイは風を切るように片手を掲げた。


 ――竜門。


 その言葉が響くやいなや、レイの背から現れた巨大な片翼がゆっくりと広がる。


 その動きに呼応するかのように、漆黒の巨大な門が彼女の背後に現れた。

 門は無数の魔法陣で覆われ、静かに開かれ始める。


 そこから現れたのは、得体の知れぬ黒い何かだった。

 それは形を持たず、煙のように揺らめきながら空中を漂い始める。


 その黒い存在は不吉で、禍々しく、兵たちの心に静かな恐怖を刻み込む。

 多くの兵士たちが思わず唾を飲み込み、その場に凍りついた。


 ――第三十階層最終召喚禁術 超獣竜王 バハムート。


 黒い煙のようなそれはゆっくりと形を持ち始めた。

 闇そのもののような甲冑が現れ、それを身にまといながら巨大化していく。

 やがて、その姿はすさまじい威圧感を放つ巨大な竜となった。


 体躯は黒炭のように漆黒で、筋肉と甲殻が混ざり合い、見る者を圧倒する形相をしている。

 どこまでも広がる翼は、空を裂き、太陽すら覆い隠した。

 翼を一度はためかせるだけで、地上に風圧が走り、砂塵が巻き上がる。


 その姿はあまりにも巨大で、あまりにも偉大だった。


 兵士たちは隊列を乱すことなく、その奇跡的な召喚を目撃する興奮を抑えられず、胸中で歓声を爆発させていた。

 やがてその感情は抑えきれなくなり、怒涛のような鬨の声となって地響きのように響き渡る。


 バハムートはその圧倒的な存在感を持って、ゆっくりと首を持ち上げた。

 その瞳は結界を見据え、まるでそれを嘲笑うかのような輝きを放っている。


 一つの咆哮が空を切り裂き、大地を震わせた瞬間、兵たちはすべての恐れを歓喜へと変え、再び叫び声を上げた。


 ――滅びの(アビサル・)蒼炎(アイスフレイム)


 バハムートの巨大な胸郭が上下にうねり、その口内に溢れる禍々しい蒼い炎が渦を巻き始めた。


 ただの炎ではない――その蒼炎は絶えず変形し、魔力が濃縮された塊のように歪みながら輝きを放つ。

 渦を巻くごとに空気が吸い込まれ、辺りは一瞬にして不気味な静寂に包まれる。


 その静けさを突き破るように、バハムートは天を裂く咆哮を上げた。

 瞬間、蒼炎が一気に解き放たれ、巨大な炎の奔流がルスガリアの大結界へ向かって発射された。


 蒼炎はただの火ではなく、闇と破壊そのものを体現するかのように渦を巻きながら疾走し、光さえも呑み込むように進む。


「伏せろッ――!」


 誰かが叫ぶ間もなく、蒼炎が大気を切り裂きながら通過し、結界に直撃した。

 その瞬間、凄まじい衝撃波が四方八方へと広がり、大地を揺るがせた。


 前線にいた兵士たちは衝撃で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 背後にいた者たちも、激しい風圧に目を開けることすらできず、伏せて身を守るしかなかった。


 結界に直撃した蒼炎は、無数の魔法陣を次々と焼き払い、強靭な結界の表面に深い亀裂を生じさせた。


 巨大な火柱が天高く舞い上がり、その蒼い炎は燃え盛りながら結界を侵食していく。

 耳をつんざくような轟音と地響きが、兵士たちの心胆を凍らせた。


 歴戦の猛者たちですら、その威力に言葉を失っていた。

 普段であれば咄嗟に対応できる者たちも、目の前の光景を前にして立ちすくみ、ただその破壊の規模を見つめるしかなかった。


 誰かがなにかを呟くが、その声は風と爆音にかき消された。

 恐怖と興奮、そして絶望の入り混じった感情が、戦場にいるすべての者の胸に重くのしかかる。


 大結界はまだ完全には崩壊していないものの、もはやその輝きは鈍り、崩れ落ちるのは時間の問題に思えた。

 そして、蒼炎を放ったバハムートはなおも現実に君臨し、その巨体を揺らしながら新たな咆哮を響かせる。


 その光景を目にした兵士たちは、どこか現実感を失いながらも、己の戦うべき意志を必死に奮い立たせようとしていた――。


 ☆☆☆


 北でも、ついに始まった。


 ――第三十階層最終召喚禁術 雷帝 インドラ。


 雷鳴を伴って北の森が震え、その中心から黄金の冠を戴いた巨神が現れた。

 まるで天地の主であるかのように威容を誇り、その姿は神々しくも恐ろしい。

 ビクトル・マッコーガンがこの召喚を行ったことは、誰の目にも明らかだった。


 インドラは真言を告げる。


 ――天雷(ヴァジュラ)


 その一言が放たれた瞬間、空が裂け、天を覆う暗雲が渦を巻いて形を変えていく。

 あらゆる方向から雷雨が集まり、雲の中で力を蓄えた雷光が幾重にも交差していく。

 轟音が北の大地を震わせ、まるで天そのものが咆哮しているかのようだった。


 そして――稲妻の奔流が一斉に解き放たれた。


 無数の雷が大結界に向かって落下し、天地を裂くほどの衝撃が戦場を襲う。

 雷光はあらゆる方向から結界を貫き、大地を焼き焦がしながら凄まじい爆発を繰り返した。

 そのたびに空気は震え、爆風が森を吹き抜ける。


 雷が地に落ちるたび、大地は亀裂を走らせ、火柱と煙が絶え間なく立ち上る。

 轟音は耳を裂くほどの激しさで、森の生物たちは恐怖に駆られて四方八方へ逃げ惑う。

 鳥たちは一斉に飛び立ち、地に潜む獣たちは足音を立てて森を駆け抜けていった。


 爆風は容赦なく吹き荒れ、木々をなぎ倒し、戦場にいる者たちを飲み込んでいく。

 その衝撃に耐えきれず、兵士たちは次々と地面に伏せるしかなかった。

 雷の閃光が次々と降り注ぎ、そのたびに結界の表面が砕け、光が失われていく。


 遠くから見てもその光景は異様で、地平線の向こう側から連続する閃光と爆発が空を彩り、世界が焼き尽くされるかのようだった。

 天と地が怒り狂い、破壊の嵐が吹き荒れる中、雷帝はなおも立ち続け、黄金の冠を輝かせていた。


 その威容は、召喚の域を超え、神話を現実に顕現させたかのようであった。


 ☆☆☆


 ――第三十階層最終召喚禁術 不死鳥 フェニックス。


 その瞬間、大結界の内側で天を貫くような炎が爆発的に広がった。

 ゾーエ・バルリオスが召喚した天空を灼き尽くす空の神。


 輝くような黄金の火柱が立ち上がり、結界全体を内側から染め上げていく。

 まるで太陽そのものが地上から生まれたかのような眩い輝きが、戦場全体を一瞬で照らし出した。


 大結界には無数の亀裂が走り、雷帝の稲妻、大竜の黒炎、そして鳳凰の神炎が絡み合うようにして三方から猛攻を加えていく。


 轟音が空気を裂き、結界の表面に響き渡る。

 次々と砕け散る結界の欠片が光の粒となり、降り注ぐ中、鳳凰の咆哮が響き渡った。


 結界の亀裂はついに臨界点を迎えた。

 炎に包まれた巨大な不死鳥が、眩い光の中心から翼を広げて飛翔した。

 その翼は大地を覆うほどの大きさで、羽ばたくたびに天を焦がす熱波が押し寄せる。


 結界の内部から外部へ向けて、圧倒的な力で突き進む鳳凰の姿は、まるで新たな太陽が誕生したようであった。


 鳳凰が炎を纏いながら猛然と突き抜けると、大結界がついにその限界を超えた。

 雷帝の稲妻が結界の残りの力を切り裂き、大竜の黒炎がその基盤を焼き尽くす。

 そして最後に、鳳凰の神炎が全てを貫き、結界そのものが音を立てて崩壊した。


 大結界が砕け散る轟音と共に、無数の光の破片が空へと舞い上がり、瞬く間に消え去る。

 鳳凰はその勢いを止めず、天空へ向かって飛び去っていった。

 その背中からは炎が引きずられ、赤い尾を描きながら高空へと嘶く。


「……ついに破られたか」


 戦場にいる者たちの息を呑む音だけが響く中、結界が消え去ったことで視界が開け、広大な空が再びその姿を見せた。

 ただそこには、いまだ燃え盛る黒煙と、鳳凰が消えていった空に残る赤い軌跡が、大いなる破壊の余韻を示していた。


 天地を揺るがすほどの規模で展開されたこの三方向の猛攻。

 それは歴史的な一撃として、その場にいた全員の記憶に刻み込まれる光景であった。


 ☆☆☆


 割れた大結界の奥から、深淵のような暗雲がゆっくりと立ち上がり、世界が息を呑んだかのような静寂が広がった。

 その影は、ゆっくりと、その巨大な姿を顕わにしながら、大地を震わせ、空を引き裂く音を立てる。


 大地が軋み、空が轟音を上げる中、無数の小竜たちが悲鳴のように空へと飛び立ち、混沌の幕開けを告げた。


 まるでそれらの竜たちが、自らの命を捧げるかのように、全てを放棄して飛翔する。

 だが、その先に待ち受ける者は、恐怖そのものであった。


 ――第三十階層最終召喚禁術 黄金竜 アジ・ダハーカ。


 その言葉が響くとともに、現れたのは三つの頭を持つ黄金の竜だった。

 だが、その黄金はまるで太陽のように輝きながらも、眩しい光の中に凄絶な威圧感が宿っており、その存在が空気を重く、冷たくした。


「……あれは――まさか”傲慢な斧”の特性を有してない?」


 レイが震える声で呟くと、リカルドが驚きと疑念の入り混じった表情で叫ぶ。


「どういうことだ?」

「三つの首が、それぞれ違う特性を有しています! ジョエル・ヴァルターだけの召喚魔法でこんなことは不可能だわ! 我々、三体の召喚に合わせたものが合体しています!」


「馬鹿な! そんなことが、可能なのか?」

「実際に起こっているのだから……戦うしかありません!!」


 真ん中の首は風を巻き上げながら、鳥のような鋭い顔つきをしている。

 鋭いくちばしが赤く光り、翼のように広がった鱗が風を切り裂く。


 口からは恐ろしいほどの旋風が巻き起こり、周囲の大気を切り裂きながら、空気の温度を一気に冷やす。


 左の首は蛇のように細長く、禍々しい暗黒の気配を撒き散らしながら、聖なる護りをもまとい、光と闇を同時に宿しているようであった。


 暗黒の炎がその鱗から漏れ出し、周囲の空気を腐食させるような、奇怪な力が漏れ出していた。

 目は虚無のように深く、視線を受けた者はまるで命を削られるような感覚を覚える。


 右の首は猫科の猛獣を思わせ、炎を纏い、血を滾らせるような唸り声を上げていた。

 その咆哮は轟音となって大地を揺さぶり、その口からは灼熱の火炎が迸り、周囲を焼き尽くす勢いである。


 尾が大きくしなやかに揺れ、その先端には鋭い棘が立ち、今にも敵を刺し貫こうとしていた。

 それぞれが長い竜の首を持ち、威圧的に大空を支配している。


 全身を覆う鱗は黄金に光り、だがその光が異常に強烈で、まるで太陽を超えるような輝きが放たれていた。


「こ、この規模の合成獣(キメラ)なんて――」


 レイでさえ言葉を失い、絶句した。


 その竜の姿が現れた瞬間、全ての命がその存在に屈服したような感覚が広がっていく。


 ☆☆☆ 


 亀裂だらけの大結界の魔力を吸い込み、黄金の巨竜は三方向へと首をもたげた。


 ――天地(ダエーワ・)解放(カタストロフ)


 瞬間、天地が裂ける。


 無慈悲な熱光線が、森の雷帝インドラへ。

 空を翔ける不死鳥フェニックスへ。

 崖の上から睥睨するバハムートへ。


 凄まじい閃光。

 衝撃波が大地を砕き、あらゆるものを吹き飛ばしていく。


 インドラは怒れる雷を纏い、暗雲を集めながら雷を投げた。

 フェニックスは燃え盛る巨大な火球をその身に宿し、真下へと投下する。

 バハムートの喉元には、バリバリと地獄の魔力が充填されていく。


 轟雷。

 爆炎。

 灼熱と激流が、戦場を白黒の嵐に染め上げる。


 アジ・ダハーカが森に踏み込み、絡みつく蛇のようにインドラの体を捕らえた。

 雷鳴とともに閃光が迸り、その瞬間、四肢を引き裂き、黄金竜は雄叫びをあげる。


 その光景を見届ける間もなく、フェニックスの炎が燃え盛る翼とともに急降下してきた。

 閃光が烈火へと変わり、インドラの散った残骸を包み込む。


 燃え上がる炎は命の奔流となり、裂かれた雷帝の身を繋ぎ直していく。


 崩れ落ちた雷雲が逆巻き、再びその中心にインドラの姿が現れた。

 蘇生の瞬間、インドラの全身から迸る雷が辺りを照らし、金色の光と混ざり合って轟音とともに炸裂した。


 インドラの憤怒が雷鳴となり、天へと轟く。


 ――天雷(ヴァジュラ・)奔流(テンペスト)


 雷鳴が大気を引き裂き、天空が閃光に包まれる。

 白熱する雷撃が地を貫き、黄金竜の巨体を直撃した。

 轟音とともに爆風が荒れ狂い、大地は裂け、山々が軋みながら崩れ落ちる。


 その瞬間、崖の上からバハムートが翼を広げた。

 風を切り裂く轟きとともに、闇の巨影がアジ・ダハーカへと突進する。

 巨大な鋼鉄の尾が閃き、まるで神槍のように黄金竜の胴体へ叩きつけられた。


 衝撃が嵐となって荒れ狂う。

 巻き起こる竜巻が兵たちを容赦なく吹き飛ばし、大地をえぐる。


 しかし――その瞬間、黄金竜が異様に歪んだ。

 皮膚が波打つように震え、次の瞬間、その巨体が裂けるように分裂した。


 ☆☆☆


 ――聖風竜 ルドラ。


 竜巻を巻き起こし、瞬く間にその姿は空を切り裂きながら消え去る。

 激しい風が大地を震わせ、天空がその存在を一瞬にして飲み込む。


 フェニックスが怒涛の如く追撃を試みる。

 ――が、突如巻き起こる強烈な突風に吹き飛ばされ、悲鳴をあげながら炎の羽根が散り散りに舞い落ちていく。


 ――蛇竜 ケツァルコアトル。


 その長大な体が雷の網を切り裂き、怒涛の勢いでインドラへと巻きつく。

 再び四肢を引き裂くかのように、その巨躯で雷帝を締め上げ、怒りが入り混じる渾身の力で稲妻が暴れ狂う。


 しかし、ケツァルコアトルの力はそれをものともせず、雷帝の全てを凌駕して圧倒的な支配を見せつけていた。


 ――焔竜 シャガール。


 バハムートと対峙したその瞬間、シャガールは凄絶な剛炎を吐き出す。

 空を赤く染める灼熱の紅蓮と、地獄の蒼炎が交錯し、戦場を呑み込んでいく。


 火の奔流が大地を焦がし、空気が震え、剛炎と蒼炎が衝突する。

 その破壊力は、自然の力を超越した恐怖そのものだった。


 大地は揺れ、風は怒涛のように渦を巻き、火炎と雷鳴が交差し、戦場はその全てを飲み込む混沌へと変貌していった。


 戦場の片隅で、ひとりの兵士がその恐ろしい光景を目にし、息を呑んで呟く。


「こ、こ、この世の終わりか?」


 息もつけぬような壮絶な戦いが繰り広げられ、誰もが、この世界の命運をかけた決戦を見守っていた。


 ☆☆☆


 インドラの咆哮が戦場を震わせ、雷帝の怒りの最後の雷撃が、まさに天を裂くような轟音とともにケツァルコアトルへと叩き込まれた。


 その瞬間、巨大な光柱が大地に向かって突き刺さり、空を焦がすような爆発が発生する。

 爆風が吹き荒れ、周囲の景色が一瞬で消し飛ばされていく。


 雷の閃光が闇を引き裂き、風と雷が交錯して状況が一変する。


 聖風竜ルドラはその余波に呑み込まれ、燃え上がりながら墜落していく。

 その体が地面に激しく衝突する音が、大地に震動を与えた。


 次の瞬間、フェニックスが空を切り裂くように飛び込み、ケツァルコアトルの身を捉えてその巨体を咥え、猛然と跳び去る。


 だが、その背後で、再び大爆発が轟音とともに響き渡り、爆風がその一帯を呑み込む。

 燃え盛る炎の渦が大気を震わせ、戦場は火の海と化した。


 首都の目の前では、シャガールの紅蓮の炎とバハムートの蒼炎が激しく交錯していた。


 ふたつの炎は、まるで生き物のように暴れ回り、空気を震わせ、戦場を支配する。

 火の力が地面を焦がし、雷鳴が絶え間なく轟き、すべてのものがその破壊力に圧倒されていく。


 インドラは最後の力を振り絞って、シャガールの背に向けて雷を落とす。

 そして雷帝は力尽き、その最後の雷光が、全てを白く塗りつぶし、次第に消え去った。


 シャガールもまた、蒼き地獄の炎に包まれ、その体が溶けるように蒸発しはじめた。

 炎の渦がその存在を一瞬で飲み込み、魔素となって消えていく。


 戦場に立つバハムートも、次第にシャガールの剛炎に呑み込まれて、次第に形を崩していく。

 爆発的な轟音とともにその体は崩れ落ち、巨大な衝撃波が周囲を吹き飛ばす。


 空が揺れ、大地が震える。

 不死鳥が最期に一声鳴いた。


 全ての力が消え去ったその瞬間、残されたのは、ただ静寂と煙だけだった。


 ☆☆☆


 兵たちは伏せ、戦場の果てで繰り広げられた壮絶な戦いをただ見守るしかなかった。

 その目の前で起こった出来事は、まるで世界が崩壊するような光景だった。


 しかし、巨大な竜たちがすべて消滅し、その力が止まると、戦場にはようやく静けさが訪れる。


 竜巫女レイ・トーレスの掌の上で、暗黒の魚影が跳ねて消えていく。


「ありがとう」


 レイが誰に向けて、その言葉を発したのか。

 その意味を知る術もなく、王も将軍も、晴れ渡っていく空を見上げて息をついた。


 次第に兵たちは立ち上がり、そして歓声が湧き上がっていく。


 ☆☆☆


「いくぞ!!」

 竜騎士団長リカルド・カザーロン将軍が、グリフィン”雷王”に跨がり号令をかけた。

 高台から彼が振り下ろした剣の合図で、十五万の竜騎士団とボスケラボ軍が一斉に動き出す。

 足音は大地を揺るがし、竜たちの咆哮が戦場の幕開けを告げた。


「出陣!!」

 北の森では、天鳳騎士団が鬨の声をあげ、雷帝の消えたなかを駆け抜けて来た。

 その先頭に立つのは、白銀の甲冑を纏った天鳳騎士団総司令、暁月剣禅。

 その剣先が指し示すのは、ルスガリア王宮のみであった。


「全軍、出撃!!」

 コキュートスの女王カサンドラ・ベルゼブルが、漆黒の戦装束を纏い、魔界全軍を率いて突進する。

 その背後には十万の魔界兵が控え、血と硫黄の匂いを漂わせながら、恐ろしい魔獣たちが後に続く。

 大地を砕く蹄音と共に、北方の森を突き抜ける軍勢は、まさに魔王の行進と呼ぶに相応しいものであった。


 そして――。

 ルスガリアが建国三百年目の朝を迎えたこの日、首都の鐘が戦慄と共に鳴り響いた。

 壮麗な城壁の向こうでは、各地から集まった軍勢が同時に迫り、戦場の熱気が霧のように空を覆う。


 ルスガリアの運命を決する最終決戦がついに幕を開けた。

 朝日が昇る空は、もはや希望の光ではなく、戦火に染まる赤い空として歴史に刻まれるのであった。


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