158話 遺物戦争 7
昨夜から続いていた雷雨が嘘のように止み、空には燦々と太陽が輝いていた。
聖堂のステンドグラスから降り注ぐ陽光が、大理石の床を虹色に染め、神聖な空気が場を包み込む。
この戦いの正統性がどちらにあるのか。
――ここに集う者たちにとって、それは疑いようもない事実だった。
堂内に響く祝詞の中、勇者メルビンはひざまずき、白魔法の大権威にして杯竜教会の枢機卿、ジョエル・ヴァルターに恭しく頭を下げていた。
ジョエルは清められた聖剣を手に、メルビンの両肩を静かに叩きながら、力強く宣言する。
「聖竜の御名において、メルビン・フォレットを王宮騎士団、第四聖師団長に任命する。汝、杯竜教会とルスガリア王に忠誠を誓うか?」
「はい」
メルビンは力強く答えた。
「誓いを了承した旨を、ここに証明する。これにより、第四聖師団は正式に騎士団として認められた。おめでとう」
ジョエルは微笑みを浮かべながらメルビンと握手を交わし、次いで満面の笑顔で彼を抱きしめた。
歓声が湧き起こり、聖堂全体が祝福の空気に包まれる。
白街の象徴ともいえる拝竜教会、その荘厳なる場で執り行われた出陣式は、杯竜教会の権威と、彼らの背負う聖戦の重みを改めて世に示すものとなった。
☆☆☆
「おめでとう、メルビン。エリアダンジョンでは体調が優れなかったそうだな?」
第一聖師団長のガリシオ・ラグナが低い声で問いかけながら、大きな体を揺らしつつメルビンに歩み寄る。その姿は、まるで山のように堂々としていた。
「ああ、途中から記憶が途切れてしまったんだ。本当に情けないし、腹立たしいよ」
メルビンは苦笑を浮かべつつも、その悔しさを隠しきれない様子だった。
「嫌なことを思い出す必要はないわよ。これからいくらでも挽回の機会はあるわ」
第二聖師団長のエリザベート・アレンツァは、涼しげな表情を浮かべながら、指先で長い髪をさらりとかき分けた。その姿には威厳と余裕が漂っている。
「その通りだ。この戦争で異教徒や不信心者、裏切り者を一掃できると思えば、むしろ清々しい気分になるね」
第三聖師団長のライアン・エステバンが口角を上げる。
彼は若き俊英として名高く、知性と冷徹さを兼ね備えた人物だった。
「その通り! お前たちの未来は輝かしいものになる! お前たちは我が息子だ! 娘だ! 可愛い子供たち同然だ!」
聖騎士長バジャルド・オスナが四人を腕の中に抱き寄せ、力強く肩を叩きながら大声で笑った。
その豪放磊落な様子に場の空気が一瞬で和らぐ。
「オヤジ殿!」
「騎士長!」
「まったく、相変わらずですね」
三人はそれぞれ異なる反応を見せながらも、自然と笑顔を浮かべた。
「この度は、大変な名誉をいただき感謝しております」
メルビンが深々と頭を下げると、バジャルドは大きな手で彼の肩を叩き返した。
「何を水くさいことを言う。我らはもう家族だ!」
バジャルドが朗らかに笑うと、エリザベートが柔らかい声で続けた。
「ふふ、ようこそ、王宮騎士団へ」
「約束された騎士団。そして約束された勝利……後は奴らの首を上げるだけだな」
ライアンが静かに断言したその言葉には、確信と闘志が宿っていた。
「ええ。ありがとうござ――ござい……ま……」
「どうしたの? 気分でも悪い?」
その言葉が終わるや否や、場の空気が一変した。
――時限式召喚禁術 第二十二階層 奈落の巨人。
メルビンの体が異様に膨らみ始め、血管が裂ける音のような轟音が教会全体に響き渡る。
やがてその姿は赤黒い巨人へと変貌を遂げた。
燃え盛るような瞳が狂気を宿し、蓬髪は無秩序に乱れ、全身から立ち上る赤黒い煙が周囲を覆い尽くす。
教会のステンドグラスが震え、足元の石畳に亀裂が走った。
「え……え?」
誰かが呆然と声を漏らしたその瞬間、巨人となったメルビンがエリザベートに向かって巨腕を振り下ろした。
轟音とともにエリザベートの頭部が粉砕され、鮮血が教会の聖域を穢す。
続けざまにライアンへと巨体をねじり、鋭い牙でその胴体に噛みついた。
「ぎゃああああ!!」
ライアンの絶望の叫びは次第に途切れがちになり、最後には奈落の巨人の顎で粉砕される音だけが響き渡る。
血が飛び散り、肉片が床に転がった。
「あ、あ、ああああ!! 貴様アアアア!!」
ガリシオが激昂し、大剣を引き抜いて突進した。
その一撃は巨人の肩をかすめたものの、奈落の巨人の動きを止めるには至らなかった。
巨人の手から伸びた呪縛の鎖がガリシオの全身を絡め取り、そのまま分銅のように振り回す。
「ぐああああ!!」
ガリシオの悲鳴が響く中、鎖に繋がれた彼の体が四方八方へと叩きつけられる。
壁が砕け、柱が倒れ、杯竜教会の荘厳な内装が次々と破壊されていく。
瓦礫が降り注ぎ、床には無数の亀裂が走る。
ステンドグラスは砕け散り、光の断片が絶望の中で散りばめられたかのように舞い落ちた。
「きゃあああ!!」
「助けて!!」
信徒や騎士たちが悲鳴を上げながら出口へと殺到するが、どの扉もびくともしない。
何かの力で封じられているのだ。
無数の人々が押し寄せる中、出口付近では倒れた者が踏みつけられ、足元から血が広がっていく。
「開かない! 開かないぞ!」
「神よ! 竜よ! お救いください!」
しかし何の加護も、ここには届かなかった。
叫び声と絶望が渦巻く中、巨人はさらなる破壊を繰り返し、教会はもはや地獄と化していた。
「オヤジ! オヤジ殿!! 助けて!!」
ガリシオの叫びは、虚空に消えた。
バジャルド・オスナは一切の迷いを見せることなく、巨大なロングソードを振り上げると、ガリシオを一刀のもとに斬り裂いた。
その表情には憐れみも葛藤もなく、冷徹な覚悟だけが浮かんでいた。
ロングソードは鋼の閃きとともに奈落の巨人の心臓を貫いた。
赤黒い体液が剣の周りから噴き出し、巨人の動きが一瞬止まる。
しかし同時に、ガリシオの首が宙を舞い、それをバジャルドは何の躊躇もなく踏み潰しながら、剣をさらに押し込んだ。
――奈落の巨人の行動不能を確認。爆発します。二、一、発破。
その言葉が響いた直後、巨人の体が赤黒い輝きを放ち始めた。
次の瞬間、凄まじい轟音と共に爆発が巻き起こった。
巨人の体内から解き放たれた禁呪の力が、すさまじい衝撃波となって周囲を蹂躙していく。
爆炎が渦を巻き、教会の天井を吹き飛ばし、巨大な瓦礫が次々と崩れ落ちる。
吹き荒れる熱風はステンドグラスの残骸を一瞬で灰にし、神聖な聖域は焼け焦げた地獄へと変わり果てた。
「うおおおおおおお!!!」
バジャルドは咆哮を上げながら、自らの巨体を首の落ちたガリシオの遺体を盾として縮こまり、爆風に耐える。
爆炎が容赦なく襲い掛かり、金属の鎧は灼熱で赤く染まった。
一方で、ジョエルは迅速に防御の結界を張り、爆発の余波をなんとか凌いだ。
その背後にいた数人の幹部たちは結界に守られたが、それでも耳を覆いたくなるような轟音と衝撃に耐えきれず、地面に崩れ落ちる。
しかし、結界に守られなかった者たちは悲惨な有様だった。
辺りには焼け焦げた肉の匂いが充満し、床には黒く変色した骸が散乱している。
王宮騎士団の幹部や杯竜教会の聖職者たちは、ほとんどが爆風に吹き飛ばされ、息のある者ですら血にまみれ、骨が折れ、呻き声を上げるに過ぎなかった。
天井の崩落とともに降り注ぐ瓦礫の雨の中、ジョエルは冷たい目で惨状を見渡した。
瓦礫の山と化した教会跡で、重苦しい沈黙を破るようにバジャルドが口を開いた。
「――パレードの意趣返しといったところか」
バジャルドの声には冷たさが漂い、その視線は周囲に転がる無数の死体を無表情に見下ろしていた。
ジョエルは血の匂いにむせ返りそうな空気の中、わずかに眉を動かして応じる。
「ええ。見事にやられました」
その口調には後悔や悲哀の影はなく、淡々とした事実の確認に過ぎなかった。
「主力が全滅だ。だが、白学部にはまだ秀才が多いだろう。適当に見繕って補充しろ」
バジャルドは足元に転がる遺体の一つを、無造作に蹴り飛ばした。
死者への敬意など微塵も感じられないその仕草は、いつも通りの彼である。
ジョエルは瓦礫を踏み締めながら軽く頷いた。
「承知しました。ですが、王宮騎士団でも早急に聖騎士団長を再編していただかないと困ります」
バジャルドは微かに口元を歪め、答える。
「心得た」
ジョエルは壊滅した場を改めて見渡し、深いため息をついた。
「では――これから一芝居打ちますよ」
彼の瞳には、一瞬の光が宿った。
破壊と混乱の中でも、まだその心には何らかの計略が生きているようだった。
バジャルドもまた、微笑とも嘲笑とも取れる表情を浮かべて、ジョエルに頷いたのである。
☆☆☆
「おおおおお!! なんたること! なんたる卑劣!! 許せぬ!!」
瓦礫に膝を突き、バジャルドが亡骸を抱きしめながら号泣していた。
その姿は、悲痛そのものでありながら、どこか誇張された演技のようにも見える。
瓦礫の隙間からジョエルが静かに姿を現した。
血や埃にまみれながらも、その手には光を帯びた白い矢が握られている。
陽光が割れたステンドグラスを通り抜け、彼らの周囲を幻想的に照らし出した。
「貴殿にこれを授けましょう」
ジョエルの声は深く落ち着いており、その場の喧騒を吸い込むかのようだった。
「憤怒の弓と対を成す七本の矢の一本。聖者には祝福を、悪人には天罰を与える――魔王の遺物です」
バジャルドは目を見開き、矢に視線を注ぐ。
その表情は感動に震えているようで、深い敬意を込めてジョエルに頭を垂れた。
「ははあ! ありがたき幸せ!」
ジョエルは矢を恭しく差し出し、瓦礫に囲まれた聖域のような空間の中で二人が向き合う。
ステンドグラスから差し込む光が矢の表面を煌めかせた。
「信心が満ちていれば――この矢は死者をも蘇らせる奇跡を起こすでしょう」
ジョエルが微かに微笑みながら語る。
バジャルドは顔を上げ、口元を歪めて訊ねた。
「――信心が足りなければ、どうなる?」
ジョエルは一瞬の沈黙を挟んだ後、穏やかに答えた。
「猛毒になります。それも、あくまで伝説の一つに過ぎませんよ」
彼は矢を軽く持ち上げると、バジャルドに手渡した。
「ですが、これで首魁を討ち取れば――それが新たな伝説の幕開けとなるでしょう」
「なるほど、さすがだ」
バジャルドの声は冷静だが、その内心では矢を見下し、侮蔑が渦巻いていた。
(こんなもん、使えるか)
そう思いつつも、彼は恭しく矢を受け取り、表向きの感謝を示す。
二人の低い声でのやり取りは、周囲の混乱した人々には届かない。
瓦礫の中で繰り広げられるこの即興劇は、崩れた教会の中で生き残った者たちにとって、一筋の希望に映っていた。
ある者は英雄叙事詩の再現を観るかのように胸を高鳴らせ、またある者は夢の中の出来事のように陶然としていた。
割れたステンドグラスから降り注ぐ陽光が舞台装置のように二人を照らし出し、その場を奇妙に荘厳なものに仕立て上げる。
バジャルドとジョエルの顔に浮かぶ薄い笑みは、真実を知る者にとって恐ろしく冷たいものに映るだろう。
しかし、誰もその真意を見抜くことはなかった。
瓦礫の中に、確かに「奇跡の舞台」が出来上がったのだ。
☆☆☆
突如、教会の重厚な扉が轟音とともに蹴破られた。
人々は瓦礫の中から顔を上げ、一瞬、助けが来たのだと思い込んで歓声を上げながら殺到した。
しかし、その期待は刹那で裏切られる。
扉の先に立っていた騎士たちの首が音を立てて宙を舞い、返り血が床に叩きつけられた。
恐怖と絶望が悲鳴となって教会内を埋め尽くした。
その瞬間、白街以外の学生街から駆けつけた義勇兵たちが、数え切れない雄叫びを上げて教会内へと突入してきた。
学生街の戦士たちは自作の武器を振りかざし、次々と聖職者や騎士団を襲撃する。
「バジャルド・オスナアアアア!!」
怒声が教会を震わせた。
義勇兵の波を切り裂くように、鷹松左近が現れた。
鋭い目でバジャルドを見据え、振り上げた剣が稲妻のように閃いた。
「き、貴様は――!」
バジャルドが怯む間もなく、左近の剣が襲い掛かる。
「バジャルド!! 首ィ、寄こせやア!!」
潮騒の剣がバジャルドの持つロングソードを叩きつけた瞬間、激しい爆風が巻き起こった。
衝撃波に耐え切れず、周囲の部下たちが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていく。
「ぐッ! 貴様ッ!!」
バジャルドは咄嗟に白の矢を手に取り、左近へ突き刺そうとする。
だが、その矢先を横合いから一閃、左膳が弾き飛ばした。
「爺上!」
「たわけがッ! 今の一撃でこやつを討てただろうがッ!!」
左近が怒声をあげ、悔しげに歯噛みするが、はっとして左膳を抱き締めた。
「許せ! しかし、次は躊躇うな!」
「――はい! 必ず討ち取ってみせます!」
ぐっと左膳の頭を撫でると、左近は潮騒の剣を振りかざす。
一瞬の隙を突いて、バジャルドは辛うじて瓦礫の影へ逃げ込んだ。
その背を追う義勇軍。
しかし、彼らの行く手には聖職者や騎士たちが立ちはだかり、必死に割って入って防ごうとする。
「逃がすな!! 大将首はすぐ、そこぞ!!」
左近が潮騒の剣を振りかぶって一閃すると、突風が吹き荒れ、立ち塞がる騎士たちが吹き飛んでいった。
白街の教会は阿鼻叫喚と化していた。
瓦礫が吹き飛び、血飛沫が舞い散り、剣と剣がぶつかり合う鋭い音が響き渡る。
義勇軍と聖職者、騎士たちが入り乱れる大混乱の中、誰が敵で誰が味方かもわからない。
「進めェ! 奴を逃がすな!」
義勇兵たちの怒号が轟き、荒廃した教会は、もはや戦場と化していた。
☆☆☆
高台の縁に佇む一人の少女が、混乱の続く戦場を見下ろしていた。
竜巫女レイ・トーレス。
漆黒の髪が風に揺れ、その瞳には戦場を貫くような冷徹な光が宿っている。
無数の瓦礫と炎に包まれた白街の教会、その周囲で蠢く群衆と義勇兵、逃げ惑う民たち――混乱と絶望が渦を巻いていた。
レイは深い息を一つ吐き、ゆっくりと踵を返した。
両手を高々と掲げ、その指先を空に向ける。
視界の先には、見渡す限りの兵士たちが大地を埋め尽くしていた。
竜騎士団とボスケラボ軍、その数十五万。
鎧の光が太陽の光を反射して輝き、一人一人が武器を握りしめてレイの指示を待っていた。
兵士たちの緊張が空気に張り詰め、静寂の中で心臓の鼓動すら聞こえるような瞬間が続く。
「これより――」
レイの声が、まるで神託のように響き渡る。
風が吹き抜ける高台の上、彼女の声だけがこの広大な戦場に響き渡るようだった。
「王座奪還戦を開始する!!」
その言葉が発せられるや否や、大地が震えた。
十五万の大軍勢が一斉に雄叫びを上げ、その声が山々に反響して、轟音となって空へと突き抜けていった。
「おおおおおおおおおおお!!」
声の波が押し寄せ、兵士たちは武器を天に掲げ、さらに声を張り上げる。
その場の熱気はまさに天を衝く勢いだった。
戦旗が高々と掲げられ、竜騎士団の旗には翼を広げた竜の紋章が、ボスケラボ軍の旗には茨を切り拓く斧の紋章が風になびく。
馬上にいる竜騎士たちはそれぞれの愛竜の首元を叩き、竜たちが轟くように咆哮を上げる。
その音が、まるで地鳴りのように周囲を揺らした。
「レイ! レイ! レイ!!」
将軍たちが声を張り上げると、兵士たちはさらに気勢を上げた。
竜巫女を中心とした軍勢の指揮は高まり続け、戦場の空気は今や静寂を許さない。
レイは背後を振り返り、一瞬の微笑を浮かべた。
その視線には確信と決意が宿り、圧倒的な存在感が彼女を中心に広がっていた。
こうして、十五万の軍勢は熱気と共に進撃の狼煙を上げる。
ルスガリア建国以来最大の決戦が、遂に幕を開けた。
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




