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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第七章 傲慢な斧
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156話 遺物戦争 5

 議会騎士団本部の敷地内に広がる首都大監獄は、まるで要塞のような威容を誇っていた。


 分厚い石造りの外壁は幾層にも重なり、その上には鋭い鉄柵が設置されている。

 塔のように天へとそびえる見張り台が四方に配置され、監視の目は一瞬たりとも緩むことがなかった。


 監獄の入り口には巨大な鉄門が設置され、鈍い金属音を立てながら定期的に開閉している。


 その門をくぐるたびに、新たな囚人たちが手枷と足枷をつけられて列を成して運ばれてきた。

 亜獣街で行われた大規模な掃討戦の結果、一万人収容可能といわれるこの監獄には昼夜を問わず、次々に囚人が送り込まれていた。


 内部には複雑な迷路のような通路が張り巡らされ、各所に設けられた監視所から警備兵たちが鋭い目を光らせている。


 床や壁には魔法陣が刻まれており、反抗や脱走を防ぐ結界が常に稼働している。

 囚人たちが通るたびに結界が微に光を放ち、その存在を誇示していた。


 その顔には恐怖と絶望、あるいは疲労の色が濃く刻まれていた。

 中には肩を落として俯く者もいれば、周囲に怒りの視線を向ける者もいる。

 それでも、看守たちが無言で槍の柄を地面に叩きつける音が、囚人たちの反抗心を押し潰していた。


 外では、囚人を満載した荷車が次々と監獄に到着していた。

 広場では降ろされた囚人たちが集められ、整列させられる。

 彼らの姿を遠巻きに見つめる看守たちの視線には、一切の同情の色がない。


 首都大監獄――それはただの施設ではなく、議会騎士団の絶対的な権威を象徴する場所であり、この国における「力」の象徴そのものだった。


 亜獣街の掃討戦が引き起こした混乱は、この冷酷な鉄と石の城に収束し、やがて静かな恐怖として街全体に浸透していくのだった。


 ☆☆☆


 パブロは厚い鉄の扉の前で立ち尽くしていた。

 三年目の務めとなる監獄生活にはもう慣れたと思っていたが、今夜はどうにも胸騒ぎが止まらない。

 先ほどから吹き始めた冷たい風が、荒れた空模様をさらに悪化させそうだった。

 彼は暗い空を見上げながら、まるで雲のように渦巻く自分の不安を振り払おうと自問した。


 この国で最も恐ろしいのは誰だ?


 まず頭に浮かんだのは、「雷神」と称される勇者ビクトル・マッコーガン。

 彼は違う。

 あれは正義の象徴だ。


 次に思い浮かぶのは、「黒街令嬢」レイ・トーレス。

 しかし、彼女も違う。

 彼女は恐ろしいが、計算の上に成り立つ冷酷さだ。


 そして、最後に浮かんだのが亜獣騎士団総長ヤン・ハルツハイムだった。

 三万人ともいわれる亜獣騎士団を率い、暴力でこの国を震撼させてきた張本人。

 昨日の朝までは、彼が自問の答えだった。


 亜獣騎士団は壊滅し、その幹部と中堅を含む四千人が、今日この監獄に送られて来ている。

 監獄の収容能力が限界に近い中、これは異例の状況だった。

 彼らが全国に分散されるのだと思っていたパブロの予想は大きく裏切られた。


 さらに恐ろしいのは、それ以外の団員たち――その数は数万にも及ぶ――が全員斬り捨てられたという事実だった。


「長官は本気で亜獣騎士団を皆殺しにするつもりだ」

 今日の昼、上司が恐る恐る呟いたその言葉が耳から離れない。


 彼ら、四千人は全てが重犯罪者だ。

 騙し、殺し、違法ポーションは当然ように常習している。

 暴力と非道の限りを尽くした外道ども。


 パブロはそれを知っているし、心のどこかで自分を納得させようとしていた。

 ――彼らがこうして監獄に送られるのは正しいことなのだと。


 だが、それでも目の前に迫る現実の重さに、彼の手は自然と震えていた。


「……パブロ、そろそろ持ち場に戻れ」

 背後から声をかけたのは同僚のベテラン看守だった。

 彼は何の感情もないような無表情で、次々に運び込まれる囚人の群れを見つめている。


 パブロは無言で頷き、足を動かした。


 視線を向けた先には、巨体の獣人や荒くれ者たちが、鎖につながれながら列を成して歩いていた。

 怒りとも絶望ともつかないその目にパブロは目をそらしたくなったが、どこかそれに抗うように自分を奮い立たせた。


「彼らは全員、人ではない。魔物だ」

 そう自分に言い聞かせながら、パブロはいつもより強く夜警の杖を握りしめた。


 今夜、彼は人生に刻まれる運命の一夜を過ごすことになるのである。


 ☆☆☆


 議会騎士団を散々侮り、数々の犯罪は王宮騎士団や教会の裏工作で揉み消されてきた。


 亜獣騎士団。

 その堕落しきった集団に対して、彼らがどうなろうと、誰も彼らを弁護することはないだろう――それほどまでに嫌われ、忌み嫌われる存在だった。


 ルスガリアにおいて、脱獄はほぼ皆無だ。

 それは単に監獄の堅牢さゆえではなく「逃げれば必ず処刑する」という議会騎士団の無慈悲な掟が存在しているからに他ならない。


 たとえ国外へ逃れたとしても、追手として刺客を送り込み、どこまでも追い詰めて殺す。

 それが議会騎士団の流儀であり、彼らが掲げる正義そのものだった。


「特殊独房への案内は貴様らか?」


 雷鳴とともに響いた女性の声が、重々しい空気をさらに引き締めた。

 馬車から降り立った細身の女性が、冷たい雨の中で一行に向き合う。


 彼女の存在感は圧倒的だった。

 年齢は二百歳近いとされるが、その鋭い眼光と整然とした立ち振る舞いには、歳月を超越した威厳が漂っていた。

 情けや慈悲からは最も遠い場所に立つ彼女――それこそが「完全なる正義の実行者」と称される所以だ。


 議会騎士団長官ウルシュカ・ツァハ。

 この国で最も恐ろしい人物が、静かに到着した。


 ☆☆☆


 雨が容赦なく降り注ぐ夜空の下、厳粛な雰囲気が広がっていた。

 首都大監獄の正門前、ウルシュカが雷鳴とともに到着するや否や、その場にいた全員がその威厳に飲み込まれた。


 パブロは上司と共に直立不動の姿勢で、雨に濡れながら最敬礼を捧げた。

 ウルシュカの細身の体つきはその冷然たる雰囲気を少しも損なわず、むしろその冷たさを際立たせているようだった。

 帽子の下に隠されたその顔は青白く、隙のない鋭い表情が浮かび、長い耳がわずかに揺れるのが見えた。


 パブロはその耳を見て思わず息を呑んだ。

 ウルシュカはルスガリアの最古の五騎士の一人として、五代前の王によって任命された人物だと聞いていたが、直接その姿を目にするのは初めてだった。

 まさに、伝説が目の前に立っている――その緊張感が骨の芯まで響いた。


 ウルシュカのすぐ後ろから、二人の随伴者が姿を現した。

 ひとりは巨躯のオーガ、もうひとりは長身で整った顔立ちの中年の男だ。


 オーガは鋼鉄のように硬そうな肌を持ち、顔は怒りと冷酷さをそのまま形にしたかのような凄まじい形相をしていた。

 身に着けた分厚い鎧がわずかに軋むたび、その圧倒的な存在感が周囲に伝わる。


 対照的に、中年の男は洗練された佇まいで、雨の中でもその長い外套に一滴の汚れも感じさせないほどだった。

 鋭利な美貌と長髪が、彼を一種の非現実的な存在に見せている。

 けれど、その薄い笑みの裏には冷酷さが潜んでいるようで、目が合うだけでパブロの心臓は強く打った。


「遅れを取るな。案内しろ」

 ウルシュカが冷たく命じると、パブロは反射的に「は」と短く答え、雨に濡れたブーツの音を立てながら歩き出した。


 心の中ではまだ動揺が収まらない。

 目の前を歩く長官ウルシュカ、その後ろに続くオーガと中年の男――いずれも恐怖そのもののような存在だ。

 そしてその威圧感が、この監獄に新たな波乱を巻き起こすことを予感させていた。


 ☆☆☆


 重々しい足音と共に進む一行の背後で、パブロの心には疑問が渦巻いていた。

 彼は任務として特殊独房へ案内しているだけだが、自然と耳に入ってくる彼らの会話は、どうしても無視することができなかった。


「もう潜入しているだと?」

 オーガが低い声で呟くように問いかけると、その鋭い口調には焦りが滲んでいるように思えた。


「ええ。間違いありません」

 声に応じた男は、感情を崩さぬまま早足で歩き出す。

 その背中から漂う圧力に、パブロは思わず背筋を正した。


「ともかく、奴を逃がせば戦況がひっくり返りかねません。現在の状況は?」

 男の冷徹な質問が周囲の空気をさらに重たくする。


「眠らせています」

 パブロの隣にいた上司が緊張した口調で答える。


(逃がす? ここから?)


 心の中でその言葉を反芻し、パブロは眉をひそめた。

 誰を逃がすつもりなのか、そもそもこの監獄の構造を理解しているのか。


 ここは三重の結界に覆われ、ミスリル製の扉が行く手を阻む――国内でも最も堅牢と言われる首都大監獄だ。

 侵入も脱出も、常識的には不可能。


 無理に決まっているだろう。

 心の中でそう呟きながら、パブロは目の前のミスリル扉を押し開けた。


 そのたびに軋む音が響き、重さが手に伝わってくる。

 この扉を抜けるだけでも、相当な力と技術が必要だということを、彼自身が知っていた。


 だが、彼らの会話から感じられる緊張感は、そんな理屈を無効にしてしまうような不安を呼び起こしていた。


 オーガが扉の奥をじっと睨みつけ、ウルシュカが一瞬だけ鋭く視線を向けた。

 その瞳の奥には、何かを確信しているような光が宿っていた。


 パブロは少し息を呑み、ただ黙々と案内を続けるしかなかった。

 彼の胸の中でくすぶる疑念が、雨音と共に深まっていく。


 ☆☆☆


「こちらです」


 上司と共に、パブロは厳重な二重施錠を解錠する。

 扉が軋む音を立てながら開き、冷たい空気が肌を刺した。


 昨日、施錠の先に何が入っているのか気になり、ちらりと覗いてみたときのことを思い出す。

 特大の呪物か、あるいは何か未知の災厄が封じられているのかと思いきや、そこにいたのは――恐怖そのものだった。


 ヤン・ハルツハイム。

 通常の人狼の二倍の背丈、圧倒的な筋肉と凶暴性を持つ、五騎士の一角。


 牢の中に横たわる巨体は意識を失っているにもかかわらず、なお威圧感を放っていた。

 その姿は、人狼のまま。

 パブロは目の前の異様な存在を直視しながら、上司に訊いた。


「人間形態には戻らないのですか?」


 上司は軽く鼻を鳴らしながら答える。

「戻らない。普段から、ずっとこのままだ。聞けば、生まれてこの方、一度も人間の姿に戻ったことがないらしい」


(そんな馬鹿な話があるのか?)

 信じがたい言葉に、パブロの脳裏に浮かぶのは無数の噂――凶暴性、残虐性、そして全てを破壊する力。

 その全てが目の前の存在に結びついていく。


 彼はごくりと唾を呑み込み、震える足をなんとか堪えた。鼓動が耳に響く。

「恐怖の代名詞」という言葉が、これほどまでに実感を伴うとは思いもしなかった。


 ☆☆☆


 特殊独房の中は、あらゆる魔法を無効化する仕組みが施されている。

 使用可能な武器や防具は、あらかじめ登録された看守のサーベル、警棒、盾のみであり、それ以外の魔具や魔法の利用は一切封じられる。


 しかし、生まれ持ったスキルや身体能力を完全に無効化する方法は存在しない。

 そのため、囚人がどれほど激しく暴れても破壊できない硬度を誇る監房の壁は、この特殊独房の核とも言える防御機能となっている。


 さらに、独房内には「監視クリスタル」が埋め込まれており、囚人の行動を常時監視しているだけでなく、体温や心拍数といった生体情報まで記録されている。

 異常が検知されれば即座に警報が鳴り響き、看守が迅速に対応できる仕組みだ。


 また、収監の際には囚人に特殊な「衰弱リング」を装着することが義務付けられている。

 このリングは装着者の体力や行動力を徐々に奪い、独房からの脱出や暴動の試みを困難にする。

 リングの効果は看守が遠隔で操作でき、必要に応じて段階的に強化することも可能だ。


 さらに、独房の構造は「分割型監房システム」を採用している。

 囚人が監房内で暴れると、空間が複数のセクションに自動的に分離・隔離され、囚人の動きを封じる。

 これにより看守は安全を確保しつつ、状況を冷静に対処できる時間を稼げる。


 特に警戒が必要なのは魔具の持ち込みだ。

 囚人が潜在的に隠し持つ魔具が致命的な事態を引き起こしかねないため、収監時には全身を徹底的にチェックすることが義務付けられている。

 どれほど厳重なチェックを行っても過信は禁物であり、独房内での看守の行動にも常に細心の注意が求められる。


 ☆☆☆


 長身の中年男の顔がぐにゃりと歪んだ。


「ぬッ!?」

 オーガが即座に身構え、両手首の鎖を前に突き出す。

 その動きには迷いも隙もなかった。


「魔法の無効化ですか。困りましたねえ」

 歪んだ顔はさらに変形を続ける。

 黒髪が金髪へと染まり、灰色の目は氷のように冷たい碧眼へと変わった。

 顔を変えたその男は、鋭利な笑みを浮かべる。


「まさか、自分で殺した男に変装して侵入してくるとはな」

 ウルシュカは鋭い眼差しを向けながらサーベルを抜き放ち、鋼の音が静寂を切り裂いた。


「やはり、彼は生きていましたか」

 冷たい瞳を持つ男は薄く笑みを深め、ウルシュカの言葉に応じた。

 声には挑発の響きがあり、緊張感をさらに煽る。


「長官殿。魔具の使用は?」

 オーガが低く訊ねる。


「許可する。使え」

 ウルシュカは一瞬の逡巡も見せずに命じた。

 その言葉が発せられると同時に、オーガの右手首のブレスレットが鈍い光を放ち始める。


 次の瞬間、無数の黒い鎖がブレスレットから放たれた。


 ―― 呪縛の鎖。


 鎖は生き物のように男に向かってうねりながら迫り、たちまちその身体を絡め取った。

 霊力を帯びたそれは、男の四肢と胴体を容赦なく締め上げ、動きを封じ込める。


「ふむ……これは厄介だ」

 男は軽く笑いながらも、目だけは冷たく光を放ち続けている。

 その視線は、あくまで隙を狙う獣のようだった。


 ☆☆☆


「やれやれ。家族や友人にさえ秘密にしていたものを――まさか追っていた相手に勘づかれていたとはね……」

 パブロの上司が静かに警帽を脱ぐと、その瞬間、先ほど顔を歪ませた黒髪の男が姿を現した。


「この部屋では魔法の擬態が強制解除されるのか。なるほど、なかなか用心深い仕掛けだな」

 冷ややかな声と共に、男は肩を竦めて笑った。

 その態度は余裕そのものだったが、背後に漂う不気味な気配が周囲の緊張を煽る。


 ――ようやく思い出した。学生時代に見たことがある。


 黒街魔王。ガヴィーノ・デル・テスタ。


 長髪をばっさりと切り落とし、装いを変えたものの、その鋭い目と冷たい笑みだけは記憶に残る姿そのものだった。


「どの道、脱獄囚は死刑だ」

 ウルシュカがサーベルを低く構え、冷酷な声で告げる。

「ここで斬ることに変わりはない」


「まあまあ。ちょっと彼と喋らせてください」

 ガヴィーノは肩を竦め、余裕のある笑みを浮かべながら言う。


 ウルシュカは一瞬目を細めたが、やがて短く頷いた。

「よかろう。五分だ。それ以上はないと思え」


「ありがとうございます」

 ガヴィーノは鎖に繋がれた男の目の前に、鼻を突き出し、にやりと笑った。

 お読みいただきありがとうございました。

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 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

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