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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第六章 憤怒の弓
151/164

151話 魔界紀行 8

 後方で事態を見守っていたララは、馬上から転がり落ちたレイとセリナの元へ急行する。

 その間にも、サンティナはゆったりとした動作で手を上げ低い声で呟いた。


「黒の矢よ。私の魔力を吸え」


 それは単純に矢を放り投げただけであった。

 群衆のなかに、昔の仲間である女がいた。


 サンティナ。

 恐るべき魔女。


 矢が飛んできたが、素手で放った矢である。

 どうということはない。


 ララの心中にはそうした油断があった。

 反射的にそう思い込んでしまった。


 だが――その思い込みが彼女自身の運命を決めてしまうとは、まだ気づいていない。


 サンティナの黒の矢は、放たれた瞬間は小さく弱々しいものだった。

 しかし、それが空気を切り裂き始めると同時に、形が変わっていく。


 ――直後。

 矢そのものに仮初めの命が宿り、周囲の魔力を吸収しながら一気に巨大化していったのだ。


「まさか!? そんな手がッ!!」


 黒の矢は呪いそのものと化して飛翔してくる。

 吸い上げられた魔女の瘴気が矢を取り巻き、さらに周囲に毒々しい煙を放ちながら猛烈な勢いでララへ飛んでくる。


 ララの目が見開かれた。


「――ッ!! 禁術――!」


 ララが咄嗟に防御魔法を唱える。

 大地が大きく揺れ、土の壁が地表を盛り上げた。


 それを突き破って、黒の矢はララの胸を貫く。


「――ぎッ! ……くッ! ぐううううッ!!」


 言葉にならない呻きがララの口から漏れ、黒の矢の勢いが止まることなく、体が引き裂かれていく。

 矢はそれでも止まらなかった。


 ララの体を引き摺りながら、その呪いを纏った勢いのまま馬車へと突き進む。


 馬車を守る防御結界がその矢の猛威を受け、ようやく黒の矢は止まった。

 しかし、矢が消えることはなく、その場に渦を巻くように瘴気を吐き続けている。


「裏切り者が……ふふふ、アハハハハ!!」


 サンティナの狂気じみた笑い声が響き渡る。

 その顔は満足感で歪んでいた。


 矢はララを引き摺り回して惨殺した後、飽きたように吐き捨てた。

 物言わぬ骸へと変わったララは馬車の車輪に挽き潰されて、ぐしゃぐしゃになって置き去りにされる。


 突き刺さった黒の矢は、まるで彼女の死を嘲るようにまだ蠢いていた。


 ☆☆☆


 レイの握った拳が震えていた。

 怒りで理性が崩れかけているのがわかるが、今は感情を抑えるしかなかった。


 ララの無残な死とサンティナの狂気が、混乱の最中に重い闇をもたらしていた。

 地面には未だ黒の矢が埋まり、瘴気が渦を巻いている。

 空気が重く、喉を締め付けるような不安感が周囲を支配していた。


 レイの全身は震えていた。

 瞳には怒りと絶望が入り交じり、牙をむき出しにしたような表情を浮かべている。


 魔女サンティナの笑い声が響く中、レイはセリナの冷たくなっていく遺体を抱きしめたまま、深紅の瞳を大きく見開いていた。

 頬を涙が伝う一方、その瞳にはかつてないほどの憎悪と覚悟が宿っていた。


「今までご苦労さま――実験動物になってくれて」


 サンティナはひしゃげた笑顔を浮かべながら、右手に構えた強欲のレイピアをゆるりと掲げる。

 その姿は不気味なほど冷静で、絶対的な余裕を漂わせていた。


 魔王の遺物――あらゆる魔法を反射する能力を持つそのレイピアは、彼女の傲慢な態度を支える力そのものだった。


 だがレイは目を閉じ、深い息をついた後、口元を歪ませるように笑った。

「跳ね返されるなら……出方を変えればいい」


「……は? なんですって?」

 サンティナが嗤いながらも、眉を潜める。


 レイはゆっくりと立ち上がり、セリナの遺体をそっと地面に横たえた。

 その動作には怒りだけではない、何か異様な決意がにじんでいた。


 羨望の仮面を使うべきではない。

 あれは生涯ただ一度だけしか使えぬ人類の希望。


 レイは拳を握り締め、奥歯を食いしばって、他の答えを導き出した。


「今から魔王階層に到達してやる」


「――ッ!」

 サンティナはその言葉に驚愕し、一瞬呆けたような表情を浮かべる。

 次の瞬間には甲高い笑い声を上げた。


「できるわけないでしょう! あなたが? 今から、この状況で? アハハハハ!」


 その嘲笑に対し、レイは目を閉じ、両手を広げた。

 そして、静かに言葉を紡ぐ。


 ――竜化。


 次の瞬間――爆発的な魔力が周囲を震わせた。

 空気が重くなり、戦場の風景が歪む。


 白熱するエネルギーがレイの体から迸り、竜の角が頭上に、漆黒の翼が背中に現れる。

 左手は魔獣の爪のように変貌し、黄金に輝く左目がその姿を異形へと変えた。


 サンティナの笑顔が一瞬で凍りついた。


「……何をした……?」


 レイの声が低く響き渡る。

「極大魔法――黒魔法の極限。先の先。究極の闇よ……」


 地面が振動し始めた。

 サンティナの周囲にあった魔素が引き寄せられ、目に見える形で渦巻いていく。


 ――重力魔法 真層第一階梯……


 その言葉が響くと同時に、レイを中心に空間が歪み始めた。

 大地が陥没し、サンティナの足元が揺れる。

 空気が引き裂かれたような音が鳴り響く。


「真層階梯?!」


 サンティナの顔から余裕が消えた。

 真層第一階梯――それは禁術の頂点を越えた魔法技術であり、禁術四十階層にも及ぶ魔法に匹敵する力を持つ。


 その階梯をひとつ登ると、禁術階層は十ずつあがる。

 狂気の沙汰としかいいようがない上昇率。


 それは一般的な魔法知識がある者には、常識的に触るわけもない領域である。


 火に触れない。

 刃で遊ばない。

 あまりにも常識的で、あまりにも当然の禁忌。


 その深淵に触れただけで、歴史上、どれだけの天才が自らの魔力に喰われていったことか。


 真層階層は死ぬことよりも恐ろしいことを、大権威たるレイが知らないはずもない。

 レイの所業は、狂気の魔女サンティナからしても自殺行為にしか思えなかった。


 半身を魔物化したから、それがどうだというのだ。

 真層とはいわば、自己の魔力を越えた最大火力の召喚魔法。


 己の力を越える魔力を呼び出せば、喰われて存在ごと消滅してしまう。

 炎を召喚した魔法使いが、自ら出した火で焼け死ぬようなものだ。


 サンティナは嗤う。


 兄夫婦を殺し、幼い姪に自分以上の才能を見出したが、子育てなどできる性分でもない。

 時が経ち、姪を捜しだした先に伝説が眠る湖があった。


 興味本位で剣を抜き、姪が放った魔力により若返ることもできた。

 魔法使いとして、純粋な興味はあったが――これほどの愚か者なら、もう要らない。


「はあ……困った子ねえ。あなたで遊ぶのも、もうお終いなのね」

「さあ、もう一度嗤ってみろ」


 レイの声には冷酷な響きがあった。

 その黄金の左目は、すでにサンティナを逃がさない決意に満ちていた。


「真層魔法なんて、魔王の遺物もなしに、できるわけが――」


 サンティナは視界が歪んでいくことに違和感を覚えた。

 魔力ではない。


 魔力を発していれば、強欲のレイピアが反応しないはずがない。

 魔力を越えた魔力。

 未だ解明されていない未知の力――深淵の魔力。


 曰く――真層階梯。


 ――驚いたな。真層領域に入るとは……しかし、生身では身が持たぬ。それこそが課題。どうするつもりか?


 レイピアのなか――近世魔王こと、バルリオ・マモンが目を覚ました。

 サンティナは腹のなかで仰天する。


 馬鹿な。

 この暗黒の大天才が、興味を持つなど所有した最初期以外にはなかったはず。

 この私より、この向こう見ずな小娘になんの未来があるというのか?


 ――真層領域とは、精神と肉体が極限の状態になっていることをいう。遺物に頼らず、己の肉体ひとつでやってみせるとは……


 ――真層第二階梯 到達。


 レイの右側頭部からも白い角が生えてきた。

 尻尾を延ばし、魔力を放出する。


 右背から巨大な翼が飛び出してくる。


 ――まさか。自ら種族を変えるつもりなのか?


「そんな馬鹿な! そんなことができるわけがないわ!」


 深淵の縁から溢れた瘴気がレイの肉体を蝕もうとする。

 生命を燃やして、深淵へと手を伸ばす。


 レイの躯を覆う金色の魔力と装甲のような鱗が、肉体の限界を遙かに延ばしていた。


「……竜人? 竜人化?? そんなことが――」


 レイの巨大過ぎる左手が縮んでいく。

 バキバキと右手にも魔力が迸り、レイの全身から黄金の魔力が循環していった。


 ――真層第三階梯 到達。


 ――魔女。お前に引き抜かれたのは間違いであった。我を引き抜くべきであったのは……そこの娘よ。

 魔王バルリオが言った。


「か、閣下。なにを仰っているのですか?」


 ――お前も他の自称「選ばれし者」らと変わらなかったな。昔、滅ぼした王侯貴族どもとなんら変わらぬ。


「いえ。そんなこと。私は……」


 ――お前は我を引き抜いてから、一度でも命懸けになったことがあったか? 詰らぬ謀略以外に成果があるなら言ってみろ。


「……それはこれから……」


 ――我を引き抜いた魔女よ。礼を言う。久方ぶりに本物の魔法使いを拝めたわ。これこそ、勇者。


「なんですって? 勇者?」


 ――我を抜いてなにを成すかと思っていれば、自己満足と欺瞞の繰り返し。お前ごときに魔力の深淵など掴めるはずがない。


「違います。閣下。私こそが、あなた様の後を継ぐ魔法使い――サンティナ……サンティナ・ディ――」


 ――呆れたことよ。この我にまで、偽名を名乗ろうとは。どうやら抜かれた相手に恵まれなかったようだ。お前にはなにもない。なにも。


「お待ちください。私があんな――」


 ――いつまで勘違いしている。お前が魔王に選ばれただと? 遺物は自ら所有者を選定する。お前の遺物所有権は取り消しだ。さらば。魔女よ。


 サンティナの声が震え、恐怖を伴って響いた。

「あ……?? 閣下? お返事を。閣下??」


 レイピアの中から魔力が消えていた。

 魔王は自ら、封じられている魂を消し去ってしまった。


 魔王の遺物が自害したのである。

 そんな話など聞いたこともない。


 意味がわからぬ。

 サンティナは呆然と、レイピアを眺めるしかなかった。


 ☆☆☆


 暗闇の先に、眩い輝きが見える。


 闇の先――絶望の先に――私は……


 レイの魔力は無慈悲にその場を支配し、サンティナの動きを封じていく。

 遺物を振ることすら許さない、完全なる圧縮の力。


 その瞬間、サンティナの体が重力に引き寄せられ、存在ごとレイの力に飲み込まれようとしていた。

 サンティナの意識が刹那的にかき消されるかと思われたその時、魔女は不敵に嗤いながら言った。


「いつまでも私と遊んでいていいの?」


 その言葉が、レイの意識を一瞬だけ戻させる。

 その隙に、右側前方から激しい馬の嘶きが響き渡る。


「ガヴィーノ先生?!」


 レイは顔を上げる暇もなく、すぐに周囲の状況が変わったことに気づく。

 クリストバルが慌てて助けに向かう声が耳に届く。


「撃たれた! どこだ?!」

 その声を無視するように、サンティナは冷酷に続ける。


「フォマ――いえ。同志ヴィクター・オルド」

 彼女はレイを挑発するような笑みを浮かべ、勝ち誇った表情を見せる。


 レイはその笑顔に反応し、目を見開いた。

 心臓が一瞬止まるかのような激怒を呑み込んで、真層魔法を発動した。


 ☆☆☆


 泣きながら。


 絶望をも呑み込んで。


 レイは深淵にまで到達した。


「私の命を奪え! 魂が欲しいならくれてやる! 深淵よ! お前は私のものだ! 私こそが深淵の支配者だ!!」


 ☆☆☆


 そして、涙が乾いた双眸が、黄金のように輝きだした。

 その光はただの輝きではない。


 レイの全身から放たれる、膨大な魔力の証。

 その瞳の中に宿ったものは、もはや魔法の力ではなく、小さな太陽だった。


 魔法が発動したその瞬間、レイの内なる力が爆発的に膨れ上がり、サンティナの存在を全て押し潰すように圧縮される。

 魔王の遺物ごと、全てがその圧力の下に飲み込まれていく。


 サンティナの悲鳴も、声も、呪いも、狂気も――すべての魔女の痕跡を。


「お前をこの世には遺さない。なにも、なにも、なにもかも!!」


 レイの黄金色の瞳からは、再び、止めどなく涙が零れ落ち、嗚咽が漏れた。

 それでも、その手を緩めることはない。


 サンティナへの怒りと悲しみが混ざり合い、体を震わせながら力を込め続ける。


 黒く、黒く、そしてさらに小さく――その存在は、圧縮の力に飲み込まれていく。

 サンティナの体が震え、涙のように絞り出された声が消え失せる。


「竜の息吹」


 掌に包み込んだ黒い塊に、魔力を込めた息を吹きかけた。

 手の中で、爆発が起こる。


 ――真層第三階梯 魔聖(ディヴァイン)爆裂(カタクリズム)(・ホール)


 竜の掌は絶対の真層領域と化していた。

 なにも逃がさず、そして完全に消滅した。


 残るは、無の静寂だけが広がり、レイの瞳には何も映らなかった。


 ☆☆☆


 ガヴィーノが額を撃たれて倒れているのを見た瞬間、クリストバルの心中は決まった。

 彼が死んでいるのは明らかであったからだ。


 クリストバルは救護を諦め、足早に前方へ走り出す。

 カイが黒騎士イラリオと戦っている。


 イラリオとカイがぶつかり合う音が響く。

 傲慢な斧は、強烈な焰を掻き立てながらマントから双剣へと姿を変えていく。

 双剣の刃がカイのバトルアックスを弾き返し、そのまま返す刀で振り下ろされる。


 カイはわずかに退き、平剣を使いながら双剣の一撃を受け流す。

 その身のこなしは巧妙で、相手の攻撃を余裕で捌いてみせた。


「見事だ。もし、魔王の遺物を持っていなければ、お前には敵わなかっただろう」


 イラリオの言葉は冷徹だ。

 しかし、戦いの中で更なる変化が起きる。

 双剣が一瞬で槍へと変わった。


 その速さに、カイの目は見開かれる。

 剣を持ち替えただけで、形状が変わるなんてあり得ない。


「馬鹿な! これが――魔王の遺物ッ!」


「伏せろ!!」


 馬車から身を乗り出したカサンドラが声を張り上げ、カイが身を低くしたと同時に、突風が吹き荒れる。

 緑の矢がクリストバルの頭の上を通過し、そのままカイの体をかすめ、イラリオへと突き刺さった。


 カサンドラの矢は、まさに神業のような精度で放たれた。

 イラリオはその予測不能な攻撃に、まったく反応することができなかった。


 イラリオの甲冑は砕け、矢がその胸に深く突き刺さる。

 そして、その矢は回転しながら旋風を巻き起こし、イラリオをさらに追い詰める。


「ぐああああああああッ!!!」


 絶叫がこだまする。

 イラリオは必死に矢を引き抜こうとしながらも、その攻撃を止めることはできなかった。


 ☆☆☆


 またも人影から飛び出して来る。

 警護に当たっている騎士たちを攻めることはできない。


 襲撃者たちのレベルがあまりにも高すぎるのだ。

 亜獣騎士団総長、ヤン・ハルツハイムがクリストバルの目の前に現れた。


 その巨体は、一般的な人狼よりも更に一回り大きく、全身の筋肉が鉄のように隆起している。

 黒光りする毛皮は闇を纏ったかのようで、微かな光さえも吸い込むかのように鈍く輝いていた。

 両腕には縄のように太い血管が浮かび、鋭い爪が黒曜石の刃のように光を反射している。


 ヤンの赤い瞳は闇の中で燃えるように光り、まるで相手の心臓を握り潰そうとするかのような殺気を放っていた。

 その殺気は凄まじく、周囲の空気が彼を中心に歪み、重く淀んでいくようだった。

 クリストバルの肌には、目の前の怪物が放つ見えない圧力が冷たい汗となって浮かぶ。


 ヤンの牙を剥き出しにした笑みは、嗜虐的で、相手を嬲り殺しにすることを楽しむ捕食者そのものだ。

 その笑い声は喉の奥で濁り、獣の咆哮と化して耳に突き刺さる。

 全身が暴力と破壊を体現したような存在だった。


「エルマーのクソジジイがくたばったぜ」

 その声は低く、だがどこか嫌に高笑いが混じった音色で、まるで骨を軋ませるような響きがあった。


 ヤンは顎をしゃくり上げ、クリストバルを嘲るように見下した。

 その傲慢な態度の裏には、どんな相手でも叩き潰せるという絶対的な自信が垣間見える。


 クリストバルは歯を食いしばりながら、その圧倒的な力を前に冷静を保とうとする。

 しかし、目の前の存在はただの「敵」ではない。

「五騎士最凶」とされる人外の頂点――クリストバルからしても、化け物そのものだった。


 その巨体を支える足元は、爪が鋭く、重い一歩を踏み出すたびに地面が軋みを上げる。

 獰猛で卑しさを漂わせるその姿に、誰しもが恐怖を覚える。


 クリストバルは怒声を上げ、両手を掲げてヤンに向けた。


 右手首の黒いブレスレットが激しく光り、呪術的な力が宿る。

「呪縛の鎖」――黒い鎖が一斉に放たれ、空間を切り裂きながらヤンを捕えようと迫る。


 その一瞬後、左手の銀色のブレスレットからは、輝く刃が生まれる。

「断罪の剣」――冷徹な刃が、鋭く輝きを放ち、ヤンを斬り伏せるために振るわれる。


 二つの魔具が同時に発動し、ヤンを確実に捕縛し、即座に斬首するために動き出す。

 クリストバルは猛然と駆け出し、ヤンを捕らえようとするが、ヤンは冷静にその状況を分析していた。


 気絶したイラリオを抱えたまま、ヤンは一瞬の間にクリストバルの動きを見極める。

「こいつと戦っても勝てるが、あの馬車からの矢はマズいな……」


「親分が死ぬか!!」


 クリストバルは、ほんの一瞬だけ心が揺れたことを恥じた。

 ヤンが吐いた言葉が、クリストバルの胸に突き刺さったのだ。


 信じたくはないが、このクソ野郎の言うことは、恐らく本当だろう。

 恩人の死、その絶望的な現実を受け入れたくない。

 しかし、この戦いの最中に、そんなことを考えている場合ではないという冷徹な理性が彼を叱りつけた。


「馬鹿者め!!!」

 ――自らを打ちのめすように、クリストバルは歯を食いしばり叫んだ。


 そして、ヤンは嗤った。

「相変わらず甘え。それじゃあ、俺に勝てわけねえよ」


 一回限りの瞬間移動魔具。

 高価な魔具の腕輪が、ヤンの腕に輝きを放ちながら、無情にも砕け散った。

 強力な魔法の力がその身に宿り、彼の周囲が一瞬で歪んだかと思うと、次の瞬間には、すでにヤンは亜空間へと身を躍らせていた。


「――ッ!?」


 クリストバルが目を見開く暇もなく、ヤンはあっという間に消え失せる。

 その瞬間、振り返ることなく彼の体は完全に異空間へ飲み込まれた。


 残るのはただ、裂けたような亜空間の歪みと、破砕された魔具の破片が宙を舞っている。

 それだけだった。


 その後、静寂を破るように、耳障りな笑い声が響いた。

 それはまるで、深い暗闇から響く蛇のような、下卑た嗤いだった。


「ヒヒヒ……あばよ、バカども」


 その言葉と共に、ヤンの邪悪な嗤い声は空気を震わせ、クリストバルの耳に強く残った。

 その声が、耳の内面でこだまし続けるように、心を揺さぶりながら消えていく。


 その場に立ち尽くし、空を見上げたクリストバルは、胸の奥に冷徹な怒りを湧き上がらせる。

 どれだけ振り払おうとしても、ヤンの嗤い声が頭の中で反響し続けていた。


 ☆☆☆


 パレードの惨劇から四日が過ぎた。


 生きていたイラリオは、謎の急死を遂げた父王に代わり、新たに新王を名乗った。

 その死因については依然として不明だが、誰もがそれを口にすることはなかった。


 議会と教会が示し合わせたように王位を承認し、恐怖と混乱が支配する中、王位は滑り込むように彼の手に渡ったのである。


 その後、更に十日が経過し、コキュートスはその独立宣言と共に、ルスガリアへ宣戦布告をした。

 突如として立ち上がったこの戦争の宣言は、あらゆる者の予想を裏切るものだった。


 奇しくも、ルスガリア建国三百年を控えた前年――。

 国がその栄光の歴史を祝う準備を進める中、事態は急変する。


 後に遺物戦争と呼ばれる闘いの火蓋が切られたのであった。

 お読みいただきありがとうございました。

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