15話 密林の王者 2
森の奥深くから、甲高い猿の叫びが響いた。
それはただの威嚇か、それとも見えない脅威に怯えた声なのか――判別がつかない。
同時に、どこかで何かが這い回る不気味な音がする。
乾いた枝葉を押し潰し、重い躯体を引きずるような音が、まるで森全体がうごめいているかのように四方から響き渡った。
通常の森とは明らかに違う。
鳥のさえずりや風の囁きよりも、獣の息遣いや蠢く音が支配する場所――その異様な騒々しさに、レイは確信する。
ここは巨獣の棲む密林なのだ。
☆☆☆
こう見えても、猟師の娘である。
密林と森では勝手が違うとはいえ、レイは幼少時から、自然の掟を父には叩き込まれている。
密林に入ってしばらく歩くと、白い排泄物が木の脇にされているのを発見した。
骨と肉が混ざっているから糞が白い。つまり、獲物を丸呑みにする動物の糞である。
排出したばかりの糞だ。
まだ、近くにいる。
巨鳥か大トカゲ系が可能性としては高い。
哺乳類系の獣であれば、虚飾の魔杖で威嚇もできるのだが、なにせ動物系の魔物――巨獣とされる生き物に黒魔法を含めて、心理戦を得意とする魔法は特に効きにくい。
どうやら心の在り方が違うのが原因らしいが、はっきり解明はされていない。
「爬虫類系は、音もなく動くから――本当、苦手なのよね。出ないでよ……」
レイは手のなかに凍血地獄で召喚した地獄の雹を一欠片だけ握りこみ、ふっと息を吹きかけて命じる。これで、手のなかの一欠片は、殺気を向ける者を音速で貫く矢になった。
木々の間から不気味な音が響き渡り、地面がわずかに揺れたかと思うと、彼女の前方で大きな影が動き出した。
「ああ。クソ! やっぱり出るわね!」
だが、雹の欠片は微動だにしない。
殺気がレイに向いていないのである。
さすがのレイも判断に困って、距離を取った。
それは、巨大な蛙だった。
蛙の体はまるで山のように大きく、周囲の木々を押し倒しながらこちらに向かってきた。
欠片が震えて、蛙とは逆方向を示す。
「は????」
その時、沼地の方からさらに恐ろしい存在が現れた。
藪を割って現れたのは、巨大な蛇だった。
蛇の体は黒く輝き、沼地から這い出してくる姿はまるで悪夢のようだった。
大蛙と大蛇が互いに向かい合い、空気が緊迫した。
☆☆☆
戦って勝てないこともないが、下手に手を出さず、勝った方の生気をいただこうとレイは思った。
第一、絡み合っている二匹の巨獣のビジュアルが気持ち悪すぎて、生理的に近寄りたくないのである。
大蛙は低い唸り声を上げ、大蛇に向かって突進した。
大蛇もまた、鋭い目で大蛙を睨みつけながら、体を素早く回転させた。
次の瞬間、二体の巨大な生物が激突し、凄まじい衝撃音が密林中に響き渡った。
木々は折れ、地面は抉れ、密林は瞬く間に戦場と化す。
☆☆☆
突然、密林の中に鋭い風切り音が響いた。
次の瞬間、巨大な銛が飛来し、空を裂いて大蛙と大蛇を同時に刺し貫いた。
二体の巨獣は苦痛に呻き声を上げながら地面に倒れ込み、やがて動かなくなった。
レイは瞬時に銛が飛んできた方向へ雹を向けて、迎撃態勢をとる。
「待て! 俺だ! レイ! 撃つなよ?」
木々の隙間から野太い声がした。
「わかりました」と言って、レイは構えを解かない。
「わかってねえじゃねえか」
密林の奥から姿を現したのは、恐ろしいほどの筋肉を持つ半裸の大男だった。
身長はおそらく2メートル近くあり、全身が筋肉で覆われており、陽に焼けた端正な顔には大きな目と大きな口がついている。とにかく、すべてがデカい。
その姿はまるで古代の戦士のようで、どんな彫刻家でも、この肉体以上のものは造れまい。
腰から下げた革のベルトには、無数の武器や道具が並んでいた。
密林に現れた半裸の大男は鉈で枝を払いながら、レイを見つけると、明るい笑顔を浮かべた。
「よお。レイ。相変わらず、ちっこいな」
「先輩がデカすぎるんです」
大男は「わはは」と笑うと「お前にしては遅かったんじゃないか」と言った。
「ここがどこだと思ってるんですか。森に入る前、行商のおじさんから行くなって止められたんですから」
「……なんで?」
大男は、眉目秀麗な顔を傾げて、レイに訊く。
藪から次々に出てきた男たちが口々に雄叫びや喜びの声をあげながら、二匹の巨獣を解体しにかかっている。
「ここら辺の人たちには、ちょっと難しいと思います」
レイは、うっすら愛想笑いして答えた。
☆☆☆
密林の中、突然広がる開けた場所に、ボスケブラボ(勇敢な森の意)の町が現れた。
密林都市である。
密林の中にひっそりと佇むこの町は、外部の目を逃れるように隠されていたが、近づくにつれて、活気に満ちた人々の声が響いてきた。
密林から帰ってきた男たちの肩には、大蛇と大蛙の肉がこれでもかと乗っており、町の入口に到着すると、町の人々が一斉に喝采を浴びせた。
「マテオさまのお帰りじゃあああ!」
男たちが再び、雄叫びをあげる。
子どもたちは無邪気に男たちの周りを駆け回った。
レイの先輩こと、マテオは歓声のなかで叫ぶ。
「客人だあ! テメエら、宴会の用意をしろ! 火を起こせえ!!」
さっそく肉が焼かれ始め、音楽が鳴り、踊り子は腰をくねらせだした。
「あの――ちょっと一旦、宿に……」
レイがマテオに、おずおずと申し出る。
だが、マテオはすでに火の前で踊っていた。
この人ほど、他人の話を聞かない人間も珍しい。
「なに?? 聞こえない! お前も踊れ!!」
――誰が踊るか。
そう思っても顔にはおくびにも出さず、レイはマテオに小さく手を振り笑顔を向けた。
「やっぱり先輩のノリ、嫌いだわあ」
狂ったように踊り続けるボスケブラボの民たちを眺めながら、レイは笑顔のまま呟いた。
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