143話 いと罪深き朝 紅月に踊れ鬼ども 9
左膳が拝竜教会の扉を力任せに蹴破り、中へ踏み込んだ瞬間だった。
ガラガラッ……!
耳をつんざくような轟音とともに、床が急激に傾き始めた。
「な、なんだこれは――!」
左膳は驚いて叫ぶ暇すらなく、足元が崩れるように沈み込んでいく。
重力に逆らえず、彼の体は急速に階下へと吸い込まれた。
同時に、教会内部も混乱の渦に巻き込まれる。
崩落に巻き込まれたカイとゴル七号が、それぞれ大きくバランスを崩して転倒した。
「うおい! アレンカ! これは想定内なのか?!」
カイがひっくり返りながら怒鳴る。
「う、うん。うん……そう! 想定内!」
アレンカが必死に笑顔を作り、何とか平静を装おうとする。
「絶対嘘だろ、それ!」
カイが鋭い目で突っ込むと、アレンカは目を逸らしながら舌を出した。
「てへッ!」
だが、崩壊の勢いは止まらない。
床下から響く不気味な音が、何かが迫っていることを告げていた。
岩窟土竜――召喚された魔獣たちの掘削が、教会そのものを破壊の舞台へと変えつつあったのだ。
「このままじゃ教会ごと沈むぞ!」
カイが叫び、急いで体勢を立て直そうとするが、足元の傾きがそれを許さない。
「ほら、ピンチはチャンスって言うじゃん!」
アレンカは笑顔を崩さないものの、その声には明確に焦りが滲んでいた。
傾いた拝竜教会に、回復を終えた参加者たちが続々と殺到してきた。
「ピンチはピンチだ!」
カイが叫んだ。
☆☆☆
竹熊が大声をあげながら先陣を切り、その後に仲村が続く。
最後に、巨体のチェスターが勢いよく飛び込んできた。
「おい! お前らみたいなデカいのが入って来たら――」
言葉を言い切る前に、教会全体が大きく揺れた。
ゴゴゴゴッ……!
床板が悲鳴をあげ、壁が微妙に歪む。
「あッ! やっぱり、ヴァンパイアはここか!」
チェスターが叫び、視線を中央に向けた。
その声が戦場の空気を一層引き締める。
だが、その瞬間、ゴル七号が扉の向こうに目を向けた。
遥か遠くの屋根の上、大型の剣が月明かりを反射してキラリと光る。
「危険。危険。野太刀一刀流の大技が来ます」
ゴル七号の冷静な声に、カイの表情が凍りついた。
「まさか! あんな所から、ここまで届くのか?!」
「はい。直撃します」
ゴル七号は的確に答える。
彼の中には鷹松左近――右近の父に関するデータが蓄積されていた。
繰り出される剣技がどれほど恐ろしいか熟知しているのだ。
「この状況でそんなもん受けたら……アレンカ!」
カイは急いで石化した蝙蝠が詰め込まれたコートを丸め、アレンカに向けて放った。
「それ持って飛べ!」
「は?」
一瞬の困惑がアレンカの顔に浮かぶが、カイは鋭い声で命じる。
「こいつらは、ここで俺らが食い止める! ゴル! 夜明けまで時間は?」
「二分です」
ゴル七号が答えたその瞬間、カイはさらに声を張り上げた。
「行け! とにかく、上だ!」
「りょ、了解!!」
アレンカは即座に翼を広げると、割れたステンドグラスを突き抜けて、夜空へと飛び出していった。
背後で鳴り響く振動音――鷹松左近の野太刀が今にも振り下ろされようとしている。
その一撃が拝竜教会を粉砕する前に、アレンカは空高く逃げ切らなければならなかった。
☆☆☆
表で待ち構えていたベルタが杖を構え、白魔法の光を凝縮させていた。
――第十二階層禁術……
その詠唱が完了する前に、アレンカの冷たい声が響く。
「邪眼!!」
瞬間、アレンカの瞳が妖しく輝き、ベルタの身体が石化していく。
魔法を放つ間もなく、ベルタはその場で石像と化した。
石化の効果はほんの一瞬――それで十分だ。
アレンカは全力で翼を羽ばたかせ、ベルタの横をすり抜ける。
一秒の隙間。
その一秒で、アレンカは障害をものともせず突破する。
教会が傾き、崩壊の兆しを見せる中、悍ましい生物の群れがアレンカを執拗に追いかけて来た。
鼠、蝙蝠、狼、猫、カラス、さらには名前も分からないような虫が混じり、異形の塊と化してうごめいていた。
その群れは壁を這い、崩れる床をものともせず、凄まじい轟音を発てて迫り来る。
振り返れば、這い回る無数の手足や羽ばたきが渦巻き、アレンカを飲み込もうとしていた。
瓦礫の落下も、崩れゆく天井も、彼らには障害ではなかった。
「逃がしません!」
いつの間にか足首に巻き付いた鎖分銅にアレンカが気付いて、その先にしがみついた少女を見たのは同時であった。
烏丸五十鈴が鎖分銅にしがみつく形で、アレンカの後を追っていた。
その瞬間、遠くから放たれた一撃が大気を裂く。
剛剣“霧島”による一振りで、巨大な規模の突風が発生した。
アレンカは、遠くの地平から、何か巨大な魔力の塊がこちらに向かって来るのを感じた。
空気が異様に重くなり、静電気のような刺激が全身を包む。
アレンカの髪が逆立ち、全身に寒気が走る。
「ヤバい!」
五十鈴をぶら下げたまま、アレンカは急上昇を試みた。
次の瞬間、背後で凄まじい衝撃音が響いた。
拝竜教会が吹き飛ばされ、瓦礫と塵が渦を巻いて空へと舞い上がる。
突風は一瞬にして周囲の空気を支配し、瓦礫や崩れた教会の一部を吹き飛ばす。
さらに、群れの中心を突き抜けた衝撃が、鼠や蝙蝠、虫どもを空中に舞い上がらせ、吹き飛ばし、潰していく。
甲高い叫びや不気味な羽音が一瞬で掻き消され、教会の崩壊と共に群れは瓦礫の中へと押し戻されていった。
「今だ!」
アレンカは混乱の隙を突いて翼を大きく広げ、急上昇する。
その足に五十鈴がしがみつき、風に煽られながらもその腕を放さない。
目の前には夜明けを予感させる微かな光が広がっていたが、背後にはまだ不気味な追跡者たちの影が残っていた。
眼下には、崩壊した教会の跡地が広がっている。
瓦礫の中で取っ組み合っている男たちがかすかに見えた。
その乱闘のなか、竹熊が金棒“金嵐”を地面に叩きつけ、周囲の者たちを包み込むように結界を展開していた。
そのおかげで、瓦礫の嵐が吹き荒れる中でも、死者は出ていないようだった。
「きゃあああああああ!!」
足元にぶら下がる五十鈴が、必死に鎖分銅にしがみつきながら泣き叫んでいる。
「じゃ!」
アレンカは軽くウインクし、片手を挙げて小さな石礫を錬成した。
その表情には余裕すら漂っている。
「え? ええ? ちょ、ちょっと! 本当にやめて! お願い!!」
五十鈴の声は切迫していたが、アレンカの笑顔は変わらない。
「バイバーイ♪」
楽しげな声と共に、アレンカは錬成した石礫を弾き出す。
それが鎖分銅を正確に分断した。
五十鈴の悲鳴がさらに高くなるのを背に、アレンカの勢いは急激に増していく。
グングン高度を上げる。
だが、その直後、足元から再び異様な気配を感じ取った。
一度旋風で散らされていた鼠や蝙蝠、その他の悍ましい生物たちが、再び集結し始めていた。
それはもはや群れではなく、一つの巨大な塔のような形状となり、悪夢の塊としてアレンカを追いかけてくる。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
その頂点に、五十鈴が無惨にも号泣しながら落ちていく。
塔の生物たちがクッション代わりとなり、命を落とすことはないだろうが……その経験が彼女にトラウマを植え付けるのは間違いないだろう。
☆☆☆
スクリーンには、拝竜教会から飛び出したアレンカの姿が映し出されていた。
「罰当たりどもが、教会を吹っ飛ばして、出てきましたアア!!」
ラルフが絶叫する声が会場中に響き渡る。
観客たちは総立ちで大歓声を上げた。
黒々とした鼠や蝙蝠、狼、猫、カラス、そしてあらゆる虫たちが絡み合い、悍ましい山となって迫り来る。
その頂には、泣き叫びながら落ちていく五十鈴の姿があった。
一方、アレンカは上空へと一直線に飛翔する。
闇に包まれたエリアを抜け、崖沿いに広がる最終エリアを陽光が照らし始めた。
広大なエリアダンジョンの結界を割る勢いで、アレンカはまっすぐに突き進む。
コートの中では、石化が解けたトラグスが暴れ出していた。
「やかましい!!」
アレンカは苛立ちを露わにし、頭突きでコートを叩く。
「あんた、灰になりたいの?!」
「お生憎さま! この結界内では太陽光から保護されて――」
「へえ。ここ、ど~こだ?」
アレンカの声には冷たい挑発が混じる。
「へ?」
トラグスが困惑する間もなく、目前には最終エリアの天井――結界の限界地点が迫っていた。
「ち、ちくしょう!!!」
トラグスの絶叫が響く。
その時、地上では、アレンカを追う闇の塔が形を変えていた。
あらゆる小獣と虫が絡み合い、天を突く一筋の悪夢の塔となって、猛烈な速度でアレンカに迫る。
その姿は、昇り始めた太陽の光を浴びてさらに禍々しい影を落とした。
アレンカは振り返りもせず、限界地点へ到達した瞬間、石化の魔力を拳に込めて結界の天井を突き破った。
眩い朝陽が結界の裂け目から流れ込み、悍ましい闇の塔を一瞬にして浄化していく。
鼠も蝙蝠も狼も、虫たちも――全てが灰となって消え去った。
「逃げ切ったアアア!!!」
ラルフの歓声が響き渡る。
「優勝はカイ、アレンカ、ゴル七号による黒街ギルドパーティ!!!」
観客の大声援が、最終エリアの会場全体を震わせていた。
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