138話 いと罪深き朝 紅月に踊れ鬼ども 4
「さきほど、亜獣騎士団パーティ最後の一人、コンラッド・ゴドルフィンがカイ・クラマラによって破られました! 」
アナの声が興奮と熱気で震える。
「これにより、ポイントの半分が黒街ギルドパーティに移譲され――現在、五千八百九十点で二位に躍り出ました! そして――ッ!」
アナはさらに叫ぶ。
「なんと、一位を独走していた勇者候補パーティが、七位のチェスター、仲村、ベルタの混成パーティに押されています! 驚異的な展開です!」
☆☆☆
竜騎士団第一師団所属のチェスターは、巨大なハルバードを振り回しながら、勇者候補のフロルを押し込んでいる自分に戸惑っていた。
怪我や体調不良があれば、それに応じた戦法を取るものだが――その兆しすら見当たらない。
「カズマ、こいつら……偽者じゃないのか?!」
隣で聖剣を構え、勇者候補のメルビンと激しく打ち合う仲村一馬に声を掛けた。
「馬鹿者!」
カズマが剣の隙間から怒鳴る。
「仮にも勇者候補を名乗る連中が、この程度なわけがあるか! これは策だ! 罠だ!」
「そうよ、バカ!!」
後衛を務める冒険者ベルタが声を張り上げる。
「この程度のわけがないでしょ! 作戦に決まってるじゃない! 結界張りながらでもわかるわよ!」
防御結界を展開しつつ、白魔法を操るベルタの言葉に、チェスターはますます肩を竦めた。
「わ、わかってた! 俺だってそうじゃないかと疑ってたんだよ!」
涙目になりながら、チェスターはハルバードをさらに振り回す。
「確認しただけだ! ただの確認だってば! 確認!!」
☆☆☆
フロルの目が猟奇的な光を帯びた。
野獣のような低い唸り声をあげながら、チェスターへと襲いかかる。
盾の裏に備え付けてあるモーニングスターをぶん回し、その勢いのまま殴りつけてきた。
だが――チェスターは冷静だった。
モーニングスターの鎖部分にハルバードの穂先を絡ませると、手首をぐるりと返し、一瞬で武器を宙に放り投げた。
――どう考えても弱い。
チェスターは眉を潜める。
「なんだ、今の武器の扱いは? 舐めているのか??」
勇者候補という肩書きならば、少なくとも師団長レベルの実力を持っているはずだ。
五騎士が「神」のごとき存在だとしても、師団長はそれに次ぐ精鋭だ。
そして第一師団に属するチェスター自身、精鋭の中の精鋭――トップクラスのエリートである。
通常エリアでは仲村やベルタはライバルであった。
今回、仲村たちとは、パーティを組んで一晩のみだが一緒に戦うことができた。
それで得難い友情も育めたが、こればかりは納得できぬ。
――偽者だ。
チェスターは歯を食いしばりながら考えを巡らせた。
改めて思い返しても、この勇者候補たちの言動や行動は目に余る。
聖者の頂点である勇者を目指す者が、とって良いような態度では断じてない。
まるで下劣なチンピラだ。
騎士として、こんな連中を相手にしなければならぬとは――これほどの侮辱はない。
チェスターの胸中に沸々と怒りが湧き上がってきた。
怒りが頂点に達し、チェスターは隣にいる仲村に声を掛けた。
「もう殺すか」
仲村が一瞬だけチェスターを見据え、冷たく頷く。
「……そうしよう。あまりに粗雑だ。剣の術理もへったくれもない。古式剣術をさらに退化させた野蛮な剣術だ。見るに堪えん」
「本当に……カビの生えた魔法ばかり使っているわ。なんなの、この低レベルな戦術は」
後衛のベルタが、結界を維持しながら吐き捨てるように言う。
「信じられない未熟さね。やりましょう。あれ、人型ゴーレムじゃない?」
チェスターはハルバードを構え直し、その目には怒りと決意が宿っていた。
「よし。俺たちは今から人型ゴーレムを叩き潰す。相違ないな?」
「相違なし」
「了解した。やりましょう」
三人は本気になった。
☆☆☆
「強すぎる!!」
モーニングスターを簡単に弾かれたフロルは、動揺を隠せないまま腰のハンドソードを抜き、防御の姿勢を取った。
その動きには、先ほどの攻撃的な気迫がすっかり消えている。
「この時代の勇者だ!!」
隣にいるメルビンが叫ぶように声を上げる。
その表情には明らかな恐怖と驚愕が混じっていた。
敵も何かを言い合っているようだが、フロルたちにとってそんな言葉に耳を貸す余裕などあるはずもない。
それどころか、焦燥感が全身を駆け巡り、冷静さを奪っていく。
「魔法も……信じられないレベルよ! 間違いなく“大権威”に違いないわ!!」
後衛のリリアンが叫び声を上げた。
攻撃魔法を放つたび、相手の張った結界に吸い込まれるように消えてしまうのだ。
どれほど力を込めても、結界を突破する手立てが見つからない。
リリアンの手が震え、視線は敵から離れない。
「どうするの……こんなの、どうしろっていうのよ!!」
フロルは歯を食いしばりながら、ハンドソードを構え直す。
「黙れ! 戦うしかないだろう!」
言葉とは裏腹に、フロルの手にも冷たい汗が滲んでいた。
勇者候補である彼らが、ここまで追い詰められるなど、想像すらしていなかった。
☆☆☆
チェスターは、盾とハンドソードを放り出し、両手を挙げて降参の意思を示したフロルを見て、呆れ返っていた。
それでも、ハルバードの穂先を下げることはせず、相手をしっかりと見据えたままだった。
間近で対峙してみると、はっきりとわかる。
――騎士の顔ではない。
フロルの瞳には決意も信念も宿っておらず、むしろ腰の据わらない賊か、その辺の荒くれ者と同じ薄っぺらい幼稚ささえ放っていた。
勇者を名乗るなど、あまりにもおこがましい。
ふと視線を横に移すと、ベルタのほうも似たり寄ったりだった。
ベルタが魔杖を突きつけると、相手の「聖女」とやらも観念したのか、肩をすくめて魔法の行使を止めた。
降参の意思は明らかだったが、その態度には、品位や潔さといったものが欠片も感じられなかった。
「これが、聖者たる勇者候補の正体だと?」
心の中で毒づきながら、チェスターは離れて戦うカズマの方に目を移した。
カズマは聖剣を振る勇者と渡り合っている。
かつて地魔法エリアダンジョンでアレクサンドラ師団長が行方不明になった際、激昂した仲間たちがギルドに怒鳴り込む事件があった。
そのとき、最終的に優勝を勝ち取ったのが、カズマだった。
エリアボス自体は大した相手ではなかった。
だが、カズマとの強奪戦は、チェスターにとって思いのほか手こずる経験となった。
――あの男はただの「斬り込み隊員」ではない。
仲村一馬の戦い方は、見た目の大柄さや粗暴さを想像させるものとは対照的だった。
その技は驚くほど繊細で、緻密。
むやみに力で押し切るような戦いは好まず、特に斬り込み隊員らしい大雑把な攻撃は彼の性に合わないらしい。
それどころか、槍よりも刀を好むあたり、彼の武器に対するこだわりと美意識が見て取れた。
あの技で、俺は敗れた。
確かあれは――
☆☆☆
――水鏡流 奥義 影抜き。
この抜き技の名は、刀がまるで剣をすり抜けたように見えることに由来する。
流派によっては「ツバメ返し」など異なる形へと進化しているが、仲村の影抜きは、極めてオーソドックスで洗練されたものだ。
その基本原理は、相手の武器の死角を的確に捉え、そこから斬り込むというものだ。
具体的には、相手との間合いに踏み込みつつ、ぐるりと身体を捌いて自分の手の内で刀を返すことで、相手の注意が及ばない角度――死角から攻撃を繰り出す。
これを一呼吸の間に実行すると、刀が敵の武器をすり抜けたように見える。
この技は単なる技巧ではなく、戦場剣術として磨き上げられてきた。
戦場では、鍔迫り合いや何合も打ち合う余裕などない。
一撃で勝負を決めるため、あらゆる流派が独自の抜き技を編み出している。
影抜きもまた、そのような戦場での必要性から生まれた技術なのだ。
仲村が用いる影抜きの動作は洗練されており、無駄が一切ない。
まるで踊るように滑らかでありながら、瞬時に決着をつける冷徹さを持つ。
☆☆☆
メルビンは脇腹を刺され、内臓をやられたのか、もんどり打って地面に倒れ込んだ。
それでも剣を放さず、苦しげに息を吐きながら起き上がろうとしていた。
仲村はメルビンの前に立ち、太刀を構え直した。
その目は一切の油断を許さない。
メルビンが戦闘不能になったなどとは微塵も考えていない。
どの騎士団であれ、第一軍団に属する者は軍の最先鋒、最前線の穂先である。
敗北は許されず、それは死を意味している。
戦場では、息がある限り戦闘は続行される――それが常識だ。
倒れ伏した敵が何を企んでいようとも、止めを刺しにかかる準備を怠ることはない。
メルビンが震える腕で剣を構え、やけくそ気味に突きを繰り出してきた。
必死の一撃だったが、それは仲村の刃に吸い込まれるように無力化される。
――影抜き。
仲村は刃の切っ先をわずかに下げ、動きを止めたかのように見えた。
次の瞬間、仲村の太刀が手の中で翻り、全身が流れるように捌かれる。
突き出された刃を避けながら、体勢を低く沈めた仲村はそのまま死角に消えた。
直後、仲村の刃が斜め下から閃光のように走る。
一瞬の出来事――メルビンの剣が振り下ろされる前に、逆袈裟斬りの一撃が彼の胴を断ち斬った。
戦場剣術に情けはない。
影抜きは相手の攻撃を無力化しつつ、その死角から容赦なく反撃を叩き込む技だ。
メルビンはそのまま数歩進むと、半回転して声もあげることなく崩れ落ちた。
地面に倒れ伏したメルビンは、もう二度と動くことはなかった。
☆☆☆
「混成パーティ、なんと、なんと、勇者候補パーティを撃破アア!! 大金星です!」
「これにより、混成パーティ五千四百五十ポイント。三位につけた! 一位は繰り上がり、黒街ギルドパーティ! 点数はどのパーティも僅差です! 目まぐるしく順位が入れ替わります。最終エリア!」
「おい! マジか?!」
歓声の中、祐馬が仲村の元へ駆け寄った。
「え? 団長?」
仲村は、自分が所属する天鳳騎士団第壱軍団長の姿を見て驚き、思わず身を正した。
「おう! タカさん! うちの仲村がやったぜ!」
後方から悠然と歩いてくるのは第参軍団長、鷹松右近だった。
仲村は膝をつこうとしたが、祐馬に制された。
「そのままでいい。今はその必要はない」
祐馬にとって、心情的には助かったというのが正直なところだ。
勇者候補を斬るという行為に対して、多少なりとも迷いがあった。
だが、思わぬ味方の登場によってその迷いは一瞬で消え去った。
悩みが解消されたことで、自然と機嫌も良くなり、思わず笑みがこぼれる。
「誠に天晴れ! そなたら三人には天鳳騎士団から後日、恩賞があると思われたい!」
右近が朗々と声を上げる。
「いやあ、俺はいつかやる男だと思っていたぜ! はっはっは! 第壱の誉れだ! よくやった!!」
仲村の肩を叩きながら、祐馬は満面の笑みを浮かべて笑った。
「仲村が世話になったようで。そちらの師団長やギルド長にも良しなに伝える故、ご安心されたし」
右近がチェスターとベルタに向けて一礼すると、二人は慌てて頭を下げた。
突然現れた団長たちに、混成パーティの面々は緊張を隠せない。
だが、その様子に気づくでもなく、祐馬と右近は陽気に笑い合っていた。
「最後の方だけ見てたがよ、仲村の影抜き上手くなってたな! やっぱり実戦しなきゃダメだなあ」
「同感だ。実戦の場が鍛錬の最高の場だ」
団長二人の豪快な笑い声が響き渡る中、仲村たち混成パーティは、ようやく手にした勝利の実感と達成感に浸ることができた。
☆☆☆
勇者候補たち三人は、医務室へと運ばれるものだとばかり思い込んでいた。
だが、次第にエリアの外れへと移動していることに気付いたのはいつからだろう。
あまりにも状況が理解できず、三人はただ不安を掻き立てていた。
「おい、ここはどこだ? 我々の仕事は終わりだ! さっさと治療してくれ!」
フロルが声を張り上げるが、その言葉は空しい反響を残すだけだ。
その時、暗闇の中から足音が聞こえてきた。
足音はゆっくりと近づき、しばらくしてからひときわ冷たい声が響く。
「――なにが終わりですって? 今から本当の仕事が始まるのよ」
声の主は、漆黒のドレスに身を包んだ女性。
闇の中に静かに現れたその姿は、完璧に美しく、そして冷徹だった。
ドレスの生地は光を一切反射せず、闇に溶け込むかのように艶やかに揺れる。
波打つようなドレープが、彼女の動きに合わせてしなやかに舞い、まるで影が生きているかのようだった。
その容姿は少女のように若く、端整な顔立ちは見る者を一瞬で引き込む。
しかし、その美しさの中には人間の温もりを一切感じさせない冷徹さが漂っていた。
目だけは異様に冷たく、どこか遠くを見つめているかのように深く、冷ややかに光っている。
その瞳には感情というものが一切映し出されていない。
無機質な人形のように、何も感じていないかのような、恐ろしいほどの冷徹さを放っていた。
「第二ラウンドといきましょうか。勇者さんたち」
彼女の声は冷たい風のように静かに、だが確実に響いた。
その言葉のひとつひとつが、暗闇で鋭く突き刺さり、空気を凍らせるかのようだった。
黒魔法大権威レイ・トーレスが、暗闇そのものから浮かび上がるように姿を現した。
まるで暗闇の化身のようであった。
ドレスの裾が足元で静かに揺れ、軽やかに一歩踏み出すたびにその艶やかさが光を受けて微かに煌めいたが、その美しさの中にどこか底知れない恐怖を感じさせる。
その美貌が持つ冷徹さと、闇の中で異彩を放つ漆黒のドレスは、彼女が普通の人間でないことをはっきりと示していた。
現れたその瞬間から、全ての空間が彼女を中心に歪んでいるように感じられるほどの存在感だった。
彼女は不敵に微笑みながら、手を振った。
その動きに呼応するように、暗闇の中から三体の巨大な影が姿を現す。
巨人たちは囚人のように、無機質で凶暴な目を光らせながら進み出た。
――地獄の虜囚 巨人 三連。
レイの冷徹な声が再び響く。
巨人たちが、この世ならざる絶叫を発しながら召喚された。
どこからともなく現れたその巨人たちは、まさに今、地獄から解き放たれた存在だった。
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




