136話 いと罪深き朝 紅月に踊れ鬼ども 2
「で、デカすぎるうう!! 亜獣騎士団、第二獣軍長。アーダム・ラウテンバッハ! 身長三メートルを間近に見上げると、完全に大型魔獣のデカさです!」
「天鳳騎士団、第弐軍団長。二メートルの竹熊信久が子供に見えます!」
アーダムは、馬の頭ほどもある巨大な大戦槌を軽々と肩に担ぎ、竹熊を見下ろしていた。
迫力ある威容に、近くのパーティたちは恐れ戦き、言葉もなく散り散りに逃げ去る。
その戦槌は、鎚状の柄頭を備えた殴打・打撃用の武器であり、通常は両手で扱う長柄のものだ。
だが、アーダムは片手で扱いながら肩を前へ押し出すような構えを取り、戦槌を大きくぶん回した。
もの凄い風切り音が周囲に響き渡る。
まるで嵐の始まりを告げるような轟音だった。
そして次の瞬間、竹熊が張った結界に戦槌が激突する。
バリバリバリッ!
耳をつんざく雷鳴のような音が響き、結界がまるで紙のように無惨に引き裂かれる。
アーダムの戦槌の衝撃で、結界の破片が砕け散り、青白い光の粒となって空中に舞い上がって消えていく。
竹熊は目を見開きながら、戦槌を振り下ろしたアーダムを睨みつけていた。
だが、目の前に立つ巨体とその威力に、戦いの空気が一段と重くなっていくのを感じざるを得なかった。
「ああ。結界でも張っていたのか?」
アーダムが軽く肩を竦めながら訊ねると、竹熊が忌々しそうに睨み返す。
「なんだ? 貴様は? ケンカ売ってんのか?」
その挑発的な言葉に、アーダムは思わず吹き出した。
「ふふふ……ケンカになればなあ」
低く響く声が周囲の空気を震わせる。
「おう。よし。買った!」
竹熊が挑発に乗ると、アーダムの口元がさらに歪む。
「なにが買っただ? お前などヒキガエルと大して違いもないわ」
アーダムは戦槌を軽くブンと振り下ろした。
その何気ない動作から放たれる一撃は、常識外れの速度と威力で竹熊へ飛んでいく。
竹熊は驚愕しながらも冷静に結界を再び張り直したが、衝撃波が結界に直撃し、再び雷鳴のような音を響かせながら崩れ去った。
「巨人は恵まれすぎた体格で、碌な訓練もせんと聞いていたが……」
竹熊が悔しげに吐き捨てる。
「それは残念。俺は、鍛錬するのがなにより好きでな」
アーダムは戦槌を肩に担いだまま、左腕を軽く曲げると力こぶを見せつけた。
小山のような膨らみに竹熊は一瞬、言葉を失う。
「戦術もなにもなしにか?」
竹熊があくまで挑発を続ける。
「そんなものが必要なのか?」
アーダムは冷ややかに笑い、竹熊の疑問を一蹴した。
アーダムは裏社会でさえ「怪物」と呼ばれる存在だった。
圧倒的な腕力で、目の前の障害を破壊できないものなどない。
魔法でも、物理でも。
力こそがすべてを解決し、暴力こそがすべてをもたらしてきたのだ。
「ふうん。デカいだけか」
竹熊の言葉に、アーダムの眉がピクリと動く。
「なにい?」
しかし竹熊は涼しげな顔を崩さない。
言わせておけばいい――アーダムの脳裏にそう浮かんだ。
下手な達人ほど虚勢を張りたがる。
結果は命乞いか、挽き潰されるかの二択に過ぎない現実をアーダムは知っていた。
「おう、竹熊。加勢しようか?」
近くで構えていた右近が声を掛けたが、竹熊は鼻で笑いながら言い放った。
「いらん。こいつは威勢だけだ。大したことない。行け」
右近は驚いた表情を見せたが、一方のアーダムは目を細める。
「はア?? 今のは、すこし頭にキタぞ!」
「そうか。馬鹿にも誇りがあるものなんだな」
竹熊は軽く肩をすくめ、ケロリとした表情を浮かべた。
「叩き潰す! 命乞いも聞かん!」
「……では、こちらも命乞いを聞かんで良いな?」
アーダムの目が鋭く光り、巨大な戦槌を肩から下ろす。
「いつまで余裕面でいるつもりだ!」
戦槌が地面を叩きつける。
その衝撃はまるで地震のようで、竹熊の足元の地面が一瞬で砕け散った。
だが竹熊は微動だにせず、冷静な声を漏らした。
「武器破壊か」
アーダムが不敵に笑う。
「いいや。全破壊だ」
竹熊は雄々しく、超重量の金棒”金嵐”を地面へ突き立てた。
次の瞬間、アーダムの横凪ぎの戦槌が迫る。
金属音が轟き、恐ろしいほどの火花が迸った。
戦槌と金棒のぶつかり合いは、まさに地と空が激突するような迫力であった。
二人の間で吹き荒れる衝撃波は、周囲の空気さえ引き裂き、観客たちを恐怖と興奮で包み込む。
竹熊は散り散る火花に向かって、迷いなく突進した。
その動きは雷鳴の一閃が地を駆けるようだった。
――雷電流柔術 払い腰。
竹熊は間合いを一瞬で詰め、アーダムの巨体に自らの腰を密着させる。
次の瞬間、竹熊の手がアーダムの戦槌を握る手首に絡み、体全体を支点にして腰を回転させた。
「おおッ……?」
アーダムの驚愕の声が響く。
竹熊の動きはまるで大河の流れのように滑らかで、同時に稲妻の如き速さだった。
その力の流れに乗せられ、アーダムの三メートルの巨体が軽々と浮き上がる。
巨人の脚が宙を舞い、大きな弧を描いたかと思うと――次の瞬間、地面へと激突する。
衝撃音と共に、地面がひび割れ、砂埃が舞い上がった。
アーダムには何が起こったのか、全く理解できない。
気が付けば、自分の視界には地面が迫り、全身に轟くような衝撃が走っている。
「ぐぬううう??!!」
巨人らしからぬ呻き声が漏れた。
周囲には一瞬の静寂――しかし次の瞬間、観客の喧騒と驚嘆の声が渦巻いた。
「な、なんだ!? なにが起こったのか?? 竹熊、なんと巨人をぶん投げましたア!」
ラルフの興奮した解説が、魔法拡声器を通じてエリア中に響き渡る。
アーダムの巨体が地面に伏したその姿は、まるで山が崩れたかのようだった。
その場を埋め尽くす観衆は、口々に驚きと熱狂を叫び上げる。
☆☆☆
アーダムは地面に突っ伏した状態から、恐ろしい力で片腕をついて体を起こし始めた。
「ぐおおおおおォォ!!」
立ち上がったアーダムは周囲を見渡すと、手近な建物の壁を殴りつけた。
その一撃で壁が粉々に崩れ落ち、周囲の瓦礫が宙を舞う。
「あのチビがあ! どこに隠れたア!!」
怒声がエリア全体に響き渡る。
竹熊は瓦礫の陰に身を潜めつつ、冷静にアーダムの動きを観察していた。
「流石にあの剛力とまともに組み合うのはごめんじゃ」
アーダムは周囲を無差別に破壊しながら、竹熊を探し続ける。
掴んだ柱を丸ごと振り回し、近くの建物の屋根を吹き飛ばすと、瓦礫の雨が降り注いだ。
「逃げ回ってばかりか! 出てこい!」
アーダムが吠えながら戦槌を拾い上げ、地面を一撃で叩きつける。
その衝撃波が爆風のように広がり、周囲の瓦礫がさらに吹き飛ばされた。
竹熊は瓦礫を踏み越えながら現れると、陽気に笑いながら手を振った。
「おう、こっちだぞ! ほらほら、鈍重なデカブツめ!」
「貴様ァ!!」
アーダムは怒り狂い、竹熊目掛けて突進を始めた。
その突進はまるで砲弾のような速度と破壊力を伴い、途中の建物をいくつも粉砕していく。
だが、竹熊はその突進を横へ跳んでかわす。
アーダムはそのまま建物へ突っ込み、破片が四方八方に飛び散った。
「こりゃ堪らん。掠ってもあの世逝きじゃなあ」
竹熊は軽快に動きながら、アーダムの突進と戦槌を寸前でかわし続ける。
――大戦槌 天地割り。
戦槌に雷魔法を付与すると、戦槌から雷光が迸る。
「……終わりだ。ヒキガエル」
アーダムは巨腕を振るって勝利を確信した。
アーダムの腕が振り下ろされた瞬間、竹熊は、その下へ飛び込み巨腕にしがみついた。
「どうだ? いくらお主でも、こうなると意のままには動かせまい?」
竹熊は軽口を叩きながら、アーダムの腕に絡みつき、巧みに体を固定する。
アーダムは腕を振り回して竹熊を振り落とそうとするが、竹熊の体幹は鉄のように崩れない。
「なにがしたいのだ! 貴様は!」
アーダムは腕を振り回し、瓦礫の中を暴れ回る。
その巨体が跳ねるたび、建物が崩れ、地面が揺れた。
だが竹熊はその動きに合わせ、猿のようにアーダムの腕にしがみついたまま、徐々に有利な体勢へと移行していく。
「よっと……こういうのは根気勝負だな」
竹熊はアーダムの巨体を利用して、自分の体を空中へ持ち上げると、アーダムの肩を軸にして回転する。
その勢いでアーダムの巨腕を強引に引き伸ばし、関節技の体勢に持ち込んだ。
竹熊は全身の力を込めてアーダムの腕を極めにかかる。
――腕ひしぎ十字固め。
「ぐぬううううッ!?」
アーダムは苦痛の叫び声を上げ、ついに持っていた戦槌を手放してしまった。
竹熊は素早くアーダムの脚に飛び込み、手を絡めて転倒を狙った。
「いい加減にしろ!」
アーダムは力任せに竹熊の手を振り払おうとするが、竹熊の動きはまるで蛇のように滑らかに蠢く。
竹熊はアーダムの背後に回り込むと、巨人の肩を足場にして跳び上がり、脚を絡めて固定する。
次に恐ろしい握力でアーダムの鎖帷子を掴み、それをそのまま頸動脈を締め上げる手段として利用した。
「そうはいくか!」
アーダムは背中をぐっと反らし、必死に竹熊の脚を引き剥がそうと暴れた。
しかし竹熊は、その動きを待っていた。
――弓矢絞め。
竹熊は自身の片腕をアーダムの襟元に差し込み、もう一方の手で鎖帷子を握りながら引き絞る。
同時に脚を絡めてアーダムの上半身を固定し、背骨を弓のように引き絞る姿勢へ持ち込んだ。
「グガァ……ッ!」
アーダムの巨体がもがき、地面を揺らしたが――それも長くは続かなかった。
二重の締め技により、血流を遮断された巨人は、意識を刈り取られるようにして力を失った。
竹熊はそのまま技を解き、ふうと肩の力を抜いて大の字になって倒れた。
「やれやれ……嗚呼。疲れた」
「な、なにが起きたアア?? 巨人アーダムをぶん投げて、締め落としてしまったぞ!! 竹熊信久アアア!!」
☆☆☆
紅い月が空高く昇り、その不吉な光が荒れ果てた大地を照らしている。
冷たい夜風が吹き抜け、砂煙を巻き上げる中、二つの影が向かい合っていた。
コンラッドとカイ――この世の理から外れた、異形の剣士が二人。
周囲には、誰もいない。いや、誰も近寄れないのだ。
二人が放つ尋常ならざる殺気が、まるで見えない壁のように辺りを覆い、人々を遠ざけていた。
どこかで隠れて見ている者がいるなら、その心臓は張り裂けんばかりの鼓動を刻み、手は冷たく震えていることだろう。
二人はすでに何合か剣を交わしていた。
だが、互いの刃は未だに血を吸わない。
その一撃一撃が、命を奪う決定打となるからこそ、慎重でありながら、凶暴な闘気がその動きには満ちていた。
月明かりに照らされた剣閃が、一瞬の稲妻のように暗闇を裂き、金属音が空気を震わせる。
打ち合いの後、コンラッドがわずかに距離を取る。
両者の眼差しは鋭く、そして異様に冷静だった。
「剣士ってのは厄介な生き物だ」
コンラッドが、低く、しかし静寂を切り裂くような声で呟いた。
「一撃で命が絶たれる緊張感の中でしか生きられない。もう、どこかがイカレちまってんだろう……カイ・クラマラ。傭兵の神よ」
その声には侮蔑も憎悪もなく、ただ一つの真実を語るような響きがあった。
「斬るか、斬られるか。それだけだ。俺たちにあるのは、それだけだ」
カイは笑みを浮かべた。
薄暗い月明かりの下、その笑顔は不気味なほど冴え渡る。
「持ち上げんじゃねえや」
そう言うと、ゆっくりと手首を返しながら、平剣を目にも留まらぬ速さで旋回させた。
平剣の軌跡が風を切り裂き、不吉な音を響かせる。
「神は神でも、俺は今からお前を刈る死神だぜえ」
コンラッドはわずかに目を細め、刃先を下げた。
構えを崩したわけではない。
むしろ、完全なる静寂が彼の周囲に宿る。
「他の人間は幸せになるために生きればいい」
その言葉には、何か遠い憧れのような響きがあった。
しかし、それはすぐに断ち切られる。
「俺たち剣士は――違う」
カイが笑いながら応じる。
「――闘うために生きているって言いてえのか?」
「……ああ、そうだ」
コンラッドが深い息をつき、剣を握り直す。
「そうかい。だったら、やるしかねえなあ――チャンプ」
紅い月が二人の間を照らす中、その言葉を合図に再び剣が動いた。
轟音のような金属音が響き、刃と刃がぶつかるたび、火花が夜空に散った。
二人の動きはあまりに速く、観客が目で追うことも叶わない。
互いの剣先が血を吸う瞬間など、誰が予測できただろう。
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




