132話 いと罪深き朝 キメラ・ゲーム 1
「ただ今より、深海ダンジョンタスクの説明に移行します」
空間に響き渡る澄んだ声と共に、人魚の姿をした魔工機人が空中を泳ぐように現れた。
その身体は青白い光を帯び、周囲にはぷくぷくと小さな水泡が浮かび上がる。
不思議なことに、彼女の声は頭の中に直接響くような感覚を伴っていた。
「六系統の最小魔素を小魔獣にして、深海都市に放置しております」
人魚は滑らかに説明を続ける。
「水は魚。白は鳩。黒はカラス。雷はリス。火は蝶。地は鼠。一匹一点で、一時間以内に五十点以上を集めたパーティが合格となります」
天鳳騎士団パーティの間に、僅かばかりの緊張感が走る。
「狩り集めた小獣と、足りない魔素は運営側で合成され、最終的に一体の合成魔獣が召喚されます。こちらのキメラを倒せば、タスクは終了となります。ご健闘をお祈りいたします」
祐馬が顔を上げて訊いた。
「五十点以上集めてもいいの?」
「勿論です。百点が上限となります。得意とする魔素で合成された魔獣であれば、クリアは容易となるでしょう」
右近が鋭く尋ねる。
「逆に言えば、一点でも違う系統の魔素が混ざっていれば、全く異なる合成魔獣になるということか?」
人魚は穏やかに頷いた。
「はい、その通りです」
祐馬は手元の武器を握り直しながら続けた。
「じゃあ、開始しても良いのかな?」
しかし右近が制した。
「待て。他のパーティも到着したようだ。混乱を避けるため、一斉にスタートするのが良いだろう」
人魚の魔工機人は柔らかく微笑み、静かに頷いた。
「かしこまりました」
☆☆☆
「あッ! お前エエ!!」
怒声が空間を切り裂くように響いた。
亜獣騎士団、第四獣軍長“サンドマン”アフマドが、水竜二ドラの背中から勢いよく飛び降りる。
祐馬目掛けて猛然と駆けて来る。
その目は怒りに燃え、殺意が剥き出しになっていた。
「あれ? アイツ、リタイアしてなかったのか。呪術耐性でもあんのかよ?」
祐馬は不思議そうに呟いたが、その余裕の表情がアフマドの怒りをさらに煽る。
「ぶち殺す!!」
アフマドは咆哮しながら、亜空間収納から大きな鎌を引き抜いた。
――破滅の三日月。
その刃は三日月のように湾曲し、全体が深紅に染まっている。
刃には古代文字が刻まれており、不気味な光を放っていた。
斬られた者の血を吸い、持ち主に力を与える死神の大鎌である。
刃の根元から漂う赤い煙は、見る者に死の予感を植え付けるかのようだった。
アフマドが祐馬に斬りかかろうとした瞬間、人魚の魔工機人がその前に立ちはだかった。
人魚は冷静な声で言い放つ。
「強奪戦は最終エリアでのみ許可されています。それ以外のエリアでの私闘は禁止行為として失格になります」
「おい! アフマド! ここまで来てリタイアなんて、冗談じゃないぞ!!」
離れた場所から、亜獣騎士団副長であり第一獣軍長のコンラッド・ゴドルフィンが制止の声を上げた。
その声には怒気と威厳が込められている。
「ぐぬぬッ!」
アフマドは寸前で足を止め、大鎌を振り上げたまま立ち尽くす。
その顔には屈辱と怒りが交錯していたが、規則違反になることを理解して、どうにか自分を抑え込んでいた。
祐馬はそんなアフマドを見て、からかうように舌を出し、首を傾げて挑発するような仕草を見せる。
至近距離で睨み合う二人。
アフマドの怒りの熱気がその場の空気を歪ませるかのようで、祐馬もその威圧に一切引かない。
「こら。やめんか!」
竹熊が険しい表情を浮かべながら、祐馬の腕を強引に引き、アフマドから引き離した。
その大きな手は祐馬を黙らせるだけの力強さを感じさせる。
「失礼」
右近が柔らかな笑顔を浮かべて頭を下げた。
その振る舞いは、場の緊張を緩めようとする意図が明らかだった。
「こちらこそ」
コンラッドも深い溜息をつきながら、アフマドの腕を掴んで後退させた。
コンラッドの声には冷静さが戻っており、仲間を諌める責任感が滲んでいる。
アフマドは悔しげに舌打ちしながら、“破滅の三日月”を亜空間収納に戻した。
その姿を見て、祐馬はまたしても挑発的な笑みを浮かべるが、竹熊の目配せに気づいて黙り込んだ。
あまりやりすぎると、流石にゲンコツが飛ぶと判断したのである。
張り詰めた空気がようやく和らぎ、深海ダンジョンの静けさがその場に戻ってきた。
☆☆☆
「では、同時にスタートということで宜しいでしょうか?」
人魚の魔工機人が両パーティに確認すると、六人が一斉に頷いた。
その瞬間、空間に張り詰めた静寂が崩れ、緊張感が一気に高まる。
「深海ダンジョン“キメラ・ゲーム”スタートです!」
その言葉が響くと同時に、二人の剣士が疾風のように飛び出した。
動きの速さは目にも留まらず、深海都市の闇に紛れていく。
敏捷性を誇る彼らの背中は、仲間たちにとって頼もしさと焦りを同時に感じさせた。
亜獣騎士団パーティでは事前の打ち合わせが綿密に行われ、狩るべき魔素獣が明確に決められていた。
コンラッドは火と黒系統の魔法を得意とし、その力は攻撃的で破壊力に優れている。
第二獣軍長であるアーダム・ラウテンバッハは地と雷を主軸にした戦法を取る。
そして、アフマド自身は地と黒、風系統の魔素に長け、大鎌“破滅の三日月”との組み合わせで圧倒的な破壊力を発揮する。
彼らの作戦は単純明快だった。
同系統の魔物や魔獣を合成し、チームが持つ得意分野でそれを打ち破る。
合成魔獣が単一系統であれば恐れるに足りない。
だが、魔法は相性がすべてだ。
異なる系統の魔素が混ざれば、キメラの能力は予想もつかない方向に強化される。
それがこのゲームの最大の難関だった。
特に、パーティにはない系統――白と水の魔素には警戒が必要なことは明白である。
「鳩と魚は絶対に手を出すな」とアフマドが事前に何度も釘を刺した通り、それらが混ざったキメラは彼らにとって厄介極まりない相手となる。
☆☆☆
竹熊は無属性ゆえ、特に狩るべき魔素獣を選ぶ必要もない。
どの系統が混ざろうと、竹熊がいればどうにか対応できる――それが彼の強みなわけだが。
一方で、祐馬は気楽に深海都市の屋根を飛ぶように駆けていく。
風に揺れる髪の向こう、邪眼の瞳にはどこか余裕が漂っていたが、その奥には冷静な計算が潜んでいる。
とはいえ、あまりにも多彩な系統が合成されれば、さすがに厄介だということも祐馬は理解していた。
「さて、どう動くか」
深呼吸しながら、祐馬は周囲を見渡す。
こればかりは実際にやってみないことには結果がわからない――それがこのエリアの肝だ。
右近の系統は風。
祐馬自身は火、雷、水に適性がある。
ということは、白、黒、地の魔素獣は避けるべきトラップということになる。
それが天鳳騎士団パーティの判断だった。
「鳩にカラスに鼠……こいつらは触らないってことね」
祐馬は自分に言い聞かせるように呟き、腰の脇差に手をかけた。
「魚、蝶、あとはリス……標的はどこですかあ――と」
言葉に呼応するように脇差が銀光を放つ。
鋭利な刃が僅かに音を立てて鞘から抜かれると、祐馬はすぐさま動き出した。
祐馬の動きは風のように軽快で、それでいて鋭い。
深海都市の薄明かりがその背中をぼんやりと照らし、影が床に踊っていた。
☆☆☆
火の粉を散らし、蝶が舞う。
脇差”弄火”を抜いた瞬間、祐馬は自分の判断ミスに気付いた。
刃圏の軌道に沿って炎が迸り、触れてもいない火蝶が弾け飛ぶように消え去る。
鮮やかだが、抜いたのを後悔している――祐馬の眉間に深い皺が寄った。
「ダメだ……魔力が強い」
おそらく火蝶の魔素数値は微々たるもの、レベル一にも満たない。
それなのに、”弄火”の炎は周囲の魔素を巻き込み、予想以上の破壊力を発揮してしまっている。
これでは狙い通りの系統だけを集めることは不可能だ。
「なるほど……そういうことか」
祐馬は刃を収めながら悟った。
このエリアでは魔剣や妖刀といった特性武器は使えない。
精密さを求められる狩りにおいて、それらは過剰な力で状況を乱すだけだ。
そもそも、このエリアで問題になるのは「何匹狩るか」ではない。
ここに到達したパーティであれば、小魔獣の魔素を捕らえられない者などいるはずがない。
問われているのは「何を狩るか」だ――系統の選別こそが、この試練の核心なのだ。
祐馬は考えを切り替え、亜空間収納から稽古用の刀を取り出した。
軽く振ると、何の特性もない、ただの刃が心地よい音を奏でる。
「問われているのは技の正確性、そして走り跳ぶ基礎的な運動能力ってわけね」
祐馬の口元に笑みが浮かぶ。
ここまで来たどのエリアよりも、これは訓練としての価値が高い。
火花が消えた静寂の中で、祐馬は一瞬だけ目を閉じ、呼吸を整えると次の一歩を踏み出した。
☆☆☆
――日向流 隼一式。
祐馬は足に力を込めると、地を蹴る。
刹那、身体が風を纏ったように軽くなり、視界の端に景色が流れた。
地を蹴る脚力を倍化する技――瞬間的な身体能力の強化だ。
その速度は肉眼で追い切れないほどで、まるで隼が空を裂くかのように宙を駆ける。
着地と同時に、次の型へと移行する。
――疾風 四式。
稽古用の刀を握り直し、風を断つような音と共に斬撃を放つ。
空を裂く刃筋が明確な軌跡を描き、鮮やかに魚の群れを捉えた。
数匹の魚が、刃の動きに合わせて一瞬で消え去る。
斬るというより、刃先に触れた瞬間に魔素が崩壊したようだった。
祐馬は動きを止めることなく、次の獲物へと視線を向ける。
――飛燕 三式。
刀を振り上げると、斬撃の余韻が空気を裂く。
飛ばされた刃の気配が宙を駆け、雷のような速度でリスの姿を捉えた。
五匹のリスが跳ねる間もなく、虚空へと消える。
刃の届かない距離でも正確に狙いを定める――これが飛燕の技の神髄だ。
次に、祐馬は一瞬だけ足を止め、深い呼吸を一つ挟む。
――屠龍 二式。
腰を低く構え、稽古用の刀を鞘から引き抜く。
一振り、そして二振り――二段抜きの居合い斬りだ。
音もなく、火蝶が数匹、祐馬の前から消え去る。
刃が振るわれた軌道に僅かな残り火が漂い、儚げに消えゆく様が印象的だった。
斬撃を終えた祐馬は、ゆっくりと刀を納めた。
荒い息を整えながら、汗が額を伝い落ちるのを感じる。
「……これで少しはコツが掴めたかな」
祐馬は独り言のように呟きながら、次の獲物を求めて視線を動かした。
稽古用の刀を握る手には、確かな手応えが宿っているようだった。
☆☆☆
右近は腰に手を伸ばし、太刀”春日丸”を抜いた。
大振りな刃渡りに陽光が反射し、柔らかな光が走る。
その鋼の美しさは目を奪われるほどで、見る者に自然と畏敬の念を抱かせる見事な業物だった。
「タカさん! 待って!」
祐馬が慌てた様子で戻ってきた。
小走りに近づき、少し息を切らしながら右近を見上げる。
「どうかしたのか?」
右近が首を傾げると、祐馬は先ほどの見解を短くまとめて話した。
右近は話を聞き終えると、納得したように頷きながら、口元に笑みを浮かべた。
「なるほどな。ここに来て基礎力を問うてくるとは……入試みたいなものか」
なにがそんなに可笑しいのか、右近は愉快そうに笑い、春日丸を静かに納刀する。
その動作は一切の無駄がなく、彼の鍛え抜かれた技量が滲み出ていた。
続けて、亜空間収納から長い木刀を取り出す。
「思っていたより楽しそうじゃないか。祐馬、休んでいろ。今度は私が行く」
祐馬は安堵したように肩を竦めながら答えた。
「願ったりだぜ。言った通り、及第点は稼いだからな。他の魔素が混じらないようにだけ気をつけてくれ」
「承知」
そう短く応えると、右近は大柄な体を軽く屈伸させる。
そして、地を強く蹴り上げると、一気に跳躍した。
風を切る音が響き、次の瞬間には右近の姿は空高く消え去っていた。
地上に残された祐馬は肩を竦め、隣にいた竹熊へ視線を向ける。
「あんなに愉しそうなタカさん、久しぶりに見たな」
竹熊は頷きながら、少し笑ってみせた。
「虫や魚を追いかけるのが好きなんだよ。あの人」
「子供じゃねえか」
二人は互いに顔を見合わせ、思わず声を上げて笑った。
どこか緊張の抜けた空気が、束の間の和やかさを生んでいた。
☆☆☆
「ヤバいヤバい。力任せにやると、なにが合成されるかわかったもんじゃない!」
アフマドが汗を浮かべながら戻ってくると、息を整える間もなく慌てて報告する。
その表情には焦りが滲んでいた。
「簡単過ぎると思ったら、そういうわけか……」
コンラッドはアフマドの話を聞き終え、すぐに状況を理解したようだった。
そして、すぐ隣にいるアーダムに視線を向け、厳しい声で念を押す。
「アーダム、間違っても手を出すなよ?」
アーダムは不満げな表情を浮かべたが、黙って腕を組む。
「変わろう」
「ああ。ただし、魔剣の類いは絶対に使うなよ」
コンラッドがきっぱりと釘を刺す。
するとアーダムが不意に「おい」と短く声を掛けた。
続けて、練習用の棍棒を軽々と片手で掴み、コンラッドに向けて放る。
棍棒は大きな弧を描きながら飛び、コンラッドの手に収まった――が、その瞬間、地面が鈍い音を立てて沈む。
棍棒の重量に押され、地面にズドンとめり込んだのだ。
「ぐむッ……!」
コンラッドは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに口を引き結んだ。
目の前ではアーダムが腕を組み、こちらを睨み下ろしている。
まるで「振れるものなら、やってみろ」と言わんばかりの挑発的な態度だ。
コンラッドは棍棒に目をやり、わずかに口角を上げた。
そして、静かに一言だけ言い放つ。
「舐めるなよ」
その言葉と共に、彼は棍棒を難なく引き抜き、肩に担いだ。
動作には一切の迷いがなく、その腕力と技術が伺える。
そして、力強い足取りで走り出す。
棍棒の重さなど微塵も感じさせない様子に、周囲は思わず目を見張った。
アーダムは少し驚いたような顔を見せたが、すぐに口元に薄い笑みを浮かべた。
コンラッドの背中は頼もしさに溢れており、その姿は戦場で何度も磨かれてきた一流の戦士そのものだった。
☆☆☆
「うおおおお!!」
ルイスの雄叫びが、深海の静寂を破った。
リュドラの背中で、風を切るように三人の子供たちがはしゃいでいる。
揺れる水流に反射して輝く深海都市を背景に、楽しさが溢れ出していた。
深海都市は、無数の光を放つ建物が並び、空中に浮かぶ幻想的な街並みを描いていた。
壁面には色とりどりの海藻や珊瑚が絡みつき、竜巻のように渦を巻いている場所もある。
その美しさに圧倒されながらも、子供たちはその景色を目の前にして、息を呑むように眺めていた。
「な、なんて美しさ……!」
ベルナルドが目を大きく見開き、シルビアも口を開けて驚きの声を上げる。
その反応を見たルイスは、歓喜が最高潮に達している様子で、興奮を抑えきれない。
目の前に広がる異世界のような景色に心を奪われて、口を開けてその美しさを全身で堪能していた。
人魚の説明も茫然自失のままで、まるで耳に入らない。
ルイスは待ちきれない様子で、足をバタバタさせながら「早く早く」と急かしている。
「”キメラ・ゲーム”スタート!」
その瞬間、掛け声と共に、三人は勢いよくリュドラの背から飛び降り、次々と走り出した。
水面を蹴り、水しぶきをあげながら、狩りの準備に入る。
魔素獣たちを狩るべく、力強く駆けて行くその背中は、冒険の始まりを告げるものだった。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




