129話 いと罪深き朝 10
「四階! 火山エリアですが、さすがに暑すぎるとの苦情が相次ぎ、急遽適温にまで下げました! 参加者の皆さんはぜひ振るっておいでください、との火街スタッフからのお知らせです!」
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「ど、どうなってんの? あいつ??」
シルビアは、沢のほとりに座り込んで水に足を浸していた。
探索してくると飛び出して行ったルイスに呆れて、頭を捻る。
暑さで頬が赤く染まり、額に滲んだ汗を拭いながら舌を出した。
「放送聞いたろ? 適温になったってさ」
ベルナルドは、左手を軽くかざしながら風の精霊を操り、心地よい涼風を送っている。
だが、それでもこの暑さには限界があるらしく、彼自身も少し顔をしかめていた。
「適温って……全然適温じゃない! こんなエリア、探索なんて無理だって言ったじゃない! もう嫌!」
シルビアは足をバシャリと水に叩きつけ、苛立ちを隠さない。
「まあまあ。それにしてもルイスは元気だなあ」
ベルナルドは肩を竦めつつ、軽く笑ってみせた。
その視線の先では、どこかを駆け回っているルイスの姿が小さく見える。
「おかしいでしょ。あの子、頑丈すぎるわ。違法ポーションでもやってないでしょうね?」
「なんてこと言うんだ。お前は」
ベルナルドは呆れたようにシルビアを見たが、その疑念を完全に否定できるほど、ルイスの体力が規格外であることは認めざるを得ない。
「また変なモン拾ってこなきゃいいけど」
シルビアはため息交じりに呟く。
その瞬間、ふと思い出したように顔を上げた。
「雷獣だっけ? レイ先生から預かった小魔獣。確かオジさんになってた気がするのよね」
ベルナルドは、ちらりと視線を逸らした。
実は彼だけには知らされているが、シルビアとルイスには記憶を曖昧にする魔法がかけられている。
雷獣の正体が、裏の組織から狙われている人物であることを隠すためだった。
「はは。そんなわけないだろう。まあ、大権威の言いつけ通り、預かっていれば問題ないさ。幸い、ルイスは可愛いって言ってるし、雷獣もルイスに懐いてるだろ? な?」
ベルナルドは早口で捲し立てて、心の中でため息をついた。
「ルイスも天鳳の道場に通い出したし、しっかり鍛えれば子供っぽい真似も減るよ」
「そうだと良いけど。いつまでも子供じゃないんだから――」
その時、遠くから声が響いた。
「お~~い!」
シルビアが反射的にそちらを見やると、ルイスが全力で砂埃を巻き上げながら駆けてくるのが見えた。
「そら見ろ。しっかり探索を終えて、戻って来た」
ベルナルドが微笑むが、シルビアは目を細め、眉をひそめた。
「――待って。なんか砂埃が凄くない? それに変な唸り声まで聞こえてくるんだけど……」
「階層主、拾ってきたぜえ!!」
ルイスが嬉しそうに手を振りながら走り寄ってきた。
「は? はああああああ??!!」
シルビアの声が甲高く響く。
座り込んでいた沢のほとりから勢いよく立ち上がり、目の前に近づいてくるルイスに向かって叫んだ。
「拾ってって――あんたは……!」
声が震えるのは驚きと怒りの入り混じった感情からだ。
「おまッ! それは――お前ッ! ちょっと待て! なんだ、それは? なんだ、その生き物は!?」
ベルナルドもついに腰を浮かせ、冷静さを失って叫ぶ。
砂埃の中から姿を現したのは、巨大なサラマンダーだった。
その体は赤黒い鱗で覆われ、燃える尾が地面を焦がしながら揺れている。
悠然としたその歩みは、周囲を圧倒する存在感を放っていた。
「あんた、それ階層主でしょ!? 討伐対象でしょ!? 一体どうやったらそうなるのよ!」
シルビアの声がさらに高くなり、頭を抱えた。
ベルナルドも呆然としつつ、額を押さえた。
「……お前、拾ってくるモンの規格が違いすぎるぞ」
☆☆☆
地面が揺れた。
重低音のような轟音と共に、溶岩の中から巨大な影が飛び出す。
全身は赤黒いひび割れた溶岩に覆われ、ひびの間からオレンジ色の光が脈打つように漏れている。
光は動くたびに揺らめき、生きている炎そのものだった。
長く鋭い尾はしなやかに動きながら地面を叩きつけ、火花を散らしている。
サラマンダーの瞳は赤いルビーのように光り、怒りに燃え上がっていた。
その姿は大地を割って湧き上がる火山そのものだ。
四肢は短く太いが、筋肉の塊のようなそれが地面を蹴るたびに信じられないほどの速度で前進する。
足元の地面は瞬く間に焼け焦げ、黒煙が立ち昇る。
ルイスが必死に逃げる背後で、サラマンダーが溶岩の中を滑るように潜り込んだかと思うと、次の瞬間には爆発的な勢いで別の地点から飛び出してきた。
追撃の精度が恐ろしいほど高い。
頭部には溶岩が溢れるように滾り、牙をむき出しにして怒りを表している。
火炎の匂いが空気を満たし、その熱波は遠く離れたシルビアとベルナルドのところにまで届くほどだった。
「ルイス、あんた何やったの!?」
「知らないよ! ただちょっと、溶岩の中に転がってた綺麗な魔石を拾っただけだってば!」
「それ溶岩泳ぎのサラマンダーにとって大事なものだったんじゃないのか!?」
「兄貴、魔石見るかい?」
「後で良い!!」
ルイスの叫び声が、怒り狂ったサラマンダーの咆哮にかき消される。
溶岩の波が背後で次々と立ち上がり、襲いかかる。
サラマンダーは速度を増し、今やほとんど見えないほどの速さで地面を駆け抜けて来た。
「ルイス、そっち行くぞ! 跳べ!」
ベルナルドが怒鳴るように指示を出しながら、風の精霊でルイスを助けようとする。
しかし、その風が届く前にサラマンダーの尾が地面を叩きつけ、衝撃波を起こした。
「うわっ!?」
ルイスがよろめきながらも必死に前進する。
追いつかれたら最後――その迫力と熱量に、ルイスは全身の毛穴から冷や汗が噴き出すような感覚を覚えていた。
「兄貴、なんとかしてよ!!」
「まず勢いを止めろ! そもそもお前が怒らせたんだろ!」
「そんなこと言ってる場合!? ぎゃあああ!」
再び、溶岩の中から飛び出すサラマンダー。
まるで地面そのものが命を持ち、怒り狂って追いかけてくるようだった。
その動きは荒々しく、暴力的でありながら計算された狩猟のように正確だ。
「シルビア、頼む! お前の火魔法で少しでも鎮められないか!?」
「無理無理無理! あんなの、私の力じゃどうにもならないって!」
二人が必死に議論している間にも、ルイスは全速力で逃げ続ける。
だがサラマンダーとの距離はじわじわと縮まりつつあった。
☆☆☆
ルイスの肩からするりと抜け出した雷獣ダニエルの背から、弾けるように稲光が放たれた。
その眩い光に、サラマンダーが思わず動きを止める。
赤黒い瞳が雷光に怯え、地響きを伴う足がほんの一瞬止まった。だがその静止が、勝機を生む。
――水鏡流 斬り返し。
ルイスは短刀を腰から抜き放つと、稲妻を纏うように走り、サラマンダーの脇腹を狙って一閃した。
短刀の切っ先が灼熱の鱗を掠め、火花を散らしながら深々と食い込む。
「天鳳道場で、色んな流派の基本技の型稽古しかしてねえが――師範の言う通り、技は臨機応変が命だってのは本当だな!」
汗を滲ませた額に笑みを浮かべながらルイスはそう言った。
繰り返し磨き上げた基本技の反復練習。それがこの瞬間、確かな自信と成果として結実したのだ。
「や、やるじゃない! あんた――って、そうじゃない! 何拾って来てんのよ!」
背後からシルビアの怒声が飛ぶ。
「やっぱ階層主は懐かねえか」
些かがっかりしたようにルイスは肩を竦めた。
「当たり前でしょ! バカ!」
シルビアが叫ぶ中、ベルナルドが鋭い声を上げる。
「でかした! 階層主がひっくり返ったぞ!」
サラマンダーが巨体を揺らしながら一瞬よろめく。しかしその目に宿る怒りの炎は消えていない。
「ビックリしただけだな。ダメージはないと考えた方がいい。ここからが本番だ」
ルイスの短刀で勢いを削がれたものの、明らかに致命傷ではないとベルナルドは判断する。
「しかし勢いを止められたのが大きい。シルビア、後衛に来てくれ。僕が前衛に行く」
「じゃあ、俺は中堅だな」
ルイスはそう言うと、懐から棒手裏剣を取り出した。
稲妻のように指先を走らせ、雷魔法の基礎魔法を手裏剣に付与する。
「なにそれ?」
「忍法だよ」
「なんですって? ニン――」
「喋るな! 来るぞ!」
サラマンダーが再び地を踏みしめ、炎を纏った尾を振り上げた瞬間、ルイスの手裏剣が閃光と共に放たれる。
――雷遁 付与手裏剣。
雷光をまとった手裏剣がサラマンダーの巨体に突き刺さり、稲妻が体内を駆け巡る。
怒りの咆哮が天を裂く中、爆発的な雷の波動が辺りに轟いた。
「兄貴! 今だ!!」
「ああ!」
ベルナルドはロングソードを握り締め、風の精霊に突風を巻き起こさせる。
その風に乗り、一気にサラマンダーの頭上へと飛び上がった。
「うおおお!!」
回転しながら、ロングソードを渾身の力でサラマンダーの眉間へと突き立てた。
その瞬間、サラマンダーが口を開き、灼熱の炎を吐き出そうとする。
――火魔法防御 発動。
シルビアが詠唱を終えた瞬間、魔方陣が光を放ち、サラマンダーの炎を弾き返す。
炎は逆流し、サラマンダー自身の体にぶつかった。
次の瞬間――轟音と共に爆発が起こる。
溶岩と火炎が四方に飛び散り、巨大な衝撃波が空間を揺るがした。
熱風が辺りを包み込む中、サラマンダーの巨体がぐらりと揺れ、ついに地に伏した。
息を切らしながらベルナルドが思わず叫ぶ。
「あ、危なかった~!」
「ヤバかったあ……」
とルイスがひっくり返った。
「一番、ヤバいのはあんたよ」
シルビアはルイスに向かって冷静に言い放った。
☆☆☆
五階。
広大な砂漠の中で吹き荒れる熱風の中、双頭の蛇王――フレイム・バジリスクが地面からゆっくりとその巨体を現した。
黒曜石のように光を反射する鱗が、灼けるような日差しをさらに際立たせる。
その双頭は、それぞれ異なる恐怖を振りまいていた。
一方の首には猛毒と腐食性の液体を操る魔物使いの気配が宿り、もう一方には砂漠そのものを操り、古代の力を炎と生命力に変える力が備わっていた。
砂漠の地中からは、砂の塊が遺跡の石像のような形を取り、まるで命を持つかのように立ち上がって勇者候補たちに迫ってくる。
メルビンは聖剣を握り締め、歯を食いしばりながらもフレイム・バジリスクの攻撃を躱していた。
炎と毒の首が交互に攻撃を繰り出す中、メルビンは聖剣を振りかざして毒の頭に斬り込む隙を狙う。
しかし、周囲に召喚された石像が足元を狙い、メルビンの動きを妨害していた。
「魔工機人の体でも、この疲労感は――耐えがたい!!」
叫びながらも、メルビンは聖剣の光で周囲の石像を薙ぎ払っていく。
リリアンはその背後で魔杖を掲げ、魔法陣を展開していた。
――聖魔法 光翼結界。
リリアンの詠唱が終わると同時に、砂漠全体に光の障壁が広がり、炎の首から放たれた灼熱のブレスを相殺する。
しかし、リリアンの顔は険しい。
「遺跡の魔力が強すぎる……魔力を吸い取られていくなんて!」
リリアンは焦りながらも、次々にゾンビのような石像の動きを封じ込めようと必死に光刃を放っていた。
フロルは巨大な盾を構え、砂漠の地面から突如飛び出してくるフレイム・バジリスクの尻尾を受け止めた。
「重いッ! こいつ、本当に蛇かよ!」
盾の裏側に備え付けられたモーニングスターを振りかざし、目の前の石像を粉々に打ち砕く。
だが、石像を破壊するたびに新たな像が砂から湧き上がるのを目にし、フロルは苛立ちを隠せない。
「いつまでこれを繰り返せばいいんだ!」
戦いが続くにつれ、フレイム・バジリスクの双頭の輝きは増し、遺跡の力を吸収するたびにその体がさらに巨大化していく。
毒の首からは猛毒の霧が立ち上り、炎の首はさらに灼熱のブレスを強化して砂漠全体を灼くような熱波を巻き起こした。
「これ以上は持たない!」
リリアンが叫びながら後退し、フロルの盾の後ろに隠れる。
「弱点はどこだ……遺跡の核、それを探せ!」
メルビンが叫び、聖剣を天高く掲げる。
「リリアン、時間を稼げ! フロル、こいつを引きつけるぞ!」
メルビンが光輝く剣を振り下ろし、双頭の一つに斬撃を加えると、灼熱のフレイム・バジリスクは一瞬のけぞった。
しかし、遺跡の力で傷は瞬時に修復されてしまう。
「核を見つけなければ意味がない!」
リリアンは焦りながらも再び光の刃を生み出し、遺跡の石像の群れを制御し続ける。
フロルは盾で炎の首のブレスを受け止めながら叫ぶ。
「核らしきものがこの蛇のどこかに隠されてるなら、見逃すな! ここで倒さなきゃ、俺たちは終わる!」
遺跡の砂煙が舞う中、三人の連携がさらに試されていた。
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