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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第六章 憤怒の弓
128/164

128話 いと罪深き朝 9

「基準モードからサムライモードへ移行――危険。危険。ただちに半径三メートル外へ避難してください。繰り返します――」


 ゴル七号が甲板に乗り込むなり、その姿形が激しく変形し始めた。

 短髪が黒髪となって舞い上がり、荒々しい顔立ちが端正な美男子へと変わる。


 さらに、無骨な大男の肉体が引き締まり、筋骨隆々とした剣士の風格を纏うまで、わずか数秒の出来事だった。


 変形を終えたゴル七号は迷いなく、青いマントを纏った騎士の前へと進み出た。

 その動きには明確な意図があった――創作者ビクトルの意思だ。


 ――若い勢いと力で押し切るか、それとも経験値で斬り落とすか……これは実に有意義な実験になるぞ!

 兜に仕込まれた通信魔具から、ビクトルの嬉々とした声が響き渡る。


「長引けば勝機を失う」


 左近は、わざわざビクトルに指摘されるまでもなく、そのことを理解していた。

 だが、目の前に立つのは、自身の若き日の姿を模した魔工機人――ゴル七号。

 長い戦歴を誇る左近にとっても、これほど奇妙な対決は前代未聞であった。


 両者の視線が交錯し、緊張が一気に高まる中、ゴル七号が無機質な声を発する。


 ――第十八階層禁術 激剣。


 その声とともに、ゴル七号の手に雷が渦巻く剣が具現化する。

 電流の奔流が剣身を走り、その輝きはまるで天の雷神が宿ったかのようだった。


 左近は瞬時に構えを取り直し、その眼差しを鋭く光らせる。

 目の前に立つのはただの模倣ではない。

 これは自らの戦歴を、力を、そして誇りを試される戦いだ。


 潮騒の剣を振りかざし、左近は激剣の電撃に真っ向から挑んだ。

 雷鳴のような轟音とともに、激剣の電撃が潮騒の剣の刃先に直撃する。


 目を焼くような閃光が走り、甲板全体を振動が包み込む。

 瞬時に潮騒の剣が激剣の電撃を掻き消した。


 しかしその代償として、潮騒の剣も激剣もその力を失い、刃先が鈍く光を失っている。


 一瞬の静寂――その後、二人は同時に動き出した。

 左近は迷わず潮騒の剣を手放し、反射的に素手でゴル七号の喉元を掴む。

 鋼鉄の首元を掴む感触に対して、左近の指には揺るぎない力が込められていた。


「――ッ!」


 ゴル七号は抵抗しようと右拳を振り上げるが、左近がその動きを読んでさらに一歩踏み込み、勢いをつけてゴル七号を甲板に叩きつけた。


 硬い甲板に機械の身体が激突し、木片が飛び散る。

 左近は一瞬も躊躇せず、腰に差していた脇差を引き抜く。


 その刃先が、ゴル七号の胸部を貫こうとする寸前――。


 耳元で響く、ビクトルの冷静な声。


 ――それまで!


 その瞬間、ゴル七号の動きが完全に停止した。

 突如として襲いくる静寂に、左近は脇差をわずかに引き戻しつつ、目の前の魔工機人をじっと見下ろす。


 ――見事。

 ビクトルの賞賛が素直に嬉しかった。


 ☆☆☆


「それじゃあ、俺らはこっち側が相手ね」

 カイが平剣と片手剣を手に取り、いつものように力を抜いて緩く構えた。


 その姿を目にした剣禅は、兜の内側で密かに感心する。

 完全に脱力している――それはただの見せかけではなく、本物だった。


 武において、脱力ができるというのは類い希な才能であることを意味していた。


 特に武器を扱う技術において、武器を握りながら脱力するなど、本能を超えた何かがなければ不可能だ。

 小さなナイフを持ちながら脱力できる者ですら稀有なのに、両手に異なる剣を持ちながらこれができる――天才か、あるいは異常者か。


「左で防御、右で攻撃か……毒針を持つ軟体生物のようだな」


 剣禅は兜のなかで大いに笑う。

 これは極上の剣士ではないか、と。


 それでも油断はしない。

「梅鶴。後衛が来たときだけ対処せよ」


「かしこまりました」

 後衛を任せ、再びカイへ視線を戻すと、その場にいる全てを飲み込むような緊張感が漂い始めていた。


「アレンカ。ちょっと一人でやらせてくれんか?」

「いいけど……なんで?」


 アレンカの疑問に、カイは軽く首を傾けて答える。

「うん。まあな……なんとなくだ」


 理由など明確ではない。

 だが、身体の奥底から、一人で立ち向かうべきだという衝動が湧き上がっていた。

 二人の視線が交差した瞬間、周囲の空気が変わる。


 剣士としての本能が今、この一瞬のために目覚めだしている。

 相対する二人の血潮が沸騰し始めていた。


 ☆☆☆


 剣禅は右諸手上段の構えをとった。

 その構えは、剣先を正中線上に沿って振り下ろす、およそ実戦向きの構えではない。


 だが、剣禅が実行するとなると話は違う。

 対峙する者に圧倒的な威圧感を与える恐怖の形相へと変わるのだ。


「なんだあ? そりゃあ」

 カイは少しも躊躇せず、ぬるりと剣禅の間合いに入り込む。


 ――跨鶴流(こかくりゅう) 紅羽剣(こううけん)


 剣禅が振り下ろした刀を、カイは平剣を巧みに使って流す。

 そのまま右手に持つ片手剣で止めを刺そうとした瞬間、カイの背筋に強烈な寒気が走った。


 顔のすぐ横――剣禅の放った突きの切っ先が、寸分違わず届いていた。

 カイはぞっとして身をよじる。


 だが、そんなことで剣禅の次撃は防げない。

 突きが続けざま三連撃として繰り出された。


「ぐああッ!」


 カイは呻き声を上げながら、半回転して平剣を真下から跳ね上げた。

 鋭い一撃が剣禅を捉える。


「ぬ?!」

 剣禅は突きの勢いで、前のめりになった姿勢を取っていた。

 まさか、その隙を突いた反撃が来るとは想定していなかった。 


 吹き飛ばされながらも、剣禅は宙でくるりと回転し、なにごともなく着地した。

 苦し紛れの一撃ではあったが、刀の峰で受けていたおかげで致命傷は免れていた。


 ☆☆☆


 実戦武術を謳う流派は数多く存在するが、実際に生きるか死ぬかの戦いだけで鍛え抜かれた武術などというものは存在しない。


 剣一本を頼りに、野獣のような戦いを続ける者など、到底文明人の枠を超えているからだ。


 だが――目の前の剣士は、それを実行したであろう存在だった。

 剣を持つ、まさに野獣という他ない。


 剣禅は静かに息を吐きながら、状況を分析し続ける。

 己の鍛錬の全てを思い返し、最適な一手を模索していた。


 剣禅が極めた剣術の流派は九つにのぼる。

 体術、柔術を含む徒手空拳の技は七。さらに忍術の流派も四つ会得済み。

 今や剣禅自身が新たな流派を開こうとしているほどの達人だ。


 冷静な思考と、研ぎ澄まされた直感が導き出した――最適解。

 剣禅は迷わず、それを実行に移した。


 ――水鏡流(みかがみりゅう) 鏡杯葛(きょうはいかずら)


 中段に構えた剣禅の本差”血斬丸”の切っ先が、滑らかに∞の形を描き出す。

 その動きは巧妙にカイの平剣を絡め取り、次の瞬間には突きを放つ。


 カイは片手剣で咄嗟に突きを弾いたが、その刹那、剣禅が鋭く踏み込む。

 脇差”月兎”を抜刀し、喉元を裂くべき技を敢えて柄で叩く形に抑えた。


 甲高い音が響き渡る。


「アレンカ!」

 カイの声が甲板に響く。


 アレンカがついに我慢の限界に達し、地魔法を使ってカイを防御したのだ。

 その光景を目にした梅鶴が激昂する。


「一騎打ちに加勢するとは何事ぞ!!」

 梅鶴の声が甲板を震わせ、周囲の空気を張り詰めさせた。


 ☆☆☆


 剣禅の背後で梅鶴が激怒している声が聞こえる。

 だが、剣禅にとってはどうでも良いことだった。


 今、この集中を途切れさせるわけにはいかない。


 剣禅は無言のままカイの背後にいるアレンカを指差し、手招きする。

 加勢しても構わない、という無言のジェスチャーだった。


 だが、剣禅が構える血斬丸の存在が、この戦いをさらに不穏なものにしている。

 血斬丸――剣禅の祖父がかつてヴァンパイアたちが(ひし)めく裏ギルドへ殴り込んだ際に携えていた野太刀が元になった剣だ。

 この剣は強者の血を吸えば吸うほど、その威力と特性を増幅させるという呪われた性質を持つ。


 剣禅が刃を一閃させるたび、血斬丸が放つ薄い赤い輝きが、見ている者の目を惑わせた。


 ――雹流(ひょうりゅう) 二段抜き。


 二回連続の居合い斬り。

 一度目の抜き打ちは見えても、二度目は一度目で作り出した死角から繰り出される必殺の剣技である。


 カイが平剣を構え直そうとした瞬間、視界が歪んだ。

 剣禅の姿が複数に見える――否、どれが本物なのかわからない。

 血斬丸の呪われた特性が、カイの感覚を狂わせ始めていた。


 目の前に迫る剣禅の幻影が次々と襲いかかってくるように感じられた。

 カイは咄嗟に平剣を振り上げるが、幻影の一閃を受けたと思い込んだ瞬間、本能的に生身の腕で守ってしまった。


「カイ!!」

 アレンカの叫びが響く。


 剣禅の刃は一瞬で止まり、カイの腕にわずかな血の筋を残した。

 剣禅はその場で静かに問いかけた。


「なにか仕込んでいるな? その腕」


「当たり前だ」

 カイは口元を歪めて笑いながら答える。


 防刃コートの下には、呪術と魔法防御の特殊織物が仕込まれていた。

 袖の中から鋼鉄製の伸縮棒が音を立てて地面に落ちる。


「クソ。とっておきだったのによ」

 隠し武器――暗器である。

 カイはそれを失ったことに舌打ちしながらも、目の前の剣禅を睨みつけた。


 剣禅は微動だにせず、冷静にカイを見つめる。

 ここまでの強者であれば、奥義を見せても死にはせんだろう。


 ――天鳳流。


 剣禅が生涯をかけて模索し続け、今なお完成形を追い求めている独自の流派。

 剣理を極めた先のさらに彼方――常人には想像もつかぬ領域を切り開かんとする究極の剣術である。


 その真髄を許されるのは、ただ一握り。

 勇者となる器を持つ者、剣禅自身が認めた選ばれし者にのみ伝授される剣であり、天才の中の天才すら拒むこともある絶対不敗の最終剣技。


 ――天鳳流 十五段抜き。


 剣禅の動きがわずかに変わる。

 体重を前にかけ、刀をゆっくりと鞘からずらした瞬間――周囲の空気が裂ける音がした。


「な、なんだ……?」


 カイが僅かに眉を顰める。

 剣禅が何をするのか理解できない。

 ただ、その場に立つだけで、剣禅から放たれる圧力が全身を貫いていた。


 剣禅は息を整え、一瞬の静寂の後、低く囁くように口を開いた。

「……見せてやろう。これが剣の極みだ」


 その言葉と同時に、剣禅の刀が抜かれた。

 斬撃の軌跡が空間に描かれ、目に見えない刃が幾重にも重なり、甲板を覆い尽くす。


 十五段――ただの居合いではない。

 斬撃が生み出す風圧と気配は、相手の知覚を狂わせ、現実に幻影を重ねる。


「クッ……!」

 カイは剣禅の動きを捉えようとするが、無数の剣禅が目の前に現れ、同時に斬りかかってくるように見える。


 それは幻ではない。

 すべてが実体を持つ、一撃必殺の斬撃だった。


 剣禅の瞳は冷静そのものだった。

「受けきれるなら受けてみよ……お前の剣を見せてみろ」


 剣禅が構えを取り直すと、空気が変わった。

 カイもアレンカもその場に立ち尽くし、何か得体の知れない圧力を感じ取る。

 剣禅が放つ気迫は目に見えない刃となり、甲板の空間そのものを斬り裂いているかのようだった。


 血斬丸が僅かに震え、次の瞬間、剣禅の体が霞のように揺らめく。


 一閃。

 ――否、一閃どころではない。


 剣禅が刀を抜くたびに、その斬撃は刹那のうちに十五回分重ねられた。

 剣の動きはあまりに速く、どこからどこまでが現実で、どこからが幻影なのか。

 まるで判別がつかない。


「な、なんだあ。こりゃあ……!」

 カイは平剣を構え直そうとするが、剣禅の斬撃は彼の意識をすら上回っている。


 十五段抜き――その技の恐ろしさは、速度や威力だけではない。

 剣禅が刀を振るうたび、剣圧が空気を裂き、幻覚にも似た光景を作り出す。


 カイは目の前に無数の剣禅を見た。

 いや、それは剣禅が生み出した残像の斬撃である。

 幻ではない。どの一撃も、カイを斬り裂ける本物だ。


「耐えろ……耐えろ!」

 カイは自らに言い聞かせ、平剣を振りかぶり、その軌道を読もうと試みた。


 しかし――


 十五段抜きの第十の刃がカイの防御を打ち砕き、平剣の刃に深い傷を刻む。

 続く第十一、第十二の斬撃は、カイの体を掠めながら防刃コートを切り裂いた。


「ぐっ……!」

 カイが膝を突き、深い息を吐く。

 その息すら途切れ途切れで、全身から汗が噴き出していた。


「では、追加だ」


 ――二十一段抜き。


 言葉と共に、剣禅の姿が再び霞む。

 凄まじい速度の斬撃が空間を裂き、目には見えぬ刃が一つ、また一つと降り注ぐ。


 十三。十八――カイは膝をついたまま、立ち上がることすら叶わない。


「よく耐えた……だが、これで終わりだ」

 剣禅は淡々と告げると、一歩踏み込み、さらに一段深い構えを取る。

 その眼差しは揺るぎなく、冷たさすら感じさせた。


 ――完撃 三十段。


 二十二、二十六――そしてついに、カイの体が限界を超えた。

 崩れ落ちたカイが波打つ甲板に跳ね、無防備に横たわる。


 二十七撃目の直撃。


「最高記録だ」


 剣禅の口調にはわずかな敬意が宿っていた。

 その場に倒れながらも剣を握り続けた若き剣士に、微かな賛辞を贈るように。


 最後の一撃――剣禅は血斬丸を使わず、己の手刀でカイの顎を正確に撃ち抜く。


「天晴れ。カイ・クラマラ」


 カイの視界が白く染まり、全身から力が抜けていく。

 生まれて初めて経験する失神――それでも、意識の隅でカイはなお両手に剣を握り締めていた。


 完敗だ。

 暁月剣禅――剣の神よ。


 その名を脳裏に刻みながら、カイの意識は深い闇へと沈んでいった。 

 お読みいただきありがとうございました。

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 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

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