124話 いと罪深き朝 5
「ゾーエ先生の計らいで、三階での宴会は結局、六パーティが揃ったところで解散という形になりました」
ラルフが解説席で言うと、スタッフが次々と新たな原稿を届けてくる。
その手際の良さに、場の緊張感が増しているようだった。
「各パーティは、それぞれ別々のワープポイントを通り、様々な階層へと振り分けられていった模様です!」
アナは資料の山を器用に掻き分けながら、熱気を帯びた声で状況を伝える。
「通常エリアで試験的に導入されていたワープポイントですが、今回の高難度エリアでは本格的に活用されているようです。これは、すでに実用段階に達していると考えてよろしいのでしょうか?」
アナは隣のレイに視線を向けて、問いを投げかけた。
「その通りです。実用段階と言って差し支えありません。ただし、今回のワープポイントは一方通行です。一度踏み込めば、戻ることは不可能です」
レイの冷静な解説に、場の空気が一瞬張り詰める。
「なるほど、怖い仕組みですね! 参加者の皆さんはくれぐれもお気をつけください!」
アナの明るい声色が、緊張感を少しだけ和らげたが、それでも一方通行という言葉の響きは、見る者に重みを残した。
☆☆☆
「さて、改めまして大迷宮の概要を説明いたします! 大迷宮は全十二階層から構成され、高難度エリアの実地試験も兼ねております。それでは、四階以降の階層を順にご紹介しましょう!」
アナの軽快な声が場内に響き渡る。
「まずは四階、火街担当! ここは小規模な火山エリア、まさに灼熱地獄です! この階層には――お馴染み、カザーロンブラザーズが挑んでいます! 相変わらず末っ子のルイスくんが楽しそうでなにより!」
「続いて五階と六階、地街担当。砂漠から洞窟へと続く本格的なダンジョンエリアです! こちらには、白魔法学部推薦の勇者候補パーティが到達。エリアの急激な変化に少し戸惑っているようですが、まあ無理もありません!」
「七階と八階は雷街担当。要塞エリアです! ここは戦場を再現した過酷なエリアになっております。現在、亜獣騎士団パーティが七階へ突入!」
「次は九階と十階、白街担当。天国を再現した階層とされていますが、まだ詳細な資料は届いておりません。ただいま中継では、竜騎士団パーティのアレクサンドラやヨーゼフらが九階を探索中で、その美しさに圧倒されています!」
「そして十階には、カイ・クルマラらのパーティが進行中。こちらは天国とは対照的に、一面に大雪原が広がる過酷な環境が待ち受けています!」
「最後に十一階と十二階、青街担当。ここは地下水脈を活用した大規模な深海エリアです! 天鳳騎士団がこの階層に到達しましたが――先生、これは……」
ラルフがレイに視線を移す。
「……なんと天鳳騎士団パーティがいきなり最深層階に進んでしまったようですね。これは非常に有利な展開ではないでしょうか?」
アナも興奮気味にレイに訊ねた。
「いえ、そうとも限りません。一方通行のワープポイントがランダムに配置されていますので、最深層をクリアしても次の深海ダンジョンに進める保証はありません。それに、一度クリアした階層主を再び倒す必要はありませんが、クリアしないままではポイントが稼げません」
レイが冷静に解説を加える。
「では極端な話、一階で深海ダンジョンへのワープポイントを見つければ、労せずして次に進めるということですか?」
「その通りです。ただし、それではパーティの総合力を高める経験が不足します。大迷宮全体を活用して戦闘や連携のスキルを磨くのが定石でしょう」
「なるほど。レイ先生、丁寧な解説ありがとうございました!」
アナが笑顔で締めくくり、画面には各パーティの進行状況が映し出されていく。
☆☆☆
アレクサンドラ一行は、鐘の音が静かに響き渡る荘厳な大聖堂を歩いていた。
頭上には拝竜教の信仰を象徴する巨大なステンドグラスが広がり、竜たちが天空を舞う様子が鮮やかな色彩で描かれている。
その光が柔らかく降り注ぎ、大理石の床に万華鏡のような模様を作り出していた。
「見ろよ、この壮大さ!」
アレクサンドラは目を輝かせながら歩を進め、キケも感嘆の息を漏らす。
一方、ヨーゼフは険しい表情を崩さなかった。
元王宮騎士団として長年、白街や拝竜教と関わってきた彼にとって、この場所はただの崇高な空間ではない。
宗教芸術に感嘆するよりも、なんとも言えぬ居辛さの方が勝っているようであった。
「リタイア組が出てきましたね」
キケが大聖堂の奥を指差した。
そこには、傷つきながらも脱出を果たしたパーティが神妙な顔つきで運び出されていく様子があった。
「なんだか、ダンジョンって感じじゃないな。美術館か観光地にでも来たみたいだ」
アレクサンドラが軽口を叩くが、その声には珍しく僅かな緊張感が混じっていた。
「油断しないでください」ヨーゼフが短く言い放つ。
一行は、厚みのある大聖堂の扉の前で一瞬立ち止まった。
荘厳な装飾が施された扉の向こうに何が待ち受けているのか。
アレクサンドラが先頭に立ち、意を決して扉を押し開けた。
☆☆☆
「来ました! 大迷宮九階層主、デウス・エクス・マキナ! 拝竜教の神――竜神を模した魔工機獣が出迎えます! 推定禁術階層レベルは二十!」
目の前にそびえ立つ魔工機獣は、圧倒的な存在感を放っていた。
金属の体に神々しい装飾が施され、無数の歯車や魔力石が動力となっている。
その姿は竜神そのもの。機械と魔法が融合した姿が、荘厳な大聖堂の中で異質ながらもどこか神聖さを纏っていた。
天井近くまで達する巨大な魔工機獣がゆっくりと首をもたげるたび、ステンドグラスから降り注ぐ光が金属表面で反射し、虹色の輝きを放つ。
そのコントラストは、まるで宗教画の中から抜け出してきたかのようだった。
その荘厳な光景に対峙するアレクサンドラもまた、一幅の絵画のようだった。
全身を覆う魔鎧は緻密な装飾が施されたミスリル製。
魔法防御も物理防御も最高クラスを誇るその鎧は、戦場でありながらも気品と美しさを漂わせている。
手にはドラゴンランスを構え、その背に乗るのは、同じくミスリル製で作られた魔工機製ユニコーン。
額の長い角が光を受けてきらめき、白銀の装甲が輝く姿はまさに神話そのものだった。
アレクサンドラがユニコーンの手綱を引き、一気に駆け出す。
ユニコーンが嘶き、聖堂内に金属音が響き渡る。
迎え撃つ魔工機竜が口を開き、灼熱の炎を吐き出した。
「ヴァル六号、頼む!」
ヨーゼフの声が飛ぶ。
次の瞬間、炎の奔流が迫る中、ヴァル六号が火炎防御魔法を展開。
炎は目の前で弾け飛び、広がる熱波だけが一行を包み込む。
「ヨーゼフ、キケ、今だ!」
アレクサンドラの指示でヨーゼフとキケが左右に分かれて動き出す。
ヨーゼフはレイピアを構えながら魔法を紡いだ。
魔工機竜の巨大な関節部分が青白く凍りつき、動きが鈍る。
「水魔法の亜流”氷結魔法”です! 非常に珍しい魔法を専門としています。第三師団長”智竜”ヨーゼフ・ヒルトマンの采配が冴え渡ります!」
アナが叫んだ。
一方、キケはどこから持ち出したのか長い鎖を魔工機竜の足に投げつける。
鎖は魔力を帯び、竜の巨大な足を幾重にも縛り上げた。
「動けない! 動けない! 魔工機竜が完全に封じられました!」
「ついてますね。我々とこの機獣との相性はすこぶる良いようです。アレクサンドラ、止めを!」
ヨーゼフが眼鏡を押し上げる。
「おう!」
”獅子竜”アレクサンドラ・アーチボルトの目に炎が宿る。
彼女はユニコーンの角とドラゴンランスを構え、一気に突進した。
ランスが魔工機竜の胸部装甲を貫き、ユニコーンの鋭い角がその頭部に突き刺さる。
魔工機竜の機構が悲鳴のような音を立て、火花を散らしながら崩れ落ちた。
大聖堂は再び静寂に包まれる。
その中で、アレクサンドラは肩越しに一行を振り返り、勝利の笑みを浮かべた。
☆☆☆
寒風吹きすさぶ雪原がどこまでも広がっている。
白一色の地平線に、わずかに立ち枯れた木々が点在し、吹き溜まりには深く積もった雪が影を落としていた。
風が雪を巻き上げ、視界を遮るほどの吹雪となり、冷気が肌を刺すようだった。
空には厚い雲が垂れ込め、昼間にも関わらず薄暗い灰色の光が世界を覆っていた。
そんな中、カイは前方に人影を見つけ、手を上げて挨拶をした。
雪の中をかき分けながら近づいて何事か話し、互いの肩を叩き合った後、振り返って戻ってきた。
「この階はダメだ。違う階に行くぞ」
カイの言葉にアレンカが目を丸くする。
「は? なんで?」
「ここの階層主がヤバすぎる」
「え? なに??」
吹雪で互いの声が聞えにくい。
カイは冷たい風を顔で受けながら、低い声で続けた。
「お前ら魔法使いが魔王を避けるように、冒険者にも避けるべき種族がいる。獣王三種だ。空のグリフィン、海のクラーケン、そして陸の――」
言葉を切り、カイは遠くを見つめるように雪原の先を睨んだ。
彼の表情には冗談の余地が一切なかった。
「魔獣の王たち。奴らとの戦いを避けるのは常識だよ」
風の音が強まり、カイの声はアレンカにほとんど届かなかったが、彼が真剣に言っていることはその表情から十分に伝わった。アレンカは困惑しながらも頷く。
「う、うん……」
「この階層は死に階だ。捨てる」
「ワープポイントを探すのね?」
「ああ。強行したらリタイアするだけだからな」
「わかった。私は従う。アンタは?」
ゴル七号がゆっくりと振り返って叫ぶ。
「了解しました。バカヤロウ!」
カイが鋭い目つきで問い詰める。
「どっちだよ。いいんだな?」
「……あいよ」
ゴル七号の緊張感のない声が雪原に響く。
吹雪の音が一層激しくなり、アレンカが耳を押さえた。
「やっぱ、音声機能オフにしようぜ」
カイが提案したが、アレンカの耳には届いていないようであった。
☆☆☆
黒街ギルドの観客席に座る者たちの間に、静寂が訪れていた。
それは完全な恐怖によるものだった。
誰もが息を呑み、スクリーンの光景に釘付けになっている。
「リタイア」の二文字が誰の目にも明らかだった。
雪原のあちこちに散らばる、かつての栄光を象徴する装備の残骸。
ミスリル製のユニコーンは無惨に引き裂かれ、美しいレイピアは真っ二つにへし折られていた。
血のように赤く染まった雪の上に転がっている。
ヴァル六号の背中からは黒い煙が立ち上り、壊れた蒸気管がうなり声を上げていた。
その背後には三人の戦士たちが倒れている。動く気配すらない。
その光景を丘の上から見下ろしている存在。
雪嵐の中にそびえ立つ、巨大な狼のような姿。
その体は真っ白な毛で覆われ、風に吹かれるたびにその毛並みが光を反射し、雪原の景色と溶け合うように美しく輝いていた。
だが、その美しさの裏にあるのは圧倒的な死の威厳。
観客席の誰もが声を失っていた。
「だ、だ、大波乱!!」
ラルフが震える声でアナウンスを始める。
「優勝候補筆頭! アレクサンドラ、ヨーゼフ師団長を二人も擁する竜騎士団パーティが――十階層主の前に全滅!! 全滅しました!!」
その言葉は観客たちの心にさらに恐怖を刻みつけた。
「魔獣王フェンリル”白王”。推定禁術階層レベル――なんと三十!!」
ラルフの声が裏返る。
「魔王階層です!! 魔王階層の魔獣が――出てきましたア!!!」
白王が遠吠えを始めた。
その音は雪嵐を貫き、空気そのものを震わせる。
白王による勝利宣言である。
観客たちはその場で竦み、誰も声を発することができなかった。
ただ恐怖に打ちひしがれ、視線をフェンリルの姿に固定されたままだった。
果たして、ここに魔獣王が降臨した。
お読みいただきありがとうございました。
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カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。




