114話 荒涼の城 1
「おい。水魔法学科だろう。水は出せないのか?」
竜騎士団の第一師団長、アレクサンドラ・アーチボルドが鋭い声でレオポルド・ブルーノに訊ねた。
彼女の金色の髪が乾いた熱風にたなびき、その眼差しには焦りと苛立ちが交錯している。
「さっきのが最後ですよ……ここって明らかに沼地エリアじゃないッスよね?」
レオポルドは肩を竦めながら答える。
かつての余裕が消え、砂に塗れた顔には疲労の色が濃い。
「ああ。どう見ても砂漠エリアだ」
アレクサンドラの視線が遠くの砂丘を睨む。
その広がる光景は、炎のように輝く砂が地平線まで続いていた。
「それって、高難度エリアのはずでしょ? なんで?」
レオポルドの口調には戸惑いが混じっている。
ダンジョン内の移動は、彼の予測を遥かに超えていた。
高難度エリアとされる「砂漠訓練エリア」は、地魔法学科が監修する特殊訓練用エリアであるはずだった。
事前説明では未だ工事中とされ、立ち入ることは不可能だと聞かされていた。
それにもかかわらず、参加者一行は粘土質の沼地から乾燥した砂地を経て、岩石砂漠、さらには礫砂漠へと足を踏み入れていた。
砂の上で太陽に照らされるレオポルドは、これまでのように軽口を叩ける状況ではないことを悟っていた。
海水パンツ一丁で調子に乗っていた彼も、ようやく亜空間収納からまともな服を取り出し、身に付け直している。
レオポルドは砂漠の灼熱に耐えるべく、亜空間収納から取り出した薄手の白いローブを羽織っていた。ローブは軽やかに砂風をはじき、長袖で腕をしっかりと覆っている。
足元は頑丈なサンダルで、熱い砂地でも足を守っていた。
さらに、黒い布で頭から首元までをしっかりと覆い、直射日光や砂嵐を防いでいる。
その姿は、どこか砂漠の民のような風格を漂わせていた。
「これ、どうぞ」
レオポルドは亜空間収納からもう一枚黒い布を取り出し、アレクサンドラに差し出した。
「助かる」
アレクサンドラは布を受け取り、器用に頭から被って日除け代わりにした。
金髪が黒い布に包まれた彼女は、強い日差しの下でも凛々しさを失わない。
肩の鎧からは熱を持った金属の輝きが放たれていたが、彼女自身はそれを全く意に介さないようだった。
☆☆☆
礫砂漠の不穏な空気が、静けさを切り裂くように動いた。
砂地が突如として揺れ、地鳴りのような轟音とともに、巨大なワームが姿を現した。
その体躯は10メートルを超え、無数の棘が背中を覆っている。
嘴のような口が砂を噛み砕きながらこちらへ迫る様は、まさに災厄そのものだった。
アレクサンドラの瞳が鋭く光る。
彼女は瞬時に亜空間収納に手を伸ばし、ドラゴンランスを取り出した。
ドラゴンランスは、魔力伝導率の高いミスリルで作られた大型突撃槍で、どんな装甲も貫く鋭利な穂先を持つ。
陽光を反射して輝く槍が、彼女の手で空を切る音を立てた。
ワームが巨体を振り上げ、錐揉み状に回転しながら襲いかかってきた。
その刹那、アレクサンドラは瞬時に半回転してワームの脇腹へと踏み込み、槍を突き出す。
アレクサンドラの全身に魔力がみなぎり、槍の穂先が青白い輝きを放つ。
ドラゴンランスがワームの分厚い外皮を一瞬で貫通し、鈍い音とともに急所の奥深くまで突き刺さったのがわかる。
ワームが苦しげにのたうち回りながら高く跳ね上がった。
周囲の砂が飛び散り、砂嵐のような光景を作り出している。
しかし、アレクサンドラは冷静だった。
槍を握る腕にさらなる力を込め、ワームの心臓を貫く。
「お見事……」
レオポルドが黒い布を頭に巻きながら呟く。
その声には、恐怖と敬意が入り混じっていた。
ワームは最後の力を振り絞るように大きく動いたが、ドラゴンランスが放つ魔力に体を焼かれ、動きを止めた。
地面に崩れ落ちると同時に、砂煙が舞い上がり、礫砂漠に再び静寂が訪れる。
アレクサンドラは槍を引き抜き、冷ややかな眼差しで動かなくなったワームを見下ろした。
槍の穂先から滴り落ちる紫色の体液が砂に染み込み、小さな蒸気を上げる。
「なんとかしないと……」
アレクサンドラは槍を軽く振り払いながら呟く。
再び亜空間収納にドラゴンランスを戻し、静かに背を向けると、遠くの地平線を見据えるその背中は一切の隙を見せていなかった。
☆☆☆
さすがは竜騎士団の中でも精鋭一万騎を率いる突撃隊長――アレクサンドラの戦闘能力は、疲弊している状況でも圧倒的だった。
瞬時に敵の動きを見極め、一撃で仕留める対応力には文句のつけようがない。
しかしレオポルドは、胸の奥でくすぶる違和感を無視することはできなかった。
砂漠エリアに来てから、遭遇する魔物の様子がどこかおかしい。
人工魔獣にしては、攻撃パターンが妙に自然すぎるのだ。
さっきの巨大なワームも、ただ戦うために襲いかかってきたのではなく、本能的に「喰おう」としていたように思える。
その動きや執念には、人工的な作り物では説明がつかないほどの現実味があった。
「……これ、本当に人工物なんスかね?」
レオポルドが頭に巻いた黒い布を少し下げて問いかけた。
砂埃に覆われた顔には疑念の色が濃い。
「首都大学の学生にわからんものが、私にわかるか!」
アレクサンドラの声はいつもと変わらず明快だった。
レオポルドは苦笑するしかない。
エリアダンジョンは確かに大権威が管理しているが、果たしてここまで広大な区域を構築することが可能なのだろうか?
粘土砂の沼地から始まり、岩石砂漠、礫砂漠と続く広がり――それぞれのエリアが緻密に作られているにも関わらず、どこか自然そのものの荒々しさが漂っている。
本当に作り物なのか?
「この砂漠、どこからどう見ても自然のままって感じしますけど」
レオポルドが辺りを見回しながらぼやく。
その言葉に、アレクサンドラも短く頷いた。
「……さっき斬ったワーム。生きていたぞ。アレは。野生のワームだと思う」
アレクサンドラの言葉が切れると同時に、遠くの砂嵐の中からかすかな振動が伝わってきた。
次の脅威が近づいている気配がある。
二人は無言のまま視線を交わし、再び歩き出す。
疑念と不安を胸に抱きながらも、彼らの足取りは止まらなかった。
☆☆☆
「まさか――ゲートですかね?」
レオポルドが黒い布を被ったまま、不安げに言った。
アレクサンドラが鋭い目で彼を見つめる。
「ゲート? 実用化されているのか?」
ゲート計画――それは国と首都大学が共同で進めている、かつて夢物語と言われた壮大な魔法技術の研究である。
遠く離れた場所を繋ぎ、物資の流通、人の移動、さらには非常時の避難経路としても応用できる。
その利便性は測り知れず、実現すれば世界そのものの在り方を一変させる革命となる。
今までにも卓越した魔法使いが個人で瞬間移動を行う例はあった。
しかし、それが誰でも簡単に利用可能な技術となるならば、物流、軍事、経済、果ては人々の日常生活に至るまで、既存の常識がひっくり返ることになることは間違いない。
アレクサンドラは砂を払い落とすように指を動かしながら、短く訊ねた。
「つまり、私たちは――いつの間にか本物の砂漠に来ていたというのか?」
「どう見ても――砂漠ッスよ」
レオポルドが肩を竦めながら答えた。
視界の先には、どこまでも続く砂丘と蜃気楼が揺らめいている。
だが、問題はそこではなかった。
この疑問に潜む真実が、彼らの予想を超えたスケールの何かを示唆していた。
地魔法大権威の変遷――それが今の状況に繋がっているのではないか?
エルマー・ベッシュという名がアレクサンドラの脳裏に浮かぶ。
エルマーは、かつて地魔法学科を牽引した大人物だった。
地魔法は土木、建築、設計、都市計画など幅広い分野に及ぶ学問であり、エルマーはその全てを統べる能力を持ち合わせていた。
さらに、彼はドワーフ六部族の酋長であり、亜人族の相談役、そして亜人連盟の会長でもある。
大親分と呼ばれるのも納得の存在感と実績を誇る人物だ。
しかし、数ヶ月前――そのエルマーに代わり、地魔法学科の大権威に就任したのは、見たこともない若い女だった。
「新しい大権威って、何者なんスかね?」
レオポルドがぽつりと漏らす。
アレクサンドラは目を細めた。
「確かに気にはなるが……エルマーほどの大物が突然交代、その直後にゲートが実用化されたというのは、どうにも得心がいかん」
誰もが疑問を抱くほどの異例の出来事。
しかし、その影に隠れているのは、単なる人事異動ではないはずだ。
「砂漠エリアが本当に『ダンジョン』だとしても、これだけ広大なエリアを構築できるのは並大抵の技術ではない……ゲートが実用化されているのならば――」
アレクサンドラは言葉を切り、じっと遠くを見つめた。
蜃気楼の中で、何かが動いているように見えた。
☆☆☆
「あれ? オアシスじゃないッスか? オアシスですよ! ヒャッハー!」
レオポルドが黒い布を振り飛ばしながら飛び上がり、そのまま砂地を駆け出して行った。
その姿は少年のような無邪気さで、砂漠の過酷な状況を一瞬で忘れているかのようだった。
「おい! こういう所には幻獣というのが居てだな――コラ! 聞け!」
アレクサンドラは一喝したものの、レオポルドは聞く耳を持たず、歓声を上げながらオアシスらしき場所へ突進して行く。
その背中を見つめながら、彼女は一瞬立ち止まり、思考を巡らせた。
砂漠に現れる幻獣。
――砂幻獣。
その名は、砂漠を旅する者にとって忌まわしい魔獣として知られている。
アレクサンドラの脳裏に浮かぶのは、教本で読んだその特徴。
砂幻獣は“心理攻撃型”の魔獣であり、極限状態の人間に幻覚を見せ、希望を抱かせた後で、一気に現実へと突き落とす。
ここまで人間の精神構造そのものを理解している魔獣は他にいまい。
(なんて、嫌らしい攻撃なのか)
人間の心が折れる瞬間の脆さ。
それを熟知している砂幻獣は、戦わずして相手を崩壊させることに長けている。
砂漠のど真ん中でオアシスなどという都合の良いものがあるはずもない――そう考えるのが普通だ。
しかし、オアシスらしき場所に駆けつけたレオポルドは、すでに湖のほとりに膝をつき、湧き水を両手ですくって喉を鳴らしている。
その動作はあまりに自然で、嘘くささを感じさせない。
(おかしい)
アレクサンドラは自分自身に疑念を抱いた。
視界に広がる湖のきらめき、そよぐ緑の木々、そして水面に映る陽光。
その全てが、あまりにもリアルだった。
(まさか、私も幻を見せられているのか?)
だが、一歩踏み出すごとに疑念が薄れ、本能が駆け出すよう命じてくる。
汗が乾ききり、喉の渇きが酷くなる状況下で目の前の景色は何よりも魅力的に映った。
(いや、待て。本物なのかもしれない……!)
結論を出すより早く、アレクサンドラは足を速めていた。
自分が冷静さを失っていることには気付いているが、それでも止められない。
この砂漠の孤独と疲労、渇き――全てが彼女の決断を狂わせる。
彼女はレオポルドの隣に辿り着き、水面に手を伸ばした。
その指先が冷たい液体に触れた瞬間、安堵と疑念が交錯する。
「本物……なのか?」
アレクサンドラの呟きに答えるように、水面が小さく揺れ、澄んだ波紋が広がる。
彼女の喉は渇きに耐えきれず、手ですくい上げた水を口に運んでいた。
☆☆☆
砂幻獣ではない。
アレクサンドラは、水の冷たさに驚き、しばらく顔を水面に近づけたまま、その清涼感を堪能していた。
乾いた喉に湧き水が染み渡る心地よさは、何ものにも代えがたい。
しかし、次第にその安堵感が薄れ、彼女は周囲を見回した。
「レオポルド……どこだ?」
アレクサンドラの視界の端に、何かが動いた。
彼女が目を凝らすと、レオポルドが少し離れた場所で、誰かと話をしているのが見えた。
「人……?」
アレクサンドラの眉間にしわが寄る。
訓練エリアに参加者以外の人間がいるはずがない。
二人について来れた者は皆無だ。
皆、どこかで消え、倒れていった。
「おい! なにをしている?」
声を張り上げながら、アレクサンドラは足早にレオポルドの方へ向かった。
その間にも、レオポルドと話している人物がゆっくりと振り返る。
(行商人?)
その男は、砂漠でよく見かける行商人のような装束に身を包んでいた。
長旅の埃を被った茶色い外套と、頭には巨大なターバン。
まるで絵画から飛び出してきたかのような典型的な砂漠の旅人の姿だった。
だが、その顔を見た瞬間、アレクサンドラの体が凍りついた。
(虫だ)
行商人の顔は、人間のものではなかった。
甲殻で覆われた頭部、複眼のような光沢を放つ眼球、そして顎の部分には昆虫の触覚のような器官が蠢いている。
砂漠の熱気が一気に冷え込むような錯覚を覚え、アレクサンドラは反射的に腰の剣に手を伸ばした。
「おい、レオポルド! 離れろ!」
警告の言葉を発したが、レオポルドは拍子抜けするほどのんびりした声で答えた。
「あ、大丈夫ッスよ! この人、商人らしいですよ! カタコトですけど、言葉は通じます」
「は? なんだと? 商人?」
アレクサンドラはなおも警戒を解かない。
砂漠のど真ん中に突如として現れたこの“商人”が、ただの商人であるとは到底思えなかった。
その異様な顔の造形だけではなく、この状況そのものが非現実的だった。
「……何者だ?」
アレクサンドラは声を低く抑え、質問を投げかけた。
その問いに対し、虫の顔をした商人はゆっくりと顎を開き、くぐもった声で答えた。
「何者って――アンタたちこそ、どっから来たンだネ??」
その声は耳に直接響くような不思議な感覚を伴い、アレクサンドラの疑念をますます深めた。
思わず手に力が入り、剣の柄を握る指が僅かに震えた。
砂漠の静寂が再び訪れる中、目の前の商人が何を企んでいるのか。
アレクサンドラにはまだ分からなかった――ただ、確かなのは、この出会いが彼らの旅に新たな波乱をもたらすであろうということだけである。
お読みいただきありがとうございました。
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