108話 アイアンロード 3
雪喰い虫の巨大な遺骸の上に、数羽の吹雪鷲が無惨に事切れて横たわっている。
その鋭い爪やくちばしが凍りつき、死闘の激しさを物語っていた。
屍の山の上に立つのはリカルド・カザーロン。ただ独り。
漆黒のマントが雷風に翻り、荒ぶる稲光を背に受けてなお、その威容は揺るがない。
肩にドラゴンバスターを担ぎ、全身から発せられる覇気が、荒々しい戦場の支配者のようだった。
「ふぅ」
リカルドは腰の物入れから毒消しを取り出し、一息で呑み干した。
凍結蜥蜴に咬まれて痛みはあるものの、問題は麻痺毒の方だ。
濃厚な液体が喉を焼く感覚を、ただ淡々と受け入れる。
リカルドの全身からは湯気が立ち昇り、周囲の雪をじわじわと溶かしていく。
吹雪の中、山の斜面に刻まれた足跡や血痕はすでに雪で埋もれ始めているが、ここだけは異様なほどの熱気が漂っていた。
リカルドの戦闘で上がった体温と闘志が、寒冷地の過酷さをものともしない。
「毒気が消えたら、寒さが戻ってきたな」
魔獣どもを制したリカルドは、ドラゴンスレイヤーをやっていた頃の感覚が戻ってきていた。
大軍を率いる将ではなく、独りの戦士としての鋭敏な野生が目覚めつつある。
単独で戦うなど、いつ以来のことになるのか。
父を失い、体の弱かった母や幼い弟妹、病気の祖父母を一人で支えていたあの頃。
行き場のない葛藤と、貧しさに耐えかね、冒険者ギルドの裏で拾った錆びだらけの剣を自分で研いだ。
碌な装備も買えず、歪んだ剣を担いで、たった独りでゴブリン退治をやったっけ。
そこから先は毎日、血塗れ、傷だらけの子供時代であった。
自分の命と家族の明日を守るため、ただひたすらに戦い続けた。
友もなく、金も、希望も、本当に俺には何もなかった。
剣以外に頼れるものなどなかったのだ。
「――本能が戻ってきたぞ」
リカルドはギロリと上空を仰ぎ見た。
上空では、グリフィンがその雄大な翼を広げ、冷たく澄んだ空気を裂きながら降下してくる。
雷鳴が轟き、天空の覇者が威風堂々と降臨した。
グリフィンの眷属である八羽の吹雪鷲は、四羽が空に、残りの四羽が地上に配置され、戦闘態勢を整えている。
グリフィンが降りて来た直後、どこからか火炎弾が飛来してきた。
リカルドが火炎弾が飛んできた場所を振り返る。
そこには、六合目付近で遭遇した女性魔法使いが立っていた。
放った火炎弾は、一直線にグリフィンに向かって飛んでいく。
だが、グリフィンは片翼の一振りで猛烈な突風を起こし、一瞬で掻き消してしまった。
天空の王は火炎弾など気にも留めず、冷厳な眼差しで下界を見下ろしていた。
他の魔獣とは、完全に風格が違う。
「なんて奴だ」
リカルドが目を剥いて、思わず驚嘆する。
動揺や狼狽など、強烈なプライドが許さない。
グリフィンは、その身に圧倒的な威厳を放っていた。
☆☆☆
「魔法使いモードから魔剣士モードへ移行――危険。危険。ただちに半径三メートル外へ避難して下さい」
女性魔法使いの声が響いた。
それと同時に彼女の周囲に魔力の波動が広がり、雪が蒸発するように消えていく。
「魔剣士モード、全機能展開完了」
その姿は完全に変貌を遂げていた。
褐色の肌に、長い耳。深紅の瞳が燃え上がるように輝き、赤い縮れた髪が吹雪に舞う。
リカルドは目を凝らし、その顔を見つめた。見覚えがある。
「モニク・バロー?」
記憶にあるのは、新しく火魔法大権威として就任した人物の名前。
しかし、目の前の女性はそれとは微妙に異なる雰囲気を漂わせている。
同じ血縁――妹か、あるいは近しい親戚なのか?
リカルドが一瞬眉をひそめた。
――説明してやろうか?
雪嵐の中に響く声。
間違いない、ビクトル・マッコーガンである。
「魔工機人。違うか?」
リカルドは答える。声に含まれる真意を探るように、わずかに身構えながら。
――その通り。
声は続く。まるで目の前にいるかのように、臨場感のある響きだ。
――お前は観ていないだろうが、先に黒街エリアダンジョンで男性型を試用した。
「結果は?」
――上々よ。お前んトコの師団長とも互角にやり合っていたわ。プロトタイプとしては合格だ。
リカルドの問いに、ビクトルは自信たっぷりに答える。
――そこに居るのは、女性型プロトタイプ、ヴァルヴァラ・バザロフことヴァル六号。
名前が告げられると同時に、先ほどの魔剣士――ヴァル六号がリカルドに一瞥をくれる。
その目は感情の欠片も映さず、ただ計測するような冷たさを帯びていた。
「ヴァル六号……」
リカルドはその名前を繰り返しながら、眼前の存在を改めて見つめた。
彼女――いや”それ”は明らかにただの機人ではない。
完璧に制御された動き、周囲の環境を無視するような冷静さ。
そしてその中に隠された、恐るべき殺傷能力。
「状況に合わせて、形態を変えていくのか。とんでもないな」
――ヴァル六号とグリフィン”雷王”が、共にお前を迎え撃つぞ、リカルド! なんとかしてみせい!!
ビクトルの声が雪嵐にかき消されると同時に、ヴァル六号が一歩前に踏み出した。
――第十八階層禁術 激剣。
ヴァル六号の中から無機質な音声が響くと同時に、手には雷が渦巻く剣を出現させていた。
☆☆☆
「空へと駆け上がる竜を迎え撃てる唯一の天敵、グリフィン! 雷オヤジが生みだした魔工機人ヴァル六号と挟み撃ちだ! どうする。リカルド・カザーロン!!」
その情熱的な実況に、場が一瞬静まり返る。
ラルフは、ハアハアと息を整えながら水を一口飲み、満足そうにため息をついた。
「ああ。格好いい。グリフィン格好いいわあ」
「そうだろ。雛から育てたからな」
隣に座っているビクトル・マッコーガンが、自慢げに胸を張る。
「へえ。本物のグリフィンなんですね」
「まあな。このエリアダンジョンも、本来の生息地に近い。大喜びで駆け回っておった」
「だったら、今の状況って……縄張りにしてるんじゃないですか?」
「うん?」
「あれ? マズくないですか? 動物って縄張りに這入って来た相手にはマジ切れしますよね?」
「そうだっけ?」
「そもそも、レベル二十七が問題だって話なのに、なんで魔工機人まで入れて三つ巴にしちゃうんですか?」
「面白いかなあって」
ビクトルが肩をすくめ、悪びれた様子もなく言い放つ。
なにか言おうとするラルフを制して、ビクトルが続ける。
「ふふふ。モデルは秘密だが、昔の友人たちとだけ言っておこう。ゴル七号もそうだったがな」
「ゴル七号って……うちのエリアダンジョンで暴れてたゴルジェイ・バザロフも先生が造られたんですよね?」
「おう。そうだぞ。あれは素手でも戦える近接タイプだ」
「ゴル七号は近接から中距離型タイプだと認識していいんでしょうか?」
「ああ。ヴァル六号の場合は、中距離から遠距離タイプになる」
「私をモデルに雷魔法でいこうかと思っていたら、ちょうど大権威をクビになったババアがいてな。生態データを取らせて貰った」
「え? 先生。モデルは秘密だって、さっき――」
「大丈夫だ! ヴァルヴァラは強いぞ。なにしろ、火魔法での攻撃型防御を初めて実戦採用した魔法使いがモデルだからな!」
ラルフが頭を抱える。
「ちょ、先生。それ、ほとんど言ってる。言ってます! 先生!」
「それ行け! 火喰い鳥!!」
「総長! すいませんでしたア!」
☆☆☆
天空に響く雷鳴の中、リカルドが鋭い視線をグリフィン――雷王に向けたまま、大声を張り上げた。
「おう! 雷ジジイ!」
遠く離れた解説席からビクトル・マッコーガンの声が響く。
――呼んだかア?!
「こいつを倒したら、俺にくれねえか?」
リカルドは悪童じみた笑みを浮かべながら続けた。
「眷属化ってのは、自分の力が相手よりも上だと証明すりゃできるんだろ?」
ビクトルの声が面白そうに響く。
――なんだア? お前、雷王が欲しいのか?
「ああ! 欲しい!」
リカルドは胸を張り、拳を天に突き上げる。
「こいつを愛馬にすりゃ、アンタや暁月剣禅にも負けやせん! どうだ?!」
ビクトルの声が雷鳴に負けじと笑いを含む。
――私にも負けぬだと? はっ、笑わせるな! 政治だ、派閥だ……取るに足らぬことで右往左往している軍人風情が何を抜かすか!!
リカルドの瞳に、まるで炎が宿ったような輝きが浮かぶ。
「目が覚めたんだよ。錆び付いてたから、また磨くのさ。昔みたいにな」
一歩前へ進み、全身で雷王の気迫を受け止めながら言い放つ。
「俺はただのリカルドだ。将軍なんて肩書きは、一歩外に出りゃ何の役にも立ちゃしねえ!」
――いいだろう。
ビクトルの声が次第に威厳を帯びてくる。
――くれてやるよ、小童。だが覚えておけ。私が手塩にかけて育てた雷王を舐めるな!
リカルドは豪快に笑った。
「ワハハハハハ! いい歳になって小童扱いされるとはな!」
「た、大変なことになってきました! エリアボス戦と、強奪戦と、三つ巴が同時進行!!」
口元に不敵な笑みを浮かべ、体中の筋肉が戦闘態勢に入る。
「雷王! 貴様が手に入るなら――将軍の称号なんぞ、どうでもいいわ!」
雷王が鋭く甲高い声で鳴いた。
その瞬間、周囲に控えていた吹雪鷲たちは雷王の威光に畏れ入り、一羽、また一羽と道を空ける。
雷王は巨大な翼を広げ、羽根に稲妻をまとわせた。
雷が周囲に炸裂し、高山そのものを焼き付けるような閃光が場を支配する。
リカルドは雷王を睨みつけ、戦神のごとく叫ぶ。
「行くぞ! 雷王!!」
同時にヴァル六号が地を蹴る。
そしてリカルドも一歩目を踏み出した。
三者三様、頂点を目指す者たちが全身全霊を賭け、激突の瞬間が今まさに始まろうとしていた。
最強の称号を賭けた戦いが――空を裂く雷鳴と共に。
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