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聖剣悪女  作者: 河田 真臣
第六章 憤怒の弓
107/164

107話 アイアンロード 2

 まさか、ここまで再現度が高いとは。


 リカルドは猛烈な風雪に曝されながらも、一歩一歩を確実に踏みしめていた。

 山を登る足を一度でも止めれば、次に動かせなくなるのは明白だ。


 冷たい暴風が肌を突き刺し、雪が視界を奪う中、リカルドの顔には苦痛の色が浮かんでいる。

 それでも、その鋼の意志は揺らぐことなく、歩みを止めることはなかった。


 道中、竜騎士団の部下たちが次々と足を止め、雪に埋もれるように倒れていく。

 通常、こんな暴風雪の中で行軍するのは自殺行為だ。

 常識的には進路を変更するか、風雪が治まるのを待つのが定石である。


 だが、ここは訓練エリア――自然の理が通じない特殊な場だ。

 嵐が治まることはない。

 さらに追い討ちをかけるように現れる魔獣たちは容赦なく、レベルは高く設定されている。

 リカルドは苦笑いを浮かべながら心の中で呟いた。

「あの雷爺さんが監修してるんだから当然か……」


 六合目に到達した時点で、参加者はすでに三分の一以下に減っていた。

 その減少を最も大きく加速させたのが、雪幻獣(スノーファントム)の存在だ。


 遠目には、雪の中で助けを求めている人影に見えるその魔獣は、近づいた者に牙を剥く。

 さらに厄介なのは、対象の記憶や感情を幻覚として具現化し、精神を攻撃してくる能力だ。


 幻影はリアルで、過去の後悔や恐怖を呼び起こし、心理的に追い詰める。

 身体だけでなく心が折れた者が、ここで次々と脱落していった。


「実際に雪山に出る魔獣だからな……」


 リカルドは唇を噛む。

 似たような魔獣は砂漠や海にもいることを彼は知っていた。


 砂漠では砂嵐の中に佇む人影、海では漂流する人々の幻影として現れる類の魔物だ。

 厳しい環境下では必ずと言っていいほど現れる“心理攻撃型”の魔物。


「この系統の魔物に対抗する策は、きちんと出しておく必要があるな」

 リカルドは吹き荒れる風の中、雪幻獣を見据えながら心に決めた。


 凍える身体を律し、再び険しい山道へと足を踏み出す。

 リカルドの瞳には、風雪に負けない強い光が宿っていた。


 ☆☆☆


 氷牙狼(アイスファングウルフ)を大剣ドラゴンバスターで叩き斬る。

 リカルドは、身の丈ほどもある巨大な剣を軽々と振り回し、一度に二匹を斬り伏せた。


 鋼の刃が銀色の狼たちを斬り裂くたび、鋭い氷の破片が雪煙となって舞い上がる。

 その凄まじい威力を見た氷牙狼たちは、それ以上の接近を躊躇っている。


 だが、それも束の間の静寂に過ぎなかった。


 吹雪の中から、今度はさらに巨大な影が姿を現した。

 足音が雪を圧し、空気が張り詰めるような気配を伴って現れたのは――氷晶熊(アイスクラスターベア)


 その巨体はリカルドの倍以上、背中から突き出した氷の結晶が鈍く輝き、冷たい霧を纏わせていた。

 氷晶熊は鋭い咆哮を上げると、「冷却フィールド」を展開する。

 周囲の温度が急激に下がり、リカルドの吐息は白く凍りつくかのようだ。


「面倒な相手だな……」


 リカルドは目の前の巨体を冷静に見据え、わずかに息を整えた。

「身体強化二倍」

 声に呼応するように、全身の筋肉が隆起し、魔力が内側から身体を押し上げる。


 この最も原始的な魔法は、素人が使えば即座に筋や骨を引き裂き、命を縮めかねない危険な技術だ。

 だが、リカルドにとっては長年使い慣れた術に過ぎない。

 全身に魔力が行き渡る感覚に一瞬目を閉じ、そして再び大剣を構える。


 氷晶熊が低い咆哮をあげると、背中の氷の結晶が砕け、無数の鋭利な氷片が吹雪に紛れて飛び散った。


 リカルドは即座に前進し、斬撃で氷片を砕く。

 その破片が風に乗って刃のように肌をかすめるが、リカルドは構わず突き進む。

 一気に間合いを詰め、大剣を振り下ろした。


 ――ゴッ!

 氷晶熊の側面を捉えたものの、分厚い氷の殻が深くまで斬撃を通さない。


「浅かったか……」

 リカルドが歯を食いしばる間もなく、熊は巨大な体を捻り、斜面を転がるようにして体勢を立て直す。そのままこちらに向かって突進してきた。


 リカルドは冷静に身体強化を解き、一瞬だけ魔力を心肺機能の向上に振り分けた。

 これによって心臓の鼓動が整い、肺に冷たい空気が滑り込む。

 精神はさらに冴え渡り、次の行動の選択肢が明確になる。


 再び氷晶熊が迫る。

 リカルドは剣を振るうタイミングを見定め、右足を大地に叩きつけるように踏み込む。


「しゃああああ!」

 氷晶熊が振り下ろした前足をかわしながら、リカルドは回り込むように斬撃を叩き込んだ。

 狙いは腹部――氷の防御が薄い急所だ。


 鈍い音と共に、大剣が深々と魔獣の体を貫いた。

 氷晶熊が最後の咆哮をあげ、吹雪の中に崩れ落ちる。


 リカルドは大剣を引き抜き、深呼吸しながら周囲を見渡した。

 魔獣の冷却フィールドが消えるとともに、ほんの少し吹雪が弱まったように感じた。


 ☆☆☆


 背後から突如、火魔法の激しい炎が渦を巻き起こし、遠巻きにリカルドを取り囲んでいた氷牙狼たちを瞬く間に焼き尽くした。


 リカルドは即座に振り向き、大剣ドラゴンバスターを構えたまま敵意を込めた目で睨みつける。

 吹雪の中に現れたのは、スラリとした長身の女性魔法使いだった。


 彼女の鋭い眼光が、寒風の中でもひと際際立っている。

 一瞬の沈黙が凍てつく風に紛れる中、リカルドは微かな違和感を覚えた。


 彼女はまるで寒さを感じていないかのように平然と立っている。

 顔には焦りも疲労もなく、どこか人間離れした落ち着きを漂わせていた。


「助けてくれたのか?」


 リカルドは冷たい息を白く吐きながら声を掛けた。

 しかし、女性魔法使いは言葉を発することなく、ただ首を少し傾けた。

 風雪で聞えなかったのかもしれないが、その仕草には、意思疎通というよりも無関心さが滲んでいた。


 次の瞬間、彼女は再び火魔法を放ち、吹雪の空気を灼熱で切り裂くように燃え上がらせる。

 その一方で、軽く会釈するような動作を見せると、魔法を発動した勢いを利用して高速移動を行い、リカルドの横をすり抜けて消えていった。


 リカルドはドラゴンバスターを降ろしながら、その背中を追い目で見送った。

「火魔法で防寒か……なるほどな」


 彼女の魔法は単なる攻撃手段ではなく、周囲の寒さを制御し、自らの耐久力を補うためのものだと見て取れた。

 だが、魔力が尽きれば行動不能になる危険も孕んでいる。

 それでもなお進み続ける彼女の無鉄砲さには、若さ故の勢いと危うさが垣間見えた。


「まだ学生かな? シルビアと同じくらいか」


 リカルドはぼんやりとそう思い、ふと子供たちのことを考えた。

 この危険なエリアダンジョンで見かけていないことで、とりあえず自分を安心させる。


 しかし脳裏をよぎるのは、このダンジョンを設計した張本人、ビクトル・マッコーガンの顔だ。

 思い出すと苦笑いする他ない。


「……雷爺さん、相変わらずだな」


 ビクトルという男に「手加減」という概念はない。

 それでもなお、あの爺さんの無邪気でどこか抜けた性格が、憎めなさを感じさせるのだから厄介だ。


 吹雪の中に立ちながら、リカルドは火の消えた氷原を睨みつつ、大剣を再び握り直した。

 次の敵が現れるのは、時間の問題だろう。


 ☆☆☆


 吹雪の中、リカルドは微かな気配を捉えた。

 構えを解こうとしていた手を止め、大剣ドラゴンバスターを納めることなく、慎重に構え直す。


 ゆっくりと肩や肘、膝などの間接部をほぐしながら動かし、いつでも反撃に移れる態勢を整えた。

 冷たい空気を裂くように、再び吹雪が強まる。


 魔物か、魔獣か。

 リカルドは目を細め、気配の方向に視線を送った。


 すでに六合目を過ぎた地点だ。

 あの頂上に君臨するグリフィンが吹雪鷲を送り込んで来ても不思議ではない。


 だが、現れたのは想像とはまるで異なる者だった。


「これはこれは……リカルド・カザーロン将軍ではありませんか」

 低く響く声とともに、吹雪の向こうから男が姿を現した。


 リカルドの眉間に険しい皺が刻まれる。

 現れた男は明らかに異様だった。


「私、マルコム・エイデンと申します」


 自ら名乗ったその男は、金髪をきっちりとオールバックに整え、全身はまるで舞踏会に赴く紳士のような完璧な装いだった。


 艶やかなタキシードは吹雪にさらされているにもかかわらず、一切の汚れや乱れが見当たらない。

 とても人間には見えなかった。


 ☆☆☆


 吹雪が激しく視界が奪われた瞬間、マルコムと名乗った男の姿はまるで霧散するかのように消え失せた。


「……あれは、本物の人間だったのか?」

 リカルドは眉間にしわを寄せたが、答えが出るはずもない。


 雪幻獣が見せた幻なのかもしれぬ。

 彼の脳裏にその考えがよぎるが、それ以上深く考える余裕はなかった。


 ふと山頂に目を向ける。

 雷鳴と吹雪の中に、不気味な静寂をたたえた山頂が薄らと見え始めた。


 ごちゃごちゃ考えている暇はない。

 このエリアで誰がどうとか、そんなことを気にする方がどうかしている。甘いのだ。

 リカルドは自らを戒めるように頭を振った。


 今すべきことはただ一つ、集中することだ。

 目の前にあるのは極限の環境だ。

 この寒さと風雪に抗わねば、戦うどころか生き延びることさえ叶わない。


 ふと足元を取られ、膝が一瞬沈む。

 見ると、雪に紛れて転がる氷の塊があった。

 そして次の瞬間、空から雹が叩きつけるように降り始めた。


「……あのジジイ!」


 思わず悪態が口をつく。

 ビクトル・マッコーガン。

 あの男、我々を凍死させるつもりではあるまいな……。


 その時だった。首筋にチクリとした冷たい感触が奔った。


「ぐあッ!」

 リカルドは即座に首元を振り払った。

 そこには鋭い目を持つ白い蜥蜴型の魔物が張り付いていた。


 凍結蜥蜴(フロストリザード)

 硬い皮膚を持つ巨大な蜥蜴型魔獣で、その雪と同化する擬態能力は極寒地帯での生存に特化している。

 普段はほとんど動かず、縄張りに侵入した者だけを執拗に狙う。


 さらに厄介なのは、その毒だ。

 凍結蜥蜴は、微量の麻痺毒を注入し、獲物の動きを鈍らせればいい。

 後は寒さがとどめを刺してくれる。

 極寒地の自然と一体となった狡猾な捕食戦略を持つ厄介な魔物である。


 リカルドは眉をしかめながら蜥蜴を地面に叩きつけ、素早く大剣でその頭部を粉砕した。


「こんなマニアックな魔物まで再現していようとは」


 雷街が本気を出すと、本物より本物になる。やることが何事につけ細かい。


 このダンジョンを生み出した者たちのことを、リカルドはよく知っている。

 雷街の連中は、善意も悪意も持ち合わせていない。

 ただ純粋に、創りたいものを創る――それがどんな結果をもたらすかなど、まるで意に介さない。


 ビクトル・マッコーガンの号令一下、彼らは寝る間も惜しんで、技術と情熱の限りを尽くすのが当然なのだ。

 その結果が、この命を削り取るようなダンジョンだ。


 リカルドは呆れながらも、どこか懐かしささえ覚えた。

 彼らの本気に触れるのは久しぶりだった。


 ☆☆☆ 


 巨大な雪喰い虫(スノーディヴォア)が丘陵の雪を盛大に吹き上げながら姿を現した。

 その巨体が地面を震わせるたび、参加者たちは容赦なく跳ね飛ばされ、悲鳴とともに斜面から転げ落ちていく。


 雪喰い虫――高山地帯に生息する巨大な芋虫型の魔物。

 その表面は氷で覆われ、滑りやすい装甲となっている。


 雪の中を潜行し、獲物を丸呑みにする習性を持つが、今回はエリアダンジョンの制約で直接攻撃に切り替えられていた。

 参加者を丸呑みにすれば、流石に助けるのは困難になってしまう。


「厄介な奴が出てきたな……」

 リカルドは一瞬、眉間にしわを寄せたが、すぐに空を見上げる。


 そこには数羽の吹雪鷲が旋回しながら氷嵐を打ち込んでいた。

 空中からの攻撃が絶え間なく降り注ぎ、地上では雪喰い虫が暴れ回る。

 まさに挟み撃ち。リカルドは吐き捨てるように舌打ちをした。


「クソ……!」

 彼は素早く丘陵の影へと走り込み、吹雪を背に隠れた。


 通常のエリアダンジョンであれば、空の吹雪鷲と地の雪喰い虫が鉢合わせすることは少ない。

 だが、ここは雷街のエリアダンジョンだ。


「彼らが魔獣の習性を無視しているわけがない」


 雷街の連中のことだ。

 魔獣の本能すらも緻密に再現しているに違いない。


 リカルドは丘陵の陰から雪喰い虫の巨大な口腔に向けて、レベル二の水魔法を放った。

 戦闘用ではなく、生活魔法程度のものだが、高山の寒冷地では別の効果をもたらす。


 ――水は瞬時に凍りつき、雪喰い虫の口腔内を鋭く突き刺した。

 雪喰い虫は突如の刺激に大暴れし、金切り声をあげる。


「やっぱりな」

 リカルドは小さく笑みを浮かべる。


 その騒ぎに驚いた吹雪鷲たちは、自分たちの安全を脅かす存在と判断したのか、雪喰い虫に氷嵐を打ち込んだ。

 雪喰い虫も怒りに震えながら、空中の吹雪鷲に向けて溶解液を噴射する。


 空中と地上、両者の激しい攻撃が始まった。

 自然界なら天敵同士である。

 普通ならエリアダンジョンで魔獣同士が争うなどと、無意味な真似はさせないだろう。


 だが雷街が手掛けたのなら、話は別だ。

 彼らなら、必ず限りなく本物に近い魔獣を創りだす。

 争わす気などなくても、現実に近付けるほど、ほんの少しの刺激でぶつかり合うのは必然である。


 当然、リカルドは魔獣らが争う隙を見逃さない。


 手のひらで小さな火魔法を発動させ、指先を温める。

 ドラゴンバスターを握り直し、吹雪鷲の一羽が雪喰い虫の溶解液を受けて墜落してきたところを素早く叩き斬った。


 リカルドは荒々しい雄叫びをあげ、雪喰い虫に向かって突進する。

 ドラゴンバスターを両手で構え直し、その鋭い刃を光らせながら敵の巨体へと斬りかかって行った。

 お読みいただきありがとうございました。

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 カクヨムでも書いております。宜しくどうぞ。

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